マイナス鍋との出会い、そして別れ。
不本意な気持ちで入った民族音楽サークルで出会った変な先輩のエピソードと、ますます童貞を加速させていく私の大学時代の思い出をこの前書いてみた。
今日はまた民族音楽サークルの、別の先輩とのエピソードを書いていきたい。
私は騙されて民族音楽サークルに入ったのであるが、意外なことにそこは居心地がよく先輩たちと仲良くなることができた。
ただ仲良くなった先輩たちは全員男で、私の童貞卒業は遠ざかっていくばかりなのであったが。
その先輩たちの中でも、鈴木さんとは一番仲が良かった。
鈴木さんは夜の7時とか8時とか、時には10時に突然携帯に電話をかけてきて「今から行っていい?」と言う。まるで気まぐれな彼女のようであるが、残念ながら男である。
暇を持て余すタイプの童貞であった私は、よほどのことが無ければ「いいですよ。来て下さい。」と返事をした。
二人で何をしていたかといえば、テレビゲームである。長く楽しむためにクリアするのに時間がかかるものを選んでやっていた。
しかも攻略本は買わない、攻略サイトは見ないというルールを自分たちに課していたので、クリアまでやたら時間はかかる。でもそのぶん新鮮な気持ちで楽しむことができて、二人であーでもないこーでもないと言ってゲームをしていると、気がつけば朝だということがよくあった。
これぞ正しい童貞の姿である。童貞の時間の使い方の正しいお手本である。童貞マナー講師がいたとしたら褒めてくれるだろう。童貞のお作法に厳しい童貞マナー講師も思わずにっこりするような過ごし方だ。
鈴木さんとはほんとに長い時間を共に過ごした。
そんな鈴木さんはとある大手食品メーカーの社長の御曹司であった。しかし、鈴木家の方針として学生のうちは分布相応な贅沢はさせないというものがあったらしい。
だから車や高級品など持っていないことはもちろん、ほとんどお小遣いも貰っていないようで、細々とバイトをしていた。
しかし鈴木さんはそれほどバイトを熱心にするようなタイプでもなくいつもお金がなかった。
口癖は「腹減った」であり挨拶がわりのように言っていた。食品会社の社長の御曹司なのにである。
庶民の家庭に生まれ育ち、ほどほどにしかバイトをしていなかった私も、当然のごとくお金がなくいつもお腹を空かせていた。
民族音楽サークルのOBが外食を奢ってくれたり、米をくれたりするのでなんとかそれを頼りに生きていた。
鈴木さんも私も170センチくらいの身長だったが、その頃の体重は40キロ台と禁欲的な僧侶のような体つきであった。童貞かつ僧侶のような体ならば、もう世俗を捨てて出家した方が良いのではないかという状況にすらなっていた。
そんな生活を送っていた鈴木さんと私であるが、そのような状況だからこそという料理を期せずして生み出しててしまった。
とある日の夜8時ごろいつも通りゲームをしていた鈴木さんと私は、もうどうしようもないような空腹感に苛まれていた。
しかし所持金は二人合わせて305円ほど。そこらへんを歩いている小学生の方がお金を持っていそうである。
当時、コンビニにあるATMは夜はお金がおろせなかった。だから305円で二人分の食事をなんとかしなければいけない。タイミングが悪いことにこの日は私の家に食材のストックは全くなかった。
ただここで鈴木さんはビッグサプライズを用意していたのだ。こんな大事なことを黙っているなんてほんとに性格が悪い。純朴な童貞をからかってはいけない。童貞マナー講師はプンプンであろう。
そう、鈴木さんはこの日の直前に実家に帰っていて、その時にキムチ鍋のもとを貰ってきていたのだ。
これでなんとかなる。漆黒の空腹に光がさした。
私たちは鈴木さんがカバンからとり出したキムチ鍋のもとを拝んだ。このようなところから偶像崇拝が始まるのかと実感した瞬間である。
とにかく私たちはお腹が空いているので、キムチ鍋に入れる具材を購入するために、夜10時まであいているスーパーへと急いだ。
しかしスーパーでまた絶望の暗闇に叩き落とされる。305円の所持金では、鍋の具材を揃えることなど到底できないのだ。
肉、魚介類などすべて購入不可能。野菜ですら305円ではほんの僅かにしか買えない。お腹を満たしたいという私たちの欲求を叶えられない。
しかし捨てる神あれば拾う神ありだ。野菜コーナーで呆然と立ち尽くす私たちに、法悦の光とともに、ある文字と数字が飛び込んできた。
「もやし29円」
これに出会うために生まれてきたのだとこの時思った。この日生まれてきた意味を確信した。いま会いに行きます。
鈴木さんと私は有り金をはたいてもやしを10袋購入し、喜び勇んで家路についた。
そして信仰の対象であるキムチ鍋のもとを土鍋に入れ、もやしを煮込んで貪り食べた。お腹を空かせた我々にはそれはものすごく美味しく感じた。305円で男二人がこんなにお腹がいっぱいになるなんてと感動すら覚えた。
童貞もやしに感動、モーニング童貞である。
そんな感動を共有しなければいけないと、後日、鈴木さんと私は民族音楽サークルの男子メンバーたちに鍋パーティーをしようと提案した。一人100円を持って集まるようにと。
私たちにとっての御神体であるキムチ鍋のもとは、幸い鈴木さんがまた実家からいくつか貰ってくることになっている。
一人100円あれば一人あたりもやしが三袋は買える。
その日に集まった民族音楽サークルのメンバーは10人ほどであったが、近所のスーパーでもやしを大量に買い込み、サークル室内で鍋パーティーをはじめた。
もやしだけの鍋ではあったが、こんなに安くお腹がいっぱいになるなんてと民族音楽サークルのメンバーにも好評であった。私たちメンバーはとにかく「安くてお腹いっぱい」を教条にしていたので、もやしだけの鍋でも受け入れられた。
数学科の井上先輩は「お金がないというマイナス状況から、具材を減らすというマイナスが生じた。いわばマイナスの二乗である。しかしマイナスとマイナスを掛ければプラスになる。このもやし鍋はうまい」と訳が分からないことを言っている。
そんな井上先輩の謎発言を受けて、私たちはこのもやし鍋を「マイナス鍋」と名付けた。学生ゆえのお金のなさと空腹と童貞が合わさり奇跡の新料理を発明し、それに命名した記念すべき瞬間である。
そしていつしか「マイナス鍋」は民族音楽サークルのメンバーのお金がない時の定番メニューとなった。
そしてだいたいいつもお金がなかったので、私たちは取り憑かれたようにもやしを食べるようになった。当時の私たちの身体はもやしによって作られていた。always三丁目のもやしというくらい、いつももやしばかり食べていた。
ただある時、私たちがサークル室内でマイナス鍋を食べているとOBがやってきた。そしてOBは「お前らもやしだけじゃさみしいだろ。肉買ってこい」とお金をくれた。
マイナス鍋に肉を入れてみると信じられないくらい美味しい。もやしだけの鍋をありがたがって食べていた私たちがひどい間違いおかしていたと思うくらいであった。
中には「マイナス鍋に肉をたくさん入れたい。魚介類も入れたら美味しいんだろうな。きのことか白菜も食べたい」などと言い出すメンバーもいて、もはやマイナス鍋の根幹を揺るがすような様相を呈してきた。
鍋はいろいろな具材を入れた方が美味しいという当たり前の真理に私たち民族音楽サークルのメンバーは気が付いてしまったのだ。
それ以来マイナス鍋を食べてもなんだか物足りないように思うようになってしまった。
マイナス鍋が心から美味しいと思えていたあの頃に戻りたい。ピュアだったあの頃の私たちに。私は童貞いう点においては変わらずピュアであったが、もやし以外の具が入った悪魔的鍋を知ってしまった。
すっかり汚れちまったもんだ。
もうもやしだけの純粋なマイナス鍋をもう心から愛せなくなっていた。あんなに愛してた日々が嘘のようだ。愛が終わるのなんてあっけない。
でもマイナス鍋を愛していた過去があることは変わらない。マイナス鍋との思い出は一生私の心に残り続ける。
最後のマイナス鍋はもやしのflavorがした、苦くて切ない香り。明日の今頃には私はきっと泣いてる、もやしを想ってるんだろう。もやし will always be inside my hearts いつももやしだけの場所があるから。
マイナス鍋との別れは突然だったが、民族音楽サークルに所属する童貞の私が人間とのfirst loveを迎えるのはまだまだ遠い先のことだ。
童貞卒業まで頑張って書いていきたい。
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