二度と戻れない美しい日にいるということ
小沢健二さんの「さよならなんて云えないよ」という曲が好きだ。
この曲は聴いてみると最初の印象は明るい曲だなと思うが、実は切なさか根底に潜んでいて深く味わうとなんとも言えない気持ちになる。
私がこの曲で一番好きなのは
左へカーブを曲がると光る海がみえてくる
僕は思う!この瞬間は続くと!いつまでも
中略
本当は思ってる二度と戻らない美しい日にいると
そして静かに心は離れていくと
というところだ。
幸せな時はそれが当たり前で、普通にその状態や状況が続いていくと私たちは考えがちである。それが「僕は思う!この瞬間は続くと!いつまでも」という部分が表現している。
ただこの曲の歌詞は深く、今の瞬間は決してずっと続くものではないということを私たちに教えてくれる。
この曲は、今の状況や状態はかけがえのなく素晴らしいもので、いつかは終わりが必ずくるということを「本当は思ってる 二度と戻らない美しい日にいると そして静かに心は離れていくと」と表現している。
これがすごく素敵で切ない。
私はつい毎日の暮らしが当たり前で、それが当然続くと考えてしまいがちだ。
しかし当たり前は続かない。
私はそう実感するような経験をいくつかしている。
その中の一つとして例をあげるとすれば、私は大学院の時に同じゼミの友人に恵まれて、男4人女4人というまさに青春という感じで、何度も出かけていた。
飲み、カラオケ、旅行などいろんなところに行った。
大学院を卒業して、社会人になっても連絡を取り合ってみんなで集まり、年に2回くらいは旅行に行っていた。
旅行は貸別荘や貸ペンションを借りて、熱海、伊豆、軽井沢、銚子など関東近辺にたくさん出かけた。
たまには奮発して沖縄にも2回ほど遠征した。
みんな仲良しで、考えていること、思ってることが素直に言い合えた。お酒を飲みながら朝まで語り合うということが日常茶飯事であった。
その当時は私はこの関係はずっと続くと思っていた。それぞれがそのグループ以外で恋人がいて、グループ内で恋愛関係になることはなかった。
だから男女混合のグループが壊れる最大の原因である恋愛関係のいざこざが起きない。
だからずっとみんなで友達として付き合っていけると信じて疑うことはなかった。
ところが、それぞれが私たちのグループ以外の人と結婚したり、仕事の都合で遠い場所に転勤したりする中でみんなで集まることはなくなってしまった。
あんなに当時は仲が良くて何でも話し合った仲間なのに、今では誰が何をしているのかすらよく分からない。
あの美しい日々は幻だったかのようである。
当時の私は「この瞬間は続くと!いつまでも」と思っていたのだが、「二度と戻れない美しい日にいると そして静かに心は離れていくと」とは考えられなかった。
当時はずっと友達関係が続き、みんなで遊びに行く日々が終わるということは頭をよぎりすらしなかった。
しかし、何が原因ということはないのだが、時が経つにつれてみんなで会うことが少なくなり、今はもうまったくない。
「静かに心は離れて」いった。
「さよならなんて云えないよ」が優れているのは、満たされている現在の時点での多幸感、それと同時に幸せは永遠に続かないということを同時に示しているところだと思う。
そんな人間の複雑な心理を表現できるってすごいことだなとずっと思っていて、この曲をよく聴く。
そして今、5歳と2歳の子どもの育児をしている時もまさにそうなのだろうなと思う。子どもが小さくて大変でもありかわいいなと感じて日々暮らしている。
ただ、子どもと一緒に生活していることが当たり前で、こんな日々がずっと続くと思ってしまいそうになる。
しかしそれは間違いなのである。小さい子どもといる暮らしは「二度と戻れない美しい日々」であり「この瞬間は永遠に続」かないのである。
そう考えると子どもといる毎日を大切に考えなきゃいけないと思うし、子どもと一緒にいられる毎日がかけがえのない日々だと感じることができる。
もうこんな日々はこないのだと肝に銘じて、一日一日を感謝とともに過ごそうと日々誓っている。
そしてこの子どもといる「二度と戻れない美しい日」の楽しい出来事をたくさん覚えていたい。
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