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遺産相続3

☞1

陽介君がアルバイトを終えて帰って来たのは朝、私達に告げていた予定より少し早い、夕方の5時前だった。

太陽と月の入れ替わる時間帯、玄関の扉から見える遠くの空には夜の藍色と夕方の茜色が静かに混ざり合っていた。家の灯りの恋しくなるような冬の夕暮れ色を背に、たい焼きの茶色い紙袋を大切そうに抱えて帰って来た陽介君が

『お母さんに人生史上一番怒られた』

と肩を落とす様子を見て私は、私が小6だった冬にお腹を空かせて庭に迷い込んで来た日の、捨て猫だったすももの痩せこけた情けない姿を思い出した。

「お母さん、そんなに怒ってたの?」

異母兄である陽介君に私がそんな風に聞くと、まるで陽介君のお母さんが私のお母さんみたいに聞こえるし、同時に死んだ母がまだ生きているみたいにも聞えこてなんだか不思議だ。でも私の母である方の人は「厳しく叱って我が子を諭す」なんて事をあまりしない人だった。思えば私は育てられ方が雑というか、かなり放任だったと思う。そもそも母自身が死の床にあってわざわざ経帷子を着て見舞客に死人のふりをするという悪質な悪戯を好む子どもみたいな人で、加えて情に任せて事業の資金繰りに困っている知人の保障人だとか、絶対に儲かる海老の養殖ビジネスだとかその手の怪しい書類にすぐ判をつこうとして私や祖父やあけみちゃんに止められる、思い込みの激しい世間知らずな若者みたいな所のある人だった。だから私は母にそれ程きつく怒られたという記憶も厳しく躾けられたという記憶も殆ど無い。せいぜい、ちょっと気に入らない事があってふくれっ面になった私を

「不機嫌で相手を威嚇するような真似をしない事、特に食事の時はね、折角のご飯が不味くなっちゃうでしょ。いつも不機嫌な人間なんか男も女もサイアクよ、可愛げってもんが無いわ」

例え家族の前でも、いやちがう、家族という小さな集団だからこそいつも上機嫌でいなさいと叱る事があった程度だ。母はいつでも、死のその直前までご機嫌で生きていた。陽介君は今日着物の展示会の解体作業をしていくつも机や椅子を運んで来たらしい。真冬に汗みずくの肉体労働。それで頭に汗取り用のタオルを巻いていて、それをほどいて顔をごしごし拭き深く深呼吸してから

「怒られたし」

そう言ってからもうひとことこう言った。

「泣かれた」

どうしよう美月ちゃん。そう言いながら、必ず左手で障子戸を開けてから最後右手に持ち替えて開ける様子とか敷居と畳のヘリを踏まずに左足から静かに和室に入る姿とかそんなちょっとしたしぐさを見て

「君お茶か何かしていた事があるだろう。所作がとても綺麗だ」

そう祖父が言い当てた私とは桁違いに育ちと躾の良い陽介君が、靴を揃えるのも忘れてよろよろと家の中に入って来て、その後ろをすももが甘えた声で啼きながらついて来た。陽介君は朝私と約束した通り、昼の休憩中にお母さんに電話をかけ、約1時間、休憩時間のすべてをお母さんとの会話に費やしてしまったらしい。お昼ご飯を食べそこねて空腹すぎて目の前がちかちかするというので、私は台所でミルクと砂糖を多めに入れたコーヒーを作って陽介君に渡して、それから

「買って来てくれたたい焼き食べようよ。もう直ぐご飯だから、半分こしよっか。今日のご飯、鶏のから揚げだよ『家に食べ盛りの若者がいるんだからな』っておじいちゃんが1㎏も鶏肉買って来ちゃったの、なんかね、陽介君がいるのが嬉しいみたい」

そう言ってお土産のカスタードのたい焼きを半分にちぎった時にふと、同じように夕ご飯の前にたい焼きを半分こする時に母がよく『ハイ、美月にいい方あげる』と言って私に頭をくれた事を思い出して、少し焦げ目の濃いたい焼きの頭の方を陽介君に差し出した。そうしたら陽介君は私が手に持っている鯛の頭に直接齧りついてそれを一口で全部口に入れてしまった。

「ほれがはあ、みっひゃんのひってたほおり、おはあさん、ひんどくて」

「陽介君待って、ちょっと何言ってるか全然分かんない」

陽介君はたい焼きを咀嚼しながら話を始めたけれど、口いっぱいのたい焼きに阻まれた言葉では、その話の内容が全然理解できなかった。陽介君には私に早く私に伝えたい事があったんだろう。それは多分それなりに深刻な内容なんだろうけど、私は陽介君の欲張りなリスみたいな顔面が可笑しくてつい笑って、そうしたら陽介君も少しだけ笑った。でもたい焼きを飲み込んだ陽介君の口から明瞭な言葉として出てきた話の内容は、想像の斜め上の、全然笑えないものだった。

「お母さんさ、あの、去年の秋に『すべてむなしい』って書き残して自宅を出て直ぐ、当座の荷物まとめて新幹線に飛び乗って実家に帰ったらしいんだけど、新幹線とタクシー乗り継いでやっと着いた松本の実家の玄関開けた瞬間に向こうのばあちゃんに、一国の大臣の椅子に座る事が決まった人の妻がそんな事で、情けないって怒鳴られたんだって。『アンタの事は厳しく育ててきたつもりだったのに。アンタのとこの跡取り息子は今年大学を出て、光太郎さんは立派に大臣になってさあこれからって言う時に、母であり妻でもあるアンタは一体何をしてるの、一体何がそんなにむなしいって言うのよ』って。松本のばあちゃん、厳しいって言うか怖いんだよ。確かもう80歳位なんだけど、50近い娘がちょっとでも自分の思い通りにならないとその辺の物全部投げてキレ散らかすの。それにお母さんの実家って田舎で事業やってて、伯父さんが県議会議員で、そういう家って外面って言うか外聞が生命線だからさ、近所の目もあるし人に見られる前に早く帰ってくれって、それで話もロクに聞いてもらえないまま実家の玄関から外に追い出されて、仕方なく市内のホテルに一泊して翌日にこっち戻って来て、でも今更自分の家にも帰れないし、それで療養って事にして暫く入院してたんだって」

「お母さん、どこか悪いの?」

精神的な不調…なのかなあ、多分。そう言って陽介君は少し首を傾げた。

「普通はさ、ちょっと診断のつかない程度の体調不良とか精神的な不調で入院は出来ないんもんなんだけど、俺のとこ、ほら政治家の家だから。ちょっと具合って言うか風向きが悪くなった時にほとぼりが冷めるまで入院しておける避難用の病院?そういうのがあるんだよ。『谷川光太郎君を励ます会』とか地元後援会の集会なんかに妻であるお母さんが顔出してないと事情を知らない人に今日は奥様は?って聞かれるだろ、その時「妻は今、家出中です」って言うよりは「実は妻は病気療養中でして…」って言う方が人聞きが良いから。だからお父さんが早々にじいちゃんの代からの秘書の人に、北原さんて言うんだけど、その人に手配させて家出の翌日には個室の病室が用意されて、そこに暫く居たんだって」

それは全くの仮病の、虚偽の理由の便宜上の入院という訳ではなくて、陽介君のお母さんはかなり以前から、夜に全く眠れず昼に頭が絶えずぼんやりしてしまう事と、強い倦怠感、そして昼夜を問わずに襲ってくる

「キョ…キョム感?そういうがずっと頭から離れなくて凄く辛くて、党内で組閣の話が出て入閣の打診ていうか内々定みたいのがあった時に、これが正式に決まって、すべてが終ったらもう自分の仕事も全部終わるんだって、そう思ってずっと頑張ってたんだって。それなのに、その重要な時期にお父さんがそっち関係でまたちょっとした面倒を起こしたらしくて、それを早期にかつ内々に何とかしないといけないんですが奥様どうしましょうかって秘書の北原さんから言われたその相手がさあ」

陽介君より3歳年下の大学生だったらしい。

「…それは無い」

「流石の俺もこれは無いと思った。だって実の息子の俺より更に年下ってさあ…」

陽介君のふたつ下という事は私の5つ上だ、もし年齢があと何歳か違っていたら青少年健全育成条例違反になるような女の人…いや女の子。一国の大臣であるはずの人がそんな女の子と何をしていたのかは大体私にもわかるけどあまり想像はしたくないし明確に言葉にもしたくない。ただそれが単なる自分の娘程の年齢の女の子との淫行すれすれの自由恋愛と言う名の不倫、それだけならまだましな話だったらしい。でもコトが発覚したきっかけが、その事をネタにした週刊誌の記事のゲラ刷りが既に出て出版社から内容の確認というか報告が事務所宛てにあった事で、それが大問題だった。雑誌の発売日は新内閣発表の直後、そこに新大臣の女性問題のゴシップ記事。それは父の失脚以上の総理の指名責任とかそういう壮大な問題に発展する。陽介君が言うには

「切腹だよ、切腹。お父さんじゃなくて秘書の北原さんが。筆頭家老だもん。2代続けてバカ殿達の神輿担いで、若かりし頃の夢だった国政にも出られず秘書ひとすじ30年」

バカ殿こと、父の不名誉すぎるその記事を止めるには出版社側との交渉、そして相手の女の子と直接話し合う場を設ける事が必要だった、平たく言うとお金だ。というのもその話を売り込んだのは相手の女の子本人だったらしい。

「なんか、相手の女の子、音大生らしいんだけど、実家の事業の失敗とかそんなのが色々あって親が頼れなくなって、それで後期の納入金が間に合いそうにないって焦ってたんだって、その気持ちは俺にも痛い程分かるんだけどさあ」

そういう話はかなりいい値段で買ってもらえるのだそうだ。私が『ゲラって何?』と陽介君に聞いたら、雑誌に載る前の記事の下書きみたいなモンだよと陽介君が教えてくれた。

「その見出しがまた『お嬢様女子大生キャバ嬢と赤ちゃんプレイ』っていう…あ、ごめん何でもない、忘れて、15歳の子に俺は何てことを…」

「大丈夫、何言ってるのかは大体分かるから。あと、お父さんて人がだいぶ理性のタガの外れた人だっていうのも分かった」

「最近の中学生は何でも知ってんだ…」

あらためて思うのは、父が私の方の母と結婚しなくて本当によかったという事だ。万が一そんな事になっていたら、多分早晩、母よりも、母を過剰に愛している月子さんに本気で火を放たれたと思う、灯油じゃないガソリンとかもっと揮発性の高いのをなみなみと頭から掛けられて。そうなったら今度こそ本気で月子さんは犯罪者だ。私は実の父の予想をはるかに超えたロクデナシぶりに軽くため息が出た。ずいぶん昔に母が父の事を「優しいと言えば優しかった」と言った事があったけれど、母は父の一体何を何処をどう優しいと思ったんだろう。もしかしたら『ただ優しいだけの人』っていう意味だったのかもしれない。

「なんか、お父さんて、お父さんじゃなくて、ただの『色々酷いおじさん』になりそうなんだけど、私の中で」

「全然合ってるから大丈夫。でも、お父さんが失脚しようが現内閣がどうなろうが俺はどうでもいいんだ、俺的には問題はここからで」

陽介君のお母さんは幾つになっても女の人を目の前にすると下半身の制御の全然効かない、その方面の倫理観が、政治の特殊な世界ではともかく一般のそれとかなりずれのある夫の尻ぬぐいをまるで女性問題担当の秘書かの如く、父の事務所の筆頭家老で金庫番でもある秘書の北原さんという人と共に長きにわたって担当してきた事よりも、そんな生活にくたびれ果てて戻った長野の実家で、実の母親に労わられるどころか家の中に迎え入れてさえも貰えなかった事よりも、このろくでもない夫の後始末をしながらそれでも一生懸命育ててきた息子が1年もの間、自分の事を心配して電話1本寄越して来てくれなかったことが何より哀しかったと、自分はある日世界から突然消えても誰にも気にされたりしない、何の価値も無い人間なんだと改めて知ってしまって、それが途方もなく寂しかったと言って、長年いついかなる時も、例えばあまり素性の良くない夫の愛人のちょっと怖い職業の『親族』との交渉の場にも、冷静に平然と立ち続けてきた陽介君のお母さんが、電話越しではあるけれど

「俺の前で、声上げて泣いたんだよ」

陽介君はそう言ってから、テーブルに結構な音を立てて頭を打ち付けて更にこう言った。

「俺はお母さんの事、昔から、しっかり者でそつも隙も何も無い完璧超人みたいに思ってたんだけど、本当はよく考えなくてもお母さんだって病気にもなれば傷つきもする、普通の人間なんだよな。俺は今、自責の念っていう言葉の意味を初めて、そして身に染みて知った。俺は本当に酷い、人間の気持ちの分からない人間です。」

それでも、お母さんは陽介君のここ1年の様子を秘書の人から大体聞いていたらしく、約5分間、小さな女の子のようにしゃくりをあげて泣いてから、そこは水面下で色々と問題を起こし続けてきた政治家の夫の手綱を取って来た妻としてとても気丈に

「家から出て自立して自活するって言ったって、大学は留年してるし、今は住所まで不定の状態だなんて貴方これから一体どうする気なのって言うから、俺は何も考えてない訳じゃないし、卒業単位で残ってるのは卒論だけだし、お父さんと違って女性問題なんかは絶対に起こさない、大体全然モテないし。それに住まいは今、一時的にだけど、ちゃんとした人の家のお世話になってるから大丈夫って言ったら、それは何処のどなたなの、こちらからもちゃんと御礼とご挨拶に伺うから、お名前と住所を言いなさいって」

そう言われたらしい。陽介君が今、この時点でお世話になっている家というのは私の家という事になる。でもそれを

「…言ったの?」

「…い、言った」

「なんでそんな事言っちゃうの!」

私は思わず8歳年上の陽介君を結構な大声で怒鳴りつけた。それで、陽介君のお母さんは15年前直接顔を合わせている筈の祖父の名前を憶えていなかったかを焦って確認した、自身が四半世紀に及ぶ夫の行状と言うか醜聞とその後始末に疲れ果てている時に、不可抗力の結婚詐欺みたいな事が理由だったとは言え結果的に愛人という立場になった人間の実家で蟹を食べて猫と遊んでその家の家族と普通に仲良くしている1人息子。私が陽介君のお母さんなら発狂する。

「大体、自分の夫の放蕩と家族の非情ほとほと疲れ果てて心まで病みましたっていう人の傷口に丁寧に塩塗り込んで更に丹念に漬け込みましたみたいな真似どうして実の息子である陽介君がするのかなあ!?配慮が無い!残酷!ひとでなし!」

「イヤでもね、あの、お父さんの愛人問題なんか、美月ちゃんが生まれてからこの15年の間にもう星の数程あった事だからさ、愛人本人の事はともかくその中のイチ関係者の名前と顔なんか流石に覚えてないと思うし、悟朗さんて俺の大学の元教授だからそれなら信用あるし安心するかなーって思っちゃったんだよ。それに俺ももう23歳なんだから子どもじゃあるまいし、そういうの絶対やめてくれって言ったからここには来ない、絶対、大丈夫だから」

「お母さんへの謝罪は?したの?ずっと連絡しなくてごめんねって」

「それもちゃんとしました。それも踏まえて近々俺の方から一度会いに行くって言ったし、お母さん今はもう退院してウチの持ち物のマンションで1人暮らしてるんだって。だからそこに俺が直接会いに行くから、大丈夫、ここに来ることは絶対にないから」

陽介君が私の事を伏し拝むようにしてそう言うのでひとまずこの件は置いておいて、私達はこの話を祖父と月子さんには伏せておこうと、そう決めた。腹違いでも同じ父を持つきょうだいである私たちは、父の醜態と醜聞を説明しないでは話が見えなくなってしまう陽介君のお母さんの今の事情を、他人の行状をなんか特に気にはしなくても、元来潔癖な性格の祖父と、つい最近まで貞潔を守って暮らしていた元シスターの月子さんに言うのは憚られる、とにかく今はやめておこうと話し合った。

ハタチの女の子を愛人に囲った赤ちゃんプレイがお好みの父、議員だろうが大臣だろうが、私達きょうだいにとっては、ただの恥だ。

「あとさ」

「え?何?」

「陽介君てモテないんだ…彼女もいないの?全然?」

「ウルサイなあ、いないよ」

私は生まれて初めて兄に小突かれた。

その日、から揚げ用の鶏肉は1㎏ではなくてよく見たら1.5㎏あった。私が料理はサラダ用のレタスを千切る位しか出来ないと言うと、陽介君が揚げ物用の中華鍋につきっ切りでそれを山盛り揚げてくれて、出来上がった冬眠中のクマに差し入れしたくなるぐらいの量のから揚げを、また臨時の家族みたいな私達4人と猫1匹で食べた。陽介君はから揚げをほおばりながら、図々しいお願いなのは承知だけど、どこかに部屋を借りるお金の目処が付くまでここにおいてもらえないかと祖父に頼み、それを聞いた祖父はいつも通りのゆったりとした口調で

「構わないよ、君が使っている部屋は今は書庫みたいなもので殆ど使っていなかった部屋だ、居たいだけ此処になさい。第一君は美月の実の兄じゃないか」

そう言って、その代わりと言っては何だが、暇のある時にここしばらく学校に行っていない美月の勉強をちょっと見てやってくれと陽介君に言った、あとこうやってたまに台所を手伝ってもらえると助かる、君は料理が上手だからな。そんな風にまた祖父は私の言ってほしくない事をさらりと言ってほしくない人に言った。でもその瞬間、ほんの少し眉間に皺の寄った私の表情を見逃さなかった陽介君は、大丈夫、俺だって学校行ってなかった時期があるよと言って笑った。

「え?いつ?」

「今」

「そっか、そうだね」

私は笑った。陽介君は大学を卒業するためにはあと卒論をひとつ書かないといけないらしい。それと仕事、就職だ。来年無職のままなし崩しにあの父のカバン持ちに就任する事だけは避けたい、そう言ってわざと深刻そうに眉根を寄せながら、今度は2ついっぺんにから揚げを食べた。祖父はそんな陽介君を見て普段はあまり飲まないビールを飲みながら

「俺は博士号を取る頃は近くの私立高校の臨時講師、アルバイトみたいな身分のまま30近い年齢になっていたし、最後の1年にはもう月子と陽子がいたから、いづみさんがピアノ教室でバイエルとブルグミュラーをひたすら子どもに教えて稼いでくれて、俺は講師職をひとまず辞めて、陽子を背負って月子を抱いて家で炊事やら洗濯やらをしながら夜中に論文を書いてたんだ。主夫だな。昔の事だから周囲には色々と言われたよ。でもそれを思えば君はまだ23歳だぞ、卒業が1年位遅れたからと言ってそう気にする事は無いさ」

そう言って笑い、隣の月子さんは無表情で私が適当に千切ったやたらと大きいレタスの葉を箸で器用に切っていた。でもその月子さんも多分陽介君を擁護するつもりではなく純然たる真実を告げる形で、何故だかとても厳かに

「私は学士修士博士の学位は全て在学期間を超えることなく取得しましたが、44歳の今、無職です」

そう言った。

「そうだな、ここはモラトリアム人間の巣窟だ。でも誰も何も気にするな『天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある』今は時を待とう、俺達は愛する肉親と大切な友人を亡くしたばかりの4人と1匹なんだから」

「先生なんですかその『すべてのわざにはときがある』ってやつ」

「コヘレトの言葉、旧約聖書の一文献の中の一節だよ、この続き、何だったかな月子」

「生るるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり…とにかく神羅万象のすべてには神の定めた時があるという言葉です『神のなされることは皆その時にかなって美しい』そう結ばれています。私達の如き卑小な存在が何をどうあがこうがすべては時が来なければ動かない、ただ待つしかないのだと、そういう言葉です」

「月子の解釈は旧約的というか人間という存在に対していつもとても辛辣だけどな。俺は、逆にこの時代の文献の中では神というものが人間にとても甘い感じがして結構好きなんだよ。俺達はただ時が来るのを待つしかないんだ、そして、それでいいんだ」

祖父は笑い、すももがにゃあと啼いた。陽介君のお母さんがこの場にいてこの会話を聞いていたらちょっと怒るかもしれないな、私はそう思った。

☞2

『大丈夫、ここに来ることは絶対に100%、イヤ200%ないから』

翌日の朝、もう一度小声で私に言い残してから今日は交通整理の単発バイトなんだと言って出かけた陽介君は、玄関から外に一歩出た時、普段から祖父がマメに手入れしている庭の生垣の一角を見て

「あ、侘助。あれウチの庭にもあるよ」

白地の花弁に薄桃色の模様のある小さな椿を指さした。

「アレ、椿じゃないの」

「ううん、椿なんだけど、その中でも『侘助』って言う名前なんだよ」

「凄いね、そんなこと分かるんだ」

私は聞き慣れない花の名前を「猫のヒゲって結構硬いよね」位の、みんな知っている周知の事実みたいに普通に告げた兄にちょっと感心して、陽介君が出かけた後に庭に出てその『侘助』を花鋏で切って祖父の部屋の書籍の地層を掘って探し出して来た一輪挿しに生けておいた。でもそれはバイトを終えて帰宅した陽介君がその花を見て喜んでくれるかなとか、そんな風に思ったからではなくて

『お母さんが好きな花なんだ、俺の方のね』

陽介君がそう言ってほんの少し笑ったからだ。陽介君のお母さんの中で長い時間をかけて熟成された不幸の澱の成分の1人である私がそんな事を考えたところで何の意味もないし、それはむしろ大きなお世話だとは思うけれど、陽介君のお母さんが今日は少しだけ元気だといいなと、そう思って。この日、陽介君はバイトで、月子さんはハローワークで、祖父は大きな手術をして入院している大学時代の友達のお見舞いに出かけていて、不登校児の私と、特に毎日何処にも出かけなくてもいい家猫のすももが留守番だった。祖父は

「この歳になると、周囲が病人と死人で溢れかえるな、私用での外出の用事の殆どが葬式か病院だ、致し方なし、生老病死は世の理か」

なんだか縁起でもない事を言って、昼すぎには戻るからと縮緬の風呂敷にキルケゴールというデンマークの昔の人の本を包んで出かけて行った。『死に至る病』そんなタイトルの本、いくら変り者の祖父のそのまた変り者の友人でも手術の後の病床で読みたいものだろうか。それと内田百閒の『御馳走帖』、これはタイトルを見て流石に私が止めた。

「おじいちゃん、それって多分だけど美味しいものが沢山書いてある本だよね、お友達って胃がんだったんでしょ」

おおそうかと言って、祖父はその本を本棚に引っ込めていた。月子さんも帰って来るのは昼過ぎだ。私がいくら皆に全てを容認されている甘えた不登校児でも掃除くらいはしておかないと、そう思って納戸に掃除機を取りに行こうとした時、玄関でチャイムが鳴った。誰かが忘れ物でもしたのかな、それかまた祖父がネットで高価な専門書でも買ったのか、そう思って玄関の鍵を開け、もうだいぶ前から建て付けの悪くなっている引き戸を力を入れてこじ開けると、そこには、あれは何というんだろう、北欧の深い海みたいに美しい青色の柔らかなノーカラーコートに、その裾から見えるベージュのスカートがとても上品な、多分月子さんと母よりは幾分か年上の見た事の無い女の人が背筋を伸ばして立っていた。

少し緊張した表情なのが私にもわかる、あまりにこやかとは言えない、少し思いつめたような表情。

「あの…こちらに息子の、谷川陽介がお世話になっていると聞きまして」

陽介君のお母さん。

私はバケツ3杯分位の量の氷水が突然頭上から降って来たみたいに頭も背中もとにかく全身が冷たくなった。

『200%ここには来ないから』

なんて陽介君の大嘘つき。どうしよう、どうしたらいいんだろう。目の前の少しふっくらとした丸顔の固い表情の人にとって私は生涯会わなくていい生き物の筈だ、だって本来なら居てはならない子どもなんだから。それにこの時間をあえて選んで突然ここに現れたのは、きっと私が学校に行っていると思っていたからに違いない、絶対私には会いたくなんか無かったはずだ。私の頭はせわしなくそして冷静に目の前にある事象を俯瞰的に分析し推理していた。それなのに、次に私の口をついて出たのは

「今、祖父も、叔母も、陽介君も出かけていて留守で、あの私、中原美月です」

私以外の家族全員の不在報告と、何故か自分自身の自己紹介だった。どうして自分から自分の事を名乗ったりしてしまうんだろう、私のバカ。

「ああ…そうよね。初めまして、陽介の母です」

そこに対峙した、本来、陽介君という異母兄よりも更に交わってはいけない関係にある筈の私達の間には少しだけ張りつめたようなそうでもないような妙な空気が流れた。けれど今誰も大人が居ないという私の言葉を受けて、それならまた改めてご挨拶に伺います、それで良かったらこれと言って、陽介君のお母さんがきれいな色の紙袋をこちらに差し出して来たので、私はその時、これもどうしてそんなことを言ってしまったのか自分でも全然分からないのだけれど

「良かったら上がってください、あの、お茶、コーヒー淹れます。猫、この猫もお客さんが大好きなんです、陽介君にもすごくなついてて」

すももを抱き上げて、碌に掃除もしていない家の中に陽介君のお母さんを『あがって下さいと』招き入れていた。陽介君のお母さんは突然私が、さっきまで眠っていた余韻の残るぼんやりと虚ろな目つきの三毛猫を抱き上げて目の前に突き出して来たので、多分不意をつかれた形になったのだと思う。ちょっと笑ってから

「あの子、動物が好きなのよね、ウチでは世話が行き届かないからって飼ってあげられなかったんだけど、昔からそうなの」

そう言ってじゃあ少しだけと、そのまま上がり框に足を掛け、とても自然に、そしてうんと品の良い所作で靴を揃えて家の中に入って来てくれた。その時の動きというか姿勢が、陽介君のしぐさにとてもよく似ていた。私がとりあえず掃除の済んでいない居間を避けて、比較的片付いている和室に陽介君のお母さんを通した時、どうぞと座布団を勧めた私の言葉に応えるより先に、その人は床の間にある白い包みの前に座って手を合わせて静かに一礼した。母の遺骨にだ。間柄はともかく死者は敬うべきだと聞いてはいるし、この人は、きっととても良識のあるたしなみの深い人なんだろうと、その時の私は思った。

『料理はともかく煎茶とコーヒーとあと紅茶?そういうのは美味しく淹れられるようになりなさいよ、水割り作れとは言わないからさ、お客さんが来てくれた時に来てくれてありがとうってちゃんと伝わるようにね、ウチはとにかく人がよく来る家なんだから』

それが母の数少ないしつけと言うか教えのひとつだった。だから私はお茶を淹れるのだけは得意だったし、祖父も私の淹れるコーヒーが好きだと言った。美月は手が遅い分、急いで乱暴に抽出しないのがいいのかもしれないな、祖父は私が淹れたコーヒーを飲むと、いつも褒めてくれているようなそうでもないような事を言う。そのコーヒーを一口飲んで陽介君のお母さんは

「美味しい」

と言って少しだけ微笑んでくれた。でも私は、多分私の事をどう考えても好意的に捉える事なんかできないだろう人を自分から家の中に招き入れておいて、何を言ったらいいのか、どんな表情をしたらいいのか皆目分からなくてつい、母の遺骨のある和室に通したこの人に向かって、台所からコーヒーを運んで来たお盆を膝においたまま衝動的に

「あの…なんかすみません、母の事とか、私が生まれて来てのうのうと育ってて今もう15歳になってる事とか…ほんとにごめんなさい」

自分の根本的な、祖父が好きな言葉で言うと実存についての謝罪の言葉を口走って最敬礼をしていた。いや、正座していたから土下座かもしれない。陽介君のお母さんに15年前、下げたくない頭を下げさせた原因の1人である私くらいは目の前のこの上品な人にちゃんと謝っておかないといけないんじゃないかと、咄嗟にそう思って。陽介君のお母さんが『自分はある日世界から突然消えても誰にも気にされたりしない、何の価値も無い人間なんだ』と言って泣いたという昨日の陽介君の話が私の中に小さな、そしてうんと固い棘みたいに引っかかっていたのだと思う。私も陽介君のお母さんと同じような気持ちになっていたのかもしれない、私は人と自分の気持ちの境界線がいつも曖昧だ。でもそうやって私が頭を下げて謝罪した様子を見た陽介君のお母さんは驚いて手に持っていたコーヒーカップをガチンと音をたててソーサーの上に置いた。

「やだ、止めて頂戴。貴方は何も悪くないんだから」

そう言って、和室のテーブルを挟んで私の向い側、正面に座っていた陽介君のお母さんは膝で歩くようにして静かに私の隣に来て、寄ってしまったスカートの皺を少し直してから

「持って来たお菓子、食べましょうか。中学生の女の子ってどういう物が好きかよくわからなくて、可愛いクッキーの缶にしたの。童話のモチーフのクッキーなのよ、でもちょっと子供っぽかったかしらね」

そう言ってさっき私に渡そうとした紙袋の中から綺麗な包装紙に包まれた箱を出してきて、それを魔法みたいな手際の良さで開けてくれた。そこには色々な種類の色とりどりのクッキーの詰め合わせ。

「私ね、一度、貴方が小学校1年生になった年に貴方と陽子さん、貴方のお母さんをこっそり見に来たことがあるの。ごめんなさいね、失礼なことして。浮気沙汰とかもっと酷い事なんかいくらでもやって来たあの人が子どもまで作った人って一体どんな人だったのかなあって。私はこんなだけど、あっちの女の子を産んだらしい人は、写真では見た事あったんだけどね、でも実物はきっともっと綺麗な人なんだろうなってずうっと思っていて、それで貴方が産まれて…だからあれは7年後ね、どうしてその時そんな事しようと思ったのか、それはよく覚えてないんだけど、ここの駅の裏手にあるあのお店までそっと貴方と貴方のお母さんを見に来た事があるのよ」

突然そんなことを言い出した陽介君のお母さんは、私が台所に小皿を取りに行くより先に、キャメル色の革のハンドバッグから小さな和紙の束を

「これお懐紙って言うのよ、お菓子を取り分けたりする時に使うものなの」

そう言って取り出して、クッキーを取り分けてくれた。甘い物好きかしら?陽介君のお母さんが私にかけてくれる言葉には不思議なくらい棘も険も無い、とても優しい音がした。

「あの時は、私ね、探偵みたいにお店の前で張り込みしていたの。開店前の時間、お店にいらっしゃる時に顔だけ見られたらそれでいいからって思って。そうしたらね、貴方とお母さんが商店街の向こうから手を繋いで楽しそうに歩いてきたの。実際に見た貴方のお母さんは本当に華やかできれいな方だった、ハイビスカスの花みたいな人。それで貴方とお母さんがお店の前に着いた時にね、貴方が急に不機嫌そうな顔をして『やっぱりたい焼きが食べたかった』って言い出したのね。貴方は手に食べかけのアイスクリームを持っていたから、きっとおやつにどちらかを選びなさいって言われたんでしょうね。そしてそれはきっとお母さんがお仕事に出る前のちょっとした我儘だったのよね、お店が開いたらきっと貴方はお家に戻らないといけないのだろうし。そうしたらね、陽子さんが『アンタがアイス食べるって言ったんじゃん!』って言って、私は、あ、叱られるのかなって思ったの。でも次の瞬間、陽子さんは貴方が手に持ってたアイスのコーンにかぶりついてね、さくさくって全部食べて飲み込んでしまってから貴方のことおんぶして、走ってもと来た道を戻って行ったのよ、大股の全速力でよ。あの時、陽子さん大きな花模様のプリントされた裾の長いワンピース着てらして、それにうんと踵の高いピンヒール、それなのに全速力」

陽介君のお母さんは楽しそうにふふふとハンカチで上品に口元を押さえて笑った。私もそれは覚えてる。あれはたまたま祖父が大学の会議で遅くなる日で、お母さんの店の開店の準備について行った日の事だ。母と商店街を手を繋いで歩きながら、おやつにアイスかたい焼きかどっちか買うから選びなさいと言われて、さんざん悩んで迷った挙句アイスクリームを選んで、でも母のお店の前に着いた時、やっぱりたい焼きがよかったと言ったんだ、アイスは半分以上食べてしまっていたのに。あの日、私はお店が開店してもお母さんの隣にずっと居たかったけどあと数時間したら祖父が迎えに来て、夕方の賑わいのすっかり消えた人の少ない夜の商店街を祖父と2人で歩いて自宅に帰らないといけない、母が帰宅するのは深夜。そんな予定に少しだけすねていたんだと思う。そしてあの時、確かに母はあけみちゃん達に

「陽子、アンタそれ高島屋の紙袋みたいな服よねえ」

と言われていた白地に真っ赤な薔薇の柄のワンピースを着ていた。

「覚えてます。本当はあの時間、酒屋さんの配達なんかがあって早くお店を開けておかないといけなかったのに、私がそんなこと言ったから母が全速力でたい焼き屋さんまで戻ってくれて、カスタードクリームのたい焼き買って半分こして食べたんです。頭の方、いい方を貰って食べました」

「陽子さんと貴方がお店の前に戻って来た時もね、まだ陽子さんは貴方をおんぶしてて、それで流石に息をきらして「アンタ重くなったわ~」なんて仰っていたけど、背中の貴方はとても嬉しそうに笑っていて、可愛らしい子だなって思ったの。陽介に何となく似てるなって。7歳なんてまだまだお母さんに甘えたいさかりよね。陽子さんはそのこと、よく分かってらしたのね。良いお母さんだなって、羨ましいなって思ったの、今でもよく覚えてるわ」

「羨ましい?」

「私ねえ、母がとても厳しい人だったの。ああ、今も元気に生きているのよ、ついこの前も叱られたわ、いい年して家出だなんてみっともないって。私ね、今色々あって家出中なの、陽介とおんなじ。それでね私、貴方のお母さんよりちょっと年上の、本当にもういい大人なんだけど、未だに母親に叱られるとおどおどしてしまうのよ。普段の生活でも、こんな事言うとまたお母さんに怒られるかしらって思ってつい言いたい事もやりたい事も怒りたい事も泣きたい事も全部、我慢して自分の中に飲み込んでしまうの。きっと自信がないのね。貴方みたいに、お母さんに大切にされて、愛されて育っていたら少しは違ったのかしら」

私は、そんな風に言って一瞬寂しそうな顔をした陽介君のお母さんに何か言ってあげないといけな気がして、自分の中にあるなにか良さそうな言葉を探した。陽介君のお母さんが元気になる言葉。

そんなことないですよ、だって私は、私だって大体の事に自信なんか無くて、今は母の死という不測の事態に便乗して学校にも行かずにモラトリアムを決め込んでいる人間なんです。そう言おうとしてふと、この陽介君のお母さんが、心底疲れ果てて長野の実家に戻った日に実のお母さんに家に入れてもらえずに玄関で追い返されたという、昨日の陽介君の話を思い出した。そして、どうして自分がさっき陽介君のお母さんが「玄関でお暇します」と言った時、衝動的に家に上がってくださいと猫まで差し出して誘ってしまったのか、その不可解な自分の行動の理由を少しだけ理解した。何故この思いつめた表情の人を、家の中に招き入れずに帰してはいけないような気がしたのかを。陽介君のお母さんは、さっきの出来事を反芻して何も言葉を発しない私に、こんな風に話を続けてくれた。

「あの、ごめんなさいね、お母様を亡くされたばっかりの貴方に突然お母様の思い出話なんて。私ったら、お悔やみもお伝えしないで。でもね、あの…これは悪意みたいな、今更貴方や陽子さんに文句があるとかそういう事じゃないの、第一今日は谷川陽介の母として、お世話をおかけしている中原家の皆さんにお詫びとご挨拶に伺った訳だし、それにね、私陽子さんとは何ていうか…あの、お友達なの、ずいぶん前から」

友達?

妻と、その夫の愛人が?

「え、あの、ウチのお母さんとですか、陽介君のお母さんが?どうして、何で?どうやって?」

確かに死んだ母は誰とでも直ぐに仲良くなってしまう人だったけれど、流石に陽介君のお母さんと仲良くなるのはハードルが高すぎるんじゃないだろうか、第一双方の関係性がそれを許さないだろうし、毛色が違いすぎると言うか、ウチのお母さんは高島屋の包装紙で作ったみたいな無駄に派手でチープなワンピースの人で、陽介君のお母さんはその高島屋の2階婦人服売り場のハイブランドのお店で売っている綺麗で上質なツーピースの人だ。それに陽介君のお母さんとウチの母とでは物腰の上品さとか所作の美しさが全然違う。ウチの母は大ジョッキを10秒で一気飲みする人で、陽介君のお母さんはコーヒーカップの上げ下げさえとても優雅な人で、母は確かに華やかな夏のハイビスカスかもしれないけど、陽介君のお母さんは…ああそうだ、侘助、母のお骨の横に飾った一輪挿しの、控えめで凛とした冬の花です。私がそんな風に言うと陽介君のお母さんは私よりもっと驚いた顔をして床の間を見た。

「侘助…好きなの?茶花を知っているのね。お茶、やってるの?」

「いいえ全然そんな。それは今朝、陽介君が私に教えてくれたんです。侘助が咲いてるねって」

「あの子が…」

陽介君のお母さんは床の間と私の顔を交互に見て、少しため息をついてから

「あのね、私ね、何となく昔からずっと続けてるから、お茶の講師をしてもいいですよっていうお許しを頂いていてね、それが唯一の趣味みたいなものなの。それで色々あるお点前の仕方とかお茶室に飾る掛け軸とかお花、それを茶花って言うんだけど、そういうのを忘れないように、たまに陽介を相手にして教えていたのよ。そうなの…あの子、侘助の事ちゃんと覚えてたのね。あんなにイヤイヤ『付き合ってやる』みたいな顔してた癖に」

嬉しそうにそう言って、それから『陽子さんとは友達』という話の、真実というかいきさつを私に教えてくれた。

「貴方と陽子さんを見に行った数日後かしら、私またお店に行ったの。あの時はね、夫がまた色々と面倒な事を起こしてて、よその奥さんと不倫…じゃなくてあの好きになって色々あってね、いやだこんな話、駄目ね、まだ中学生の貴方の前で」

「いえ、父が…そうじゃなくてあの、陽介君のお父さんがちょっと色々ある人物だって言うのは、数日前から今日まで陽介君から散々聞きましたから」

「あの子、父親の事、貴方になんて言ってたかしら?」

「普通に、恥だって」

それを聞いた陽介君のお母さんは、はじけるように声を上げて笑った。とても楽しそうに。そうなのよ、本当に恥ずかしいのよ、イヤになっちゃうのよね。よかったわあの子が「俺もお父さんみたいになるんだ」とか言ってなくて、そう言って笑いすぎて目の端にこぼれてきた涙をハンカチで拭いた。

「それでね、その事で色々ややこしい事があって、私もう凄く気持ちがくたびれていたのね、ううん不貞腐れてたって言うのかしらね、誰かに当たり散らしてやりたいって気持ちになった時に、たまたまその日の出先が陽子さんのお店の近くでね、あの駅前の道にさしかかった時に、私タクシーに乗っていたんだけど、止めてくださいって言って車を降りたの。それで開店してすぐの時間のお客さんが1人もいないお店に入って、入り口で『私、谷川光太郎の妻です』って名乗ってから、カウンター席にどかっと座ってね、普段そんなもの飲まないし、そもそもお酒なんか全然飲めないのに水割りくださいって言って、それを半分一気に飲んでからまくしたてたの。貴方は良いわよねって、凄く綺麗だし、まだ若くて、それにご実家のお父様だって理解があって、お嬢さんは可愛らしいし、このビルとお店のオーナーで事業主なのよね。私はね、議員の妻なんて言っても毎日毎日下げたくない頭を下げて、付き合いたくない人の企みに参加して。今日なんて何して来たと思う?夫の愛人の更にその夫に慰謝料を届けに行ってたの。もう通算何回目かしら『奥さん大変ですねえ』って半笑いで同情されたわ。でも家に帰っても夫はそんな事知らんぷりだし、夫の両親はまあ許してやってくれ陽介もいるんだしって、私の事なんかみんな便利な謝罪用の私設秘書位にしか思ってないの、私に人権も尊厳も無いのよ、あるのは健康で文化的な最低限度の生活だけ、この服だって靴だって持ち物全部、議員の妻らしく見える為のお仕着せなのよ、本当にバカみたいって」

完全な八つ当たりだ。

私はそう思ったけれど流石にそれを口には出せなかった。でもきっと母はそれを黙って聞いていた筈だ。お酒を飲む店にはそういう、近しい人や親しい人には言えない愚痴や文句をただ聞いてほしいと思っている一見さんがふらりと来る事がある。そういうのを「そうなの、大変だったね」ってそれだけ言ってあとは静かに黙って聞くのもアタシの仕事なの、そんな事を母はよく言っていた。そういう時、母は相手に解決策も励ましも何も言わずにただ、静かに黙って話を聞くのだと言っていた。

「助言とか励ましとかね、そういうのは軽々しく人様に言うもんじゃないと思ってるし、大抵の人は自分の中にちゃんと答えがあるもんなの。みんなただ自分の話を聞いてほしいのよ」

それにアタシ脊髄反射的に良い返しというか言葉が出てくる人間じゃないの、頭良くないしね。そんな風に自分の事を評価していたけれど、そんなことは無いと思う。母は、底抜けに明るくて元気で四六時中喋っているような人だったけど、同時に人の話をとても上手に聞いてあげられる人だった。

「それでね、そこまで陽子さんは黙って私の話を聞いてくれていたのね、嫌そうな顔でもない、かと言って私の事を憐れんでいる顔でもなくて、ただ穏やかに頷きながら一通り話を聞いてくれて、私が罵詈雑言に近い愚痴を全部吐きだし終わってから、ひと息入れて私に聞いてきたの、ねえ美月ちゃん、美月ちゃんて呼んでもいいかしら、ね、陽子さん私に何て聞いてきたと思う?」

陽介君のお母さんが悪戯っぽく笑った。でもそれは若輩者も良いところの私にはちょっと想像もつかない修羅場だ。昔、愛人だった人の妻が突然自分の経営しているお店にやって来て、その人が暴言に近い八つ当たりの言葉を言いたい放題吐きだして、それを聞くだけ聞いて、次に訪れた沈黙の後、その人に何て言葉をかける事が適当なんだろう。

「名前…名前聞いたんじゃないですか、だって陽介君のお母さん、さっきから自分の事『谷川陽介の母です』とか『谷川光太郎の妻です』としか言ってないから。うちのお母さん、お店ではお客さんの事『お客さん』だなんて言わないでみんなの名前を聞いて覚えてそれで呼んでたんです。苗字じゃない方の名前。みんなその他大勢じゃない、人間は自分の名前を呼んで欲しい生き物だからって。お母さん、自分の事『頭悪い』って言ってたけど、人の顔と名前を覚える事が天才的に得意だったんです」

私がそう言うと、陽介君のお母さんはとても驚いていた。

「あのね、陽子さんもあの時全く同じ事言ったのよ、この話、もしかして知ってた?」

私は激しく頭を左右に振った。知っていたらもう少し玄関で冷静にスマートに振舞えたと思う。私、猫をエサに人様を家の中に引き入れたのは生まれて初めてです。

「そうよね、陽子さんとも、この事はお互いの家族には黙っていようねって約束したんだもの。でもそうなの、名前を聞かれたのよ、谷川光太郎の妻じゃなくてさ、奥さん名前は?苗字じゃなくて下の名前って。私、あの男の名前が冠についてる人とはあんまり話したくないんだよね、ちゃんと名前で呼び合って話そうよって。ちょっとびっくりしたわ、でもそれがとても嬉しかったの」

「どうして?」

私は思わず聞き返した。母が、あのろくでもない父の名前を聞きたくなかった点は理解できるとして、どうして陽介君のお母さんは名前を聞かれた事がそんなに嬉しかったんだろう。

「そうねえ、美月ちゃんには分からないかもしれないけど、私ね、結婚してから、お勤めしないでひたすら政治家の谷川光太郎の妻であり続けてきたのよ、それと谷川陽介の母。それだと普段の生活で自分の名前を呼ばれる事なんか本当に稀なの、大体、奥さんかお母さんか陽介君のママ、あとはオイとかちょっととか?フルネームで呼ばれるなんてせいぜい自分の用事で病院に行った時くらいかしら。だからだんだん自分が一体誰だったのか忘れそうになるのよね、自分なんか元々いなかったんじゃいかなって思うようになるの。私の名前、雪野っていうのよ。私、実家が長野の松本でね、その土地の大寒の大雪の日に生まれたから、雪の野原の雪野」

「きれいな名前」

「ありがとう。陽子さんも同じ事言ってくれたわ、それともう一つ『辛抱強そうな名前。雪野ちゃんてさ、なんでも全部我慢しちゃう性格でしょ、私が我慢したら全部丸く収まるんだからって思ってるタイプだよね』って。私、水割りをグラスに半分飲んで、実際は騙されてただけで何の罪もない陽子さんに夫と別れて7年も経ってから会いに行って八つ当たりみたいな愚痴を垂れ流してたのよ、それなのに全然嫌な顔しないで『雪野ちゃん、アタシが娘産む時、養育費のお金とか、そのための手続きとかあとホラ、ウチの父が受け取らなかったらしいけど慰謝料とかそういう事、弁護士さんと一緒に全部やってくれて一部は直に持って来てくれたんでしょ、父から聞いてる。光太郎は、アイツはそういうの一切やらない人間だもんね。なんかごめんね凄い嫌な思いさせてちゃって。それとありがとう。あん時おなかにいた子ね、もう7歳なの、小学生。何とか食わせて育てられてるのって雪野ちゃんのお陰だよね。よかった、今日来てくれて』って。それまでずっと夫の愛人とかその他のいろんな事の後始末をやって来て、相手に御礼を言われたのはあれが最初で多分最後よ。謝罪された事なんか勿論無いし、会えてよかったなんて言ってもらった事も初めて。それでね、陽子さん私に美月ちゃんの写真を見せてくれたのよ、携帯に保存してあるのをね。あれは小学校の入学式ね、桜色のランドセルを背負って嬉しそうにしている可愛い女の子の顔がね、陽介の小学生の頃の顔にそっくりで、思わず私も陽介の写真を見せたの、あの時の陽介は中学生だったかな。それで2人して『似てるね!きょうだいだもんね』って笑い合ったの。不思議よねえ、私達はアカの他人で何なら確実に険悪な間柄になる2人の筈なのに、子ども達を通した時にひと組のきょうだいの母親同士になるのよね。そうしたらそこになんだか妙な連帯感が生まれてしまって、それで、私達は友達になったの」

陽介君のお母さん、雪野さんが『私の友達の陽子さん』の話をする時、その声がとても明るくて、私はとても嬉しくなった。私が知らない母、私が知らなかった母の友達。

「だから美月ちゃんの事もずうっと前からよく知っていたのよ、私、時間のある時に開店前のお店にたまに顔を出して陽子さんと少しだけお酒飲んだりお菓子食べたりしてお互いの子どもの事話したり愚痴聞いてもらったりして、それが私にとって、自分の無い生活の中の数少ない楽しみだったの。贅沢な話よね、衣食住に一切事欠かずに夫の稼ぎで暮らしているのに不満だらけなんて。でもそれはさっきも言ったけどただの『健康で文化的な最低限度の生活』なの、ただそれだけなのよ。陽子さんのお店でうんと薄く作ってもらった水割りを飲んで私が家から持って来た到来物のチョコレートだとか落雁だとかね、そういうお菓子をつまみながら『雪野ちゃんいつ離婚する?陽介君が大学卒業して就職できたら?そうしたらさ、子ども達連れて一緒に温泉行ったりしようよ、アイツはもうお払い箱だよ』なんて2人して夫の悪口言ってる時だけ、今の美月ちゃん位の年頃の女の子みたいな自由な気持ちでいられたの。公人である伴侶の悪口を女子中学生みたいに自由に言いたい放題言うなんて事出来るのは陽子ちゃんの前だけだったのよ。おかしいわよね、美月ちゃんからしたら、そんな人となんで長々と結婚生活を続けているんだろうって不思議に思うでしょう。でも離婚てね、とても難しいの。特に私みたいにしがらみだらけの家と親とその他もろもろが背後にびっしり張りついている人間にはね。陽子ちゃんもそれを分かってて、冗談みたいにしか私に離婚なんて言わなかったけど、雪野ちゃんが自分で自分の事を『辛抱強い人間だ』って思っていたって、それと傷ついてない事とは全然別の事だっていつも言ってた。私の妹で姉でお母さんみたいな子だったわ。でもここ数年夫の周辺が騒がしくなって、それを追って、私が体調を崩してからは、お店から足が遠のいていたの。そうしたら秋ごろかしら、手紙が来たのよ、私は家出中だったから夫の秘書が私の所にそれを持って来てくれて、差出人の名前は無かったけどすぐに陽子さんからだって分かった。私があんまりお店に来ないから心配しているのかなって、もしかしたら、私が体調を崩しているのを勘づいたのかもしれない、あの子、人が抱えているちょっとした不調とか辛さみたいなものを直感的に感じ取れる子だったから。でもそうしたら手紙の中にはね」

母が病気でもうあと幾許も無いという事が書かれていたらしい。雪野さんは、バッグからそっと水色の封筒を出して来て私に差し出した。大切なものだからいつも持ち歩いているの、これ、実物よと言って。

母の字だった。

「読んでみて、私に届いたものなんだけど。これは貴方への遺言みたいなものでもあるから」

雪野ちゃんへ

突然ですが私は今がんで入院しています。緩和ケア病棟っていう所。お医者さんが言うには、もうあと打つ手はないそうで、冬ぐらいにはこの世からサヨナラしないといけないらしいんだって。自分で書いていてすごく変な感じ、自分が死ぬなんてね、まだまだずっと先の事だと思ってたのに。

自分は生まれた時から、母親は私にとにかく甘くて、父親は自由というか放任で、実は遠くで暮している超賢い妹もいるんだけどその妹とも仲が良くて、雪野ちゃんみたいな友達もいて、やりたい放題の人生でした。だから自分の事についてはそれ程思い残すこともないの。あれがやりたかったとか、ここに行きたかったとか。でも雪野ちゃん達と温泉に行けなかった事は心残りかな。

今は、娘の美月の事だけが心配です。あの子、私に似なくて結構賢いんだけど、私がほったらかしにして育てたから本当に何にも出来ないのよ。それでこんなことを雪野ちゃんに頼む事が正解かどうかは分からないし、多分雪野ちゃんも今とても大変なんだと思う、きっと体調が良くないんじゃないかな、雪野ちゃんがお店に暫く顔を見せない時は大体雪野ちゃんが何かに疲れて落ち込んでいる時だから。でももし、もし出来るなら私が死んだ後、美月の事を何かの形で助けてあげてくれないでしょうか。

美月は私が死んでしまったら近くにいる身内が今75歳の父しかいなくなるの。父は超の付く呑気者で100歳まで生きるタイプの人だけど先の事は分かんないし、美月は優しい性格なんけどちょっと気が弱い所があって、すぐ思いつめる性格の子だから、何かあった時に味方になってくれる家族みたいな人がもう少しいたらよかったんじゃないかと今更後悔しています。あんなに言い寄ってくる男が掃いて捨てる程いたんだから父親とかきょうだいとかあと5,6人作っておくべきだったなって。もう何書いてるかわかんないけど、とにかく何でもいいから美月の味方になってあげてください。

「あの子を残して死ねないわ」なんて私、散々お店で冗談言って来たのに、いざその状況に自分が置かれた時、死ねないって言っても時間は容赦なくやって来てしまうものなんだね、本当にびっくりしています。

雪野ちゃんには、この先の人生を幸せに、もっと言いたい放題やりたい放題に生きて欲しいと思ってます、絶対そう出来るはずだから。

あとね、雪野ちゃん、自分の事平気そうな顔でブスって言うのやめて。そんな事全然ないし、言うたびに誰よりも自分が傷ついてるんだから。

これまで本当にありがとう。8年前のあの日、その時の勢いだけの八つ当たり的な理由でも、お店に来てくれた事、本当に嬉しかった。

中原陽子


私は言葉が出なかった。

母の、私への執念にも似た愛情。

「だからね、私、昨日陽介から電話を貰って、前に下宿させていただいていたお店が無くなったのは人から聞いて知ってるけど、今一体どこで寝泊まりしているの?ちゃんとした所なの?それともお友達のお家?女の子の所じゃないでしょうね、それは止めて頂戴よ、あちらの親御さんにお詫びなんてしたくないわってあの子に言って『俺の大学の先生だった人の家。文学部の教授だった中原悟朗先生のお宅にお世話になってる。元大学教授だぞ、身元のしっかりした人だろ、だから心配いらないから』ってそう言われた時にね、本当に驚いて暫く息が止まっちゃったのよ。陽子さんの貴方への執念を感じたわ。貴方を、自分のいなくなってしまった世界で決して1人にはしないってぞって言う、あの子の執念」

雪野さんは、去年の家出事件から、入院して退院して1人暮らしをしている今まで、ずっと体調不良で寝たり起きたりの生活をしていたのだと言う。

「陽介にははっきりと言わなかったけど、軽い鬱なの。年齢的なものなのよ。美月ちゃんは丁度思春期で、気持ちが不安定になりやすい時期よね。それでね、私みたいに50歳位の女の人も、更年期って言って気持ちや体調が不安定になりやすい時期なのよ、長年の不満と我慢の汚い澱が体からあふれ出して流れ出て来る、そういうお年頃なのねきっと。それがずっと辛くて、陽介から電話を貰った時も、ああもう陽介が留年こそしてしまったけれど自立してるって自分で言うなら、もう私は必要ないんだし、私はこの世から用なしだなって、そう思って少し泣いたりしてしまったんだけど、電話を切った後ね、陽子さんが自分の死の直前に用意した色々な仕掛けがあの子の葬儀から1ヶ月もしない今、もう回り始めているんだと気づいた瞬間にね」

自分も大切な友人から託された遺言を実行しなくては、そう天啓が下ったようにひらめいて、数カ月ぶりにお化粧をして、クローゼットからよそ行きの洋服を引っ張り出してここに来てくれたのだそうだ。

「今日、ベッドから無理に這い出してでもここに来られて良かった。あの時の、小学生だった女の子がこんなに大きくなって、ね」

雪野さんはそう言って私の頭をそっと撫でてくれた。私は、母の友人である人の優しくて温かな掌をつむじに感じながら、陽介君のあの優しい性格がどうやって生まれて育まれたのか、それが分かるような気がした。

そうして私達は少しだけここ数日の出来事を話したりして時間を過ごした。主に陽介君の事だ。きっと雪野さんは自分と同じように1年近く家出している息子の事を心配しているだろうと思ったから。陽介君が母にそそのかされて北海道まで行って蟹を沢山買って来てくれた事とか、私を見て直ぐに「妹だ」と言ってくれた事、陽介君は器用で蟹を剥くのがとても上手で、それと昨日美味しいから揚げを沢山揚げてくれた事。雪野さんはそんな他愛もない話を嬉しそうに聞いてくれた。あの子勉強は本当に、大丈夫かしらって心配になる位苦手だったんだけど、子どもの頃からキッチンに立っている私の横で料理を見よう見まねで覚えて、それがとにかく上手なのよねえ、それで夫はよく怒ってたわ、この家の跡取りを板前にでもするつもりかって。そう言ってちょっと困った顔をして見せてから、私にこう言った。

「それでね、私、暫く療養中だったからちょっとまだ外の世界に慣れてなくて…陽介も今、自立しようとしてるって本人がそう言うなら、今日は会わないで帰った方が良いと思うから今日はこれでお暇するわね。陽子さんの手紙ね、これは美月ちゃんが持っていて欲しいの、形見みたいなものでしょう。それとこれ、陽介に渡しておいてもらってもいいかしら、お母さんからって、嫌がるかもしれないけど、絶対に渡してやって」

「え、もう?陽介君きっと会いたいって思ってると思うのに…おじいちゃんも喜ぶと思うし」

いいのよ、そう言って手元の革のバッグから取り出した綺麗な色の柔らかな布の包みを私の手にしっかりと握らせた。桜色の袱紗、それは雪野さんの爪の色と同じ色をしていた。1年で1番寒さの厳しい大寒の日に生まれたという人の指先に宿る優しい春の色。

じゃあ、ね。そう言って雪野さんは世にも美しい型のお辞儀を私に見せて、縁側から和室の様子を覗きに来たすももの頭を撫でると、静かに家の玄関を出て行った。その時、玄関の脇に咲く小さな侘助を見て、ほんの少しだけ微笑んだ。

☞3

私が雪野さんの帰った後、和室の座卓のコーヒーカップを片付けている時に、カップを取り落として、大切な預り物の袱紗を汚してしまったのは完全に事故だし故意ではないし、だから中身を見ようとして見た訳じゃない、それは絶対。

あの綺麗な桜色の袱紗に、カップの底に2㎝程残っていたコーヒーがこぼれてしまった瞬間、もし中身が手紙や何かだったらきっと文字がにじんで読めなくなってしまう、そう思って私が慌てて包みを開けた時に中から転がり出てきたのは、陽介君の名前の印字してある通帳と印鑑、そして5cmほどの厚みのある白い和紙の封筒で、そこには達筆な毛筆で私の名前が書かれていた。

「私に?」

さっきまでここにいて私と話をしていた雪野さんが私に残した封筒。でも私宛の封筒がこの袱紗の中にあるなんて雪野さんは何も言っていなかった。この袱紗は、息子である陽介君に渡してとそれだけしか。陽介が嫌がっても絶対に渡してって。そして今日雪野さんは最初、玄関先で挨拶だけして帰るようなそぶりをしていた。でも私のおかしな誘いに乗って、家に上がり、その時に話してくれた衝撃的な事実と、今ここに残されている雪野さんの置いて行ったものの中味。私は何故だがとても妙な感じがして、いけないとは思ったけれど、封筒を開けた。そうしたらそこには見たことの無い枚数の一万円札の束と、それから和紙の一筆箋が入っていた。

美月ちゃんへ

生前の陽子さんから、自分が死んだ後に貴方の事を何かの形で助けてあげて欲しいと、手紙で頼まれていました。信じてもらえないかもしれませんが、私達はもうずっと長い間とても良い友人でした。大切な友人です。それでその大切な友人の1人娘である貴方に私が今してあげられることが何かを一生懸命考えましたが、自分の気持ちと体が思うに任せない今、私にはこの程度のお金をかき集める事位しかできませんでした。何て頼みがいのない友人でしょう。本当にごめんなさいね。

貴方が健やかに幸せに、素敵な大人の女性に育つことを陽子さんの友人として誰よりも、心から願っています。

さようなら

さようなら

なんだかとても嫌な予感がした。最後の「さようなら」の文字が薄墨で書かれている毛筆の滑らかで柔らかなこの前の文字に比べてひどく筆圧が強く、そして少し乱れているのにも違和感があった。雪野さんは今自分の体に起きている年齢的な変化とそれに伴う不具合みたいなものの名前を「軽い鬱なのよ」と言っていたけど、鬱という病気の、最高に状態が悪くなった時の、最終形態的に訪れるものって何だっけ。

私はその鬱に関して自分の持ち得る知識とその疑問への解答が脳内に到達する瞬間よりほんの少し早く、とても嫌な事に気づいてしまった気がして封筒と通帳と桜色の袱紗、全部をひっくり返して立ち上がって玄関に走り、祖父のつっかけを足に引っかけると、玄関の引き戸に手をかけた。でもその瞬間、引き戸が自動ドアのように勝手に開いた。

「只今帰りました」

月子さんだった。

私は、目の前の月子さんに今起こった事のあらましを説明しようとして頭の中をぐるぐると巡らせた。父の妻で私の兄の母である人が現れて、その人は雪野さんと言うのだけれど、実はその人は私の母とは友人の間柄で、雪野さんが置いて行った袱紗の中身が陽介君の名義の通帳と何より私宛の高額の現金と遺書めいた一筆箋で、だからもしかしたら今死のうとしているんじゃないか、こんな話、簡潔にまとめて伝わりやすく言うのは一体どうしたらいいんだろう。そんな事を数秒の間に考えて月子さんの私より少し高い位置にある顔を見つめたまま固まっていた私に、月子さんは静かに

「美月さん、お客様です。先ほど我が家にいらしていた方とご本人からお聞きしましたが、少々事情がありまして、再度我が家にお連れしました」

そう言って背の高い月子さんの背後に隠れている人を私の視界に入るよう、体をずらして見せた。

そこにはさっきこの家から出て行った筈の雪野さんが立っていた。

「雪野さん…」

私は体中から力が抜けた。よかった、今日初めて会う事ができた母の友達が無事で。

「あの…あのね、この方、陽子さんの妹さんなのね。私、妹さんと陽子さんが双子だったなんて全然聞いていなかったのよ。15年前の陽子さんと貴方にまつわる出来事でも、妹さんが最初に夫の不始末の交渉の為にウチに来たって聞いていただけだったから、陽子さんとは歳の近い妹さんなのかなって思っていたの。それで今、駅で偶然月子さんに会った時にね、陽子さんが生き返ったんじゃないかって驚いてしまって」

雪野さんがそう言い終わらないうちに、月子さんがその会話にかぶせるみたいにして口を挟んで来た。

「こちらの方が、駅で特急通過の直前、注意喚起のためのアナウンスが流れている中、白線の内側に下がるどころか、通過する特急に飛び込むような姿勢で体を線路に向けて傾けていらっしゃいましたので、大変不躾かと思いましたが咄嗟に腕を引いて声をおかけしたんです。そうしたら、私の顔を見て幽霊を見たような顔と悲鳴に近いお声で『陽子さん?』と仰ったので、陽子の知人か友人の方だと判断しました。私は宗教的に、いえ人道的に自殺…自死を看過することができません。素性をお聞きしたところ陽介さんのお母様で陽子の友人であるとの事でしたので、とりあえず我が家にと、ここにお連れしました」

「自殺だなんて誤解なのよ、ちょっとぼんやりしていてアナウンスがよく聞き取れてなかっただけなの」

焦ってかぶりをふる雪野さんに、月子さんは冷静に、そして容赦のない言葉を返した。月子さんは、世界に何があってもいつも冷静だ、多分今日がこの世の終わりでも。父の妻で陽介君の母親である雪野さんが母の友人だったという衝撃の事実に、何一つ驚いている様子が無かった。

「いいえ自死です。私は過去、京都の山の中で何度もそういう方にお会いしました。真夜中、市街地の外れの山の暗闇の中で死に場所を求めてさまよった挙句死にきれず、助けを求めてその山の更に奥深くにある私が暮らしていた修道院の門を叩く方は年に数名いらっしゃいましたが、皆さん先ほどの貴方と同じ表情をされていました。まるで蝋を塗ったように蒼白な血の気と表情の無いお顔です。貴方はそこの駅でまさにそういうお顔でした。死の淵を覗き込んでしまった方のお顔です。それに貴方が陽介さんのお母様で、それがどういういきさつでそうなったのかは想像がつきませんが、陽子の友人ですらあるとの事ですから、私としては今、貴方にどんなに大丈夫ですと言われてもこのまま貴方をご自宅にお帰しする訳にはいかないのです。これは私個人の考えではありますが、命は定められた時が来るまで、何があろうと自ら手を離すような事をしてはいけません。例えば今、貴方が死に至るような病に憑りつかれていてとても苦しい状況にあるとしてもです。さ、おあがりください。お嫌いでなければ三毛猫もいます、3年前陽子がこの家の庭で保護した猫だそうです」

月子さんまですももをエサに雪野さんを家の中へと誘ったので、私はそんな緊迫した状況なのに少しだけ噴き出してしまった。そうしたら雪野さんもほんの少し笑った。私、さっき美月ちゃんにも全く同じ事を言われたわと言って。月子さんは、そうですかといつも通りの真面目な顔をして、玄関に人の気配を感じてのそのそとやって来たすももを抱き上げた。

私は今度、いつも祖父が好んで飲んでいるほうじ茶を淹れた。雪野さんがどういう気持ちで母との思い出のあるこの町の駅で、駅を通過する高速の特急電車に吸い寄せられていたのか、それは分からないけれど。衝動的になのか計画的になのか、とにかく死の淵を自ら覗きに行ってしまった母の友達に、少しでも穏やかな気持ちを取り戻して欲しいと思って。鬱って『死』みたいなものに憑りつかれてしまうって一体、どういう感じなんだろう。

想像してみたら、少し首の後ろが寒くなった。

「さっきはごめんなさいね、ここのところ調子が大分よくなってきてお薬もつい一昨日の定期外来で減らしてみましょうって言われてたのよ、そこに陽介から電話があって、それが本当はとても嬉しくて、気持ちが乱れたのね。いつもいつも死にたいって気持ちに憑りつかれてる訳じゃないのよ、すごく前向きな日もあるの。特に1人で暮し始めた最近はずうっと調子が良かったの。だから油断したのよ、いつもの事がいつものように淡々と流れてくれない事にまだ対応できないのね。本当に情けないわ、母がここにいたらきっと叱られたわね」

私がほうじ茶を淹れている横で、月子さんと食卓に向かい合わせに座って、雪野さんはすこししょんぼりしたように下を向いて月子さんにぼそぼそと話をしていた。雪野さんは態度や言葉遣いは違っても、母と同じ顔をしている月子さんを前にすると気持ちが少し落ち着いたようで、今の正直な自分の気持ちや、体の状態を話していた。月子さんは人の話を聞く時はいつも表情を殆ど変えないし、無駄に姿勢が良い。でもそこに少しも威圧感がないのは、やっぱり母と同じ遺伝子で出来ている人間と言う感じがする。

「私は今の貴方の話を聞いていて、ひとつ大変に不思議に思うのですが、何故貴方が今、心身共に病気で弱ってしまっている事実について貴方がお母様から叱責されると言う結論が、貴方の中に導き出されるのでしょうか」

私は机にほうじ茶を、雪野さん、月子さん、私の順番に置きながら、月子さんの言い分に深く頷いた。

「お母さん、厳しいってさっき言ってたけど、病気の時もなんですか。だって鬱って病気でしょ。おじいちゃんのお友達もね、気持ちが塞いで好きだった本の文字が目で追えなくなって体がだるくて仕方がなくて、それで病院で診てもらったら鬱だったっていう人が割といて、誰でもなるもんなんだなあって、みんな真面目でいいヤツなんだ、いいヤツはそういう病気になりやすいんだろうなあって」

そんな風に言っていたのに。私は不思議だった、私は雪野さんのような病気になったことは無いけれど、例えば私の母は、私が小学2年生の夏にただの風邪だと思っていた軽い咳が実はマイコプラズマ肺炎で、寝入る時に平熱より少し高い程度だった体温が40度近くまで上がってしまい意識が朦朧としてふうふう言っている時、それがもう深夜で、救急車?ううん走った方が早いよねと言って祖父が止めるのも聞かずにタオルケットにぐるぐる巻きに包んだ私を近所の小児科医院まで抱えて走り、ものすごく迷惑な事にその自宅兼病院のドアをドンドン叩いて文字通りお医者さんを叩き起こし、そこから市民病院に病院間搬送をさせた人だ。その救急車の中で母はわんわん泣きながら、ごめんね、ただの風邪だなんて思わずに早く病院に行ったらよかったのにアタシのバカと派手に自責の念を吐露して救急隊員の人に『お母さんわかりましたから少し落ち着いてください』と諫められていた。だから私は親というものは、特に私には母親しかいないので、母というものは、無条件に子どもを心配してくれる生き物なのだと思っていた。でも、世の中には広いしそこには色々な人がいて親がいて、私が知り得る知識の限りではないのかもしれない。

「そうね、陽子さんはそんな人だったわね。言ってたもの、私がうっかりしてたら美月が肺炎になっちゃったって、点滴して鼻に酸素つけて可哀相だったって、私は雑で本当に駄目だわーなんて。あの年はマイコプラズマ肺炎が流行ってたのよね。優しいお母さんだったわね、いつも一生懸命貴方を育ててらしたわ。でもねえ、私の母は違うのよ。今も昔も娘の私にとにかく厳しい人なの。鬱だなんて人聞きが悪いって、気持ちの問題だって、体が健康なのに寝てるだけの病気なんて冥利が悪いってそう言うの、昔の人だから仕方がないんだけどね」

寂しそうに笑ってほうじ茶の入った湯飲みを包むように持つ雪野さんに、月子さんは決然とこう言った。

「仕方なくなどありません。貴方の、雪野さんのお母様と私の父とでしたらそう違わない年齢かと思いますが、父はその類の疾患の方を、気持ちの問題であるなどと言う安直な独断で判断する事自体を恥じている人間です。無知は罪であるというのが、彼の口癖ですから。そして多分、雪野さんのお母様とほぼ同じ歳だと思われる私の母は、かれこれ30年近く前に死んでいますが、精神的に落ち込んで何年も入院されている方に食べ物や衣類などの身の回りの事を世話して、その方にただ静かに寄り添うという事を個人的に長く続けていました。励ますでもなく急かすでもなく、何気なく傍にいるという行為をです。そして一見健康そうに見えてしまうそのような方々を訝る幼い私達姉妹に『あの方は今人生のお休み中だからいいのよ、夏休みかな、冬休みかな』そう言って他人の辛苦や生きづらさを貴方の価値観や物差しで判断するものでは無いと諭していました。年齢や世代間の常識の齟齬の問題ではありません。想像力と相手への深慮となにより敬意、そこの問題です。失礼ながら貴方のお母様には思いやりという物がありません、鬱というものはどんな立場のどのような方にもある時突然やってくるものだと、私は認識しています。特に年齢的に落ち込みのやすくなる年頃には、篤い信仰に精神を支えられている筈の同輩の修道女さえ鬱になり定期的に病院に通っていました。神さえ出し抜く疾患です、その点では神より病の方が人間に平等であると言えるかもしれません」

「月子さんは修道院で暮していらしたの?」

「はい15年程。終生請願をして生涯かの地で暮すつもりでしたが、諸般の事情でつい先ごろこの家に戻って来ました。現在は無職の、一般の人間です」

「どうして、その…修道院をお辞めになるって、そう決断なさったの」

「姉の陽子が死ぬと伝え聞いたからです。死に際にどうしても会いたいと、そのような個人的な執着が捨て切れない人間はキリストの花嫁として終生神に仕える事は出来ないのです。ですから、私は今、いわば出戻りです」

「お父様はその事、何ておっしゃった?」

この話の流れで、雪野さんが44歳の月子さんの人生の大きな決断を、その親である祖父がどう思っているのかを気にするのかが私には少し不思議だった。だってもう月子さんは大人だ。

「『ウチの娘達は2人とも男運が悪いな』とそう言って笑っていました。父は私や陽子が何をしようが、それが不法行為や道徳上許されない行為でないのであれば、多少一般的な常識を逸脱していてもとやかく言う人ではありません。個々の主義主張、思想と信仰は常に自由であるべきだと考える人です。我々は親子であっても全く別の個人であり他人であると、私達姉妹が年端もいかない頃から常にそう言っていました。兎角家族という特殊な常識の発生しやすい枠の中では、他人を他人であると認識する事が何より大切だと、さもなければ強固な支配の構造がそこに発生して親が子を食い殺す事になる危うい場所だと俺は思うと、『家族』という小集団にそういう殺伐とした評価をしている人ですから」

「おじいちゃんてそんな事考えてる人だったの?ただの孫と娘に甘くて雑な人なんじゃなくて?」

「ハイ、だからこそ父はその昔、母がやたらと色々な事情で困窮したり行き場を無くしたりした方を連れて来ては暫く家族のように共に暮らすという下宿屋のような我が家の状態に全く頓着していなかったのだと思います。それは今もですが。家族という集団が外界から遮断された特殊な空間になってしまう位なら、血縁の無い他者を定期的に取り込んでもっと広く薄くそして多角的な価値観をもつ者で構成された雑多な集団にしておく方が望ましいと考えていると言うか、そちらの方が面白いと思っているフシがあります。ただ単に来客が好きというのもありますが。母については完全に他者への愛です。隣人愛の本気の実践です。母は娘である私達にも他人にも同じように接していましたから。誰の事も否定しませんでしたし、何なら自分に関わるすべての方を、娘である私達を含めて本気で愛していました」

「あの…それってね、月子さんは小さな頃に『みんな大切よ』って言われるよりも『貴方が1番大切よ』って言われたいと思わなかった?お母さんの1番になりたいって、思わなかったの?」

月子さんのあの無表情で立て板に水の主張を黙って聞いていた雪野さんは、小さな声で、そんな事を聴いた、みんなを愛してるじゃなくて、世界でたった1人、貴方を愛しているわよって子どもは言われたいものじゃないと。

「それは問題ありません。母は陽子にも私にも同じように『貴方が1番大切よ』と言っていましたから。母の持論ですが、1番とは複数存在し、愛は枯渇する事無く増え続けるものなのだそうです」

月子さんのその言葉を聞いて、とても静かな、少し落ち込んでいるような表情をしていた雪野さんは驚いて目を丸くして、そして笑った。

「面白いお母様ねえ、きっとお母様の性格はそのまま陽子さんに遺伝しているのね。いいわねえ、私もそんなお母様の娘だったら、もっと快活な性格で『どうせ私なんて』って卑屈にならずに、我儘言ったりやりたい放題やって自分を大切にできたのかしら。そうしたらきっとこんな病気にもならなかったわね。私ね、さっき美月ちゃんと話している時に陽子さんの事を『私の妹で姉でお母さんみたいな子だったわ』って言ったけど違うわね、私はあの子の事、お母さんみたいに思っていたのよ。松本のあの厳しい母じゃない、私が泣いて帰って来たら大変だったね可哀相にって優しい笑顔で迎え入れてくれて、アンタは全然悪くないよって言ってくれるお母さん。その人が居なくなって、余計どうしていいか分からなくなったのね、おかしいわね、もう50歳になる人間が天命を知るどころかこんな子どもみたいな事」

そんなこと、私がそう言おうとした時、月子さんが真っ直ぐに雪野さんを見て、はっきりとこう言った。

「娘になりましょう」

「え?」

「月子さんどうしたの、何言ってんの?」

「貴方は私の目には大変出来た方に見えます。実際、貴方はかなり性癖に問題のある夫を長年公私ともに支えてこられました、それが正しい行いなのかどうかは別として。そして何よりご子息である陽介さんは、若干気が弱い…優しすぎるような印象こそありますが、相手が誰であれ他人を侮るような所が微塵もありません、とても良い青年です。彼のあの気性を育てたのは貴方でしょう。そして夫の愛人である陽子を大切な友人だと仰る、寛容という事を知っている方です。それでも、貴方はご自身に自信が無い、というよりその努力を母親である人に正当に評価された事が無い、何をしていても母親の評価が気になると仰る、それならいっそ私が母親である方がマシというものです」

そういう訳で、貴方は私の娘です。そう言うと月子さんはとても珍しく笑顔を見せた。その顔がとても母に似ていた。母と月子さんは双子で顔のパーツが全く同じなのだから、当たり前なのだけれど、母がいつも口角の上がった能天気すぎじゃないかと思う程にこやかな表情の人で、対して月子さんはいつも能面のように無表情で、2人の印象は全然違う。だからその月子さんが笑顔を見せると、まるで母が天国から戻って来てそこにいるように見えた。きっと雪野さんも同じ事を思っていたと思う。

「そう考えてみてください、私は欠陥だらけの人間ですが、少なくとも、貴方が長年努力してきたことを無碍にするつもりもなければ、貴方が今、長く精神的に痛めつけられてその結果心を病んでいるという事実を否定もしませんし憐れみもしません。貴方が長年何に苦しんでこられたのか、その一端を15年前、私もその物語の中の登場人物の1人として体感していますから」

雪野さんは、このおかしな申し出にとても不思議そうな顔をしていた。でも少し考えてから、そうするわ、私大切な友達を無くしたのに気持ちも体もすべてが辛いし流石に立場上許されないだろうからってお葬式にも行けなくて、1人息子は連絡して来てくれないし、人間は50年も生きれば後の人生は無くなるものばかりだなあって思っていたけど、この歳でもう一度母親ができるのね、それも素敵よね。そう言って微笑んだ。そして

「それってお友達も兼任してくださるの」

そう聞いた。月子さんは

「私は、人生の中で友人というものが居た事が無いのですが、それでもよろしければ」

「月子さん友達いないの」

「はい、子どもの頃は陽子の付属物のようにしていましたので、陽子の友人と遊ぶ事はありましたが、誰が友達かと聞かれると、おりません」

「…ふうん」

「美月ちゃん、大丈夫よ、私も立場的にあんまり友達なんかいないわよ」

「どうして?」

月子さんはともかく、雪野さんはかなり常識的で普通の、いや普通以上の人なのに。

「まあ…敵が多い世界だから、噂と憶測で人の命が消えるようなところなのよ、政治の世界って。だから陽子さん位だったわ、何でも話せるお友達は」

私は母の友人と母の妹の会話を聞いてすこしだけ安心した。だって、実は私にも友達が全然いないから。私が友達だと思っていても、相手が全然そんな事思っていなかったらどうしようと思うと、安易に友達を名乗れない。だから今、目の前のいい大人達が「友達なんかいない、そう簡単に友人なんかできるもんじゃない」と言うのを少し安堵しながら聞いた。

なんだ、私は割と普通の方なのか。

その昼前のほんの短い時間、約1ヶ月程前にこの世から居なくなった中原陽子と言う人の、娘の私と、妹の月子さん、そして突然現れた友人の雪野さん、3人は静かにお茶を飲んで母の事を話した。存在自体が極彩色で派手で、それに死んでからもなんだか関係者があちこちから出て来て、居なくなっても居なくなった気のしない人だよねと。

そうして、その母の形見のような友人と突発的に親子の契りを結んだ月子さんは

「『死』への衝動というものは油断できないものです、気持ちが少し落ち着いていた時が一番恐ろしいものですから」

そう言って母として『娘』の雪野さんをタクシーで自宅まで送ると言って聞かず、雪野さんを連れて出かけて行った。私は、帰りがけの三和土の上で靴を履く雪野さんに

「あの、もうすこし雪野さんが元気に…少し落ち着いたら、陽介君とおうちに行ってもいいですか」

と聞いてみた、兄である陽介君と一緒に貴方の所に行っても構いませんか。

「嬉しい、待ってるわね。私と陽子さんね、いつか美月ちゃんと陽介、きょうだい2人を並べて見てみたいって言ってたのよ、目元なんかそっくりだもの貴方達」


私は今日、母が残した形見のひとりにまた会った。


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