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何もない一日が幸せな一日

昨日は仕事でどうしてもやらなければいけないことがあり、残業をした。
そのために夕食の買い物や準備をすることができず、子ども二人を連れて近所の中華料理店で食事をした。

子ども達はいつもと違う場所での夕食に喜んでいた。ラーメンや餃子を美味しそうに食べていて私も嬉しい気持ちになった。
子どもにとってはいつもと違うことはワクワクすることらしい。

大人の私にとっても旅行に行ったり、出かけたりすることは楽しいことであるので気持ちは分かる。


しかし私は何もない一日が何よりも幸せなのだという気持ちが歳をとるごとにどんどん大きくなっている。

歳をとるごとに大きくなっているのではあるが、何もない一日がかけがえのないものであるということに明確に気が付いた日が存在する。
その日以来、何もない一日を大事にしたいという気持ちを持ち続けている。

何もない一日がかけがえのないものだと思った最初の日のことは今でも記憶に鮮明に残っている。

その最初の日とは1995年1月17日である。
私はまだ子どもだった。
その時私は関西地方に住んでいた。
幸いにも大きな被害のない地域であったが、朝方の長く大きい揺れですっかり目が覚めてしまった。

そしてテレビを通して伝わってくる被害状況を見て言葉を失った。
それは私が全く見たことがあるものではなかった。
昨日まで普通に生活が営まれていたであろう場所が様変わりしている。

その時はまだ子どもで、そこまで衝撃的な映像を見たことがなかったので驚いた。
妹はもっと小さかったので私よりさらに衝撃を受けたようで、のちに「あの時は日本がだめになっちゃうのかと思った」と言っていた。

妹はしばらく一人で寝られなくなるくらい怖い思いをしたようである。
私はそこまでではなかったのであるが、かなり印象的な経験であったことは間違いない。

この日を境に普通が突然普通じゃなくなることがあることを意識し始めたと思う。
普通の何もない一日は当たり前なのではなくありがたいものだということが、この自然災害を目の当たりにして理解できた。

そして1995年といえば、地下鉄サリン事件も発生した。これは自然災害ではないが、突然日常が崩されることがある出来事として、子どもながら大変怖いものとして記憶に残っている。

当たり前のことがそうではなくなるということを知った1995年以来、何もない普通の一日を大切に思うようになった。

そして、大人になった今はそれをかなり強く感じる。
子どもが元気に保育園に行ってくれて、私たち親が仕事ができて生活が営めるということだけでもかけがえのないことである。

平日は職場に行き仕事をして、保育園に迎えに行って、家に帰って育児をするのみで過ぎていき、自分の時間は残っていない。

自分の時間といえば通勤時間にnoteを書いたり読んだりすることだけである。

それでも毎日が当たり前に過ぎていくことのかけがえのなさを感じながら生きていきたいと思っている。

昨日は1月17日であった。

新聞やニュース記事の中で1995年のあの日のことについて書かれているものを読んで、あらためてそんなことを考える一日だった。

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