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家族はどこまでも親くなれる他人について

夫のどこが好きかと問われると、大体「」と答える。あながち冗談では無い。
しいていうなら、少し癖が強い猫毛も好きだし、皮膚の触感も好きで、特に耳たぶの柔らかさは一押しである。少しバチ指なところと、O脚はちょっと嫌いで、胸毛が無いところは高評価だと思っている。

他は「笑わないところ」が好きだ。お笑いが好きじゃないという意味ではなく、例えば、私が何かに足を取られてすっころんだ時に「何やってんの?大丈夫?(笑)」の「なにやってんの?」と「(笑)」が無いところが好きだ。”そんなこと当たり前”と思う人はたくさんいると思うが、私はそれをとても苦手としていた。
私が関西人だからかどうかなのかはわからないが、「転ぶ=恥ずかしい」という行動を、今まで自分の中では笑って流してきた。
「転ぶ」では無くてもいいが「恥ずかしい」という行動を「痛い」とか「悔しい」とかの前に『笑って流せば済む話』と考えていた。
(勿論笑えないこともあるけれど、そういう大きなことではないということを前提において欲しい)
それを、夫は笑わないのだ。家では笑ってほしい時、冗談で色々なことをすることもある。それも笑わない。逆に言えば笑い殺しなんだろうけれど、笑わない。ゴゴーオットは笑わない。私は人生でそれをやってこれなかったため、体験し続けている今は「こういう所は見習いたいな」と深く思っている。だから私は「笑わないところ」が一番好きだ。

他に好きなところと聞かれると、本当によくわからない。
趣味のフットサルで1週間の殆ど顔を合わせなかったこともある。
私が家を空けた際、洗い物も、洗濯物も、猫のトイレも、ごみ捨てもされてなかったこともしょっちゅうで、理由は「仕事で疲れていたから」という、同条件で生活している私に向かって平然と言い放つこともある。
上記の通り猫を飼っているが、ブラッシングはおろか爪切りさえもしたことがない。遊びはたまにしてくれるが、トイレシートを頻繁に変えたりもしない。歯磨きもしないし何もしない。たまに「かわいいでちゅね」と撫でるが、それきりでもある。

最初はもっと酷かった。
同棲を始めたのは、彼の父親がもう引退して実家に帰るからという理由で空いた彼が小さいころに購入された団地の一部屋だった。
思い出が詰まっているであろう家に住まわせてもらえることを申し訳ないと同時に、大切にしようと考えていた矢先の話。
同棲当日、引っ越しも完了した後に彼から発せられた言葉は「別れよう」だったのだ。

そこに至る経緯としては考え違いなど、お互いの言葉足らずな面と色んなものがあった。
彼は「キッチンが古いからいずれ改装したいよね。どういう風に改装したいとかある?」と何気なしに言ってくれたが、実際にキッチンは古いがとても使えない状態では無く、また、引っ越してきたほぼこの家からすれば部外者の私としては、彼の思い出などがきっと詰まっているのだろうという気持ちで胸が詰まり「私はこのままでもいいよ。」という意見を貫いた。
彼としては、これからのお互いの生活で一番キッチンを使うのは私になるので、私の好きなようにしていいよという優しさが殆どで、後から聞いたところだが、子供のころの家族関係があまり良くそんなに思い出深いわけも無いため、気遣いは不要だったようなのだ。

その感情がかみ合わず、伝わらない会話に癇癪を起こしたのは彼だった。
先にも記したように私は「関西人」である。彼は生粋の「関東人」で、関西弁の語彙の強さに「喧嘩を売られている」「押し付けられている」などを感じたらしい。私は何が悪いのかわから無いまま2時間程泣きじゃくり話し合った結果、かみ合っていなかった事が判明しお互いに「ごめんなさい」をした。

そんなことで「別れよう」なんて言う?とぶっちゃけその時は思ったが、それは後からだんだん解明されていく。
彼は他人と暮らした経験が乏しく、一人がとても好きだと言った。束縛されるのが嫌いで、欲しければ手に入れるが壊れれば修復するのが面倒で捨てるタイプだった。それは人間関係(主に女性関係)にも当てはまり、私も除外はされなかった。
本当に些細な事で「俺たちは合わない。別れたほうがいい。」「合わないよ、別れよう。」と、何度言われたかは忘れてしまう程だった。
最初の頃は背筋の血が逆流して「やだやだなんでそんなこというの!!」というMMO(マジで面倒な女)だったが、幾度か聞いた時は「とりあえず落ち着いて話そうよ」とゆっくり冷やして話をしていくことを覚えた。
恐ろしいくらい「え、ありえんのだが」という理由でキレられる事もしばしばあり、明らかに私のほうがキレていいだろうという案件もまぁめちゃくちゃにあった。でも私は「とりあえず落ち着いて話そうよ」を魔法の言葉とし4年程、一切キレることはしなかった。ただ、腹があまりにも立ちすぎて1度だけ「こんなにインナーシャツいらねぇだろ!30枚くらいあるの身体何個なんだよ!!!」と、ふて寝する彼がいる隣の部屋で洗濯物を壁に投げつけ、インナーシャツを一枚ぎったんぎったんに引き裂いてやった。(勿論洗濯物はたたんだ)
姉に相談したら「トイレマットと一緒に洗濯物洗えばいい」というので、お気に入りの服をエマールではなくアタックで普通モードで洗ってやったこともある。(後日ちゃんとゲロって笑い話になった)

本当に些細な事なんだけれど、言葉の違いと考えの違いとだけでヘイト値の溜まり方がグンを抜いて違うんだなと思った。
もう本当にいろんな事があった。今思えば「なんで洗濯物干す感覚咎めたらキレられたのか」だとか「洗い物してねって言っただけでキレられたのか」など、マジでわからないことがたくさんある。が、今思えば子供のころにそのレールに乗っかっていなかっただけの話なんだと思った。キレた彼は当時30歳半ばの彼の感情ではなく、30歳半ばにいた子供な部分の彼だったのだと(いいように)思っている。

それを繰り返し、4年を過ぎた頃人間である私はプッツンと来てしまい、彼が一番嫌いとする『キレる女』『MMO』へと一時期だけ変貌した。
ヘイト値が上限を切ったのだ。菩薩だった私はもう姿を消し、その中から不動明王のような私が現れた時の彼の顔は今でも忘れない。
いつも通りキレている彼にとって、関西弁歴バリバリの便が立つキレる女の逆襲は恐ろしいものだったと思う。
恐らくだが、半分ほどは理解できない言葉だっただろう。悪いがキレた私は止められない。
1,2か月程はプッツン期があり、ヘイト値の溜まりが物凄かった。外でキレちらかした時もある。
ここで「私は本当は怖い人」という種を植え付けてしまったため、ちょっとのことでたまに怯えられるのは腑に落ちない。
(その度に冗談めいて菩薩時代の話をしたりもして、反省してもらう)

ここまで書いて、『まぁなんてひどい男なんでしょう!』と思う文章になってしまった。
きっと、彼に赤ペン先生してもらえば「ここは君がこう言ったからやだった」とか「言い方が悪い」とか「話を聞いてくれなかったから」などが無限に出てきて『まぁなんてひどい女なんでしょう!』という私が現れてくると思う。要はお互い様だ。

今は婚姻関係にあり、戸籍上「家族」となってもうすぐ2年となる。まぁ、喧嘩しまくったよねっていう。ヒートアップしまくって色んなことあったよねっていう。けど、実際安易なことで逃げたり「離婚しよう」と、離れれば解決するという思想を持つ方は結局のところ彼で、その都度「とりあえず落ち着いて話そうよ」の魔法をかけるのは私だ。多分、根本的に合わない部分もたくさんあって、それでも一緒にいて楽しいし愛しているから結婚をした。「一緒にいたら嫌な面がたくさん見えてどんどん嫌いが増えるよ」なんてことを誰しも聞いたことはあると思うが、実際その通りだ。

けれど、それが何だというのだ、と、私は思う。結婚したが私たちは一生交じり合わない他人だ。まぐわうことがあっても、交じり合うことは永遠に無い。毎日好きでいられるかなんてわからない。嫌いになったら一生その人が嫌いなのかと言われればそうではない。けれど、喧嘩もするけど私たちはどんどん親しくなっていく。どんどん知らないことが減っていくけど、毎日生きてるんだから知らないことが無くなることなんてない。嫌いだった食べ物を突然味付け一つで好きになるように、コロッと変わるのが人生なんだと思う。
私はそれをこの人と歩む為にこれからも暮らしていくと思う。

今のところ、毎日好きなので「好きだよ」とお互い伝えあっているし、手をつないで寝ることもたくさんある。
嫌なところはキレるんじゃなくて「なんかこうさ!気に食わないんだよね!!(冗談交じり)」という言葉で伝えたり、ヒートアップする前にクールダウンすることもある。
今の時間は私が苦しんだ時間もあるし、彼が苦しんだ時間もある。苦しんだ分も今なんだと、きちんと思う事にしている。
「育む」という言葉は素晴らしいな、何歳になっても使えるんだと痛感した。

もしかしたら、何かの大きなきっかけで離れることが今後あるかもしれない。その時はその時だけれど、そんな事を思っていたら親しくも、育んでもいられないのだ。

私たちはどんどん親しくなる。明日も明後日も。

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