未来で愛すること。
昨日、昼間には書けなかったので、家に帰ってからゆっくりnoteを書いた。小学生のころにお世話になった、書道教室のおじちゃんおばちゃんの話だ。
https://note.mu/66_6/n/nfdfcc2542354
感傷的になってるじぶんがいることはわかっている。それでも泣きながら書き上げて、わたしは愛について考えている。
過去を振り返るとき、どうしてもショックだったことやトラウマを真っ先に思い出してしまう。
過去は軽くフィクションだ。
じぶんで編集した物語にすぎない。
おじちゃんおばちゃんを思い出すほど、愛されていたことに気づく。とか書きながらまた泣いているからわたしの涙腺は素直にもほどがあるなあ。泣くほど冷静さが生まれてくるから不思議だ。
わたしは両親からの愛を求めていた。理想の愛であり、限定的な愛だ。けれど、思い返せばいろんなひとから愛を与えられていたし、いまもそうなんだ。そう考えると、愛を教えられている人生なんだなと思う。
さみしかったぶん、だれかにやさしくできる。
そういう風にしようとしてきた。そのぶん、じぶんが誰よりよろこぶからだ。そうしてほしかったんだと、はしゃぐから。
でも、それじゃ足りないことに気づいた。
わたしはもっと、出会ったひとたちを愛そう。
なにができるかはわからない。けれど、まずは気持ちから。愛されたかどうかより、愛することを考える。
未来のことを、愛されるかどうかよりも、愛するためにはどうしていくかと考えると、とたんに世界が広く感じる。
GWを棚卸しの期間にしようと思っていたけど、ちゃんとはじめられそうだよ。
もうすぐ母の誕生日がくる。
さいごまで読んでくださり、ありがとうございます! サポートしてくださったら、おいしいものを食べたり、すてきな道具をお迎えしたりして、それについてnoteを書いたりするかもしれません。