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おやすみ日記(2月3日~2月5日)

2月3日(木)

小さな子どもがいると、季節の行事にはそれなりに敏感になるもので、今日は節分だねえと言うと、上の子ども達は恵方巻き食べるの?と言ってやや浮足立った。

ただ私は、あの巻き簾というやつが苦手で、太巻きだとご飯が海苔1帖に収まり切らずにはみ出すし、細巻は中巻になる、なんて言うのか、ジャニーズのアイドルの男の子がそこにあるはずがスクラムハーフがポジションのラグビー選手的な小ぶりのむっちり感になる。きっと

「なんかもうちょっと詰めてみようかな」

欲張って酢飯を入れすぎるのだ、ご飯が少ないと、足りへんのんちゃうか、お腹いっぱいにならへんのちゃうかと思って。

親と言う属性が追加装備されるずっと以前から、私は料理を作りすぎる傾向がたいへんに強い。昔々、私が10歳から12歳の2年間ほどの間にとんでもなく身長の伸びた時期があって、その頃はそれこそ飢えた獣のようになんでも食べていた。おやつに6枚切りの食パンを6枚全部一度に食べて「明日の朝食はどうする」と母に叱られたこともある。牛乳を当たり前のように1日1ℓ飲んで、心配した母が小児科の先生に相談したのもこの頃

「ウチの子、こんなに食べたり飲んだりしておなか、壊しませんか」

母の心配が「太りませんか」ではなかった点に、私が当時底なしに食べても酷くやせっぽちだった点が伺える。あの頃はポテトチップスのBIGの袋を全てたいらげてから夕飯を食べてもひとつも太らなかった、良い時代だった、43歳の今なら胸焼けして次の日の昼まで何も食べられない。

その問いを投げかけられた実家から車で10分程の場所にある小児科医院のおじいちゃん先生は、私を見てひとこと

「うん、今にきっと急に背が伸びるぞ」

と笑顔で言い、果たしてその通りになった。2年間で30㎝近く身長が伸びたのだ。

今、当時の私の姿はそのまま真ん中の娘に受け継がれている。この娘がまた底なしに食べる。小学4年の現在あともう少しで身長150㎝、クラスでは3番目に大きいのらしい。

上の12歳の息子の方も丁度成長期に差し掛かり、毎日、朝起きた瞬間に「ねえ、また大きくなってない?」と聞きたくなるくらい、日々たけのこかお前はと言いたくなる程に身長が伸びているのに全然食べない。いや1日に必要な最低量のカロリーは取れているのだろうけれど、ダイエット中の女子高生程度にしか食べてくれない。お菓子にも然程執着がない、帰宅して自室に引っ込み、たまに里山に降りて来た子熊のように小さなブラックサンダーなどを齧っている。

3番目の4歳はそれに輪をかけて酷い。4歳は心臓病だからという訳ではないのだけれど、治療の途中で起きた余計な副産物として口から何も食べられない時期が1年半ほどあったもので、そのせいなのか現在も食が細いったらない、そのため親の方も

「好きなものを何でもいいからとにかく食べろ、そしてそれでカロリーを摂取しろ」

という姿勢が常になってしまっていて、食育視点からはとんでもない育てられ方をしている。朝チョコマフィン、昼うどん3口、夜ふりかけご飯。そういうのが主。この行状を主治医に相談したら「体重が増えてるなら別にいい」とのこと。その4歳が

「のりまきのおかいものにいこう!」

自ら食べ物を買いに行こうと言うのだから行かない訳にはいかないというか、作らなくて済むのなら私も好都合というか。

世界がどうあろうと、日に1度は外に出て軽い運動をさせる事を心がけてはいるこの登園自粛期間ではあるのだし。

4歳は、普通の子どもと比べる運動発達が1歳程度遅れていると指摘されていて、確かに歩かせると上肢がなんだか安定しないまま妙に上下に揺れるし、駆けるとコケるし、体力も全然ない。夕方はよくソファでうとうと眠っている。それだから運動ついでに近場への買い物には帯同させるようにしていた。というか連れて行かないと4歳は1人で留守番なんかできないし、これはもう不可抗力。

それでうんと早い時間の一番のりで駅前に行って、そこにあるお店で海苔巻きを買おうと4歳を自転車に乗せて出かけたら、そこは私の考えが大変甘かったもので、朝の開店直後のスーパーや百貨店には、地域のお年寄りが精力的に買い物をしているものなのだ。

なんだかとても不思議な感じだった。

ここ連日大阪府内の感染者数は1万人越え、私が毎日覗いているTwitterにはいよいよ小さな子どもの感染、医療者の方の感染、自宅でお勤めの人だとか、特にあちこち外出している訳でもない主婦の感染報告、そういうものがどんどん流れてきているのに、ここにいる人たちは皆生き生きと買い物をしている。ここにある全員が感染の懸念も兆候も全く無くて元気なのか、なんだか別の世界に来たみたい、私も今日はそのひとりなのだけれど。

とにかく私は娘を抱き上げて早足に鮮魚売り場に向い、目についたお子様巻きをひとつと、ネギトロ巻きを3つ掴んでそのままレジに向い、早々にその場を離れたのだった。

4歳が買い物のついでに歩いて運動をするというよりは、私が自転車を漕いで16㎏を持ち上げて小走りで買い物をする、私だけが有酸素運動をするだけの数時間になった。

もしかしたら私が酷く過敏であるだけで、世界はもうコロナのことなど気せずに普通の生活を取り戻しているのかもしれない。いや違う、思い直せ、4歳はインフルエンザで救急外来に担ぎ込まないといけない子なのだ、今流行中のあの小さいOのヤツがウチの主治医の言う通り「えぐいインフルエンザ」なら確実に4歳は危ない。

自分の世界の均衡が不安定に傾いた一日だった。

そんな恵方巻であるところの海苔巻きは

「どうせ誰かが半分残すから」

そう思って5人家族に4本しか買わないでいたら、子ども達が存外よく食べて私の口には「なんだこのみどりは」と4歳が海苔巻きから抜いてよこしたきゅうりしか入らなかった。

これでは厄落としにならないのでは。まあいいや、子ども達の今年が無事ならそれで。

この日の大阪の感染者数11,990人

世界はなんだか普通に動いている、反面、感染者は増え続けている。4歳は月曜日から本当に幼稚園に行っていいのだろうか。

2月4日(金) 

世界は私達を置いて普遍に回り続けるのだと思い至るようなことが、今日はもうひとつ起きる。

北京オリンピックの開幕。

去年の夏のオリンピックの時も同じことを思ったけれど、そうか、やっぱりやるのかオリンピック。

かつて第二次世界大戦を振り返り『有事だからと言ってひとの楽しみを止めるのが一番良くない』と娘に語っていたのは故・吉本隆明氏であり、その娘とは作家の吉本ばなな氏で、その点は私も賛成なのだけれど、巨大資本と企業利権と国益、そういうものの絡む現代のオリンピックはどういう位置づけなのかと考え続けて早1年。

今度は冬季オリンピックの季節がやって来た。

私は、オリンピックアスリートの鍛え抜かれた肢体を美しいと思うし、選手が真摯に努力して4年に1度の舞台に立つ姿を見ると世界は彼等同様にして本当はとても善いものなのじゃないかと、そう思うのだけれど、でもそうやって

「ホラ、もうコロナなんか関係ないのだよ」

という雰囲気が世界を包んでしまうと、ウチの4歳のような基礎疾患持ちの特殊枠はどんどん世界から孤立していってしまうのじゃないかと心配にもなる。

4歳とその仲間達だけが感染症の影におびえて、感染者数を見ては登園を止めて、学校を休んで暮らすのか。

世間が死なない程度のパンデミックに慣れてきてしまって、風邪をひいても死にかけるような、そんな脆弱な身体を持つ子ども達が世にあることを忘れ去ってしまうのじゃないのか。

そうやって、小狭い家の中でひとりやさぐれてきてしまう自分が嫌だ。

こういう時には、幼稚園に行こうと思い立つ。

週明けを検討している登園を前倒すとかそういうことではなくて、休園の直前に頼まれていた書類があったもので、それはついこの前電話を貰った時の感じだと早めに渡した方が良いような気がしたし、それを届けに行こうかと思ったのだった。そのことを4歳に言ったら4歳はとても喜んだ。書類というのは、

『3学期の中盤から4歳の保育中に帯同している看護師を加配の保育士に代えたいと思うのだけれど、4歳に看護師が常時帯同しない状態で保育することを主治医は許諾するかを確認してほしい、できたらそれを許可する旨を書面で貰いたい』

と依頼されていたもの。それは先月の末に大学病院の定期受診の時に主治医に署名と印鑑入りで書類を貰っていた。でもこの書面、私が作ったものだ。

「通常保育時間帯の在園看護師の常時帯同を解き、専従の加配幼稚園教諭及び保育士の付き添いによる保育を許可する」

これはその序文。その手の書類にありそうな文言をない知恵を絞って頑張って考えた。

4歳のような疾患のある子を育てていると、方々から「こちらを主治医に記入してもらってください」と言われて渡される書類がとにかく多い。デイサービスに出す意見書、訪問看護師への指示書、それからリハビリについての所見。公の福祉サービスや医療証の意見書や診断書を合わせるとそれこそ年間では結構な数になる。費用だってチリも積もれば結構かかる。

その上で幼稚園や他の保育施設に書式のないような特殊な医師の指示書が欲しいと言われた場合には、親が自作することになるのかは知らないけれど、私は作る。私の周囲ではそういう人が多い、何なら主流と言っていい。

疾患児の育児とは、障害児と生きるとは、イノベーションだ、創造と革新だ。私は市役所の障害福祉課で「そこをなんとか」なんて無理難題ばかりお願いしている訳ではなくて結構細々としたところで割と地味に努力をしているのです。

そしてそういうものを提げて診察室に行くと主治医も慣れたもので、ええよとごく気軽に署名をしてくれた。そして内容を色々どうするかも聞いてくれる。

「おかあさん、この看護師報告事項のSpO2、何%にしとく?」

「うーんはちじゅう…70%以下ってとこでしょうか、でいいですよね?」

「そもそも具合悪かったら幼稚園行かへんやろ?あとこれさあ、大学病院名の入った正式なハンコいる?」

「先生の御署名だけで大丈夫だと思います。園が『医師が保育士帯同でいいって言いました』っていう証明を頂きたいという事だと思うので」

だって先生、大学の印鑑入りの正式な書類にしちゃったら文書料が。という点は口に出さなかった。

その文書を持って、今日は元気に自転車で幼稚園に出かける。保育時間であるので担任の先生には会えなかったけれど、主任の先生が対応してくれた。

先生は突然現れた4歳ににこにこと「元気?」「お家でどうしているの?」と聞いてくれるのに、4歳はしばらくぶりの幼稚園と先生が恥ずかしくて私の後ろに隠れて…くれたらいいのだけれど、母親である私が普段よくマキシ丈のスカートを履いているもので、その中に隠れようとするのは困る、そして焦る。

「大変なことになっちゃって、ねえ」

先生は折角あんなに相談を重ねて入園したはずが今、世界が登園を赦してくれない状況になってしまった4歳のことをとても気にしてくれていたけれど、今回の第6派で大変なのは誰あろうこの主任先生のような、保育施設の人達なのでは。

年度の終わりのこの時期に、感染者が出てはそのたびに休園、その都度予定されていた行事は押していく。休園となると2号児や3号児の受け入れもストップするし、この世のすべての仕事が自宅で出来るものではないだろうから、子どもが預けられなければ、その間仕事に行けなければ、失職する心配のある人だっているだろう。

皆が平等に困っている。

私は個人的に「狡い」という言葉が苦手で、4歳のような障害児を育てていて、例えば医療補助だとか特別児童扶養手当だとかを貰っていますとひとに言うと、ごくたまにその手の言葉をかけられることがあるのだけれど、私は誰かが誰かよりトクをしているような状況を狡猾であると

「だってトクしてんでしょ?」

という言い方をする人がどうにも好きになれない。

それを解消するためには、皆が同じように苦労して、同じように貧しくなり、同じように酷い目にあったらいいのですかねと思っていたのだけれど、コロナが世界にやって来て、皆が同じように困ったら、同じように困窮したら、同じように病に怯えたら今

誰も幸せにはなっていない気がする。

この日の大阪の感染者数10,640人。

人は皆が平等に不幸になってもあまり幸せじゃないのだなというのが、この時代になってひとつ、確実にわかったことだ。

2月5日(土)

「人がひとりでいるのは良くない」

それが旧約聖書の一番はじめ、創世記の神様の人類への最初の気遣いだったらしいけれど、この神様が育児の経験があったらそこは「よくない」とは断言できなかったのではないかなと思うのは私が子持ちだからか。

4歳の子どもが常に傍らにある状態では、それはすなわち本気で仕事にならない。

おかあさんヤクルトのみたい
おかあさんはなにいろがすき
おかあさんごほんよんで
おかあさんたぶれっとのぱすこーどいれて
おかあさんなんかたべたい
おかあさんうんち

この手の文言を3分に1回投げかけられる環境でPCに向い続けるということの困難さを神も知るべきではないのかしらん。

それでこの日、私は幼稚園の再開に先行してとうとうデイのカードを切ることになった。

デイというのは『障害児デイサービス』のこと。

4歳には幼稚園の他に、障害児デイサービスという保育先がある。それはまたの名を児童発達支援施設。

障害のある子や4歳のように医療的ケアのある疾患児、そういう子の文字通り発達を支援してくれる保育施設であって、というより4歳のような子はそれなりの気合と理解があり看護師の常駐する幼稚園や保育園以外では、こういう特殊な、障害児や疾患児専門の保育施設でないと預かりが難しい。そしてそれもまた狭き門だ、うちの4歳が相当の競争率を戦って奪取できたデイの利用日は今のところ週1回、3時間の枠のみ。

大体医療的ケア児を預けられる施設自体が世の中に少ない。

その希少な枠も、ついこの前までは施設職員から感染者が出てしばらくは閉所になっていて、この状況に私は

「八方塞がりってこういうことやんな…」

と笑うしかなかったのだけれど、この日、普段の利用日とは違う土曜日ではあるけれど私と4歳以外は予定があって、それで施設としては既に閉所期間を終了したデイサービスのスポット利用というのかな、施設の車に4歳を迎えに来てもらい、4歳はうちから車で10分程の施設に出かけて行った。

お迎えはいつもの「じぃじ」。

この施設は家族経営というか、施設長で法人の代表である人が看護師でもある女性で、子ども達の送迎をその人のお父様がされている。代表者が娘さんと言っても、その人は私とそう変わらない年ごろなので、お父さんも私の父とそう変わらない年齢、即ち4歳には本当にじぃじと同じ年代の人なのだ。そして4歳は年配の男の人がとても好きだ。久しぶりのじぃじのお迎えの車に大喜びで乗り込んでいた。

ところで私は4歳のような子を扱う事の出来る、看護師の常駐している医療に特化したデイサービスの施設をこれまで3つ見て来たけれど、そのどれもが、そこを立ち上げた代表者が女性でかつ看護師資格を有する人だった。

子どものこの手の施設は決して儲かるというものではないですよと聞くし、障害や疾患、それに伴う医療的ケアのある子ども達は個別性と専門性が高く扱いが難しい、もしもの時の責任問題というものもなかなかに重たいものだろうと思うのだけれど、私の知るこの3つの施設の代表は皆小児医療の現場で看護師をしていて

「こういう子の施設が全然ないのだけれど、一体親御さんはどうしているのだろう」

えっ、全然ないのね、無いなら作ろう、それで子どもとその家族の力に自分がなろうという気持ちから事業を始めましたという3人で、この逸話を思い出すといつも私は「世界、まだ死んでないな」とすこしだけ明るい気持ちになる。

そして今は私が瀕死であったので、4歳は今日3時間のお預かり。

4歳は久しぶりにデイサービスで、仲良しの保育士さん達とブロックをして塗り絵をして、少しだけ平均台に昇って運動もして存分に遊び、私は少しだけ静かな環境で仕事らしきものができた。

世界が平静を取り戻さないとなると、4歳もやはりこの世界に順応していかないといけないのだろうか、臨機応変に。

でもそれって結構命がけなのだけれど。

フレキシビリティって私に一番不足しているものというか、苦手な感覚だ。でもかと言って平坦なルーチンワークが得意な訳でもなく、私は実のところ、土壇場でケツをまくった瞬間が一番強いし生き生きしている。

しかし今は、己の輝くその状況がやってこない事を祈る。

とにかく、デイサービスから4歳は輝くような笑顔で戻って来た。一昔前には「3歳までは家でお母さんと」なんていう言説があったけれど、あれは逆を返せば家庭保育なんて3歳までが限界なのであって、4歳児なんてもう家庭にのみ置くべきではないのだよね本来は。

お母さんの顔だって1日中見ていればきっと飽きる。

この日の大阪の感染者数10,918人。

いつがピークアウトなのかもう皆目わからない、それならもう自ら平静な生活を取り戻しに行かなくてはいけないのか。

でも何故その選択と決断を家庭で、親がするべきなのか。色々と言いたいことはある、あるけれども4歳の、4歳であるという時間と瞬間は彼女の人生に2度は無いのだ。

子育てはこの取り返しのつかなさが一番辛いし怖い。

考えろ、考えよう。

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