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私の髪は、うつくしい。

ささやかな、それでいて泣いてしまうほどあざやかに、私の髪に宿っている思い出がある。

小学四年生のときかな。
すったもんだの末に母が家を出て行って、我が家の朝はいっそう慌ただしさを増した。
そんななか、レパートリーは少なかったけれど、父が髪を結んでくれるようになった。
ポニーテールか、ツインテールか。
ツインテールをねだると、たいてい左右の高さがアンバランス。
大工のおじいちゃんの血筋のせいか、太くて短い指で、まだ細くて茶色がかった幼い髪を束ねて、強いくらいの力でブラシをかける父。

姿見の前に座って、私の後ろで格闘する父を眺めて笑う。
少しの空っぽ。
日々を悲しんでいいのだとも思えず、心から満足なのだとも言えなかった。
とりあえずの元気でやり過ごす。
当たり前だけど、自分で髪を結ぶことだって、できた。だけど、父はその役目を引き受けてくれた。

父と、私と、妹。3人で家を守る。掃除、洗濯、さまざまな家事を分担した。父が慣れない料理もするようになって、失敗した炒め物を3人で笑いながら食べたこともある。父は食事を出来合いのものだけで済ますことも、誰かに託してしまうこともしなかった。私は毎日、家事に勤しむようになった。子どもであることを、やめた。

このころ、親族の集まりやなんかに顔を出すのが、億劫だった。
なぜ子どもの前でそんなことを言うのか、まったく分からなかったけれど、いろんな言葉を聞いた。
「あの人(母)はおかしいよ」
「子どもの面倒を男ひとりでみられるの?」
「こっちに引っ越していらっしゃいよ」
耳に入る声に、血が凍るような、芯まで心を染める寒気につつまれる。
親族というのは、ときに一番めんどくさい。
ご近所の目、学校でのデリケートな扱いに加えて、近距離でトドメをさしてくる。平気なふりが、どんどん上手くなる。誰にも邪魔されたくない。残った家族の形を守りたかった。いま考えれば大したことないことも、すべてを敵意に感じてしまう時期だった。子どもをやめたつもりでも、子どもだったのだ。

だけど、いちばん風変わりな伯母さんは、あんまり介入するような意見を言ってこなかった。
癖っ毛のショートカットで、自分の息子の友だちから「パー子」と呼ばれていた伯母さん。それをまったく怒ることなく面白がるひとで。
頭のいい息子が家で勉強していようものなら「勉強なんかしてんじゃないよ! 子どもは風の子、外で遊ぶんだよ!」と褒めるどころかプリプリしていたという。休日には旦那さんと仲良く2人でパチンコやゲームセンターに行くのを趣味にしていた。旦那さんが器用なおかげで、何度もゲームセンターで大量にゲットしたお菓子をもらったから、よく覚えている。
伯母さんは、よく笑った。何が引き金か分からず発作がはじまるので、うずくまって笑う姿を泣いてるんだと勘違いしてオロオロしたこともある。忘れもしない、おばあちゃんが死んで、お寺でお坊さんにお経をよんでもらっていたときのことだ。前で正座するひとの靴下に穴が空いていたことで笑いのスイッチが入ってしまい、どうしても我慢できなかったらしい。そんな場面で笑い転げていたことに、私は子どもながらに引いた。だけどなんだか憎めなくて、チャーミングなひと。

そんな伯母さんに、親戚で集まっていたとき、なぜか、髪を結んでもらったことを覚えている。そのときだけ、2人っきりだった。触らせてほしいとお願いされたのだったと思う。

「大変ね」とか、あわれむような言葉はなかった。いつものように無邪気に、けれど少し落ち着いた態度で私の後ろに座ってブラシを手に取る。

「長くてすごく綺麗な髪ね」

息子しかいないから、こうして女の子の髪を触るのが夢だったの、と。
繊細なものを触るように、ゆっくり丁寧に撫でてブラシをかけ、ポニーテールに結んでくれた。
たったそれだけのことが、心を甘噛みした。
深く傷つけられた言葉と同じように、その感覚を覚えている。
きっと、一生覚えている。

しあわせと、ふしあわせ。
両方あって、どちらも人生に降り注ぐ。きっとどちらも大切だ。
だって、こんなに、ささやかな思い出がうつくしい。

髪のうつくしさは、遺伝やシャンプーだけではなく、愛で決まる。
絶対そうだ。私はそう強く信じている。

いままで、髪を結んでくれた、お母さん、お父さん、伯母さん、友だち、美容師さん。
みんな、ありがとう。すごくうれしい時間だったよ。

誰かにブラシをかけてもらうのも、とても嬉しいことだけど。
誰かが手をかけてくれた記憶があれば、自分でブラッシングすることは、愛しさを噛みしめる行為になる。
幼いころに母が可愛らしい三つ編みにしてくれた髪も、
あのころ、父にシンプルに結んでもらった髪も、
伯母さんにブラシをかけてもらった髪も、
もう私の頭の上には一本もないだろう。
すべて生え変わっているはずだ。
それでも、私は覚えている。
今日も、髪をとかす。

私の髪は、うつくしい。

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