芸術性と人間性のギャップについて
芸術性と人間性は必ずしも一致しないなとよく思っている。
その作品から受ける印象と作者の行動から受ける印象がだいぶ違うことがあるからだ。
例えば「火垂るの墓」とその作者の野坂昭如さん。
火垂るの墓は映画にもなっていて、多くの人が知る作品である。
戦争に翻弄される小さな兄妹を描いた繊細で悲しい物語である。
作品だけ見ると、とても心優しい穏やかな人が書いたのかなと思う。
しかし野坂昭如さんはなかなかやんちゃな人で、大島渚さんとケンカする動画が残っていたり、酔っ払って若い頃の石橋貴明さんを叩いたりというエピソードがあったりする。
かなり火垂るの墓の優しいくも悲しい作品のイメージとはかけ離れているのである。
もちろん人間はさまざまな側面があり、簡単には性格は判断できないが、少なくとも報道されていることから考えると豪放磊落な性格だったと思われる。
私は映画を観て本を読んでから、野坂昭如さんの人となりを知ったので大変驚いた。
他に作品と作者にギャップがあるなと思ったのは「キャノンボール」という曲と中村一義さんである。
中村一義さんは若い頃、山崎まさよしさん、斉藤和義さんと並んで「3義」と音楽好きから呼ばれていた。
日本最大のロックフェス、ロックインジャパンの第1回と第2回の大トリに抜擢されたほどの実力者である(第1回目は途中で台風によって中止になり実際は演奏していないが大トリの予定であった)
私は中村一義さんのキャノンボールという曲が大好きである。
「こんなにさ喋んなくたって、伝わることもあるだろう、僕は死ぬように生きていたくない、死ぬように生きていたくない、僕は死ぬように生きていたくない、そこに愛が待つゆえに、愛が待つゆえに、僕は行く」という歌詞が印象的で、中村一義さんはきれいなメロディーを透明感のある声で歌い上げる。
ただ私は中村一義さんのライブに行ったことはなく音源を聴くのみで、人柄についてまったく知らなかった。
なんとなく歌詞から触れただけで壊れそうな繊細な心の持ち主なのかなと思っていた。
ある時に行った夏フェスに中村一義さんも出るというので観に行った。そのフェスは中村一義さんを目当てに行ったのではないが、あの「キャノンボール」が聴けるかもということで中村一義さんが登場するステージに足を運んだ。
そこで想像していた性格と違うことが分かり驚いた。まずそのフェスに行ったのが2010年代中盤くらいだったので、中村一義さんもちょっと歳をとって体型がだいぶ丸くなっていた。
優しそうなおじさんという雰囲気である。
そしてライブ中のMCにけっこう時間をとるのであるが、バンドメンバーのギターを担当するメンバーと嬉しそうに面白おかしいやりとりをしていた。
ギターを担当する人がツンデレキャラで中村一義さんにつれなくするという関係性らしく、中村一義さんはつれなくされるのが楽しいようであった。
つれなくされていじけてみたり、泣き言を言ってみたりかなりお茶目なのである。
すぐに壊れそうな繊細なハートの持ち主というイメージは消え去り、親戚にいたら面白いおじさんというイメージが出来上がった。
そしてそんな面白おかしいやりとりをした後にさっと切り替えて「キャノンボール」を透明感のある声で歌うのである。
曲はやはり完璧でその場の誰もが感動していたと思う。
でもやはりこの日は、中村一義さんのその人となりを知ったことへの驚きが印象的であった。
noteでも毎日たくさんの人の記事を読み、この人はどういう人かなと想像している。
noteはわりとその人の人となりが分かるような記事を書く人が多い。
でもきっと実際に会ってみると記事の印象とは違う人もいるのだろうなと考えつつ、今日も興味深く楽しくnoteを読んでいる。
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