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中村佳穂の音楽にふれること

今週火曜日、よく音楽の話をしてくれるお姉さんから声をかけてもらって中村佳穂のライブへ行った。うたのげんざいち@スタジオコースト。

どれからひろえばいいのか分からないほど、2時間半の濃い空間ではいろんな思いが溢れた。年の瀬にその場にいられたことに、ふーっと息をはいて感謝しながら、わたしが出会った中村佳穂を振り返ることにした。

思い返すとはじめて中村佳穂の声を耳にしたのは餅が空を飛ぶミュージックビデオ。SNSで見かけておもしろいなといいねを押したけれど、彼女が歌っていると知ったのは全然あとのことだった。

そのあと(曖昧なところがあるんだけれど)「きっとね!」のミュージックビデオにふとたどり着いたんだと思う。あまり聴いたことのない音楽と独特なアニメーションが頭にひっかかっていた。

そんなタイミングで松重豊のラジオに中村佳穂がゲスト出演すると知る。きちんと "中村佳穂" を知って、自分の好きなものとしてクリップ留めできたのはこの時かなと思う(松重豊のラジオは最高、この話も書きたい)。
自分のルーツや曲について話す柔らかな声と笑いにも惹かれたのだけど、松重豊が歌詞を朗読したあとに続いて、鍵盤と声だけで彼女がはなった「そのいのち」。
驚いた。感じたことがないエネルギーに、ラジオ越しに耳が釘付けになる。彼女のほかの音源を聴いている時ともまるで違った。民謡を耳にするような、古い絵本を読み聞かせてもらっているような、とにかく何かが今までと違う気がした。(今書いているうちに腑に落ちた「何か」は、自分の音楽の受け取り方だろうと思う)

まだ寒い頃、いきつけの餃子屋では音楽好きの大将に最近なにを聴いているのかとたずねられて中村佳穂の話をした。iPhoneをお茶碗につっこんで(簡単なスピーカー代わりにして)一緒に聴いてもらった。

じわじわと周りの人に広めていた春頃、GREENROOM FESTIVALで念願の中村佳穂のライブを体験した。決して大きくないステージのまわりには遠くまで人が集まっていて、わたしはステージをほぼ真横から見つめていた。思っていたよりも沢山の人がもう彼女に注目しているんだなと、その時は少し意外だった。でもすぐに意外でもなんでもなくなる、むしろこの場所、小さすぎるよ、と。

完っ全に放たれていた。音楽が。アドリブとか、そういう域の話ではない。

CDとデジタル音源、ラジオの生演奏ともあまりに違って、この人の音楽はとんでもない、放心状態になる。言葉の意味は深くはわからない、でも確実に音に乗ってもろとも押し寄せてくる。(ここまで書いておいてなんだけど、うまく書き表すには言葉が足りない、表現できない。)

そのあと夏のフジロックのFIELD OF HEAVENでも聴くのだけれど、山で踊るには、中村佳穂の音楽は気持ち良すぎた。放たれる音楽が、どこにもなににも邪魔されないでそこに広がっていた。

翻ってスタジオコースト。この日の登場の挨拶だって、MCだって、曲紹介だって、彼女は歌う。「歌はコントロールできないの」という言葉が印象的だった。溢れてとまらないエネルギーでどんな曲もその日限りの形にしている。

その場でしか味わえないやりとりや、その場でしか共有できない空気があることに気付いて、社会人になってからライブへよく行くようになった。それでも中村佳穂・中村佳穂バンドほどに目の前でライブで体験したいと思うアーティストはいない。昨日できたばかりという新曲にその場で歌詞をつけて歌う姿をみて思った。絶対に、ライブなんだこれは。

ステージで「『○○でライブをしたい』そういうことは考えたこともない、この素晴らしい友人たちと音楽ができるのであれば場所は関係ない」「音楽は自分も知らなかった自分の新しい一面を知ることができる、友人たちの知らなかった一面を知ることができる」のだとも言っていた。ほんとうに楽しくて仕方がない様子だった。

彼女にはきっとこれからも驚かされたり、ああこんな風にはなれないと思ったりする。でもわたしや色んな人たちが、考えたこと・感じる思いを言葉にしないと気が済まないのと同じように、彼女にとってはそれが歌だったというだけなのかもしれないと、今書いていてどこかでほっとする。ステージでうまく歌詞をつけられて「やったー!」とピースしてはしゃぐ彼女は、歌という術を持った、同世代の素敵な女性だった。

もっと沢山の人が中村佳穂と中村佳穂バンドに注目するようになると確信に近い気持ちでいる、だから2019年12月に彼女の「うたのげんざいち」を目の当たりにできたことは、とてもとても、わたしにとって素晴らしいこと。

これからも、とまらない歌が聴きたい。

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