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「手の倫理」

伊藤亜紗さんの「手の倫理」を読んでいる。

「触れる」と「さわる」、「道徳」と「倫理」、「信頼」と「安心」のせめぎ合いなど、当たり前だけれど改めて考えるとハッとする話ばかりだ。

第3章の「信頼」でてくる西島さんの話は印象的だ。全盲の西島さんは、街で出会った人の「無責任な優しさ」を頼るうちに、特定のひとつの永続するような関係を信じられなくなったことがある、というのは興味深い。どちらも信じるということは可能だと思うが、どちらかに偏ると他方を損なうもののようだ。人の気持ちというのは微妙なバランスの上に立っているのだな。

第5章の「共鳴」のブラインドランナーと伴走者の話もとても面白い。私もぜひ体験してみたい。そこにある信頼に思い切って飛び込む、そしてそれに身を委ねる経験というのをしてみたい。

ランナーと伴走者はロープを持って走るのだが、ロープを通して感情や思っていることがじかに伝わるという。それはロープという「あそび」のあるものが媒介することで生まれ、お互いを感じ合うというのもおもしろい。たわむように持つのが通例らしい。確かにピンと張り詰めるとそこには緊張があり、お互いを感じるのは難しい気がする。「あそび」が生むお互いを感じ合う状態、気持ちのやりとりが生まれるのは、ちょっとワクワクした。

「みえないスポーツ図鑑」もとても面白い。ものすごく平たくいうと、目の見えない人にスポーツを言葉以外で伝える方法を開発しようとしたものだ。手ぬぐいで柔道を、アルファベットの木片でフェンシングを翻訳する話が面白い。

https://www.shobunsha.co.jp/?p=5883

これとても気になった。是非読みたい。こういう開発は多くの発見があって楽しいだろうな、とおもう。こういう発想の仕事は楽しそうだ。視覚に頼らず、言葉に頼らず、どうやってスポーツを表現するか。手を媒介して伝えられるスポーツ。その競技をやっている方に協力してもらって翻訳する。そうすることでただ、みているだけだった私たちにも初めて知るそのスポーツらしさを発見する、というのも興味深い。そして試合の状況を伝えるだけのはずが、勝ちたくなるというのも興味深い。触覚によって選手の気持ちになる。これはまた新たな体験だ。

触れることによって深まる理解や新しい発見がある。見るだけではなく、触れてみる。違う感覚を使うだけで、いつもみているものにもたくさんの発見があるかもしれない。




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