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きみは『ともだち』。

『みらい』を待ってる。5作目のこれが一応最終回です。

ここまで読んでくださった方、ほんとうに、ありがとうございました。

私はこのお話の中で、結局最後まで校長先生の名前をつけませんでしたが、それは、こういう色々な事情のある子たちの将来のへみちをあなたも均してあげてくださいという私のとても勝手な気持ちです。あのひとはあなたですという。そういうことです。

☞1

わたしが5年生になってから、学校には新入生と転校生が何人か来て、だんだん賑やかになった。

学校はますます『ふつうの子がいないのがふつう』の学校になって、ハルタは毎日黒板でものすごい桁の計算をえんえんと解き続けて、ナナオは、お母さんの形見のワンピースを着て学校に着て来てそのカッコウでいつもたくさんピアノを弾いてくれて、みらいはタブレットでゲームが簡単なできるようになってわたしと対戦したりした。

校長先生はいつも通りニコニコして、いつも通りへんな服。

毎日たのしかったし、ずうっとこうだといいなって思ってた。

それに、この秋には校長先生が

「10月に遠足に行こうと思うんだ、学校の子全部で。それでね、高学年の子にはどこにどういう風に行くのが良いか先生と一緒に考えて欲しいんだ、ウチの子の中には遠出をする時に吸引器とか呼吸器のバッテリ―がいる子がいるし、となると大荷物だ、エマちゃんも、替えのボンベがいるだろう?それと体温調節が苦手な子もいるから、そういうの、全部クリアできるところを先生と考えて欲しいんだけど」

そういう事を私とナナオにお願いしてきて、わたし達は水族館にいくのはどうかなって考えた、あそこなら電源もあるし、暑かったら冷房があるし、寒かったら暖房があるし、おトイレも多目的のやつが絶対にあるから安心でしょうって。

でも、その話をしているとき、ナナオには聞こえないようにナナオの居ないところで「わたし、5年生になってから、歩いたり、階段をのぼったり、すこし急いだり、そういうときに前より息が切れやすくなっていて、広い水族館の中をずっと歩いたら疲れて歩けなくなっちゃうかもしれない」って校長先生にこっそり言った、おかあさんが心配して大騒ぎするから家には言わないで欲しいんだけどって、そしたら校長先生は

「それはいけないなあ、おかあさんに言いにくくても、ちゃんと定期健診の時に小児循環器科の先生に言わないと」

そう言って私の手を先生の手のひらの上に置いた、お医者さんはわたしみたいな子の体の中の血の流れが悪くなっていないかをよく指先の色を見て確認する、校長先生は昔、というか免許があるから今もだけど、お医者さんだったんだって。

「主治医の先生…?そっちも大騒ぎするよ、それに私の体は治らないし、突然劇的に良くなったりもしないし、何とか今のこの感じをたもつしかないんだよ、もしかしたらこれからだんだん悪くなっていくかもしれないんだし…」

そう言ったら今度、先生は手首を触って脈をみた『今、脈拍は普通だねえ』って。

「将来のことはわからないよ、エマちゃんは今丁度体が大きくなる時期だから、循環も少し不安定なのかもしれないね。遠足当日の事は心配いらないよ、僕もいるし、もし疲れで歩けなくなったら予備の車椅子もあるし、それがイヤならオカモト先生がエマちゃんを背負うから」

そういって外のグラウンドで2年のハルタと追いかけっこをしているオカモト先生を指さした。身長が180㎝くらいあって「体重は100㎏」ってハルタが言ってた大きな大きなオカモト先生。

「エマちゃんは特別な病気がある分、成長と共に体の状態が変化する感覚が鋭いんだよ、先生も少しならエマちゃんの病気の事はわかるけど、もしかしたらお薬とか酸素の量とか、これから主治医の先生が少し調整を考える時期なのかもしれないね、でもこの先、エマちゃんの状態がどう変化しても、この学校はちゃあんと君に合わせて全部のこと、形式とか設備なんかは変えていけるからね。」

そう言いながらにこっとして

「それでも君の人生は続くんだ」

って言った。

なんだろう、「人生が続く」?それおまじない?でもわたしはそう言って貰えてちょっと安心した。

それで、わたしはその遠足ををすごくすごく楽しみにしていたのに、秋のはじめ、ちょっとセキが出始めたからって、案の定お母さんがものすごく心配して、じゃあ、それならっていつもの病院に行って、そこでわたしの胸部レントゲンの画像をモニターに映した瞬間、主治医のハラ先生が頭をぼりぼり掻きながら

「エマちゃん、肺が白い、やばい、入院」

そんなふうに「入院」の「ニュ」まで言いかけたから

「イヤ!帰る!」

と言って診察室の扉に飛びついて逃げようとしたところをおかあさんに止められた。

こういう時、何が困るって、わたしの体がふつうの5年生の女の子からしたら、かなり小さくて軽い事と、私が外出用の酸素ボンベをいつもカートで運んでいる事、つまりうごきがにぶくて軽いからつかまりやすくて即、もとの場所に戻されてしまうこと。それで赤ちゃんみたいにおかあさんに両脇を抱えられてだっこされたわたしを見てハラ先生は、笑いをかみ殺しながら

「いやもうしゃあないやん、コレ、肺炎や肺炎」

そんな風に言うから、大声で言い返した、だって血液検査の結果がまだじゃない。

「肺炎じゃない、熱ない!」

「あるって!38℃あるやん、熱!」

「苦しくない!」

「ウソつけ、何やこのサチュレーション、低!低すぎや!どうしたんやエマちゃん、今日から反抗期か?」

とにかく今からこども病棟に上げるから、ほれ先生が車椅子でじきじきに送ったるからと、ハラ先生は言って、わたしのキゲンを取ろうとしたけど、わたしはそんな先生を無視しておかあさんに怒られた、エマ、いいかげんにしなさいって。

だって、遠足は明後日だったんだよ、ハラ先生。

☞2

結局、遠足の日、私の熱は40度近くまで上がってしまって、そうなると、わたしはもともと熱にも感染症にもとても弱いから、息は苦しいしアタマは痛いし、もう遠足どころじゃなかった。

わたし、今日は下の学年の子をたくさんお世話するはずだったのに。

わたしはこういう所がほんとうに駄目だ、約束したことを守れないところ、「またあしたね」って言って、その「あした」にとつぜん入院しちゃって約束をやぶっちゃうところ、だから一緒に計画したり係を決めたりしたナナオは、わたしのことを呆れて怒っているかもしれないなと思うと、わたしは哀しくて

「エマちゃん、頑張って息してな、息!今回、人工呼吸器挿管は避けたい」

そう言って、本当はもう1階の外来に行かないといけない時間なのに、朝こども病棟に猛ダッシュで駆け込んできて、私の顔色とかバイタルとかお薬を確認して、慌てすぎてお薬とかシリンジとか消毒薬の置いてあるカートの上のトレイをひっくり返してそれで

「先生!何してるんですか!外来は!?ここはいいから早く行ってください!」

副師長さんに怒られた上、「廊下!走らないでくださいね!」って言われてシッシッって追い払われているハラ先生を見てもあんまりおもしろくなかった。

先生のばか、わたしの気持ちも知らないで。

でも、ハラ先生はこの時、肺炎以外に、わたしのことでとても心配している事がもうひとつあって、だから、朝も昼も、何なら外来とか、ごはんの間も、スキあらば私の事を見に来ていたらしい。

それで、熱も下がって、息も苦しくなくなって、あとは点滴のお薬だけを続けて様子をみましょうと言われた入院1週間目に、ハラ先生はわたしとお母さんを面談室に呼んで、ちょっとふざけた顔をして、こう言った。

「エマちゃん、ごめんやけど、今度は肺」

わたしは、赤ちゃんの時に何回か心臓の手術をしていて、それは、もともと変なカタチと機能をしていてそのまんまだと大人になるには不向きな心臓を、完全にふつうのひとみたくするんじゃなくて、ハラ先生が言うには「ちょっとふつうと違う流れ」にするものだったんだけど、それをやると、こんどは肺とか他の内臓に負担がかかってしまって、そのせいで今、肺にふぐあいが発生したってことらしい。

「ここ数年、ちょっと状態が不安定で気にしてたんだけど、エマちゃんの体も少し大きくなってきたし、再来年は中学生だし、来年あたりに本気だして治療しておくのがいいかなと思ってる」

でも、そうやって、ふだん関西弁丸出しで超早口のハラ先生が、言葉を区切ってやたらとゆっくり話しながら、何となく目をあわせてくれないときは、それは本当は

「それ、サイアクの事態ってこと?」

全然いい状態じゃないという事をわたしは知っているんだ、だってわたしはもう生まれてからずうっと、11年も先生の患者なんだよ、生まれたてのわたしの顔を最初に見たのは先生なんでしょ?おとうさんよりおかあさんより先に。わたし、先生が実はピーマンを食べられないのも、お化けが怖いからホントウは夜の病棟の廊下を1人で歩きたくないと思ってるのも全部知っているんだから。

そしたら、ほんの少し眉間にシワをよせた先生は私の顔をじっと見て

「…いや、治療というか状態の改善」

そう言ったけど、わたしはもう一度ダメ押しをした。

「死ぬ?」

「そういうことじゃない」

先生はもう一度否定した、エマちゃん、そういうことじゃない。

「そりゃあ先生は、絶対大丈夫とは言えへん、手術の時も検査の前もそれはいつもエマちゃんにそう言ってるやろ、でも絶対ダメとか無理そういうことも言った事なんかない筈や、実際エマちゃんは赤ちゃんの時からこれまで何度もキビシイとこまで行って、でも今、俺の前にちゃんと座ってるやんか、来年の入院はもしかしたら少し長くなるかもしれへんけど、今は取り合えず肺炎、完治させて。それで退院したら、次の入院にむけてもう少し食べて体重増やしといて」

ダイエットの反対や、デブエット。

そう言って笑ったけど、目の奥が全然笑ってなかった、先生、私はね、先生が焦ったり、がっかりしたりしているときは、すぐわかるの。

それに、3年生の終わりにいちばん最後の手術があってから、今、5年生になって、背が伸びて体重も増えたけど、そのかわりいつもなら息切れしないで歩けていたはずの距離でだんだん息切れをするようになっていたし、あと、階段、もうあんまり前みたいに楽に登れなくなっていたから。

先生がウソついてるの、わたしは、すぐわかったよ。

☞3

わたしのおかあさんは、昔、わたしが生まれた日に初めて見たわたしがあんまり小さくて細くてそして白いから「この子は長く生きないかもしれない」と思ってしまったらしいけど。

実は、わたしも、わたしのことをずっとそう思っていて、だから少し前まで、あんまり友達はいらないかもしれないなと思っていた。

とりわけ病院の外の世界の、友達が急に病棟からいなくなって、それはICUに行っちゃったんだよって聞いてから、数日後か数週間後に影も形もなくこの世界から消えてしまう、そういうことに全然慣れていないふつうの元気な体の友達はいらないかなって。

だって、仲良くなった友達にすごく悪いなって思ったから、ずっと仲良くしようねって約束できない友達なんてつまらないし、さびしいし、それにいつか、絶対に哀しい思いさせる友達なんて嫌だろうなって。

でも、わたしは新しい学校に行ってから、仲の良い友達が何人もできてしまって、その中でもとりわけひとつ違いのナナオがとても仲の良い友達で、私はナナオが大好きで、でもナナオはお母さんを私ととてもよく似た病気で亡くしているから、その時、どんなに哀しかったかっていう話をナナオから聞いて知っているから、わたしは

『わたし、今度は肺の調子がおかしくて、もしかしたら今回ばっかりはあんまりいい結果にならないかもしれない』

なんてナナオに絶対言えないなって思った。

毎日ドレスとかきれいなワンピースをいつも着て来て、指定席は教室のアップライトピアノの前で、自分の方がだんぜんお姫様みたいなのに、ちょっと心臓とか肺とかが弱いわたしの事をいつも心配して、わたしの事をお姫様みたくあつかうあの子には。

「そういう事で、このついでに検査もしちゃうから、もう少し入院しといて」

あの面談室で『来年は肺』って言われた時、ハラ先生は最後にそう言って、アレとコレとついでにこの検査もやるからってどんどんその場で検査のオーダーをいれちゃって、また刺したり、抜いたりするのって私はふくれて、いつもみたいに先生がわたしのことを両手で拝みながら

「ごめん、すまん、耐えろ、俺が上手いこと刺してすぐ終わらしたるから、な?」

そう言いながら笑って、あの日の面談はなんとなくうやむやなまま終わったけど、あれからハラ先生の顔をみるとわたしはなんだかさびしい気持ちになる。

というより、何を見てもなんだかさびしい気持ちになるんだ、こども病棟のロビーの掲示板の院内学級の子たちの作品掲示なんか見たら余計にそう、折り紙と紙粘土で作ったどんぐりとか、『秋』とか『もみじ』あとこれは何だろうミミズの運動会?多分うまく動かない手で一生懸命書いたんだろうなあっていうお習字とかの掲示を見て、学校のみんなは何してるかなって思ってしまって。

そう思いながらロビーの掲示板の不格好だけど可愛いどんぐりをぼんやり見てたら、看護師のタカナシさんが私に声をかけてきてこう言った

「あ、エマちゃんいたいた、あのね、今のお部屋、変わってほしんだけど、いい?」

「いいよ、どこ?」

「502号室、2人部屋の」

こども病棟ではこういう『お引越し』がよくある、自分の荷物のおいてあるベッドと床頭台ごとお部屋を移動するお引越し、わたしは今回、はじめは肺炎で入院して、それが治ってからいま検査入院に切り替わったから、感染症の子がいるフロアから、今度は感染症がゼッタイダメな子のいるフロアに移ろうねってタカナシさんが言ってきた、また肺炎になったり風邪をひいたりしたら予定している検査が受けられないからって。

タカナシさんは、わたしのことを「うしろすがたが寂しいよ!」と言って背中をトントンして「元気ない?しんどい?大丈夫?病院は元気になるとこだよ、元気なくしちゃだめだよ」と言いながら私の酸素ボンベをもってくれて部屋まで送ってくれた。

☞4

『こども病棟の502号室には、むかし、主治医の先生にさよならって手紙を置いて病室からいなくなった女の子の幽霊がでる』

そういうウワサがある。

今、このこども病棟育ちの中では『エマちゃんが今、最古参のうちのひとり』とハラ先生が言うわたしも当然、その話を知っている。でもそれは、その幽霊の子が12歳くらいの子らしいっていう話だったり、15歳の子ってことだったり、その子の病気も、わたしみたいな心臓だったり、いや腎臓じゃないのとか、ううん、腫瘍?とかそういう尾びれとか背びれがついたバリエーションが豊富なうわさ話で、わたしは、ここにしょっちゅう入院してるけどお化けなんか一度も見た事ないし、お化けが嫌いなハラ先生が怖がるからやめなよって笑っていた方だった。

だけどわたしと違って短期で入院する子は、入院すること自体に緊張しているからそういう話をすごく怖がるし、嫌がるから、大体わたしみたいな入院生活に慣れている子か、治療のために大きな機械をお部屋に入れないといけない子が使う事になってるみたいだった、ここの2人部屋はちょっと広いから。

それで、その502号室にベッドと床頭台を看護師さんと助手さん2人に入れ替えてもらって、よいしょってベッドに座ったら、ベッドの間のカーテンの隙間からひょっこり女の子が顔を出した、私より少し年上に見える女の子、やせてて、肌の色が白くて、短い髪。

ああ、強いお薬を使って、病気をおさえないといけない子だ、生まれつきの病気の私と違って、半年とか1年とか、もしかしたらもっと長い間、お家に帰れない治療をしないといけな病気の子だなってすぐにわかった。

でも、そういうことわたしは本人には言わないし聞かない「なんの病気なの?」なんて、そういうのすごくデリケートな問題だから。

「ねえ、何年生?3年生くらい?」

その子はカーテンの隙間から顔を出してそう私に聞いた、わたしは体が小さいから年齢がわかりにくくて、初対面の子はよくこう聞いてくる。

「5年、わたし、すこし小さいの」

「私、6年生。あのさ、この部屋に幽霊が出るって知ってる?」

「知ってるよ。でもわたしこの病棟に赤ちゃんの頃からしょっちゅう入院してるけど、一度もそんなの見た事ないよ」

「ウソ!そうなの?」

その子は少しびっくりした顔で、カーテンの隙間から今度は私のスペースに体ごと入って来た。

「あのね、その話、聞いてたから私、怖くて、入院した時、1日目と2日目はこの部屋に私1人しかいなかったんだけど、この部屋にだれかもう1人連れて来てって看護師さんにお願いしたの、それでえーと…名前…」

「エマ」

「今日、エマちゃんが来たんだと思うんだけど、よく考えたら、幽霊なんて100人で一緒に見てもコワイし、今見たらね、どう見ても私より年下の子が来ちゃったし、なんか悪いなって」

その子はカナエちゃんと言って、少し前に一度、ここでの長い長い治療と入院生活を完走したんだって。

「先生から『自宅に帰って、通院で経過を見ましょう』って言われて、学校にも行けるようになって、それは嬉しかったんだけど、ずっと入院していたから、体育なんかは体が全然ついていかないし、ホラこの通り、お薬のせいで髪が全抜けしたのよね、それでまた生えてはきたんだけど、まだ見た目はほぼ坊主だし、そういうのってここではおそろいの子がイッパイいたから、そこまで気にしなくて済んだんだけど、学校では超目立つんだよねえ、女子の坊主なんて。ううん、みんな優しくはしてくれたよ『病気になって治療を頑張って、生還したカナエちゃん』って、でも、なんかね、学校に戻った時は、もう新学年になって結構時間がたってて友達はみーんなグループになっちゃってるし、それに、学年の行事も遠足も全部、体調優先の特別あつかいで、そうなるとだんだんみんなが遠巻きになるんだよね、あの子は違うって」

そういうの、わたしもわかる。それって仕方のないことなんだけど、なんだか居心地が悪いし、それが続くと、たまに文句も聞こえてきたりして嫌だったな「あの子ずるくない?」って。

「あげくのハテに、一昨日、定期健診に来たらさ、なんだか血液検査の数値がおかしいから、もう一度入院して、今すぐ!って言われて即ここに連れてこられて」

そう言ってカナエちゃんは、人差し指で天井を指さした、それは、よく1階の小児科外来で先生が『入院確定』の時にするポーズで「病棟に上がって」っていう意味の絶望的なハンドサイン。

「もうすぐ6年生は修学旅行があるんだよ、私、楽しみにしてたのに、何とか友達のグループにも入れてもらって、係も決めて、お菓子も買ったし、新しい旅行カバンも用意してたし、楽しみだねって言ってたのに、もうイヤだ!明日帰りたい!」

カナエちゃんはお喋りが好きな子みたいだった、それで、私も楽しみにしてた遠足がダメになったこととか、私の学校のことなんかを少し話した、カナエちゃんは私の学校の話を聞いて、ふーん、学校と病院の間みたいなとこってこと?あと校長先生はその服のセンス誰かが直してあげたほうがよくない?って面白がっていた、わたし達は消灯時間を過ぎても、ついお喋りを続けてしまって、夜間巡視の看護師さんに叱られた。

「コラ2人とも!あんまり起きてるとお化けがでるよ!」

って。

それでわたし達はこう言い返した。

「知ってる!」

☞5

それから2日たって、ハラ先生がオーダーした全部の検査をわたしがこなして、それでその結果が出揃った日、ハラ先生は面談室のパソコンの大きなモニターの前で、腕組みしながらわたしにこう言った。

「心臓の調子はいい!」

「心臓の調子『は』って何?肺は?」

「だから!心臓の調子はいい!以上!」

わたしがここ数年、特に5年生になってハラ先生のことでひとつイヤだなあって思ってるのは、ハラ先生が検査の後とか手術の後とかそういう時、大体おかあさんとおとうさんに先に全部の結果とか経過を話しちゃって、私には細かいことをあんまり教えてくれないところ。

「肺、やっぱり良くないの?」

「だから、心臓は」

「やめなよ先生、嘘つくの本当に絶望的に下手だから」

わたしがそう言うと、腕組みしてちょっとコワイ顔をしていたハラ先生はふっと笑って首をわざとらしく傾げた。

「そうかなあ、俺、結構うまいこと、ダマせてると思うんやけどなあ、嫁さんとか」

「麻酔科のハラ先生も、ウチのダンナは嘘つくと突然標準語になるからすぐわかるって言ってたよ。ねえ先生、もし来年ね、わたしの肺がもう駄目だ!ってことになったら、先生から絶対わたしに伝えてね、絶対に嘘つかないでね」

わたしが先生の奥さんの麻酔科のハラ先生のハナシを突然持ち出したから、先生は慌てて、でも、それをごまかそうとして、手元のペットボトルのお茶を飲もうとしたけど、マスクを外すのを忘れてて、そのマスクにお茶を阻まれてお茶をぼとぼとこぼした、うわ、なんや、どうしたんや俺は、あああマスクか!って。もう、先生おちついてよ。

「え?何、ウチの奥さん?なんでなんで?いつ話したん?あ、一昨年のオペの術前の麻酔科の説明の時か、えらい事告げ口されてたんやなー!俺!」

「うん、だからね、嘘つかないでね、わたし、ちゃんとその時にお別れを言わないといけない大事な友達がいるから」

わたしが「お別れ」って言った時、ハラ先生は少し驚いたみたいだった、そうだよ先生、わたしが2日前に「死ぬ?」って先生に聞いたのはふざけてたんじゃなくて、結構本気だったんだから、そしたら先生は急に真面目な顔をしてから、わたしに向き直って

「あのな、エマちゃん、俺はな、昔々、いうても11年前か、エマちゃんが赤ちゃんの時にや『この子は心臓については最低3回、他に体の細かい箇所にもメスを入れる必要はありますが、それでも肝心の心臓は3回をクリアしましょう、それで、大人になれる体を作ります、オリンピックアスリートにはなれませんが、大人になれる体になります』ってエマちゃんのおとうさんとおかあさんにちゃんと説明してるんや」

「肺の状態は確かに良くない、楽観できない、だから放置もできない、でも、それはこれから外科の方の先生とも相談して今後の方針を決める。俺を信用してくれ、そんで頼むからお別れとか死ぬとかそんな物騒な事言うな、そういうの、考えるのもやめてくれ、俺は、エマちゃんにその大事な友達と学校で楽しく過ごしててほしい、せっかく紆余曲折を経て病院の外の学校に通えるようになったんやから」

そう言いながらわたしのアタマを両手でわしゃわしゃにした、もう、先生やめてよ。

先生がそんな風に言うから、わたしはもうそれ以上のことを先生に聞かなかった、多分まだわからない事の方が多いんだろうな、それでハラ先生はこれから、死ぬほど『症例』を見て、探して、探して、探して、頭をバリバリ掻きながらうんうん唸ってわたしの先のことを決めるんだろうな。

でもいつも言いすぎなくらい大丈夫って言うのがもう癖になっているハラ先生が『良くない』『楽観できない』『放置できない』って断言した。

わたしはこの先、どれくらい時間があるんだろう。

わたしにはずうっと先のみらいってあるんだろうか。

そんなふうに思ってあのお化けの部屋にもどったら、カナエちゃんもなんだかしょんぼりしていた、なんでも血液検査の結果が予想以上に悪かったらしくて、今度の入院は前より長くなりそうでそれから

「『ちょっときびしいものになります』って先生が真顔ではっきり言ったんだよ」

もう嫌だ!サイアク!と言ってカナエちゃんはちょっと涙目だった。

わたしは、カナエちゃんと多分同じ病気の子に今までにも何回もここで出会った、今はいいお薬があるからみんな頑張って病気を体から追い出してそれで家に帰るんだけど、中には少し、もう一度病気が体の中でフッカツしてしまって病院に逆戻りすることになる子がいる、そういう事になったみんなちょっとしょんぼりして病棟に帰って来る、そうだよね、お薬の治療が辛いのは、わたしはそれやったことはないけど、一緒にいると少しくらいならわかるから。

それにそういう子たちの治療の時間は本当に長くて、学校も院内学級に転校になるし、病院の外の仲良しの友達ともずっと離れ離れ。

もともと健康だった子達は、きっとそれが一番、つらいと思う。

カナエちゃんが、エマちゃんは元気になった?退院できそう?って聞くから、わたしの体調もサイアクだよ、それにわたしの体は一生治るってことはなくて、今回は退院するけど、またすぐ、きっとカナエちゃんがここにいる間に戻って来るよってそう言ったら

「もうさあ、この部屋はくらーい暗黒の部屋だね、幽霊だってびっくりして帰るよ」

と言った。

そうだねと言って私は笑った、カナエちゃんも笑ったけど、きっとそれはカラ元気だ、もう笑うしかないの、わたしそういうのも、よく知ってる。

☞6

その晩、消灯時間になって、おやすみって、お互いにベッドをぐるりと囲っているカーテンを閉めてしばらくしてから、カナエちゃんはお布団の中でしくしく泣いていた。

カナエちゃんは今6年生、来年は中学生だ、カナエちゃんはもともと運動がすごく得意で「私ね中距離走の選手だったんだよ、陸上の」って言ってた。

『だった』っていうのは、これまで長い間入院してベッド上安静が続いて

「足がすっかりなまっちゃって全然前みたく走れないんだよ」

また長い間入院するならいよいよ諦めないとダメなのかなって言ってたから。「中学校に入ったら陸上部に入るハズだったんだよ、もう先輩から誘われてたのに」そう言いながらベッドのころんと転がった時の表情がほんとうに悔しそうだった。

「私の未来は病気のせいでどんどん変わっちゃうんだなあ、なんでそんなことになるんだろう。」

ほんとうだね、なんでそんなことになるんだろう、カナエちゃんは何も悪くないのにね。

カナエちゃんのしくしく泣きが、だんだんワンワン泣く感じになった時、わたしは心配になって、ベッドとベッドを仕切っているカーテンの隙間を少しだけそおっと開けて

「カナエちゃん、大丈夫?看護師さん呼ぼうか?」

そう言って、自分のベッドサイドのナースコールのボタンを押した「あの、となりの子、カナエちゃんが哀しくなっちゃったみたい、ちょっと来てあげてください」って。

そしたら、タオルで顔をおさえて泣いていたカナエちゃんがベッドから起き上がって顔を上げた、そうするとカナエちゃんのベッドは窓際だから窓の外が見える。

「…ねえ、外に何かいない?」

502号室の窓からは病棟の中庭が見えるんだけど、夜だから全部下ろしてあるブラインドの、ほんの少し開いた隙間から見えるその中庭の奥に「白い何かがゆらゆら揺れているのが見える!」って言いだして、私もちょっとびっくりして固まった、でもそのお陰でカナエちゃんは涙が引っ込んだみたいだった。

「幽霊?」

「幽霊?…ねえエマちゃん大丈夫?心臓!びっくりしたらダメなんじゃないの?」

カナエちゃんは、わたしが心臓の病気だから、ほら、よくホラー映画とかお化け屋敷のポスターに「心臓の弱い方は見ないでください」って書いてあるでしょう、それを知ってて本気で「エマちゃんには怖いものとか衝撃的なものはダメ」って思っていたみたいでとっさにブラインドの紐を引いて、外が見えないように隙間を閉じた、カナエちゃんはそういうとこ、お姉さんだなって思う。

でもそこに

「カナエちゃん大丈夫?眠れない?」

突然看護師のタカナシさんが現れたからそっちの方がびっくりしたというか、多分その瞬間わたしの心拍は200位に跳ね上がったと思う、わたし入院中は心電図をつけたままだから、今ごろナースステーションのモニターで私の心拍数がヘンだぞってアラームが鳴ってる、絶対。

「タカナシさん、外、外に幽霊がいる」

カナエちゃんは窓を指さした。タカナシさんは、え~そんなことある?って巡視用のライトを外に向けてブラインドの隙間から外を覗き込んだけど、何にもいないしだあれもいないよって言ってそれで

「2人とも、あのお化けの話、信じてるの?」

笑いながらこっちを見たから、わたしは信じてないよって言った。信じてないけどでもね

「あのね、その話すごく昔からあるけど、わたしずっと不思議だなあって思ってる事があってね、そのお話の子はなんで病室からいなくなったのかなって、病気が良くならなかったのかな、手術が怖かったのかな、それとね、アレはいろんなバージョンがあるけど、どれも『いなくなった』っていう言い方なの、だからその子はもしかしたら幽霊になったんじゃなくてね」

わたしが途中までいいかけたら

「生きてるよ」

タカナシさんは、ライトをポケットにしまいながらそう言った、生きてるよ、いなくなったのは本当だけど、その子はちゃあんと帰って来て治療を受けて、退院したんだよって。

「なんでそんなこと分かるの?」

そうカナエちゃんはタカナシさんに聞いた、わたしもそう思う、だってタカナシさんはまだ年の若い看護師さんでここの昔のことなんてあまり知らないはずだし、だいたいつい去年この病棟に来たばっかりなんだから、その前は別のところ、たしかNICUにいたんだからって。

「だって、それ私だもん」

☞7

タカナシさんは中学生の時に、頭の中に悪いシュヨウ、できものができて、この病院で手術をしたことがあるんだよってことを話してくれた。

「12年くらい前かなあ、カナエちゃんが生まれた頃でエマちゃんが生まれる前だね、病気の状態が割と深刻でね、ここは子どもの脳外科の良い先生が何人もいるからって別の病院から移って来たの、それで手術をして、その手術自体はうまく行ったんだけど、経過が良くなくて大変でね、学校にいけない期間が続いて、そのころ丁度受験だったんだけどね、高校受験、それで私はスポーツ推薦が決まってたんだけど、それもダメになっちゃって、もう私の人生終わりだー!って」

『子どもの脳外科の良い先生』というのは、多分同じ学校のみらいの主治医の先生のことだ、すごく手術がうまいんだって、それでいつも沢山、子ども達を診てる。でもそういう名医をしても、昔のタカナシさんみたいに大変な手術をした後は、その悪いできものを強いお薬で出来るかぎり小さくして退治しておかないといけない、もう二度と同じものが出来たりしないように。それに手術の場所が頭っていう事は、色々不具合もでるらしくて。

「お薬もしんどかったけど、手術の後、少し顔に麻痺が出たのね、今は全然わからないけどね、でもその時はそれが悲しくって、学校の子達も変に思うだろうし、それに手術の時に、私の術野、ええと手術する場所がね、頭だったから髪の毛を剃られちゃってなんか個性的な感じになっちゃってたの、それもイヤでね。それよりなにより高校ね、私ずっと陸上をしてて、そこの強豪校にいくはずだったのにそれが駄目になって、その時14歳の私はもう自分の未来が無くなったって思ったのね、それでもう何もかもイヤになって主治医の先生に「さよなら」って手紙を書いて病院から出て行こうとしたんだけど」

今の師長さん、そのときは師長さんじゃなくて主任さんだった師長さんに病院の職員通用口で鉢合わせして首根っこ掴まれて病棟に戻されたんだって。

「主治医の先生には怒られた?それって脳外科のノハラ先生でしょう?」

わたしはタカナシさんに聞いてみた、あの優しくておおらかで、いつも病棟に来る時は歌うみたいな大声で「元気かぁ~」って担当以外の子どもにも声をかけてくれる、あのノハラ先生も子どもを怒ったりするのかなって思ったから。

「ううん、その時、私の主治医をしてたのは、ノハラ先生じゃないよ、ノハラ先生は指導には入ってくれてたけど、私の主治医だったのはもう少し若くて、今はもうこの病院に居ない先生、その先生もすごーく優しい人だったから怒ったりしなかったよ、どちらかと言うと私のほうが超キレてた『先生のへたくそ、ウソつき、私の将来どうなるのよ、高校は、この先私が行く学校なんてあるの、麻痺が残るなんて嫌だった、つらい、もう人生やめたい!』って思いつく限り罵ったんだから」

タカナシさん、怖い。

「そうしたらね、その先生、黙り込んじゃって、それからしばらくして私に頭を下げてねそれでこう言ったの」

その先生は、14歳のタカナシさんの云いたい放題の罵詈雑言を全部黙って聞いた後、もう90度以上体を折り曲げてうんと謝って、それでこう言ったんだって。

「ごめんね、でも、それでも君の人生は続くんだ」

それでも君の人生は続くんだ。

わたし、その言葉、どこかで聞いたことがあるよ、ねえタカナシさんの主治医だった先生ってね、そのひとってね、そうわたしはタカナシさんに聞こうとしたんだけど

「おーい、ナースコール押したんエマちゃんか?大丈夫か?心電図、おかしい事になってないか?何やこの心拍」

わたし達の所にハラ先生が入って来て、そのことをタカナシさんに聞きそびれてしまった。そのハラ先生は502号室のお化けの正体を知っていたみたいで、

「スゴイ昔の話やけどそれ、まだ噂として続いてんのかあ、それならタカナシさんにはこの病棟に居る間にずっと『お化けの正体は私です』って患児に説明して歩いてもらわんと」

と言って笑いながら聴診器で私の心臓の音とか肺の音とあと脈拍を軽く確認してから

「2人とも、もう寝てな。中庭の白い影は、多分百合の花やと思う、前に施設課の人が植えてたから」

「あと、カナエちゃんな、明日もう一度これからのこととか治療のこと、お家の人と一緒に説明してもらえると思う、あの君の担当の血液内科の先生はな、ああいう真面目で深刻そ~うな顔やねんもともと、でも丁寧でええ先生やから」

そう言って部屋から出て行こうとしたので、わたしはハラ先生に思わず聞いてみた。

「ねえ、ハラ先生は12年前もここの先生だったでしょう、タカナシさんの主治医だった先生ってしってる?」

「知ってる、俺の同期…同級生やもん」

「そうなの!?じゃあね、その人ってさ、もしかしてわたしも知ってるひと?」

「さあ?今度その本人に聞いてみ?」

そう言ってにやっとしてタカナシさんと廊下に出て行ってしまったから、わたしにはその後2人が廊下で話していたことは全然聞こえなかった。

「職員通用口で師長さんに見つかったなんて嘘やん、あの時、屋上の鍵壊して屋上に忍び込んでここから飛び降りる!って言ってフェンスに張り付いてたん君やん」

「若気の至りです」

「あんときは大変やったわ」

「ねえ、ハラ先生、あの時私の主治医だった先生、今どうしてるの」

☞8

朝起きて、窓から中庭を見たら、ハラ先生の言う通り、夜中に幽霊がいた場所には白い百合が咲いていてた。

「ねえ、あの百合の横の小さい石みたいなやつ何だろう」

窓におでこをぺたーっと張り付けて中庭を眺めていたカナエちゃんがそう聞いてきたから、わたしは思い出したんだけど、そうだ、あそこにはわたしが6歳位の時かな、その頃に出来た小さい記念碑があるんだ。

「記念碑があるんだよ、かわいいんだよ、小さい子どもの形なの。あの子のための百合の花だったんだね」

「死んじゃった子のための?」

カナエちゃんの言葉はすごく思い切りが良くてちょっとドキドキする、うん、でも正解だよ、あれはここでうんと頑張って、頑張って、それから天国のに行ってしまった子のものなんだよ。

「私ねえ、前の入院の時、仲良くなった3歳の女の子がいてね、私、兄弟はいるけどうるさいお兄ちゃんしかいなくて、妹がほしかったから、その子のこと、超可愛くて毎日一緒に遊んでたの、折り紙とか、おままごととかして、それなのに突然ある日病棟からいなくなっちゃって、最初はお家に外泊なのかなって思って待ってたんだよ、でもよく見たら病室から荷物も全部消えちゃってて、それで看護師さんに聞いたの『あの子は?』って、そしたら『ちょっと難しい治療をするために転院したんだよ』って言うの」

カナエちゃんはその後、その女の子と結局「外来でも一度も会えずじまい」だったらしいんだけど。

「ずーっと考えてたんだけどね、いつか会えないのかなって、でも、あの子はもしかしたら、本当はあそこにいるのかもしれないね」

そう言って、中庭の石碑を指さした。だったらさみしいな、もっと一緒に遊んであげたかったな、あの子まだ3つだったんだよって。

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない、でもカナエちゃんが言うみたいに病棟からある日突然消えてしまう子はいる、そういうの、看護師さんとかお医者さんから「あの子はね…って」って他の子どもには教えられないんだよね「しゅひぎむ」があるから。

「私、最初の入院の時にはねえ、何が何だかわからなくて、痛いし気持ち悪いしはげるし、どうしよーって感じで毎日すごしてそれで全部が終わったんだけど、それなりにイヤな思い出ばっかりだったから、今回また入院することになって、すごいショックで超絶望したの、イヤだ!もう死にたいって」

カナエちゃんは窓ガラスについてしまった自分のおでこの跡をパジャマの袖で拭いて、窓に向かってにこっとして、それから私に向き直ってこう言った。

「でも、今朝、というか今だけどね、死ぬのイヤだなって思った。だから今回も、負けないようにがんばろうって。まあ治っても、もう病気じゃなかった頃にこうなるって思ってた未来も来ないと思うし、元の自分には戻らないのかもしれないけどね」

「…そうだね」

こういうとき、友達に『大丈夫だよカナエちゃんは死んだりしないよ』って言ってあげられないのがさびしい、わたしは、これまでカナエちゃんが見てきた、病棟から突然いなくなる子をたくさん見て来てしまったから。

いのちって『絶対大丈夫』がないんだ、わたしは知ってる。

でもカナエちゃんはこう言った。

「だってタカナシさんの先生が言った通り、それでも人生は続くんだからね」

☞9

9時の回診とか、検温とか血圧測定とかそういうのが終わってから、カナエちゃんによく似たお父さんと、小さくて優しそうなお母さんが「カナエどう?あらお友達?こんにちは」ってやって来て

「じゃあ私、まじめで深刻そ~うな顔の先生のとこ行ってくるわ!それで言うわ『わたしの人生返せ』って」

カナエちゃんはそのお父さんとお母さんと、カナエちゃんの3人で主治医の先生の『今後の治療の説明と方針』をすごく勇ましい感じで聞きに行った、カナエちゃんは今回も闘うんだ、でもカナエちゃん、そういう事言うのやめなよ、あの先生、泣いちゃうよ。

そうやってカナエちゃんを部屋から見送ったら、今度はハラ先生がひょっこりベッドの仕切りのカーテンから首を出した、エマちゃんお見舞いの子が来たで、10分…ん~…15分、許したろ、ロビーに出て話しておいでって。

「え?お見舞い?誰?ウチのおかあさんじゃなくて?」

「関所破りや」

「関所破り?」

わたしはハラ先生の言っていることが全然なんのことだかよくわからなくて、首をひねりながら廊下に出たら、廊下から見える病室フロアと、病棟のロビーを隔てるガラスの自動ドアにべったり張り付いてるハルタと、それを頑張って剥がそうとしているナナオがいた。

2人とも何やってんの?

「オイ!コラ!その何、アレ、小さいほう!中に入るなよ、入ったらあかんで!」

ハラ先生はドアに張り付いたハルタを威嚇しながら自動扉を開けて

「ホレ、エマちゃん連れてきたで、みんな、そこのソファのとこで話しておいで、この中は入れへんで、ホラ!その小さいの!もういいかげん開閉ボタンに飛びつくな!君はこれで何回目や!」

そう言ってハルタを笑いながら叱った、そう言えばハルタは前、同級生のみらいが入院してなかなか登校してこなかった時に、みらいに会いたくて勝手にこの病院まで来て、ついでにこの自動扉、低学年の子は絶対届かない高い場所にある開閉ボタンを押してみらいの病室に忍び込もうとょんぴょん飛び跳ねているところを

「なんか関西弁のヤツにつかまって笑いものにされた、おれはきぶんが悪かった」

って言ってたけど、そういう事か。

ハルタはわたしの顔を見ると嬉しそうに飛びついてきてこう言った。

「だいじょうぶか、エマ、ちゃんと生きてるか」

ハルタはいつも選ぶ言葉がストレート過ぎておかしい。病院に入院しているひとに「生きてるか?」ってふつう聞く?

「死んでたらここにはこられないでしょ、検査があって入院がちょっと長引いたんだよ、ごめんね心配した?」

「おれもみらいもほかのみんなも全員心配したし、ナナオはもーっと心配してた」

そう言って、ハルタの後ろ、今日は白いワンピ―スを着ているナナオを指さした。

「ナナオ、ハルタのこと連れて2人でここに来たの?」

「ううん、今日は校長先生が連れて来てくれた、なんか病院に用事があるし、ハルタがエマはまだ登校しないのかって毎日100回くらい聞いてきて普段の100倍くらいそわそわウロウロして大変だからちょっとだけ会わせてあげようって、それで、これ」

ナナオが手のひらに乗るくらいの茶色いカタマリをくれた。

「え?何?何?何これ」

「オオサンショウウオのぬいぐるみ!可愛いくない?」

わたしがその謎のカタマリにびっくりしていたら、ハルタが横から口をはさんできた。よく見たら、茶色いまだら模様のそれにはちゃんと目がついていた、よく見たらけっこうつぶらで可愛い。

「俺はもう少し、ペンギンとかアザラシとか可愛いものの方が良くないかって言ったんだけど、2年が、ていうかハルタがオオサンショウウオが良いって譲らなくて、コレ水族館のお土産」

「ありがとう、意外と可愛いよ、それと、ごめんね遠足の当日急に休んで」

あの時、ナナオと遠足の事、色々一緒に決めてたのに肺炎で遠足には行けなくなったんだった、ナナオ、本当にごめんね。

「全然いい、それよりさ、もう本当に大丈夫?肺炎治った?あのさ…あの」

「大丈夫、1週間で急に死んだりしなかったでしょ」

そう、ナナオのおかあさんは、わたしとよく似た病気だったひとで、一昨年、肺炎にかかって急に死んじゃったんだ、入院して1週間て言ってた、だから

「きっとすごい心配したよね、ごめんね」

そう言った、ナナオの気持ちを考えると本当に悪いことしたなって思ったから、でもナナオは私の顔を見てから優しくほほえんで

「元気なの、わかったからいい、大丈夫」

そう言ってくれた、でもね

(わたしね、今回は肺炎で、それで死んだりはしなかったけど、もしかしたら来年、もしかしたらね、いなくなるかもしれないんだよ)

そういうこと、急にお母さんを亡くして、そのときすごく哀しんで、多分いまも哀しいままのナナオに、わたしのたいせつな友達のナナオに、伝える方がいいのか、伝えない方がいいのか、わたしはそれをずっと考えてたんだけど。

ハルタが『超かわいい』って言うオオサンショウウオのぬいぐるみをナナオが手渡してくれる時、ナナオの指先がすこし震えてるのがわかってしまったから

わたしはそれをナナオに言わないことにした。


☞おわりに

「校長先生は?」

そう言えば校長先生はどうしたんだろう、わたし、校長先生に聞かないといけないことがあったんだ、そう思ってロビーを見渡したら、病棟の事務所、先生や看護師さんの詰所になっている場所の入り口のところにある椅子に座って、校長先生はハラ先生と何か話をしているみたいだった。

「校長先生が、関西弁となんか話してる」

「ハルタだってよく関西弁じゃん、あの人は関西弁って名前じゃあないよ、ハラ先生」

「おれ、おおさか生まれやもん、ハラ先生ってエマの先生?」

「そう、生まれてからずうっとね、もう11年になるよ」

「なんだそれおとうさんかよ」

それに近いものはあるけどね、そう言って、わたし達は校長先生とハラ先生の話が終わるのをおしゃべりしながら待った、ふたりとも楽しそうに話してる、やっぱりハラ先生の同級生って校長先生なの?


「あのな、オマエがここ辞める時にな、俺がオマエに言った事、覚えてるか」

「何だろう、ほんとうに昔のことだし、それに君には色々言われたからなあ、借りてもないのに『1000円返せ』とか『俺を置いていくのか裏切者』とか『これから誰が弁当取りに行くねん』とか『俺のミスは誰がかばうんや』とか」

「そんなんちゃう」

「覚えてるよ」

「もしかしたらって言う土俵際まで追い込まれた子を、それでも生存可能な状態まで持ち込むのは俺たちの仕事だ、例えばその子のその後の人生に多少の不便を残すことになっても、だからって、その後の人生まで考えてどうする、そこまでの事は俺たちの仕事じゃあない、そこまでをお前がやれると思っているんだとしたら、それはお前の傲慢だ、慢心だよって」

「覚えてるやん」

「お前のとこにな、俺の子が1人いるやろ」

「おとうさんみたいだなあ」

「患児や患児」

「エマちゃん」

「そう、エマちゃん。あの子が、ここの院内学級から地域の公立小学校に転校してしばらくしてから、学校でトラブルを起こして、いや、エマちゃんは全然悪くないんやけどな100%、相手が悪い、クソガキや。」

「知ってるよ、酸素ボンベで同級生の男の子の顔を殴った話だろう、あの子は見た目に反してすごく勇ましいから」

「うん、その日にの夜にな、熱発で、救急外来に運ばれてきて、そのまま入院になった時な、エマちゃんが俺の顔をな、こう…哀しそうにじぃっとみて『先生、ふつうってむずかしいね』って言ったんや、ごめんねって」

「うん」

「俺はなあ、あの子が丸ごとまかされた初めての子で、あの子の主治医は俺で、俺がちゃあんとふつうの社会に出られる…ふつうに近い体までもっていってやろうって思って頑張ってきたつもりやったんや、それでやっと地域の小学校に転校出来た時、俺は本当に嬉しかった、もしかしたら明日がないかもしれないって危機を山ほど乗り越えてきた子を俺が、って」

「でもあの時の『ふつうになれなかった』って言った時のあの哀しそうな顔、あれには参った」

「俺はな、あの子の命が助かったその後の事を全然考えてなかったんや、オマエの言う通り、人生は生還したその後、どんな事になっても生きてる限りはずっと続くんやもんな」

「オイ、俺はエマちゃんを何が何でも大人にするぞ、肺の状態は絶対に改善するし、させる。そのあと、いまよりあの子の体はもう少し無理がきかなくなるかもしれへん、それでもお前んとこの学校は、あの子のこと、引き受けてくれるんやろ」

「もちろん、来年、長期入院したとしても、その後、何があったとしても、あの子の人生を君が繋ぐかぎり、必ず、待ってる」

「…オマエはなあ、ここにおった時もまあまあそこそこすごかったけど、今のほうがすごい、ホンマにすごいわ、俺はこの先、小児科部長とか教授とか、この界隈の栄達を極めたとしてもお前には1ミリもかなう気がせえへん」

「そんなことないよ、僕は子どもたちが歩くところを均してほんの少し歩きやすくしているだけだから。ぼくは子ども達をみてると最近本当にそう思うんだけど、あの子達は凄い、いろんな事がわかってる、エマちゃんなんて、就学年齢になるまでほとんど病院で育っているだろう、病院なんてひとの人生が煮詰まって凝っているみたいな場所で。だからなのかなあ、本当になんでも分かってる、分別がありすぎる、弁えすぎだよ、子どもじゃないみたいだ。僕はあの子にはもう少し子どもとして子ども時代を享受してしてほしいと思ってる、そんなに急がなくってもって、だから色々やってみるよ、あの子が楽しいように、ウチにはあの子みたいに、人生にいろいろありすぎて急ぎ足で大人になっちゃう子が、本当に多いんだ」

「それに僕には君よりすごいところなんてひとつもない、この戦場の最前線みたいな場所でエマちゃんみたいに脆くて難しい子の命を預かる臨床医を続けられている君の方が僕の1000倍は凄い。」

「それ、今からエマちゃんの前でオマエの口から言うてくれ」



「校長先生まだかなあー!」

ふたりの話がなかなか終わらないから待つのが嫌いなハルタはしびれをきらしてしまって、校長先生のところに走って行ってしまったから、わたしとナナオも2人の所に歩いて行った。わたしと一緒にいる時、ナナオはいつもわたしの酸素ボンベを持ってくれる、これは病院用の大きいやつだから重いよって言っても「俺はエマより大きいんだから」って絶対離してくれない。

「おい、関西弁、校長先生と何はなしてるんだ」

「関西弁ちゃう、ハラやハラ」

「ハルタ君、先生の友達だよ」

「なんだ、友達か、おれも校長先生のともだちだ」

「オイ、大丈夫か校長、生徒に友達扱いされとるで」

ハルタはいつもの調子でいつもどおり話をしているだけなんだけど、それがハラ先生には相当面白かったらしくて、天井を向いてゲラゲラ笑いだしちゃって、それでハルタに怒られていた、なんだこの関西弁はおれをわらいものにしてって。

そうしたら、わたしたちのうしろで声がした。

「先生!本当に学校つくっちゃったの!?」

夜勤明けのタカナシさんだった。

「うん、結構時間がかかっちゃったけど、あの時の君みたいな子が来られる学校、ちゃんとつくったよ!」

ナナオもハルタも、看護師さんが突然校長先生のところに抱き着くみたいに走って来たからびっくりして、なんだ、どうしたんだ、訳がわからないって顔をしていたけど、わたしは嬉しかった。

やっぱりそうなんだ、やっぱりねって。



先生、わたしねえ、自分のいのちみたいなものを楽観できたことが人生で一度もないんだけど、でも、もしかしたら大丈夫なのかな、大丈夫って思ってていい?

わたし、ハラ先生がいて、ナナオとかハルタとかみらいとか友達がいて、おとうさんもおかあさんもいて、校長先生もいてくれて、今があんまり楽しいから、わたしいつかみんなにさようならって言わないといけないのかなって考える事が、本当に嫌になってしまったんだ。

それでね、自分のこと、肺とか心臓とか体のこと、それをわたしがすごく心配して、もしかしたらまた出来る事がへるのかもしれない、もしかしたら来年は何処にもいない子になっちゃうかもしれないって、それが心配でつらいって、また校長先生にこっそり話したら、先生はわたしにもう一度こう言ってくれる?

『それでも君の人生は続くんだ

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