無題

【忍殺】ヨロシサン・ミステリガイド

まえがき

 2019年11月13日、ニンジャスレイヤーAOMシーズン3第4話、「ヨロシサン・エクスプレス」という新たな傑作の誕生に、ヘッズたちは湧きに湧いていた。ウィーピピーの雨、ウッハッハニンジャの嵐。熱狂冷めやらぬ電子忍者ライブハウスの片隅で、額を床にこすり付け、原作者二名への感謝にむせび泣く者が一人。私です。恐らく世にも珍しいであろうミステリ小説界隈から入門したヘッズである私にとって、このエピソードはまさに奇跡でした。神様からの贈り物でした。ボンモーが私のためだけに書いてくれような、あまりにも見事な仕上がりの、決してただのオマージュには留まらぬ、しかも私の最も好きなメフィストの血脈の……。忍殺はこれまでも、ミステリジャンルにかする作品を多数発表していますが、ここまでド直球・真正面に「ミステリをやっている」エピソードは初めてかと。

 さて、当時の感想として、「ミステリだと騙されていたが忍殺だった」「忍殺はミステリではないので犯人も無からPOPする!」というものが散見されました。フフフ……ミステリの懐の広さ、なめてもらっちゃ困りますな。むしろ、ヨロエクはわりと大人しめの作品ですよ。何しろ無に絞り込む過程と、犯人のPOPのさせ方が丁寧ですから。そんなわけで、本稿は「ヨロシサン・エクスプレス」の変態ミステリっぷりにワオワオしたヘッズの皆様がたに、似た方向性の変態を紹介するテキストとなります。ミステリとは、一匹のオラウータンが舐めた真似をした時から、身動きとれぬ狭い箱の中で延々同じことをやり続けているジャンルであり、今もなお箱の外壁までの距離を微分し続け、進化の毛細血管を密に密に伸ばし続けている狂気の沙汰です。犯人なんて、しょっちゅう無からPOPしているともさ!

 さて、紹介にあたり、ヨロエクの特色を、①無から湧く犯人②異常なフーダニット③歪なシチュエーション④ミステリに不適切な舞台の四つに定めました。以降、それに沿って三作ずつ紹介します。前二つは題目に比較的忠実なもの、最後の一つは題目をやや応用的に発展させたものとなります。(⑤戯画化した登場人物、⑥全員何かしらの形で殺人者、あたりも特色として挙がると思いますが今回はカットしました。⑥は容疑者全員殺し屋のミステリ『夕陽はかえる』なんかがあるよ) ヘンテコなミステリを探すガイドとするもよし、各作の紹介文から帰納的に『ニンジャスレイヤー』の新たな魅力を発見するもよし、好きなように活用してください。長いまえがき、失礼いたしました。それでは、十二頭の異形の行進をご覧じろ。

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【注意書き】
【ネタバレについて】
 さて、当然、以下の紹介文には多大なネタバレが含まれます。トリックやロジックの詳細、犯人の名前やどんでん返しを明かすことはしませんが、本稿が「ヨロシサン・エクスプレス」の解決編にみられる特色に沿った紹介である以上、その作品がそういった特色を持つ作品だということは書かざるをえません。言わば、「コンセプトのネタバレ」ですね。コンセプトは時に、その作品の隠された本質であり、犯人の名前と言った具体なものよりもよっぽど大きなネタバレになりえます。たとえば、①無から湧く犯人に挙げた作品は、予め「この作品は犯人が無から湧くんだな」ということがわかってしまう。お化けの登場を事前に予告されたお化け屋敷を、あなたは楽しめますか?(ちなみに、私は楽しめます) とりあえず、下にデカめの空白を作っておきましたので、そこんとこよろしくお願いします。
Semper Paratus(備えは万全に)!













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①無から湧く犯人

 ミステリ、その中でも特に本格推理小説に分類される作品が持つ大きな特徴として、「読者にも推理が可能であること」が挙げられます。つまり、解決編より前までに手がかりを全て示すべしという制約を、多くのミステリは持っている(例外多数)。人物に限った場合、この制約は犯人は解決編よりも前に登場させるべしと言い換えることができるでしょう。つまり、ここで言う無とは、「読者にとって未知の領域」であり、無から犯人をPOPさせることは……「解決編よりも前に犯人が登場していない」……「読者に推理が可能ではない」……制約を違反する行為であるわけです。しかしそれは本当にタブーでしょうか? 既知領域が多重構造を成すなら? 推理が明確に無を指し示すなら? あるいは、既知と未知、そのさらに外側があるとするなら?

 「ヨロシサン・エクスプレス」の舞台は、そのタイトル通り、ヨロシサン急行という密室です。その密室は、推理の手がかりが転がる既知領域であり、そして犯人たるデスリモーラはそのヨロシサン急行の外……密室の外……無=未知領域に姿を隠していました。彼は、ヨロシサン急行という密室の外側を囲うより大きな密室、ネザーキョウに属するニンジャでした。AOMは複数の小世界(密室)が乱立する時代であり、それらの小世界(密室)は決して独立ではあれず、必ず何らかの形で外部との交流を行い、内部に外部からの影響を伝えます。それはつまり、全ての未知を外に追いやった既知領域……完全な密室を作ることはニンジャスレイヤーAOMにおいて不可能だということです。ゆえに、無から湧く犯人は、忍殺でミステリをやる上で、必然的に求められてくるギミックだと言えるでしょう。

τになるまで待って/森博嗣

森林の中に佇立する<伽藍離館>。“超能力者”神居静哉の別荘であるこの洋館を、7名の人物が訪れた。雷鳴、閉ざされた扉、つながらない電話、晩餐の後に起きる密室殺人。被害者が殺される直前に聴いていたラジオドラマは『τになるまで待って』。

 密室とは外部と区切られた異界を作る囲いであり、その区切る行為自体に仕掛けがあります。ミステリという「匣」の、内側と外側にある視点。二者の差異がもたらすものはなんでしょう? 匣の中の視点にのみ根ざして推理を進めた時、推理を外にまで飛躍させることは難しい。私が知る中で「ヨロシサン・エクスプレス」と最も近い作品がこれです。近いどころか、無から犯人を湧かせるための仕掛け、そしてその犯人に到達するために持ち出す手法の在り処が、ほぼ一致していると思います。なお、本作はGシリーズという全12作の連作の一つであり、このシリーズは後の巻ほどミステリの枠組みから逸脱してゆくという特徴があります。ちなみに本作は3作目。「ヨロシサン・エクスプレス」ですら、まだまだ逸脱の序盤であるということから、ミステリというジャンルのやりたい放題具合を察して頂ければ嬉しいです。

黒い仏/殊能将之

9世紀、天台僧が唐から持ち帰ろうとした秘宝とは。助手の徐彬を連れて石動戯作が調査に行った寺には、顔の削り取られた奇妙な本尊が。指紋ひとつ残されていない部屋で発見された身元不明の死体と黒い数珠。事件はあっという間に石動を巻き込んで恐るべき終局へ。

 既知の外側に広がる、広大なる未知。前者がミステリの領域ならば、後者を現実の領域と呼ぶのが妥当でしょうか。しかし、我々読者の世界よりもはるかに自由な虚構の世界において、本当に未知=現実なのでしょうか? 我々が我々の現実を参照して「現実」と名付けたそれは、虚構の世界においてほんの小さな部分しか占めていないのではないでしょうか。1ドットのミステリを包む、薄皮の現実。本作は、内から外へと飛躍するためのエネルギーを詰め込み過ぎてしまった作品です。度を越したエネルギーは、推理でもなんでもない悪ふざけとめいた爆発となり、勢い余って薄皮をぶち抜き、現実のさらに外側にある無に犯人を見出します。カルトでマニアックな作品が読みたければこれですね。TLでタイトルを聞いたことがある人も多いのでは?

メルカトルかく語りき/麻耶雄嵩

ある高校で殺人事件が発生。被害者は物理教師、硬質ガラスで頭部を5度強打され、死因は脳挫傷だった。現場は鍵がかかったままの密室状態の理科室で、容疑者とされた生徒はなんと20人! 銘探偵メルカトルが導き出した意外すぎる犯人とは――「答えのない絵本」他、全5編収録。

 「無から犯人が湧く」……ああなんて収まりがよくお行儀のいいミステリであることでしょう。だって、犯人がいるんですから。この短編集は、湧きません。推理の果てに辿り着くのは純粋たる「無」です。ここに並ぶのは答えが書きこまれないままに終わった五つの回答欄であり、しかも後の収録作になればなるほど、より「無」の濃度が上がってゆくという気の狂った趣向が凝らされています。あなたが想像したであろう「犯人が指摘されないで放棄される」ような児戯はなく、ほとんどの作品が緻密かつ綿密な推理に基づき「犯人は不明」に到達します。合理が非合理を導く異常に、読者は怒るか呆れるか、はたまたほれ込むか……。ミステリというジャンルがたどり着くどん詰まりの一つ。怖いものみたさで是非どうぞ。


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②異常なフーダニット

 フーダニットとは、「誰がやったのか?」を意味します。犯人の正体特定に重きを置いたミステリのことであり、その特定手法(推理)自体のことも指します。「異常なフーダニット」とは、要は「犯人を指摘する推理の中身がなんか変」ってことですね。紹介では、縛りを広げ、犯人特定以外の推理も含めなんか変なものを選んでいます。……え、ミステリの推理なんて全部インチキ論理もどきじゃないかって? はい、もちろんそれをテーマにした作品も無数にありますが……ここでは単に一般的な「推理」のイメージから外れた手法を使う作品を挙げました。ちなみにこれを題材とした作品は結構多く、以下に挙げる以外にも、図像学を用いるもの美学に基づく解釈手法を用いるもの、未読ですが数理論理学を用いるものなどがあります。

 「ヨロシサン・エクスプレス」において、犯人の特定はヤモトによる異能(忍術)を用いた追跡と、マスラダとの連携により行われます。つまり、ミステリ的な事件のフーダニットが、ジャンル的に合致する推理の手法ではなく、異能バトル、あるいは忍者の手法を用いて行われるわけですね。これは、①無から湧く犯人との組み合わせて見事な効果を挙げていると思います。何の理もなくただ①をやっただけでは、本作はパロディギャグに留まっていたでしょう。理の担保、大事! ただ、①の補完が②で行われた結果、作中から推理の手法が完全に消滅してしまっているのが、なかなかの曲者ですね。領域内の事件が、領域外の犯人によって起こり、領域外の手法によって解決される!

ベンスン殺人事件/S・S・ヴァン・ダイン

証券会社の経営者ベンスンがニューヨークの自宅で射殺された事件は、有力な容疑者がいるため、解決は容易かと思われた。しかし捜査に、尋常ならざる教養と才気をもつファイロ・ヴァンスが加わり、事態は一変する。物的・状況証拠を否定するヴァンスが用いる、心理学的推理とは?

 使用する手法は「心理学的推理」。で、心理学的推理が何かと言うとですね……ぶっちゃけ、ただの与太話です。探偵ヴァンスがめちゃくちゃ偉そうに語るのは、何を言っているのかさっぱりわからない、到底理屈の通らない、印象論としか思えない妄言の数々! 「探偵は無謬だから」というメタ的なお約束が、世界をねじ伏せ、殴りつけ、踏みにじり、「はいこれが真実です。あなたのおっしゃる通りです」と言わせてしまう傍若無人に怯えよ!これは読者は理解することのできない……言葉に変換することのできない異界の論理を、言葉に変換し小説に綴ってしまったがゆえの不具合なんですね。小説媒体の裏側でヴァンスの論理は筋が通っており、しかし、読者にはその「筋」を視認できない。1920年代にこんなミステリ人生三週目みたいな捻くれたフーダニットが書かれているという事実にはびっくりです。

Yの構図/島田荘司

昭和61年8月18日、上野駅の隣接したホームに前後して到着した上越、東北新幹線の中から女と男の服毒死体が発見された。2つの死体の側にはコスモスと桔梗の花が…。自殺か?他殺か?警視庁捜査一課の吉敷竹史は、不可解な事件の謎を追って盛岡へ。

 使用する手法は「感情論」。本作が属する「吉敷竹史シリーズ」の主人公である吉敷竹史は、捜査一課の警部であり、極めて探偵役に向かない人物。視野は狭く、偏見は強く、論理的な思考を感情移入が押しのける……。犯人と被害者の情のドラマに飲み込まれ、真相を探し回る彼の道行きは、当然スマートさの欠片もなく、いつだって血まみれで凸凹。しかし、感情論が時折、論理的な思考が真相に到達する速度を上回ることがあります。それはもちろんただの偶然の的中ですが、その偶然がもたらす余裕時間が、事件をただ解決するにとどまらない、誰かを救済する余地を吉敷警部に与えることになります。趣向が最も強く表れた作品は大長編『涙流れるままに』ですが、とんでもなく長く、かつシリーズの集大成的作品であるため、ここでは単体として楽しめる『Yの構図』を挙げさせて頂きました。

百器徒然袋 雨/京極夏彦

そうだ! 僕だ。お待ちかねの榎木津礼二郎だ! 「推理はしないんです。彼は」。知人・大河内の奇妙な言葉にひかれて神保町の薔薇十字探偵社を訪れた「僕」。気がつけば依頼人の自分まで関口、益田、今川、伊佐間同様”名探偵”榎木津礼二郎の”下僕”となっていた……。

 使用手法は……「なし」。なしってなんだよ!?言葉の通りだよ!上の引用に「推理はしない」って書いてあるだろ! ……えー、つまりですね、本作の探偵・榎木津礼二郎は他人の記憶が見えるという特異体質の持ち主なので、容疑者を見た瞬間、犯人とトリックがわかるんです。手段をショートカットして、直接真相にアクセスするチートです。そんなん小説にならんでしょ?という感じですが、なってしまうのが作者・京極夏彦の恐ろしいところであり、その工夫と仕掛けの数々は実際に読んで確かめて欲しいですね。あと、類作として『さよなら神様』という連作短編集がありまして、これは探偵が全知全能の神様です。見る必要すらありません。収録作は全て、問題編をすっ飛ばし、解決編(犯人の名前)から始まります。無茶苦茶である。


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③歪なシチュエーション

 ミステリにはミステリを成立させるためのシチュエーション作りが大切です。道端で死んでる人を見つけたらあなたはどうしますか? 私なら警察に通報します。その後に続くのは、言うまでもなくミステリ的な手法ではありません。そう考えた時、「探偵」は非常に優れた装置ですね。登場するだけで、異常な、非効率な、欠陥の多い、数え切れぬほどのご都合主義に基づいた推理という手法に、魔法のように必然性を付加します。しかし、限界はありますね。たとえば、寝坊して大慌ての通勤中、通行人が口にした「九マイルは遠すぎる」という台詞を吟味する余裕はあるでしょうか? 隕石が降ってきて人類が滅びゆく中で、たった一つの死の真相を追う必要はあるでしょうか? 「謎を解いている場合ではない」の前に、探偵は無力です。

 ニンジャスレイヤー世界は、言うまでもなく命が軽いです。1エピソードの間で軽く数十人の人死にが出るのは当たり前、ヘッズたちからゆるふわ日常回と称されるエピですら、ニンジャは大体爆発四散していますし、モータルが生きたまま焼き殺されたりしてます。登場人物の多くは人死に慣れており、主人公に至っては本人が稀代の大量殺人鬼。サクリリージ曰く「ただの殺人だ」が通用する世界で、一件の殺人事件を取り上げ、じっくりと時間をかけて吟味する歪さよ。「ヨロシサン・エクスプレス」は、「何でこいつらミステリ小説やってんの?」という困惑が常に付きまとうミステリであり……そしてそういったシチュエーションに必然性を持たせることは、ボンモーの十八番と言えるでしょう。野球回とか将棋回とかね。

天帝のみぎわなる鳳翔/古野まほろ

戦後悲願の航空母艦・駿河率いる第二艦隊は、非戦派内閣の思惑で台湾親善訪問に出発した。折しも勃発した満州戦争から遠ざけておくためだ。だが開戦と戦後利権を狙う海軍強硬派の陰謀は、昼餐会での高官暗殺、イージス艦金剛・潜水艦春潮の無力化に発展し…そして本格ミステリ史上初の三千人殺し!!軍楽少佐と軍楽隊は絶望的な特命調査を続けるが…。

 舞台は、核弾頭が撃ち込まれ三千名近くの死者を出した航空母艦。僅かに残った生存者たちが、己の死がほぼ確定的となった状況下で、その大虐殺を一端脇に置き、たった一人を毒殺した犯人を突き止めるため、死の灰と共に真相究明のロジックを積み上げる。あくまで彼らを謎解きに向かわせる、尋常の理ではない「何か」の正体は、死の恐怖がもたらした錯乱か、殺人という最悪の凌辱行為を許さぬ義心か、真実に向かおうとする確固たる意思か。これは、探偵小説という奇妙な物語に向けられた、底抜けの誠意と熱狂、そのもののような作品です。ちなみに、同シリーズの『天帝のつかわせる御矢』は、戦禍の中を疾走する豪華列車で起きた殺人という、どこかで見たことのあるシチュエーションの作品になっています。『ヨロシサンのつかわせる御矢』ですね。内容は全然別物ですけども。

戦場のコックたち/深緑野分

1944年6月、ノルマンディー降下作戦が僕らの初陣だった。特技兵(コック)でも銃は持つが、主な武器はナイフとフライパンだ。新兵ティムは、冷静沈着なリーダーのエドら同年代の兵士たちとともに過酷なヨーロッパ戦線を戦い抜く中、たびたび戦場や基地で奇妙な事件に遭遇する。

 数え切れぬほどの死の中で、殺人事件にも満たぬ「日常の謎」にどんな力があるというのでしょう? そこに残されるのは、謎解きを指向する強靭な意思ではなく、疲れ果てた社会人が昼食の時間にほっと息をつくような、ただの「気晴らし」です。しかし、内地への侵攻に伴って、戦いはより過酷に、食事はより味気なく、謎はより陰惨なものとなってゆき、やがて、ミステリは「気晴らし」としてすら機能しなくなってゆく……。圧倒的な現実に押しつぶされようとしている時、遊戯は我々に何を残してくれるのか。本作はその命題に応じるべく、「料理」と「推理」を耐久試験にかける作品であり、二つを粉になるまですりつぶし、比較し続けることで、その本質を取り出します。エピローグが本当に美しいお話なので、強くおすすめ。

カーニバル/清涼院流水

人類史上最凶最悪最大の殺人事件勃発!あらゆる犯罪に立ち向かうJDC(日本探偵倶楽部)激震!十億人を殺す者(ビリオン・キラー)が企てる全人類殺害計画“犯罪オリンピック”が始動した。ウェブ空間に頻出する噂に過ぎなかった事件を現実にし、かつてない悲劇の引き金を引いたある人物の行動とは?

 上の引用で帰ッパしかけてませんか?大丈夫ですか?言っときますけど、これは序の口ですよ? 謎のテロ組織RISEの空中移動要塞「神聖域(サンクチャリ)」とか、ノーベル平和賞を受賞した探偵神〈GOD〉九十九十九とかが出てきますし、地球全土で殺人事件が起きますからね? 文庫版全五冊、合計3000ページ近くかけてこの滅茶苦茶がエスカレートし続けますからね? 「謎を解いている場合ではない」への対抗策として、推理自体を最早推理と呼べないほどの巨大な何かに拡大してしまおうという剛腕。探偵一人では、「ミステリをやる」必然力が足りない? だったら、探偵を百名登場させればいいだろう!!! 最早推理ではない巨大な何かと、最早謎ではない巨大な何かが戦うこれは、ミステリというより、怪獣映画に近いのかも……。「おもしろい」は保証しません。そういう次元の本ではありません。確かなのは、『カーニバル』を読むという体験が、ここにあるということです。


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④ミステリに不適切な舞台

 ミステリとは、何でしょう? 気軽な定義は戦争の元ですが……乱暴に言語化するならば、「論理的推測と心理的観察によって真相に辿り着くことができる物語」とでもなるのでしょうか。これが示すのは、ミステリの世界の中にあるオブジェクトの数は、人間一人の情報収集能力・処理能力で真相に至ることができるほど少ないということです。情報量が小さく、単純な構造で作られた閉鎖空間。そのユートピアの中で甘やかされ続けた住民たちは、情報量の多い非ミステリジャンル……あるいは、我々の居る「現実」に放り出された時、とてつもない苦闘を強いられることになるでしょう。ミステリは、現実では通用しない。ゆえに両者をかちあわせる耐久実験は、ミステリの重要な題材として度々取り上げられます。

 で、ニンジャスレイヤーですが……はい、お察しの通、相性最悪ですね。視点の数だけ真相がある多層構造と、無数の小世界が関係しあう複雑系。オブジェクトの数は数え切れぬ程に多く、しかもそれに人間の視点の数だけ係数がかかる。忍殺でミステリをやるということは、必然、ミステリの型式を代入したことによって発生する物語上のエラー、そしてそれへの対処を描くということになります。すなわち、無から犯人が湧き(① 参照)、ミステリ以外の手法でそこに辿り着く(②参照)ということ……。その点をガッチリ抑え、前面に出している時点で、「ヨロシサン・エクスプレス」は、決してパロディに留まらない、理想的な「忍殺ミステリ」として完成している私は思うのです。

誰彼/法月綸太郎

謎の人物から死の予告状を届けられた教祖が、その予告通りに地上80メートルにある密室から消えた! そして4時間後には、二重生活を営んでいた教祖のマンションで首なし死体が見つかる。死体は教祖?なぜ首を奪ったか?連続怪事の真相が解けたときの驚愕とは?

 自傷行為にも似た生真面目さで、「探偵」を解体し尽くす作品。基本の構造は単純です。①探偵が推理を完成させる。②新情報が出て推理が破綻する。③再度推理をやり直す。その三つ。以降、①~③を繰り返します。どこまでも繰り返します。延々と繰り返します。探偵の心が擦り切れ、倒れ伏すまで……。探偵が取り扱えるのは、ミステリという匣一つ分だけの情報です。ゆえに、現実で探偵が推理を試みた場合、匣には外から情報が流れ込み続け、その推理は永久に完結することがありません。ちなみに、本作は法月綸太郎による探偵いじめ三部作(私が勝手にそう読んでます)の第一部でして、続編の『頼子のために』ではここからさらに一歩進めた探偵いじめが、続々編の『ふたたび赤い悪夢』では探偵vs現実のとある形での決着が描かれます。

インテリぶる推理少女とハメたいせんせい/米倉あきら

「……せんせいにはわるいうわさがあるのです。もちろんわたしはせんせいを信じています。けれど……」 人間は無作為にテキトウに動くのだ、と主張する文芸部顧問になった「せんせい」と、この世の全てが理屈通りに動いている、と信じて疑わない中学生の文学少女「比良坂れい」の2人が孤島を舞台に繰り広げる壮絶な頭脳戦と恋愛模様。

 ミステリはいつでも華奢な細腕で、謎と解決という甘い夢を見る。この物語の主人公は二人。一人は、世界の全てをミステリの手法に則って読み解こうとうする女子中学生。一人は、その手法を踏みにじり、理に叶わない非道を繰り返し続ける連続強姦魔。女子中学生は連続強姦魔の無罪を証明すべく推理し続け、連続強姦魔はその一切を無視して犯行を重ねてゆく。幼稚で単純で視野の狭い推理は、どこまでもどこまでも空回りし続け、意味と価値を失ってゆきます。二者の間には幻のような恋があり、しかしそれはやはり幻に過ぎなくて、本当にそこにあるものは、強姦される女子中学生という目を背けたくなる光景でしかありません。これもまた、ミステリというジャンルがたどり着くどん詰まりの一つ。怖いものみたさで是非どうぞ。

雪の断章/佐々木丸美

養い先の家で惨い仕打ちを受け家を飛び出した孤児の飛鳥は、青年・祐也に助けられ彼の元で育てられる。育ての親である祐也への愛を、飛鳥はひそかに募らせていく。そしてある日、殺人事件が発生したことから飛鳥と祐也の運命は大きく動き出す――。

 「ミステリは、現実では通用しない」。それは、現実の方がはるかに情報量が多い以上、間違いなく真でしょう。しかし、唯一の例外があります。それは、探偵の処理能力を上げる剛腕や、レトリックを駆使した抜け道を用いるまでもない、何の工夫もなく真正面から現実を打ち破ることができる例外です(その例外が何かはここでは書きません)。本作は、その例外を取り扱ったミステリであり、もしその例外によって「ミステリが現実で通用してしまった場合」、一体何が起こるのかという話でもあります。本作がたどり着く結末は、読む人によっては美しいもの、優しいもの、救われるものとして映るでしょう。しかし、私の素直な感想としては……この作品以上にグロテスクなミステリを読んだことは、これまで一度もありません。


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おわりに

 以上、「ヨロシサン・エクスプレス」から派生する十二作の紹介でした。紹介という型式をとった以上、どうしても偉そうな感じになっちゃのうが難点ですね。あと、言うまでもないですが、テキストは全て私の視点での読解です。実際に読んでみると、「それは違うよ!」が山ほどあるかと思いますが、どうかご容赦願います。

 ちなみに、「ヨロシサン・エクスプレス」を推理小説視点で読む場合に、まず第一に持ち出すべき話題を本テキストでは出しておりません。はい、「オリエント急行の殺人」を本歌取りした作品として、何が優れているのか、という話ですね。これは、通常の再読感想文で書くことができたらな~と思っています。今の再読ペースだと、八月くらいになりそうですが……。