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超短編小説「確かに承りました」

「本当にそんな理由で、弟を殺したいの?」
 俺の話を聞き終えた、女の返事がこれだった。

「そんな理由、か。小さい男だと思うんだろ」
「別に。私は報酬さえもらえれば、動機なんか、どうだっていいもの」

 ブランコとシーソーしか遊具のない、小さな公園の隅のベンチに、俺と女は並んで座っている。子供どころか、雀の一羽も見当たらない公園は、内緒話に最適だ。

「それで、一か月以内に殺せばいいのね」
「ああ。頼むよ」
「メールにも書いたけど、報酬は、半分を前払いで今日、残りは仕事が終わった後。それでいい?」
「いいよ」

 万札で膨らんだ封筒を、女に手渡しても、惜しいなどと少しも思わない。これであいつが消えるなら、安いもんだ。

「確かめさせてもらうね」
 女はそう断ると、万札の枚数を数え始めた。癖のない、まっすぐな長い髪が、その動作に従って軽く揺れる。

 美しい女だ。綺麗というより、美しいという言葉のほうがしっくりくる。切れ長の大きな目、筋の通った高い鼻、口角の上がった唇。
どんなふうに遺伝子を編めば、ここまで美しい顔ができるのだろう。

 金を数え終えた女が、大きな目を俺の顔に向けて、美術品のような笑みを浮かべた。
いや、いくら何でも完璧すぎる。完璧すぎて、逆に不自然なくらいだ。

 もしかして……整形か?

 人を一人殺すのに、必要なものは一発の弾丸、あるいは数グラムの毒薬。それであの報酬なのだから、殺し屋とはさぞかし、儲かる仕事だろう。整形ぐらい、いくらでもできるに違いない。

 封筒をバッグにしまうと、女は立ち上がった。
「確かに承りました。一か月以内ね」
 それだけを言い残し、青いワンピースの裾を揺らして、軽やかに俺から離れていく。
確かに承りました、か。頼むよ、任せるからな。


 そもそも、あいつが俺の世界に入ってきた、それが間違いの始まりだったんだ。

 俺は、昔からミステリー作家になりたかった。
俺にしか書けない、魅力的な名探偵、驚きのトリック、複雑なストーリー。それはいずれ認められ、多くの人に読まれるはずだ。映画化だってあり得るだろう。

 その未来を叶えるために、俺は今まで、あらゆる推理小説の新人賞に応募してきた。きっと、誰もが俺の才能に惹かれ、賞賛するに違いないと。

 それなのに。
どういう間違いか、何年経っても俺には、受賞の連絡が来ないのだ。
こんなことは、ありえないのに。

 俺は友達付き合いも、娯楽も完全に絶って、小説にのめりこんだ。
大丈夫、認められないことが間違いなのだから、そのうち正しい評価を受けるさ。そう思い、すべてを捧げてきた。


 そして。

 最大の、間違いが起きた。

 俺の弟が、俺より十歳も若い弟が、初めて書いた推理小説で、大きな新人賞を獲りやがったのだ。


「俺も書いてみようかな」
 弟がそう呟いたとき、俺は怖くも何ともなかった。
お前に、俺を抜けるかよ。そう思い、バカにしていたのだから。

 しかし、実際に受賞の連絡を受けたのは、あいつのほうだった。
高名な審査員たちが、満場一致であいつを選んだというのだ。

 間違っている。あの賞には、俺も応募した。
俺が選ばれるべきだったのに。

 それなのに、どうしてあいつが頂点に輝き、俺が一次選考で落ちたんだ。どんな手を使って、あいつは運命をねじ曲げたんだ。

 俺を置き去りに、あいつの小説は、ベストセラーになった。メディアでも傑作と取り上げられ、あいつの名前が、世の中へ急速に浸透していく。
おまけに、映画化まで決まった。

 そして、一気に時の人となったあいつは、仕事を辞め、専業作家として歩き出したのだ。

 許せない。
その椅子に座るべきなのは、あいつじゃなくて、俺なのに。
この間違いは、どうして起きたんだ。苗字が同じせいか、顔が似ているからか、そもそも兄弟だからか……。


 それなら。
考えに考えて、俺は間違いを正す、一つの方法にたどり着いた。

 それなら、間違っているほうを消せばいい。
あいつを消せばいいんだ。
そうすれば、残ったほうが正しい者だと、誰もが気付くだろう。

 間違いは、消されるべきなのだ。


 インターネットのおかげで、俺は意外なほど簡単に、殺し屋を見つけることができた。美しい、あの女だ。

 仕事を頼みたい。そうメールを送ると、待ち合わせの場所と日時、報酬の条件だけが返信されてきた。足跡が残らないよう、依頼者とは直接会って、仕事と金を受け取っているのだと、後から聞かされた。

 依頼を済ませた俺の心は、一気に晴れ渡った。
もうすぐ、あいつは消え、本当に選ばれるべき人間、つまり俺が残る。

 これでいい。これでいいんだ。あの美しい女が、もうすぐ俺の世界を、歪みのない、正しいものにしてくれるだろう。


◇◆◇


「お兄さん、先生を殺せと依頼しましたよ」
 僕の正面に座っている、女性の編集者が、ため息のような口調で言った。癖のない、まっすぐな長い髪が、その声に合わせて揺れる。
出版社の小会議室。僕達の声は、部屋の外には聞こえない。

「やっぱり、そうでしたか」
 真相がわかって、納得こそしたものの、悲しいとは思わなかった。

 二階の窓から植木鉢が落ちてきたり、車のブレーキが効きにくくなったり。
この頃、兄といると、変なことばかり起きるんです。
実際、殺意を感じますよ。

 僕がそう話した時、彼女は「殺し屋を装って兄に近づき、真相を確かめる」という計画を立てた。
これが、大成功だったのだ。

「これではっきりしましたね。先生、今は絶対、お兄さんに近づかないで」
 諭すように言いながら、彼女は僕を覗き込んだ。

 女性とは、こんなに美しいものなのか。
そう感動するほどの、美しい顔。それ以外の形容詞が、まったく浮かばない。

「ね、先生。私、隠れ家を用意したんです。軽井沢の山にある、貸別荘。しばらく、そこへ行きませんか?」
 そして、彼女はこんなことを言い出した。

「貸別荘?」
「この会社が、福利厚生で借りてるんですけど、先生に貸したいと言ったら、許可が下りたんです」
 なんて、素晴らしいのだろう。後のことを、きちんと考えている。
「いいですね。お願いします」
 勿論、僕に異存はなかった。

「確かに承りました。私も顔を出しますね。娘を連れて」
 彼女が、嬉しそうに答える。

「娘さん、保育園でしたよね」
「そう、3歳なんです」
 美術品のような笑顔。どんなふうに遺伝子を編めば、ここまで美しい顔ができるのだろう。

 でも、そういえば。
僕はふと、誰かに聞いた話を思い出した。
『 彼女の娘、母親とは似ても似つかない、その……不細工なんです。正直、母親のほうが、顔を整形したとしか思えなくて』

「お茶、淹れてきますね」
 彼女は思いついたように言うと、青いワンピースの裾を揺らして、軽やかに会議室を出て行った。


 編集者の給料というのは、どれほどなのだろうか。

 残された僕は、ぼんやりと、そんなことを考え始めた。
あの美しさを、本当に整形で買ったのなら、相当な金額だろう。よほどの高給取りでなければ、きっと不可能だ。
もしかして、高額な報酬を得られる副業を、何かしている?

 ふと、自分の妄想の酷さに気付き、僕は頭を振った。
あまりにも、失礼か。

 次回作の舞台は、軽井沢だな。
追い払った妄想の代わりに、僕はきちんと、仕事のことを考える。
山の中なら、銃声も聞こえないし、死体の処理も簡単だ。
きっと、臨場感のある作品になるだろう。

〔了〕

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