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パン職人になった理由

「どうしてパンだったのか?」
取材でもよく聞かれる質問だ。飲食がやりたいならば、いろいろ種類がある中から、どうしてパンを選択したのか?ということ。取材でお話しても、すごく面白い話です!とは言われるものの記事にはならないから、ここに書いておく。

私は、大学生になると同時に格闘技を始めた。高校の終わりに、深夜やっていたK-1を観て、大きな体の外国人キックボクサーの迫力あるKOを見て刺激されて。主催は正道会館という空手道場で、そこに入るのが一番早いだろうと思い、高田馬場にある東京本部に通った。大学の授業は少しだけ出て、あとは練習、夜は居酒屋でバイトして帰宅するという生活。K-1を主催する空手道場に入るも、当時は、外国人選手によって成り立っていて、それを目指す日本人も少なく、環境も整備されていない。皆、周りは空手をやっていて、ほぼ誰もグローブをつけていない。K-1のトレーナーはいない。日々、何時間もサンドバッグを蹴り続けた。練習はするものの、途方に暮れていた。その後、キックボクシングのジムに移籍。

日々、減量し、脂肪を削ぎ落とす。同時に筋肉を育て、いつでも試合に出られるような体づくりをしていた。基本、鶏のささみ、卵白、無脂肪ヨーグルト、少々の炭水化物という食事。外国のメンタルトレーニングの本に書いてあったストレスを抜く方法で、週に一日だけ好きなものを食べるというのがある。それを日曜日と決めていた。私は、一日ではなく一食にしていた。その制約に慣れてしまったからか、それほど何が食べたいというのがなかった。何を食べていたかも記憶にない。そんな中、ある日、母が買ってきたパンが置いてあった。一つもらって食べた。「あんドーナツ」だ。周りは細かい砂糖がついていて、ふっくらしている。食べると、砂糖がしゅわしゅわ溶けてゆき、揚げたパンから油が口に滲む。砂糖と油。にもかかわらず、甘い粒あんが入っている。すべての栄養は、どくどくという体感とともに全身に広がり、吸収されていった。日頃、糖分や油分をカットしている分、身体がそれを向かい入れる感覚が鋭利で、全てを感じ取れるようだった。どこか、別の世界にでも連れて行かれたかのよう。なんだこれは、初めての感覚だ。「私は生きている!!」と思えた。深夜、初めてみたK-1のKOよりも衝撃的だった。これはどこで買ってきたのか?と母に尋ねた。自転車で行けるくらいのところにあるパン屋だった。また買ってきて欲しいとお願いした。日曜日にそのあんドーナツを食べるのが私の週一のご褒美となり、いつしか、そのために日々、練習しているような感覚さえあった。その時、ふと気づくと、やりたくてやっていたはずの練習が辛く、心は削られていき、枯れている自分がいた。そんな自分でも、日曜日にパンを食べることは嬉しくおいしい時間だった。

私は、身体が極限状態にあったからそう感じたわけだが、これを極限状態になくても感じられるようなパンがつくれたら、ひとつのパンが枯れた心の私を救ってくれたように、多くの人にエネルギーを与えられるのではないかと思った。きっかけは、ただ、そこに置いてあったのがパンであっただけのこと。その後、パン屋を開業するためにフランス菓子を習得するが、最終的には菓子屋ではなくパン屋と決めていた。それは、パンの方が安価で、小学生のお小遣いでもパン一個なら買えるから。ケーキは非日常の特別なもので、パンは日常のもの。多く人に配ることができるということが大事だった。

家で食べる大手の食パンや給食で出される食パンがおいしくなかったから子供の頃から食パンは嫌いだった。家で朝食にパンを出されると、「ご飯がよかったなー」といつも思っていた。何かをつけて誤魔化して食べるものというイメージ。パン屋になるからには食パンもおいしくつくれるようにならねばと食べ歩いた。食べたこともなかったバゲット。何度も食べても、何がおいしいのかわからなかった。でも、これは、このパンがよくないのではなく、その良さがわからない自分が良くないのだと思っていた。わかるまで、吐くほど食べた。そうして、自分が好きか嫌いかは関係なく、人が喜ぶものをつくることに没頭した。すべてをあのあんドーナツのような存在にするために。後からわかったことだが、あのあんドーナツは、ドーナツ生地はミックス粉でつくられ、粒餡は業務用の出来合い。誰でもつくれるものであった。ここで、私が失望したと思いますか?いえ、むしろ、希望に満ち溢れました。あんなにおいしく感じられたものが誰でもつくれるものであったということは、自分が磨きをかけていけば、とてつもないパンがつくれるに違いないと思ったから。無限大の可能性しかなかった。世界一のパン職人になれる。人はそう思い込んでいれば、その人にとってはそれが現実となり、真実が何かは関係ない。他人がどう思おうと関係ない。突っ走る時は、ある種の宗教性が生まれる。それだけ信じられる何かがあるということは強いのだ。

「信じようとする」のではなく、「信じてしまう」何かが生まれる生き方とは?
という問いを残して終わりにしたいと思う。

私は、9年パン屋を経営し、閉店させて、パンを使うカフェを7年やっています。
実は、未だに、あんドーナツを一度もつくったことがないのです。笑
人生とはそんなもの。




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