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下鴨神社、古本まつりと真夏の参拝。

数年前から気になっていた、夏の下鴨神社での古本まつり、今年ようやく訪れることができた。

…それにしても暑い。暑すぎる。

涼しい車内から出た身体には、もったりと湯のように身体を包む熱気は少々酷である。
古本市が並ぶ場所は、木陰になっているとはいえ、ところどころさんさんと日が差している。糺の森、と名づけられた自然豊かなここ。真昼は活動の盛りではないのか、頭上からは控えめな蝉の声が降ってくる。

日傘で暑さを凌ぐか否か。
本を手に取ってまわるには、いちいち畳んだり広げたりしなければならない日傘は邪魔だろうと、この場を存分に楽しむために諦めた。

額から滲み出る汗をハンカチで押さえつつ、いろんな古書店を見て回る。そのうち、羽織っていた薄手のカーディガンですら煩わしくなり、鞄に仕舞った。



ところ狭しと並ぶ、時を経た様々な本たち。

文学、教養書、雑誌、漫画、児童書、様々なジャンルの年代ものの本たちが、ひしめき合っている。

一般的な書店と違い、馴染みのない作家さんや著者、見たことのない本が多く、わたしは世にある本の殆どを知らない、という事実を改めて目の前に差し出された気分だ。

時を経た本の佇まいや匂い。

両祖父母の家の本棚に、静かに並ぶ本たちもこんな感じだった。わたしが子どもだった頃、携帯電話はもちろんのこと、持ち運べるゲーム等も持っていなかったし、祖父母宅での遊びといえば、外で遊ぶか本を読むかお絵描きくらいしかなかった。

「雪の女王」などの児童書や古い教育書や雑誌、漫画「ブラックジャック」…。

祖父母宅で、時間を持て余したわたしは、それらの本をよく手に取った。

父や母が、子どものときや青年期に親しんだ本。想像もつかない、両親の子ども時代との唯一の接点である目の前の本。

それをこうやって共有できるのは、不思議な心地がしたし、古い本の匂いはどこかここではない場所に連れて行ってくれるような、魅惑の香りがした。

部屋の片隅でひっそりと日に焼けた褐色のページをめくる、そんな思い出たちがぶわっと立ちのぼり、郷愁めいた想いにかられる。


古本まつりには、本だけでなく昔の漫画や雑誌なんかも雑然と並んでいた。
その中に「暮しの手帖」を見つけ、思わず手に取ってしまう。「暮しの手帖」は特に普段愛読しているわけではないけれど、敬愛する松浦弥太郎さんや花森安治さんが関わった雑誌なので、なんとなく親近感がある。
その時代を映し出したような特集が見られ、興味深く何ページか目で追った。

古い暮らしの手帖。
少し前の「暮しの手帳」
今年で75周年だそう。


文学作品の棚には、高村光太郎、幸田露伴、尾崎紅葉、武者小路実篤…。歴史や国語の勉強で名前と題名だけ知っている作品が多く並んでいる。

手頃な薄さの武者小路実篤の「お目出たき人」を手に取ってみた。現在使わない漢字や言い回しがちょくちょく散見されるものの、文章自体はさほど難解ではなく、頑張れば読めそうだ。
序盤、「女に餓えている」という文言が見開き1ページに4回も出てきてちょっと笑ってしまった。非モテ男性が主人公なんだろうか…。

気になったので購入しようかと思ったけれど、普段の読書よりかは遥かに気合いがいりそうな文体で、読み通せるかどうか自信がなかったのでやめた。

しかし、実際に何冊か手にとってみることで、こういった「日本文学」と呼ばれる作品になんだか興味が出てきた。何かしら挑戦してみたいなあと思っていると、究極に素敵な掘り出し物を見つけた。

古い古い教科書たち…!!
ちなみに、小学3年生の社会科では「むかしのくらし」について学習するのだけれど、こんな昔の教科書なんか子どもたちに見せたら面白がるだろうなあ、なんてにやりとする。

これは授業に使えるな、となんでも教材にしたくなるのはもはや、職業病の一種かもしれない。

ぱらぱらと何冊かめくり、さすがにカタカナと漢字のみの文章は分かりづらいので避け、約80年前の中学の国語の教科書を購入することに。

幸田露伴、本居宣長、近松門左衛門、小林一茶、西田幾多郎…見知った名前が並ぶ。なんて豪華なラインナップ…!!

子どもたちが学ぶために編集された教科書。古今東西、名作と呼ばれる作品や認知度の高い作家や著者など選りすぐられたものばかり、なはず。
これなら、一つ一つの文章がさほど長くないので、挫折せず読めるかも、ということで購入することにした。

他には、古い谷川俊太郎のエッセイや向田邦子の短編集などを見つけ、ほくほくした気持ちでお会計を済ませる。


ゆらゆらと本棚から本棚へと夢中で歩いていると、先ほどまで、不快だと感じていた熱気がさほど気にならなくなっていることに気付いた。

身体が暑さに馴染んだのか。
古書に浸るという経験が、暑さによる不快という邪念を遠ざけたのか。

古本市を全て通り抜け、角を曲がると目に飛び込んできた「氷」の文字。
小腹も空いてきたし、ついふらふらと引き寄せられる。

「さるや」さんのかき氷は雪山のようにこんもり盛られたものに自分で、蜜をかけるスタイル

たっぷりと深緑に染まった一口を匙ですくう。口に入れるとしょり、と一瞬で溶けてゆく。

夏祭りで食べるようなかき氷の抹茶味のチープな甘さと違い、(あれはあれで美味しいんだけど)ほろ苦さと甘さのバランスがちょうどいい。まろやかな餡子ともよく合う。
火照った身体に、少しずつ涼やかな風が通り抜けていった。


お店を出ると、日陰である糺の森を抜けるので、さあここから暑いぞ、と鳥居をくぐってお詣りへ。

日頃の感謝と、なにはともあれ安産とお子の健やかな成長を願って手を合わせる。

ちなみにわたしは下鴨神社にはこれまでに三度、訪れたことがある。
そのうちの二度は、下鴨神社の夏の風物詩である「みたらし祭り」に来た。
みたらし祭りは、ろうそくを手にじゃぶじゃぶと御手洗池に入り、献灯台にろうそくを供えた後、御神水をいただくという一風変わった神事だ。

土用の丑の日にこの池の清水に足をつけると、疫病や脚気にかからないと信仰されており、今日ではガン封じなど無病息災を祈ってお祓いをうける「足つけ神事(御手洗祭)」で土用の丑の前後十日間は終日賑わいを見せます。

下鴨神社 ホームページより

こんな暑い日に、あのひんやりした池に足をつけることができたら最高なんだけどなあ…さすがに、みたらし祭りの期間でもないし、あそこは開放されて…

た!!

早速サンダルを脱ぎ、嬉々として足をつけに行く。これまで行ったみたらし祭りは夕方だったので、水が冷たいのだと思っていたけれど、最も太陽の主張が強いお昼時なのにも関わらず、思いのほか冷えている。

浅いし、流れもないし、こんなにも太陽の熱を吸収しているのだからぬるくなっていても良さそうなのに、水は氷水のようにきんと冷たくてなんだか不思議。

足をつけている老若男女、
「冷たいねえ。」
「気持ちいいねえ。」
と思わず声が華やいでいるのがなんだか、ほほ笑ましい。言葉はわからないけれど、海外からの観光客も楽しそう。

水に浮かべると、文字が浮き上がる水みくじ。


もしも古本まつりがなかったら、夏の盛り、しかも真昼に、足を伸ばして神社の参拝にわざわざ行こうとは思わなかっただろう。

けれど、清々しい青空に映える朱色が目にも鮮やかで美しかったし、かき氷と足つけで涼をとる真夏の参拝も結構いいものだな、と思えた一日だった。


#京都 #下鴨神社  

ちなみに、約3000字をぎゅっと140字で表したらこうなります。笑
【X(旧Twitter)より。】

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