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やな夢ばっか見る

 早速だが、まずは先日のツイートをご覧頂きたい。

クリスマスイブに見る夢とは思えないほどに辛い。彼氏がいない上にこんな夢を見て、挙句バイトに合わせてセットした目覚ましより先に起きるなんて。ただでさえ朝早くに一度LINEの通知で起こされているというのに。私はただ、"職場のクリスマスパーティーが楽しそうだから"という理由で普段は休みである土曜日を出勤にした、ただただイベントごとが好きな人間なのに。心臓がバクバクした状態で目が覚め、本当に最悪だった。

 この夢を見て思い返してみると、昨年も同じような夢を見たことがある。
当時私は相方を探していた。夢の中で同期と組むと、その人が実はかなり急な行動をするタイプだった。結成した数日後、初めてのネタ見せの授業の10分前にNSC下に集合してそこで初めてネタの台本を渡され、待機時間に2回ほど合わせただけですぐに授業に出ることになる。案の定、私はかなりうろ覚えだった。講師や同期や社員さん達からの冷たい視線が突き刺さる。更にはその相方からも「なんで出来やんの?」といった目をされた。私は泣きながら固まることしか出来なかった。
...という、あまりにも怖すぎる夢だった。私は飛び起きて、バクバクうるさい心臓を抑えながら、夢であったことに安堵した(とか書いたらなんかそれっぽいかな〜と思ったけど、飛び起きた後は覚えてない)。

 私はかなりの心配性というか、不安がりだと思う。基本的には自分のことを信用していない。例えば、それがM-1などのユニットで披露する1度限りのネタであっても、しっかりとネタ合わせの回数を重ねて不安な箇所をゼロにして挑みたいし、予定の前日にかなり夜更かしした日や絶対に寝坊出来ない日には、ほぼ必ず寝坊する夢を見る。先日のツイートもその類いだ。
が然し、それは私のたった一面にしか過ぎず、実際には"不安がり"と"楽観的"、両方の性質を併せ持つ(♣︎)のだ。めちゃくちゃ不安に思うくせして、実際に飛んだら「あちゃちゃ...(笑)」、寝坊したら「あーあ、寝坊じゃん」と思うだろう。流石に相手を前にこれを口に出すことはないし(殺されかねないので)、勿論反省も後悔もして重く受け止めて暫くシュンとしてるが、頭の中はそんな感じだ。「こうなったらどうしよう」と思って、実際にことが起こっても、「最悪だったな〜 まあ起こってしまったことはしゃーないし次はいけるっしょ」てな具合に落ち着く。良い意味でも悪い意味でも楽観的過ぎる上に、「シュンとする」以外の反省の方法を知らないのだ。
多分、さっきの夢の出来事が実際に起こったとして、講師にバチボコに怒られて泣いてしまったとしても、「あーあ、怒られちゃった。トホホ〜」としか思わない。反省していないとかではないが(夢の中のまんまならそんな直前にネタを渡してきた相方が悪いからあんまり反省せんかもやけど)、何せ楽観的なので、「一度ミスをしたのだからもう同じ過ちは繰り返さないようにしよう」と「一度ミスをしたのだからもう同じ過ちは繰り返さないだろう」が同時に頭に浮かぶ。他の人がどうなのかは分からないし、私が知らないだけで別にこの程度が一般的なのかもしれないが、自分ではやりにくさを感じている。だって不安がりなくせに楽観的ってキショいもん。不安がりなら最後までズンと落ち込めよと思うし、楽観的なら最初から不安がるなよと思うもん。

 明確にいつからこんな感じになってしまったのかは定かではないが、高校に入ったあたりから、内面的な変化が如実に現れたのではと思う。今の私は、決して明るくはないが、良くないくらいポジティブだ。然し、中学までの私はとにかく暗く、ネガティブでありキモオタクで、よく死について考えているような人間だった。というのも、私は中学校は3年間ほぼ丸々通っていない。1年の6月から次第に学校へ行かなくなり、それ以降は1限か2限の終わりに親や祖父に車で送ってもらい、車内で10分間ほど先生と話しては帰るといった登校方法をとっていた。3年の10月に一度転校したが、転校先でも週に1,2回、昼から別室登校をしていただけだった。故に、中学生活はギュッとすれば体感4時間程度だった。その後は単位制の高校へ進学し、時々単位を落としながらも無事に卒業することが出来た。3年間に及ぶ高校生活の中で話したことのある人間は、先生を除くと4人だけだったし、2回以上話したことのある人間は1人だけだ(ここで"特性:場に1人でも余裕で過ごせる"が培われた)。この普通の人からすると異常とも言える3年間で、今のフニャンフニャンな私が構築されたのだと思う。
転機としていくつか挙げるとするならば、コンタクトをした時に「ずっと目悪かったから知らんかったけど私って別に可愛いことない?」と思ってからは、わりと前向きに生きられるようになった気がする。別に世間一般的に誰からも可愛いと言われる顔だとは思わないし、自撮りだって調子の良い時以外は全然可愛ないやんけふざけんなとも思うが、いつだって私は私が一番可愛い。てか母親にもそう言われて育ってきたし。それと、好きな人が出来たのも大きいと思う。好きな人と会えるかもと思うと学校に行くのも楽しかったし、それまでは「明日なんか永遠に来んとってくれ」と思ってたのに「明日は会えるかな」と思うようになってちょっとした生きる希望になってたし。我ながら可愛らしすぎる。あとは「今まで何かあっても結局どうにかなってきた」ことに気付き始めたことくらいだ。特に最後が私が楽観的である一番の要因と言える。これら合わさったことによって、ポジティブお気楽人間が爆誕してしまったのだ。

 楽観的部分の出処はわかった。じゃあ不安がり部分はどこからなのかと言うと、これは私が中学の時のとんでもなくネガティブだった頃に培われた要素だと思う。中学では不登校なりにテストだけは毎回出席していたのだが、その度に周りからは「こいつ不登校やのにテストには来るんや」と言わんばかりの視線を飛ばされていた。実際そりゃあそうだし、私が逆の立場でも何気なく見てしまうとは思うが、中学ではレアキャラである私が何か1つ行動する度、あまりに色んな人に見られるので、「今この人に何を思われているんだろう」と思うことが増え、「私の見た目や行動が何か変なのでは?」「何か間違えているのかも」「私の行動を良く思われていないのでは」「知らぬ間に私が何かしてしまったのかも」と考えるようになった。特に自分より目上の立場の大人に見られると酷く緊張し、パフォーマンスが著しく落ちる(これが災いして自動車教習所の技能でめちゃくちゃやり直しをさせられた)。それが段々対ヒト以外の場面でも「寝坊してしまうかも」「間違えているかも」という具合に癖付いてしまい、今に至るのだ。然しながら当時から常々"かもしれない運転Lv.100"みたいな状態であるわけではなく、突然苛まれてはアホみたいに忘れるを繰り返し、途中でそれに楽観的がプラスされてここまで生きてきたのだ。中学の頃はここまで前向きではなかったので、鬱々とした日々を過ごすことが多かったが、高校くらいからは時々怯えながらも適当にヌボヌボと生きていくことが出来るようになった。

 人間の性格のデフォルトはこれではないだろうが(これだった場合生きづらすぎるので)、生きづらいなりに頑張っていると思う。これじゃないにしても、みんな何かしら生きづらい部分を抱えて生きているのだろうと、勝手に思っている。そうだと言ってくれ。
自分でもウケるくらい矛盾しているキモ性格だが、まあなんか、適当に生きま〜す。頑張るのはめんどいので極力頑張りませ〜ん。おしぇ〜い。

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