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「オールオーバー」の日

 これまで、書いてきた通り、私は、53才で小学校教員を早期退職した者である。
60才(退職年齢)までの7年間、いくつもの異種業に挑戦してたが、どこに移っても、「新人さん」ということで扱われ、教職時代に「研究主任」「学年主任」「副教務」等等、、、やや管理者側であったが、そんなこと関係なかった。
 全てを離職した今、それは当然だったなとは思う。が、私にもプライドと言うものがあり、それが泣きじゃくっていた。「辛かった」の一言では語りきれない。

 さて、私の住んでいる所では、異動内示が出た次の日に、新聞に全てが載る。たいていそうだろうが。

今年度で、全ての同級生が退職する、その様子が見たく新聞にかじりついた。「あれ?この人、上まで上り詰めると思ったけど、ヒラ教諭で終わったのね」とか「意外に出世したのね」、、、。
後輩たちも「あれ?」「なんで?」の疑問を持ちつつも私が関わった教員たちが、私を超えていた。

どんなに出世した友も、ヒラを選んだ友も、当たり前だが、みんな教員人生を終えていた。それを見たら、自分で思っていたよりも目の前の霞がが、すぅーっと開けていくように爽やかな気分になった。

泣いても笑っても、みんな60年と言う一括りの人生を終えていた。
以前、大先輩の校長退職者が「近所の子ども達から「おじいちゃん」た呼ばれると嘆いていたと聞くが、それは、当然だろう。今年退職の友々も、どんなに学校を代表する職であっても、みんな「退職者」で括られるだけ。

そんなことを考えるだけ、7年前の決断を後悔し、その後の生活に苦しんだのだなあと思った。
 人間は、時に、自分がどれだけ苦しんでも、苦しいと分からないこたがある。私はその種であったのだ。

新採の頃のように、みんな同じスタートラインに立っている。第一次人生が全て終わったのだ。どんな友も!
オールオーバーである。
今度は、老後の人生をいかに有意義に過ごすかのスタートラインに立っている。もちろん、人との競争ではない。自分の中での有意義感である。

ちなみに、私は、この春小学校1年生になる孫の袋物全てを縫い終えたはかりである。まずは、大いなる喜びにひたっている。

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