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中本(仮名)のおばばが死んだ。

中本(仮名)のおばばが死んだ、寂しいがそれ程哀しくはない。

だっておばばは100歳近い高齢だったから、それについては当のご本人も

「随分長く生きてしまった、長生きと言うのは周囲の親しかった人達が死に絶える事だ、寂しい、自分にもそろそろお迎えが来て欲しい」

と言う意味合いの事を、きつい地元訛りで四半世紀前位からずうっと言っていた。おばあちゃんという生き物はすぐに「お迎えが来て欲しい」と言う。そしてそんな人程、長生きをする。ウチの祖母もそうだった。

長生きはいいことだ。

中本のおばばは、私の地元の幼馴染のさっちゃんの祖母。でもさっちゃんとは直接は血の繋がっていない祖母らしい。というのは、おばばは80年くらい前、第2次世界大戦直前に中本家に嫁に入り、そしてそこで1人男の子を授かったものの、それからほどなく始まった第2次世界大戦の最中、出征した夫に代わって家と農地を守っている間にその男の子を亡くしてしまっていたからだ、大きな農地を持つ本家筋の家のたった1人の跡取り息子だった。

そして、その哀しい出来事の数年後に体を壊して戦地から戻った夫は、戦後長く患って寝付いた後亡くなったらしい。

家にはおばばと舅と姑の3人が残された。今ならさっさと実家に帰るこの状況の中、昔の人は偉いと言うか辛抱強いと言うか、おばばは1人で家と農地を守りながら義理の両親を看取り、再婚をしないまま歳をとって、その後、親戚の若い夫婦に形式的に養子に来てもらうことで家を存続させることを決めた。

こういうのを両もらいと言うらしい。

その若いご夫婦がさっちゃんの両親。だからさっちゃんとおばばは、祖母と孫の関係で、互いに薄い血縁はあっても直系の血族ではない。そして小さな村の中にはよくある事で、私とさっちゃんの家は少し遠い親戚にあたる。というより小さな集落なので、村中大体がもとを辿れば親戚になる。だから、私はさっちゃんの家の事をよく知っていた、逆もまた然り。

そんな朝の連続テレビ小説のような人生を地で行くおばばは、その数多の艱難に魂を磨かれてそれは優しく穏やかなおばあさんになり、村の皆に好かれていたかと言われたらそれはちょっと違っていて、おばばはそれはそれは恐ろしいおばあさんだった。

あれはまだ私が小学校に入学する直前の遠い昔、昔も今もいちいち人見知りな私が手を引かれてさっちゃんの家に遊びに行った日、さっちゃんの広大な自宅の玄関というより土間で小豆をよって選別していたおばばに出くわし、はにかみながら小さな声で

「…こんにちは」

と私が言ったのを、おばばは

「ああ?聞こえない!」

声が小さいと言って怒鳴って私を叱り、私はビビり倒して泣いた。それだけなら礼儀作法に厳しい村のおばあさんで、大人になった今『厳しい人であったことよ』としみじみ回想できるのだけれど、その後しばらくしてから

「あんたとこの娘はちゃんと挨拶が出来てない」

たまたま小さな村の小さな商店にパン粉を買いに来た母を見つけて母にまで注意をしたらしい。

怖い上にしつこい。

その店は村のたまり場で、と言っても若いモンがたむろしてファミチキを食べながら時間をつぶすコンビニ前みたいな場所ではなくて、村の年寄りが集って噂話に花を咲かせるそういう場所。

私の村の若者含む子供たちはこのおばばに叱責されずに育つ子などまず稀で、私のように挨拶の声が小さいだの、水田に水を引くための小さな用水の中に足を突っ込んで遊んでいてけしからんだの、村の神社の御神木に蹴りをいれただの、ちょっとした失礼、ちょっとした悪戯、中でも特に神仏への不敬にはとりわけ厳しく、子ども達が神社で遊んでいる時にこのおばばが通りかかると子ども達は特に悪さをしていなくても蜘蛛の子をちらすように逃げて行ったものだった。

おばばは、本当に恐ろしかった。

中学校に入ると、吹奏楽部の私と卓球部のさっちゃんでは帰宅時間も会わないし一緒に遊ぶこともなくなったけれど、おばばはずっと元気に村中をダイハツの白い軽トラで走り回り、私は同級生のさっちゃんよりこのおばばの軽トラとよくエンカウントした。その時は必ず最敬礼で挨拶をする、何か非礼を働いておばばの目に止まると後々大変だから。

他人の目がうるさくて、噂は電波より早く人の口を通して千里を走り、そしてそれぞれの家の事情はすべて他所に筒抜け、そんな面倒な田舎の生活を当時そこに住んでいた私はとても嫌いだった、ここから早々に出て行こうといつも思っていて、実際そうした。

18歳で進学する大学を関西に決め、そのまま関西で就職し、結婚して子どもを産んで関西地方に根を張った。

それでもちょっと長距離移動が大変な心臓疾患持ちの末娘を産む最近まで、ありがたいことにいつも帰ってこいと言ってくれる実家の家族に甘えて子ども達の長期休暇中や、お盆、お正月、2番目の娘を産む時には里帰り出産と、何度も実家に帰省し、そのたびに東京方面に就職したらしいさっちゃんには会えなかったけれど、その辺を軽トラで流すおばばにはよく遭遇した、そして

「アンタ、京都の学校にいったがやと?」

だの

「アンタ、結婚したがけ」

だの

「下の子いつうまれるがけ」

だのと何故だか実家に住んでいない私の事情をそれはよく知っていて、ガンガン話を振ってきた。ある時なんかウチの夫の勤務先まで知っていて、その時には流石にどこの誰に聞いたのかソースを聞きたくなった。その情報収集力は公安並みだったと思う。

でも、おばばは昔我が子を亡くしている過去があるからなのか、乳幼児へのまなざしだけはとても優しくて、まだ小さくてちょろちょろと農道を走り回る幼児期の息子を見ると相好を崩して

「あの子、用水に落ちんようにだけ気を付けんと」

と私に注意をした。今は強固な柵におおわれていて子猫だってそう落ちたりはしなくなったけど昔、私が子どもの時分はまだ周りにロープ程度の囲いしかない人工の川に小さな子どもの落ちる事故が割とよくあったからだ。

そして一昨日、末娘の定期外来の事を報告がてら、母に末娘を電話で構ってもらおうとビデオ通話をしている時、私は母からこのおばばの訃報を聞いた。そういえばね、あそこのおばあちゃん亡くなられたがよ。

私はここ3年、この末娘を産んでからは、実家が大きな医療機関から遠い寒村であることや持参する医療機器の手続等の煩雑さ、あと特にこの1年はあのウイルスのせいで実家に帰省出来ていなくて、当然中本のおばばにも会わないままだったけれど、おばばは死ぬ直前まで自宅の周囲を散策し、実家で飼っている柴犬の散歩でおばばの家の前を通るウチの母を呼び止めては、実家で両親と暮らしている姉の勤めの事だとか、私と同じ関西に出て行った弟はもう帰ってこないのかだとかを聞き出していて、当然、私の末娘が心臓の病気で、それが理由でここ何年も実家に帰省してないという事を知っていた。

おばばはその末娘が元気にしているのかをしきりに気にしていたのだと言う。不思議だった。いくら噂好きのおばばで、一応親戚とは言ってもかなり遠縁だし、そもそも何年も会っていない他所の家の娘の更に子どもの事なのに。それで私は母に、多分この時世だから簡素に執り行われたのだろうお通夜とか葬儀の事とか、あとさっちゃんは惣領孫だけど帰って来たのかとか、その手の事を聞いたついでに

「なんでおばばは、ウチの末娘の事がそんなに気になったんやろうねえ」

と聞いた。見た事も無い子の何をそんなに気にしていたのか。

「なんかねえ、中本のおばあちゃんの子どもねえ、ホラ、戦争中に亡くなった子がねえ『胸が悪くて死んだ』んやって言っててねえ、末娘ちゃんとよく似た病気だったのかもね、昔のことやし詳しい事は分からないままやったと思うけど」

中本のおばばは、晩年、あの明瞭に周囲の家庭の事情を記憶していた脅威の記憶力は多少の衰えを見せ、どちらかと言うと昔話ばかりしていたと言う。

昔々、年端もゆかない頃に死んでしまった子どもの話とか。

そのおばばが死んだ。

長患いもしなかったし、最期まで元気で、晩年は老いて軽トラは手放し村を縦横無尽に行き来する足は無くしてしまったものの公安並みの聞き耳はずっと健在だったらしい。そしてウチの末っ子を気にしていた。

それで私は、今少しだけ寂しい。

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きなこ

いただいたサポートは将来の娘②の医療費、そして同じ心臓疾患の子どもたちへの手助けに使わせていただきたいと思っています。 そして偶に子供たちに寿司を食べさせます。

ありがとうございます
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はじめまして。野生の一人文芸部です。この物語はフィクションかもしれないしそうでもないかもしれません。 お仕事のご用命等、御用の際はTwitterのDM。もしくは此方の方まで。⇨https://note.com/6016/message