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【忍殺】サンライザーの話をしよう

 サンライザーの話をしましょう。でもサンライザーの話はまだしません。まずはメイヴェンの話をします。twitter連載において第三部の開幕を飾ったこの男は、ニンジャの……スシ屋!でした。スシ屋の……ニンジャ!ではなく、ニンジャの……スシ屋!である彼は、ニンジャである以前にスシ屋であり、しかし、その敗北と共にスシ屋の……ニンジャ!に自ら転がり落ちてニンジャスレイヤーに忍殺されました。

 メイヴェンはニンジャでした。夕闇に立っていたはずの彼は、物語を終えたことでどうしようもなくニンジャになってしまいました。第二部終盤で発生した大量ディセンション。第一部、第二部を経た『ニンジャスレイヤー』としての作品の変化。それらを経てもなお、依然、「ニンジャになること」はあまりにも大きな可能性であり、偶にそれが溶け消える瞬間があったとしても、未だモータルとニンジャの境界線は明確にそこにありました。ニンジャであることは、その人間にとってとても重要なことであり、決して抜け出せない檻でした。

 サンライザーの話をしましょう。でもサンライザーの話はまだしません。次にデシケイターの話をします。デシケイターは第四部AOMに登場するニンジャの邪悪な暗黒個人投資家サイコパスであり、その恐るべき経営により多くのモータルを害します。しかし彼は、ニンジャの暗黒個人投資家サイコパスであって、暗黒個人投資家サイコパスのニンジャではありませんでした。彼が作中ではたらく邪悪は、そのほとんどがエドゥアルト・ナランホという男がモータルの身で培った技術によるものであり、彼にとってニンジャであることはあくまで「便利な暴力装置」=お気に入りの拳銃程度の価値しか持っていなかったように思います。

 非ニンジャのクズではなく、このクズどもは非ニンジャだという認識。ニンジャ非ニンジャという差異は知りつつも、それを必要以上に特別視せずあくまでただの差異として認識しているということ。クズはクズだからクズであり、非ニンジャだからクズなのではない。第三部から十年後、多くの境界線がぼやけたケオスの時代において、ニンジャは都市の闇に隠れた怪物ではなく、履歴書に記す資格の有無のような社会に浸透したものとなりました。第三部から第四部への移行は、多くの登場人物のプロフィールを「彼は短気で長髪で女好きなニンジャだ」から「彼は短期でニンジャで長髪で女好きの男だ」に書き換えました。

 フジキドトリロジー(第一部~第三部)とAOM(第四部)での「ニンジャ」の位置づけの変化は、段階を踏んで行われたと思います。それはたとえば、フジキドのニンジャ観の変化や、ニンジャであることを無意味化するアマクダリ思想、相撲という限定条件下でニンジャを殺しうるスモトリ、憑依ニンジャとモータルをはるか高みから見下ろすリアルニンジャたちの胎動です。シームレスに描かれたニンジャ観の変化。しかし、私はこのことを考える度に一人の例外、一人のニンジャ、否、一人のレーサーのことを思い出すのです。さあ、サンライザーの話をしましょう。

 サンライザーの何が凄いかって、第三部時代であるにも関わらず、最初から最後までニンジャの……レーサー!であったことです。しかもそれがごく自然体。「ニンジャに墜ちた」や「レーサーとしての己を取り戻した」のドラマはエピソード外で既にやり終えているため(バウンサー稼業からのレーサーへの転身……)、作中ではニンジャとしてではなく、レーサーとしての姿のみで活躍している。これ凄くないですか? このエピソードは第三部ど真ん中、ニンジャニンジャの……スシ屋!がスシ屋の……ニンジャ!になる時代のものなんですよ? オウガパピーですらニンジャとして戦うシーン、ニンジャであるがゆえの可能性が描かれたんですよ? 先進性がありすぎる。お前はAOM時代からタイムスリップしてきたのか?

 ニンジャとモータルがオジギを交わす! ニンジャニンジャ間のプロトコル(完璧ではないですが)をニンジャモータル間で行うことによる境界線の融解! ニンジャであることに利便性は感じていても、特別視はしない。モータルを相棒に持ち、モータルに敬意を払い、モータルとして培った技術を使って、レーサーとしての己を持つ。『ニンジャスレイヤー』という作品において、誰よりも先進的な男。私にとってサンライザーとはそういうキャラクターであり、サーガが第四部に至った今、最も再評価されるべき一人だと思うのです。