邦楽と雪と北海道と

 すばらしく勘の良い方や前のものを読まれた方ならもしかしたらお気づきかもしれませんが、私は北海道に住んでいる者です。これを書いている時にnoteに登録している名前も、北海道の地酒「國稀」からとっています。

 北海道に住んでいるとなんとなく聞くラジオの局もほとんど北海道のものとなり、そのラジオから流れてくる曲も自然北海道出身もしくは北海道を拠点に活動している方々のものが多くなります。そうすると、ラジオ経由で新しくミュージシャンを知るとなると北海道出身者が多くなるのです。ラジオの影響を除いても、北海道出身のミュージシャンは曲にせよ歌詞にせよ感性が近いのかハマりやすい様な気がします。

 そんな訳で他県の方よりは北海道出身ミュージシャンをよく聞いているだろうし、意識して聞いている様な気がする訳ですが、そこで気になったのが「歌詞中での雪の存在」です。

 私のイメージだと、普通というか、全国的に有名な歌だと、歌詞に雪を出すときは雪にそれなりの重みを持たせている気がします。たとえば『クリスマス・イブ』では時間と心の経過を雨から雪への変化に載せるという大事な役どころで雪が使われていますし、『津軽海峡冬景色』なんかでは異郷に来てまったくちがう風景が広がりまったくちがう空気に包まれた様子を示すために雪が使われています。
もちろん、雪に重みを持たせているからこれらの曲を今思い出せていると言えばそれまでですが。

 ただ、今日車を運転しながら聞いていた北海道で結成されたバンド、ズーカラデルの『ウェイティングマン』だとなんの意識もせず自然と雪が入っていたんですよね。本当に、ごく普通の空の状態、天気として、いつも通りの雪として描かれている気がしたんです。ああ、雪に特別な重さが無いな、というのがとても心地よく感じました。

 考えてみれば北海道は冬がほぼ半年ほどあるため雨とほぼ同じくらい雪に親しみがありますし、雪が積もっている時期であれば別に晴れている日であっても道路や庭、畑に積もった雪が嫌と言うほど(実際時々嫌になります)目に入ります。ここまで雪が多いと日常の一部として雪を描いてもなんの違和感も無くなる感じがあります。

 そして面白いことに、歌詞によっては雪という単語から暖かさを感じ取ることもあります。先ほどの『ウェイティングマン』でも(またこの曲で申し訳ありませんが、なにせウェイティングマンを聴いて唐突に書こうと思ったものなので)、雪が出てくるところで暖かさを感じます。歌詞としてもたぶん暖房の効いた部屋でゆっくりしているところなんですけれども、その時の雰囲気や、肌に感じる室温、溶けるようなのんびりとした気持ちが、窓に映る真っ白な吹雪と一緒に、既に体と心に焼き付いているんですよ。この歌詞は北海道というか北国出身者ならではのものじゃないかなと思います。

 ただここまで書いておいてなんですけど、私音楽聴くとき歌詞が頭に入ってこないことが九割九分なので「他はどうなの」と聞かれると困るのですが。

 で、最後に。ズーカラデルは良いですよ。弱さを弱さとして認めたまま、それを大事に抱きしめて前に進む感じとか、優しい応援歌のようで元気が出ます。どことなく郷愁というか、寂しさも感じるのがまた良いです。


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