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短編小説:ハムちゃん。

3年生の夏までは良かった。

「あのねえ、のんちゃん、この近くの学校じゃなくて、少し遠くの校門のところに天使のいる小学校を受験してみない?」

ママがそう言った年長の春、私は特に断る理由もなかったし、ママと一緒に駅前の幼児教室に通って、年長の秋には白襟のワンピースを着てママとパパと私、3人で『お受験』に挑んだ。パパが面接でコチコチに緊張して5回も噛んでしまったものの私は見事、ママが希望した天使のレリーフのアーチが校門になっている小学校に合格して、私は紺色のジャンパースカートの制服と黒革のストラップシューズ、それから校章が箔押しされたこげ茶のランドセルを背負って家から8つ目の駅の町にある私立小学校に通うことになった。

そこはまだ6つか7つの子どもが背中よりもやや大きな、そして確実に重たいランドセルを背負って毎日通うにはすこし遠いのだけど、制服の白いブラウスにピンで留める銀色の校章に刻印された聖母像はなんだか特別で素敵なものに思えたし、パパとママ、両方の家のおじいちゃんとおばあちゃんも

「のんちゃんは本当に頭がいい、美人だし、将来が楽しみだ」

なんて言って大喜びしてくれて、「私立の小学校も悪くないな」と私は思っていた。学校には電車に乗って通うので、毎日の駅までの道のりが夏は太陽が早くから昇ってじりじりと暑く、冬は太陽が顔を出してくれないので薄暗く冴え冴えと寒くて、それが少し嫌だったけれど、電車に乗ってしまえば空調が効いているし、同じ車両に乗り合わせる同じ制服の子達と固まって登校していれば、退屈するなんてことはひとつも無かったから。

私の暮している街と隣街とを隔てている大きな川の前はきついカーブになっていて、そこを電車が走る時、電車の中にいる私達の身体は重力に従ってぐんと傾く、その時に皆で手を繋いで倒れたり、転がったりしないようにすることが私達のちょっとした朝の楽しみだった。

でも3年生の夏休みが終わって、新学期が始まってから3日後のことだ、朝いつものように白襟にブルーのピンストライプのワンピースの、私の大好きな夏服に麦藁の制帽をかぶって電車に乗り込み、いつものように同じ車両に乗り合わせた友達に挨拶をした時、私にとっての小学校生活は、夏の朝の光のように眩い子ども時代は、私の知らない間に終わってしまっていた。

「おはよう」

そう言っても、同級生達が誰も返事を返してくれなくなってしまったからだ。

(なんで?)

まるで誰にも見えない幽霊になってしまったように誰もこちらに目を合わせてくれないまま電車に揺られた30分、困惑しながら辿り着いた小学校の教室の中でも全く同じ現象が起きていて、理由はその時の私には全く分からなかった。

以来、私は朝7時15分に朝陽を浴びながら駅のホームに滑り込んでくる青い電車の、紺色の制服の一団と同じ車両に乗っても、その子達とは少し離れた一番端のシートに座るようになった。私の隣に座っていたのは、若い頃はとても綺麗だったんだろうなって目鼻立ちに銀フレームの眼鏡、いつも大体白か黒か灰色の服を着ている少し寂しそうなおばさんだった。ちらりと盗み見たその人の左手の薬指には指環がなかった。

独りぼっちの小学生と、多分独り身のおばさん。

なんだかお似合いの2人はそれから3年、夏休みと冬休みと春休みの期間以外はほとんど同じ時間の同じ座席に座り続けた。毎日というのは嘘でも誇張でもなくて、私があの幼い悪意の充満した車両と教室に3年生から6年生の終わりまでの3年間、無遅刻無欠席で通い続けたので本当のことだ。

その間、私は30センチも背が伸びて、初潮が来て、それから紺色のジャンバースカートに銀バッジの制服の子達が進学する中学校とは別の私立中学を受験して、そして合格した。そこは女子校で、制服が灰色で細いリボンタイがえんじ色で眩暈がするほどダサい、お寺の中にある学校だった。もちろん校章にマリア像なんか刻印されていないし校門に天使のレリーフもない。

「中学は別の学校を受験したいの、勉強をもっと頑張るから」

私がそう言った時、そんなにたくさん勉強しないといけない学校にわざわざ行かなくても、ママは今の学校の方が制服も素敵だし校舎もキレイだし環境もとてもいいと思うのにと、あんまりいい顔をしなかったけれど、パパは

「いいじゃないか、のんちゃんがやりたいって言ってるんだから、やりたいようにやるといい、のんちゃんが望むなら、パパは外国の学校にだって出してやりたいって思ってるんだ」

そう言って応援してくれた。私が合格した中学校は今の学校の上にある中学を受験するよりもずっと学力が必要な、勉強の大変な学校だったけれど、そうでなければいけなかった。だってクラス中から無視されているから中学はみんなと同じところに行きたくないなんて、私が賢くて強い娘だと信じているママとパパにはとても言えなかったから。

🚃

「あの…ごめんなさいね、急に」

3年間、ただ隣に座ってるだけで何も語らずにいたその人が、私に突然話しかけてきたのは小学校の卒業式を目前に控えた6年生の3月のことだった。

突然のことに驚いて私は読んでいた本を勢いよく閉じ、それからゆっくりとその『寂しそうな独り身の元美人』に目を向けた。初めて両目でじっと見たその人の顔は、整った目鼻立ちの顔にほんの少しごく薄く白粉を使っているだけの殆どお化粧をしていない肌せいか、おばさんというよりはおばあちゃんのようにも見えた。少し疲れているような、でもとても穏やかで優しそうな瞳。

「えっと…なんでしょうか」

私はきっと相当不審そうな顔をしていたのだと思う。その人は少しだけ遠慮しながらそれでも、はっきりとこう言った。

「あのね私、今日で仕事を退職するの、それでお礼をあなたに言わないといけないと思って」
「へ?なぜ?」

その人の言葉に私は真顔の直球で聞き返してしまった。3年間黙して何も語らず、そしてどちらかというと思い詰めた不機嫌そうな顔で、途中から中学受験用のテキストを睨みながらただ隣にいただけの私に、その人が一体なぜお礼をしたいのか皆目わからなかったから。するとその人は少しだけ笑った、笑うと鼻梁にきゅっと皺が寄って、それが逆にその人を意外なほど可愛らしく、そしてすこしだけ若々しく見せた。

「あのね私、怪しいものじゃないの、と言っても急に知らない大人が話しかけてきたら普通の子は怖いものよね、ああそうだ、わたくし、こういうものです」

その人は何か思いついたように、いつも膝に抱えている大きな黒い革のバッグから細かい装飾のされた銀色の薄い金属の入れ物を取り出して、そこから小さな紙片を1枚するりと抜くと両手で私にそっと差し出してきた。それは名刺で、そこには気難しそうな字面でその人の勤め先と肩書と名前が記されていた。

『独立行政法人 伝統文化推進機構 総務課長補佐 町田公子』

「まちだ…きみこさん?」
「そう。でもね、この『公』って字が、縦書きだとほら『ハム』って読めるじゃない、それで職場の若い子達は私を影でハム子って呼ぶの」
「ハム子…?」
「ハムスターのハム子。私ね、少し前にちょっと病気をして、大股の早足っていうのが全然できなくなっちゃって、ちょこちょこした小さな歩幅で歩くようになったから、きっとそのせいね、あとやっぱりチビだからかしらね」

公子さんが名刺の中の『公子』の文字を指さしながら、すこしも面白くないって顔をしてそんなことをいうもので、私はついフフフって声を出して笑ってしまった。叩いたらカチンと音のしそうな固い名前と、なんだか生真面目な人ばかりが集っていそうなお勤め先で総務課長補佐をしている人のあだ名がハム子。

「ああ、よかった笑ってくれて。びっくりしちゃうわよね、3年ずっと渋い顔で隣に座っていたおばさんが急に話しかけてきたら」

「いいえ、あの…そうですね、ちょっとびっくりしました」

そう言った時、電車が駅名のアナウンスと共にキューッと音を立てて停車した、私の家から数えて3つ目の駅だ。紺色の制服が1人乗って来て、私をちらりと見てから『フン』って顔をして、それからすぐに視線を向こうの私と同じ制服の子ども達に移して嬉しそうに挨拶をした。公子さんはその時だけ、私の表情を見ないように窓の外を眺めていた。

「それでね、あなたね、ええと…」
「皆川倫子です、倫理の倫でのりこ」
「倫子ちゃん?」
「おばあちゃんの名前みたいでしょ、これホントにおばあちゃんの名前なんです。ママのおばさん、つまり私の大伯母さんの名前をそのままつけたの。もうずっと前に亡くなった人なんですけど、7人姉妹の長女で、なぎなたの師範で、若い頃は高校の歴史の先生をしていて、絵画とか家具とかあとは工芸品なんかを扱う貿易の会社をしていたお父さん…だから私のひいおじいちゃんが亡くなった後、結婚しないで会社を継いで、会社を先代よりずうっと大きくした人。すごく頭がよくて、性格がとんでもなくキツくてそれは恐ろしい人だったんだそうです。でもママにとってはすごく素敵な、大好きな伯母さんだったんだって、その名前をそのままもらって、倫子」
「あなたにぴったりね…」

公子さんは微笑みながらそう言った。

(それは私が大伯母さんみたいな、子々孫々に代々語り継がれる女傑になりそうな子だってこと?)

そう思って少しだけ眉間にしわを寄せたら、公子さんは「ああちがうのよ」って風に右手をせわしなく左右に振った。

「ごめんなさいね、あなたがその…豪快な大伯母様のように育ったら私は…とても素敵だと思うけれど、それよりも私あなたに御礼が言いたいの」

🚃

私があの紺色のカタマリに無視され始めた頃、その子達は、私が何故無視するのか理由を聞いたり「気に障ることをしたのならごめんなさい」って許しを請いに来たり、更には混乱してめそめそ泣いたりすることを期待しているようだった。でも生来負けず嫌いで何より一族イチの女傑の血を名前と共に色濃く引き継いでいる私は、理由も告げずに無視を決め込むその子達に自分から話しかけにいくなんてことはしたくなかったし、理由もわからないのに頭を下げるなんてことは自分に対する背信行為だと思っていた、だから絶対にしなかった。

ずっと、何も聞かないで、何も話さないで、当然謝ることもしないで、朝の電車では公子さんの隣に黙って座り続けた。それが紺色の制服達には面白くなかったらしい。

仲間外れが始まって2ヶ月程が過ぎた秋の日の朝、学校の最寄り駅に電車が滑り込み、青い車体のドアが左右に開いて、紺色の制服の子ども達が一斉にはじけるように飛び出してホームに降りた。それからすこし遅れて私もその子達と同じように自分の座席に一番近いドアからホームに降りようとしたのだけど、その時に先に降車していた何人かがわざわざ私の降りようとしているドアの前にずらりと並んで私を通さないようにした。幸いその駅は、朝と夕方の登下校時間帯は私達の学校に通う子ども達のほぼ専用のような状態になるので、他の乗客の迷惑にはならなかったけれど、私にはものすごく迷惑だった。

「私その時、倫子ちゃんがあの状況にひるんで、電車から出られないまま『ドアが閉まります』なんてアナウンスが流れるようなら、私があの悪ガキどもを叱りつけてドアの前から除けてやらないとって思って、座席からお尻が浮きかけていたんだけれど、あなたあの時、突然腰を落として姿勢を低くしたと思ったら、ドアの前を塞いでいた自分よりずっと大きな男の子にタックルして、その子を押しのけてそのまま駆け足であの底意地の悪い子ども達を強硬突破して行ったでしょう、ラグビー選手みたいに」

公子さんの記憶の通り、そういうことは確かにあった。

そのできごとの少し前、私は何回か同じ子達に駅の改札の前で通せんぼをされて、それを私が持ち前の反射神経と駿足でするりと交わしたものだから、同級生たちは今度は電車のドアを塞ぐことを思いつき、それを実行したらしかった。

「私、4年生まで少年ラグビーチームにいたんです」
「ホントに?それって女の子だけの?」
「小学生までは女子もチームに入れるんです。パパが土日にコーチをしている地元の少年チームの9番だったの、ポジションはスクラムハーフ。この電車が川の上の鉄橋を越える時、河川敷にバックネットのある芝生のグラウンドが見えるでしょう、そこがチームのホームグラウンドなんです」

そのラグビーチームは中学入試を決めて、塾が本格的に忙しくなってきた4年生の終わりにやめてしまったのだけれど、高校と大学は教室よりもグラウンドにいた時間が長いらしいパパの

「いいかのんちゃん、向こうがどんなデカい相手でも気持ちで負けなければ絶対吹っ飛ばせるんだからな」

という教えはこの時とても役に立った。絶対負けないって強い気持ちで、そしてうんと低い姿勢を取って上手く肩を入れて相手の膝を抑えてしまえばどんな大男も倒せる。

「その後から、あの子たちは通せんぼをしなくなったでしょう。以後あなたは孤高の紺色としてここで私の隣に座り続けている、私ね、それにとても勇気づけられたの」
「どうして」
「大人の世界でもああいうことはあるものだから」
「大人なのに?」
「大人になっても割と続くことがあるのよね。それで別に欲しくもない経験値がどんどん蓄積されてゆくの。人間はどういう時にどんな意地悪をするものなのかって。だからおばさんにはあなたがどうしてこんな不当な目にあっているのか、その理由がよくわかるもの、当てましょうか?」
「わかるの?今まで一度も話したことがないのに?」
「そうよ。それは倫子ちゃんが賢くてきれいだから、そうでしょう?ついでに言うととても堂々としているからかな、だってまるで遠い国からやって来た女王のように見えるもの」
「女王?私が?」
「そうよ」

公子さんが言ったことは、実はまったくその通りだった。

それは私が私自身を賢くてきれいだと思っているとか実は女王だとかそういうことではなくて、私があの紺色の一団から無視されることになった理由が、クラスで一番足の速い坂井君という男の子が私のことを「皆川さんが可愛いから好きだ」と誰かに言ったことが発端だったからだ。そして私は確かに成績も良かった。それをクラスの女の子の何人かが

「皆川さんてなんか、調子に乗ってるっていうかさ、ウザいよね」

と言い出して、それがクラス中に光よりも早く伝播してこの電車に乗り合わせる子達にも広まった。本当に海岸の砂のたった一粒のような、針の穴のような、とても些細でどうでもいいことが全ての始まりだった。

でも私の顔の造作はママからの遺伝で、手足が長いのはパパからの遺伝で、ひとつも私のせいじゃないし、私の成績がいいのは私が勉強を頑張っているからだ、私は何も悪くない。だから

(教室の中でちょっと規格からはみ出た子どもが迷子の子羊のように叩かれていじめられるのはよくあることだし、私はぜんぜん悪くない)

『迎合はしない、懐柔もしない、おもねることもしない』私はそう思って3年を耐えた、さすがにしんどかった、お影で学校ではちっとも笑えなくなってしまった。公子さんはそんな私に慰められたんだって。

「じゃあ公子さんも会社でイヤな目にあってたの?遠足の日にグループに入れて貰えないとか、上履きを隠されるとか、体操服がなくなるとか?そういうことがあったの?だから同類の私に慰められたの?」
「時代が令和になっても、子どものやることってあんまり変わらないのね」

私が子どもの頃と大差ないわと言って、公子さんは少し呆れたようにため息をついた。

「今はもうおばさんだけれど、私も昔は…若くてそれなりの見た目だった頃にはそういうこともあったかもしれないわね。でもそんなことより、私、若い頃はとにかく仕事を頑張ろうって思っていたの。私がお勤めを始めた頃はね、まだ男の人と女の人では就職する時の条件っていうのかしら、どんな仕事をしていくらお給料をもらってって…そういうことの決まりが全然平等じゃない時代で、女の子が仕事をして一人前だって思ってもらうには男の子の100倍は努力もお勉強もしないといけない時代だったの。私が今の職場に入った時、一緒に正規職員として採用された女の子は私だけで、あとはみんな男の子だったもの」
「へんなの、そんなのおかしくない?」
「そうよね、私もそう思った。だから、自分の後に社会に出る女の子達にはあんまり同じ苦労をしてほしくないなって思って一生懸命働いたの。まずは女の子でも一人前に働けるんだって偉いおじさん達に認めてもらおうって思って。それで気が付いたら私は少しだけ偉いおばさんになっていて、その代わり結婚したり子どもを持ったりするってことをすっかり忘れていたんだけど、それはそれでいいのかなって思っていたの、仕事は大好きだったし、これはこれでまあまあの人生じゃないのかなって」
「素敵だと思う、私の大伯母さんも結婚しないで仕事をして、その代わり会社を大きくして残したもの」

私がそう答えると電車が川の手前の急カーブに電車が差し掛かって、お喋りに夢中になっていた私は身構えるのを忘れていて体が斜めになった、公子さんは体が思い切り傾いた私の腕を取って支えてくれた。

「でもね、私、4年前のある朝起きたら突然膝から下がしびれて、まともに立ったり歩いたりできなくなっていてね、それでしばらく入院することになったのよ」
「どうして?病気?」
「ウン、ちょっと珍しい神経の病気だったの。それまで風邪だってほとんどひかない、物凄く頑丈な人間だったのに青天の霹靂ってやつよ。それでもなんとか沢山お薬を使って症状を抑え込んで、あとはリハビリをして3ヶ月程で何とか退院して職場に戻ったんだけど、そうしたら職場に私の机が無くなってたの。それで『一体どういうことですか』って職場の偉い人に聞いたらこう言われたのよ『あなたは病気の後遺症で右足の麻痺が残っているし、再発の恐れもあるとか、それなら今とは別の部署に行くか、自分から辞めるかしてほしい』って。言い方は違ったけれど、端的に言うとそういう感じね」

偉いおじさんが公子さんと目も合わさないでそう言うので、かっとなった公子さんは仕事を辞めずに別の部署に行くと、即答した。

「そんなの、イヤじゃなかったの?」
「そりゃあね、でも働かざる者食うべからずですもの」

そこは仕事らしい仕事のぜんぜんない、薄暗い地下の部署だった。それまで公子さんがせっせと積み上げて来た経験も実績も全く関係ない単調な仕事ばかりの毎日は辛かったけれど、公子さんは自分で自分を食べさせていかないといけないし、そもそもどんな仕事も仕事は仕事だ、職業にも部署にも貴賤というものはないんだって思うことにしたんだそうだ。

「実際、仕事があるって有難いことだもの」

でもそんな風に偉い人たちからあからさまな『邪魔者扱い』をうけていると周囲からだんだん人がいなくなる、学校でいじめられているのと同じだ。実際にこれまでよく話しかけてくれた後輩も、食堂で会えば一緒にお昼を食べていた同僚も、病気になって足に麻痺が残ったせいで足を引きずるように歩いて、これも病気のせいで時折右手が痺れて力が入らないのでお昼の時にお箸をポロリと床に落としてしまう公子さんを何となく避けるようになり、公子さんはいつもお昼を独りぼっちの職場の机で、ほとんどかかってこない電話番をしながら食べるようになった。

「大人でもそういうことって、あるんだね…」
「ウーン…大人だからかもしれないわね。人間ってね、年を取ってちょっと偉くなって、それで自分の背負っているものが重たくなってくると、どういうわけか自分意外の誰かへの想像力ってものがどんどん減ってゆくのよ。私もこんな風に病気になって、それまでは簡単できていた階段昇降とか、ペットボトルの蓋を上手く開けるなんてことができなくなってみなければ全然気が付かなかったもの、みんながみんな120%の力で生きて働ける訳じゃないんだってことをね。それでも暫くは頑張っていたんだけど、存在を無視されるって大人でもひどく傷つくものなのね、それでもう仕事を辞めてしまおうかなって思っていた時に倫子ちゃんが私の隣に座ってくれるようになったの」

それが、とても心強かったのよ。

公子さんがそう言って笑うので私はなんだか不思議な気持ちになった。ほんの些細なことで友達だと思っていた存在を一斉になくして、中学受験を余儀なくされて、それに意地で合格はしたけれど自分は、完全に負け組の負け犬なんだと思っていたから。私は自分の意固地な性格故にニンゲンカンケイってヤツに失敗したんだって。

「ただ黙って隣に座ってただけなのに?」
「黙っていたけれど、倫子ちゃんが理不尽に耐えていたのは分かったもの」
「私そんな辛そうな顔してた?」
「辛そうっていうか、戦っている人の顔をしてたわね」
「それって怖い顔?」
「いいえ、凛々しい顔よ。それにね、私は結婚するのをすっかり忘れていて、結果自分の子どもはいないんだけれど、この3年、当たり前のことだけどあなたは毎日どんどん大きくなっていったでしょう、それを見ているのが本当に楽しかったの。背丈がするする伸びて表情が大人びて、夏休みが明けて久しぶりにお顔を見る時なんかハッとしたのよ、女の子がどんどん綺麗になるって本当なのね。これから美しくのびやかに大きくなっていく人っていうのは頬の産毛さえ輝いて見えるの、『いのちあるもの』って感じ、存在自体がもう私への励ましだったのよ」

産まれてこの方、両親にかなり甘やかされて育ってきている自負のある私も、さすがに『存在自体が励まし』だなんてことは言われたことがなくて、なんだか顔が熱くなってついでに背中が痒くなった。でもとても嬉しかった。私の3年間の意地と忍耐と沈黙が、隣の少し寂しそうな人への励ましになったのなら。

そんなことを話している間に、電車は7つ目の駅を過ぎて私の降車する駅に近づいてきた、8つ目の駅に着けば、3年も隣にいて今日やっと、初めて言葉を交わした私達はもうお別れだ。

「公子さんのためになったのなら良かった、不毛なだけの3年間じゃなかったんだ。それであの…公子さんは今日お仕事を辞めるの?さっき今日退職だからって」
「そう、周りの『早く辞めないかな』って視線に耐えて、定年まで執念で勤め上げたのよ、倫子ちゃんのおかげ、本当にありがとう」
「私のおかげってことはないと思うけど…でも私も明日、小学校の卒業式なんです、それでこの電車にはもう乗らなくなるの、ここの中学部とは別の、全然違う中学校を受け直して合格したからそこに通うんです」
「じゃあお互い、第二の人生のスタートね、倫子ちゃんは第二の人生って言うより、まだまだ光ある未来なのだけど」
「公子さんは、お仕事を辞めたらどうするの?」
「体のことがあるから、無理はできないんだけど、私これまでずっと美術関連のお仕事をしてきたのね、日本の色んな美術工芸品を外国に紹介するお仕事、だからまだ体の動くうちにもう一度大学に戻って、美術史の勉強がしたいなって思って、大学院に行くの」
「じゃあ、公子さんも新しく学校に行くんだ、私と一緒だね。だったらそこで新しいお友達ができるかも」
「倫子ちゃんにもね。きっといい友達ができる、絶対によ、断言するわ。だって世界は広いもの」

実のところ、新しい学校に行ってまた同じ目にあったてしまったら、その時はもう立ち直れないだろうなと思っていた私は、公子さんが確信をもって「お友達ができる」って言ってくれたことでなんだか安心した。安心して、ひとつ良いことを思いついた。

「あの…公子さんこれ、私にはもう必要ないものだからあげます。私も3年、公子さんがずっと隣に座ってくれていてとても心強かったです、ありがとう」

私は、襟元にいつも留めていた銀色の聖母像の刻印された校章を外して公子さんに差し出した。公子さんは驚いてそれで

「あなたから何か貰う訳にはいかないのよ、私は大人であなたは子どもだし…」

小さな声でそう言いながら少し戸惑っていたけれど、少しだけ考えてから、グレーのスーツの襟元につけていた藍色の小さなバッジのようなものを外して、私に差し出した。

「じゃあ、これと交換しましょう。それでいつかまた会うことがあったら、きっとその時は私今よりずーっと皺の深いおばあちゃんになっていて、倫子ちゃんはうんと素敵な大人の女性になっているでしょうから、お互いが分からないといけないし、その時の、再会の目印にしましょう」

それは、公子さんが今日退職する職場の徽章で、私はいいのかなってそれを受け取ることを少しためらったけれど、私達が互いに無言のまま2人で励まし合いながら戦ってきた3年間の証のようなものとして、私と公子さんはそれぞれに胸元に着けていた銀色と藍色の小さな印を交換することにした。

「それじゃあ、いつか」
「ええ、またね、次に会えたらもうハムちゃんって呼んで」
「だったら、私はのんちゃんでいいです」
「もし再会してあなたが大人になっていたら、その時はきっと友達になりましょう」

電車が学校のある駅のホームに滑り込み固く閉じていた両開きのドアが開くと、ここ数日の陽気ですっかりつぼみの開いた桜の花びらがふわりと車内に舞い込んで来た、それと春の柔らかな光が。

私は「次はハムちゃんって呼んで」と言って笑った公子さんに笑顔を返すと、電車を飛び降りた。電車の中と外に別れた私と公子さんは互いが見えなくなるまでずっと手を振った。ありがとう、いつかまたねって。

🚃

それが6年前のできごと。

あれから私が公子さんに出会うことはなかった。あの日定年退職を迎えたんだと言っていた公子さんが60歳だったとしたら今、公子さんは66歳になっているはずだ。

公子さんはあの紺色の制服の小学校の沿線から、退職したあとすぐに引っ越してしまったのかもしれないし、そうでなくてもあの沿線にあるのはどれもそれなりに人口の多い街ばかりで、その中から推定年齢60歳前後の町田公子さんたったひとりを探し出すというのは、まだ子どもだった私には砂浜に落とした針を1本拾うより難しい。その間に私は中学生になり、高校を卒業してこの春、大学生になった。その間公子さんの言った通り、うんと気のあう友達ができた。

「のんちゃん、どうして必修で1限目が全部埋まるんだと思う…?これは何かの呪い…?」
「1年生のうちは仕方ないらしいよ、耐えよう莉子。ねえそれより第二外国語って何にした?私ドイツ語にしたんだけど」
「あたし?ハングル」
「西洋美術史科なのに?」
「いやほら、あたしアーミーだし」
「何それ」

大学の初めての授業の日、私は同じ中高から同じ大学の同じ学部に進学した親友の莉子と、小さな講義室の椅子に座った。周囲には同じように少し慣れない様子であたりを見回しながらスマホを触ったり、窓の外にある大きな欅の木を眺めたりしている学生が10人程。どうやら登録した学生のそんなに多くなさそうなこの講義の名前は『博物館学概論Ⅰ』

『博物館学は、博物館の存在意味や理念、歴史、展示表現や技法などバリエーションに富んだ活動内容を考究する比較的新しい学問領域です、前期講義では博物館そのものの歴史の振り返りと共に、近隣の博物館に出向き実地の講義を行います』

シラバスにはそう書かれていた、でも実のところ私にとってそれはあまり重要なことではなくて、大切なのはその下にあった担当教員の名前だ、そこには

担当講師:町田公子(歴史学博士)

とあった。

私はあの日公子さんと交換した藍色の小さな印を、今日のために選んだピンストライプのシャツの胸元につけて、現在は歴史学博士であるらしい町田公子さん、あの日「再会したらハムちゃんて呼んで」と笑っていた、私の大切な友達が、4月の陽光と共にこの教室に入って来るのを今、待っている。


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