出産祝いをめぐる考察

最近、私の周りでは子どもが生まれる人が増えている。

そこで複数回にわたって出産祝いなるものを購入することになり、考えたことを書いていく。単に考えたことでしかないので、実際に起きたこともあれば仮定のこともある。個別の誰かが友達で誰かがそうじゃないとか、お祝いの内実がどうこうとかそういう話ではない。ご承知おきいただきたい。

はじめに〜私は鬼ではない〜

日ごろから思想を表明しているからか、結婚や出産を祝うと言うとそれだけで驚かれることが多い。

しかしいくら結婚制度そのものに懐疑的であっても、当人同士が納得して利用することによって幸せになるなら祝福するし、自分が子どもを持つ気がなくても友人が子どもを持って幸せになるなら祝福するのである。
逆に子どもを持って不幸になりそうとか、結婚して不幸になったというなら喜んで相談に乗るし、離婚して清々したというなら祝福する。それだけのことである。

結婚制度に反対だから結婚するとしても呼びたくないと言われたことまであるが、人を何だと思っているのか。そんなわけで私は今回に限らず本気で祝う気はある、あるからこそ不思議に思ったのである。

出産祝いは誰のため

仮に、AとBの家族にCという子が産まれたとしよう。産むのはAである。このnoteでは一貫してこのモデルを使うことにする。

私がAの友人であるとして、子どもが産まれたと報告を受けたら、買いに行くのはふつう「出産祝い」である。変化の潮流があるとはいえ、一般的には、贈るのはベビー用品が中心だろう。

しかしちょっと待ってほしい。現代日本語の一般的な用法では、「出産」とは「(産む人が)子を生み出すこと」であり、「(子が)生まれ出ること」は「出生」である。「私が子どもを出産した」とは言うが、「私が母から出産した」とは言わない。「子どもが出生した」と言えるが、「私が子どもを出生した」とは言わない。

私がAの友人であるならば、私はAに「出産お疲れ様、(子どもを産むという達成をしたので)おめでとう」と伝えたいわけで、出産祝いとはその範囲においては正しくAに贈るものである。これを狭義の出産祝いと置こう。
しかしその一方で、Aに対しておそらく多くかけられるのは「子ども(あなたに)生まれておめでとう」であって、しかしこれの主語は「子ども」なのである。

「生まれ出た子どもについての祝い」に当たる語が一般的な日本語の中にはないので、ここでは便宜上「出生祝い」と呼ぶことにしよう。ここでは「子どもが生まれ出たことを祝う」のだから、祝われる中心は子どもCであり、Aはそれをともに喜ぶ者に過ぎない。

そうすると、本来であれば出産祝いとはAが喜ぶようなもの、出生祝いは生まれた子のためのものを送るのが正解であって、出産祝いと称してベビー用品を送るのはいささか齟齬がある。

現実的には、出産祝いと出生祝いを分けて送るのは、関係が遠くなればなるほど(=予算が減るほど)困難だろうから、どちらかに統一するのは理解できる。だが混ぜればいいってもんでもなかろう。Aに対して出産祝いと称してベビー用品を贈ってしまったら、私は一体誰を祝いたかったのか分からなくなってしまう。

それを感じてか感じていないかは別として、最近は出産祝いに「お母さんがリフレッシュできるもの」をおすすめするツイートなども散見する。しかしよく見ればそのラインナップは「お母さん」、つまり産んだあとの子育てに対する労いや便利のラインナップが中心であるように見える。本人たちが役に立ったと言うのだから良いのではあるだろうが、「出産」を祝う意味合いからすれば、お祝いと称して先のための備えを贈るというのは面妖なことである。

とはいえ百歩譲って、出産とは産んだ人と生まれた子の両方に関連するのだから出産祝いで良いのだ、呼び分けるのも面倒だからそれでいいじゃないか、としよう。では次の場合はどうだろうか。

祝われない不在者について

仮に私がBの友人だったとする。Aとは面識があるかもしれないし、ないかもしれないが、産まないほうのBこそが私の友人である。

Bから連絡を受けた私はBが喜んでいるので祝いたい。
しかし、Bが喜ぶようなものを贈るお祝いには名前がないのである。Bは出産していないのだから!

既存の慣習としてBに対して贈るとすれば、やはりそれはベビー用品ということになる。そしてそれは出産祝いと呼ばれる。私の友人は産んでいないのに、その人の家族の誰かが出産したことを祝う名目で、生まれた子どものためのものを送るのである。もはやカオスである。この場合に本当にBが喜ぶものだけを送る慣習はおそらく今のところ存在していないような気がする。私の友人はBなのだが。
そしてもちろん、Bの立場に対して、Bの子育ての苦労をねぎらうようなものを贈る習慣も、たぶん今のところ、存在していない。

イエ制度と母親神話

出産祝いと称して子どものためのものを送るところに、「親なんだから子どものためのものを送られれば嬉しいはず」という神話を感じる。確かに喜ばしいかもしれないが、個人的に嬉しいものと間接的な喜びとを混同するのも何か違うのではないか。「あなたのお母さんが米寿を迎えてめでたいから」と言って子どもの側に対して杖を贈る奴があるだろうか。それは米寿のお母さんへのプレゼントであって、米寿を迎えたお母さんを持つ子どもへのプレゼントではなかろう。

そして「お母さん」に向けて送るギフト提案、産んだら当然お母さんとして子育てに尽力するはずだという母親神話。そこに不在であり、祝われる名前もなければねぎらわれることもない、もう一人の親の存在。

出産祝いに見るBの立場は結句、イエにおける家父長なのであり、かつ、いまだ子育ての責任について透明化され続ける「お父さん」なのである。
イエの成員が自分の所有物だから、所有物に対する祝として産んでもいない出産祝いが成立してしまう。逆に言えばその「母子関係」の外にいるBの立場はあくまでもシステムの外殻でしかなく、その後も子育てからはみ出した位置であることを暗示するかのように見える。

穿ち過ぎかもしれない。
でも現実問題、出産祝いはABのそれぞれを祝うことができていない。親なのだからCを祝えばいいというのは贈る側の都合で、それは出生祝いであって、換骨奪胎された出産祝いの本体も、そこからはじき出されたBの立場への祝いもないのである。

子育てをめぐる歴史は複雑で、子どもが生まれても必ずしもめでたくない時代と場所もあれば、生まれても育たない可能性が高い時代と場所もあった。現代のような祝い方は必ずしも日本の庶民に昔から根付いたものとばかり言えるわけではない。出産そのものを祝うとしても、誰を祝うのか、どんな祝い方をするのかは、時代ごと場所ごと階級ごとに異なっていたはずだ。それが現代の「出産祝い」の在り方に結実するまでの間に、なぜそういう形と名称に収まっていったのか、その背景に家父長制と母親神話があったと考えても、的外れとまでは言えないのではなかろうか。

現実問題としてのお祝い

ところがここで問題になるのは、贈る相手が私と同じ思想とは限らず、こちらとしても慣習を大幅に無視して困惑させたいわけではないということだ。

私の都合でやっても良いなら、予算を二分割し、半分は子どものため、半分は自分の友人のためのものになる。しかしそこで私に後者の内容を的確に選ぶ自信があるのかと言われれば、そこは外すかもしれない。たとえ何か違うのではないかと思っても、現に役に立った、嬉しかったと評判のものが良いのかもしれない。また予算や配送の都合からすれば、前者と後者で二分割するのが難しい場合もありそうだ。

とすれば、やはり贈る物品としては、ある程度世の中のスタンダードから離れることはできない。
熨斗なども本当なら出生祝いと書きたいところだが、いちいち注文をつけるのも難しいだろう(そもそもラインナップにないものは無理なお店だってある)。

仕方がないので、ちょっぴりおまけを付けるなどしながら、ごくごくふつうの「出産祝い」を贈る。
世の中とはままならないものである。

これからの「出産祝い」

とはいえ、先にも少し触れたように、近年の「お母さんへの」ギフト提案は、無意識的にであってもこの「一体私は誰の何を祝っているのか」の疑問を感じたところからの提案であるように感じられる。もちろん慣習は生き物であって、少しずつ変わってきてはいるのだろう。

「お父さん」が子育てに参入するようになったのも、産まない人が「お父さん」じゃないかもしれない可能性が高まってきたのも、「お母さん」がお母さんになってもお母さんである前に人間なんだと認識されたのも、まだまだずいぶんと最近のことだ。だからこの奇妙奇天烈な「出産祝い」の組み合わせも、将来的には何らかの形で「正しく」回収されていくのかもしれないし、そうなったときにはまた別の歪みが出てきているのかもしれない。

でも誰かが何かしないと始まらない。それはそのとおりで、だから私も何かをしようと考えてはみる。でも自分の権利を守ることとは違って、こういう相手のあることを変えていくには、慣習を超えても相手の喜ぶことを考えられる、そういう才能が必要なんだろうなと思う。私には無理だ。慣習の範囲内ですら絶妙に外してしまうのが私だから。

だから実践として変えていく作業にはあまり参与できないでいるのだけれど、それでも、こういうふうに考えたことを残しておけば、誰かが「そういえば誰のためだっけ」と思ってくれるかもしれないし、何か良いことを思いついて実践してくれるかもしれない。他力本願だけれども、そうやって誰かが動いていくことで、祝われるべき人がちゃんと祝われる慣習ができていったらいいなあと思う。

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