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だから私は恋愛ができない



だからわたしは恋愛ができない

恋愛の話は、若しくは好きな人がいたという思い出話は、どの世代でも出てくるんじゃないかな?
ほとんどの人が持っていて、中身は違えどその話題は、必ず出て来てた、と、今までを振り返ると思う。
私はこうだった。あなたは?って。
聞いて欲しがったし、言いたがっていた。
と、今のところは思ってる。
でも、私には、その思い出はない。
遠ざけていたから、遠ざかっていく。
私から遠く離れたところで賑わう蜃気楼みたいに思えた。




 × × × × × × × ×

誰かを好きになることは早くも私が幼稚園生のときから既に始まっていた。
それは、周りの子もだけど、私も。
小学生、中学生、高校生……と、どんどん濃度が上がっていく。
人生のメインイベントみたいに中心に躍り出る。

恋愛 は当たり前みたいに、みんな持っている思い出という前提で振られる話だけれど、私には何もない。
全員かはわからないけど、私の友人や隣の席になった子とか、恋愛っていう話題は少しでも距離が縮まれば、挨拶の次に出てくる話題だった。
恋愛は、わたしたちの興味を欲しいままにした。心の中でひっそりと相手を思うタイプもいたし、隣の席になるように、とか、告白だとか、恋を叶えることに一生懸命な子もいた。
それに、クラスの9割くらいは好きな子がいるとよく耳に入った。

〇〇は、△△が好きなんだってー

私は誰かを好きになったことはあっても、その誰かと付き合えるように動いたりもない。
誰かを好きになる、そういう期間は短くて、すぐに現実に戻されていた。



恋愛話を友人の側で聞いていると、
好きな人の話で喜ぶ顔をみて、なんだか優しい気持ちになった。
笑っててくれて、よかったって。
でも、私が話を振られると申し訳なくなる。
だって、ないんだもの。
好きな人がいるフリは出来ても、
私に好きな人はいないんだから。
でも、イベントがあれば、好きな人がいた方がいい。いないとその瞬間、かなり盛り下がるか、恥ずかしくて、焦らしてる人になる。
楽しい雰囲気が止まる。
一緒に楽しむために必要だからと、適当に名前をかりれば、手伝おうとしてくれてた。
嬉しかったけど、ホントはいない。
だから、手伝ってくれなくて、大丈夫なんだ。
その気持ちは伝えずに断った。

なんというか、私はずっと傍観者だった。
恋愛が出来ないから、
羨ましく眩しいなと、今を楽しむ?友人たちをみていたし、時には手助け?に駆り出されたこともあった。

私が恋愛できない理由は、
過去を振り返ると、思い当たるものがある。
ただしくは、恋愛出来ないではなく、
恋愛してはいけないから始まり、出来なくなった。
私が恋愛出来ない理由を、私はこう思う。

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