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棄てたはずの猫

 書店でこの本を手にとったとき、(おや?)と思った。小ぶりなサイズで、表紙には淡い色彩の情景画。外国の詩集みたいな装丁だ。心静かに読みたくて、家族が寝静まった深夜にページをめくった。

  村上春樹さんが初めて語った父親の話。タイトルになっている『猫を棄てる』エピソードに、まずはホッとさせられた。子どもの頃、二キロも離れた海岸へ棄ててきたはずの雌猫が先回りして帰宅し、村上父子を驚かせる。父親の表情が呆然から感心へ、そして安堵へと変わったと村上さんは記している。猫を見つめて、ぽかんと立ち尽くす昭和の親子。なんともほほえましい情景ではないか。

 そして辿られる父親の人生。京都の寺の次男として生まれ、僧侶か学者になる道もあった勉強好きの真面目な若者。しかし戦争という時代の波に翻弄され、三度も招集されてしまう。幸運にも生還できたが、屍となった多くの戦友たちへの負い目、なんらかの関わりがあったと推測される中国人捕虜の処刑……。村上さんは、黙して多くを語らなかった父親の秘めたる苦悩を慮る。

 そんな村上父子の関係は、息子が自我を確立していく中で悪化し、最後は絶縁に近い状態だったという。ようやく和解らしきものができたのは父親が亡くなる少し前で、この作品も父親の死後数年を経てから世に出された。

 いまや村上さんは〈世界のムラカミ〉であり、日本が誇る偉大な小説家だ。(大作家と書きたいところだが、きっとご本人が嫌がられるだろう)
そんな村上さんが、作品の後半でこう述べている。「この僕はひとりの平凡な人間の、ひとりの平凡な息子に過ぎない」と――。猫を棄てた日の父子の情景が、この言葉にオーバーラップする。

 ここからは私の勝手な思い込みだが、村上さんにとって父親の存在は、〈棄てたはずの猫〉だったのではないか。疎遠となり縁が切れたようでいて、人生のところどころで先回りし、奮闘する息子を見守っていた。姿は消えても、点々と残されたその足跡が、村上さんにこの作品を書かせた気がする。

 一方父親にとって、村上さんは〈松の木に登ったままの子猫〉。するすると一心不乱に木のてっぺんを目指し、下からどれほど呼びかけても降りてこない。心配し腹をたてつつも、決して〈降りること〉を選ばなかった息子を誇りに思われていたはずだ。

 短い文章だが、この作品は重い。平凡な一庶民の人生を大きく歪め、傷つけた戦争。淡々と綴る村上さんの筆が、読む者の心にその恐ろしさ、取り返しのつかなさを刻みつける。

 同時に軽やかな希望も残す。名もなき一滴の雨水に例えられた父親の人生、その歴史。受け継いだ村上さんは、今後さらなる高みへ登っていくのだろう――するすると、下を見ないで。

 そう、〈棄てたはずの猫〉が見守ってくれているのだから。

#猫を棄てる感想文

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