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ところ変われど吃音

ミコ(小2)、吃音の記録。

ミコの吃音は、転校しても変わらなかった。日によってよく詰まる日もあれば、ほとんど目立たない日もある。

転校前に学校には吃音のことは話してあり、転校初日に「みんなの前で説明しようか」という先生の提案があった。

前の学校でもそういう提案はあったけれど、ミコが「全員の前で話すのは怖い」と言ったので、正式にそういう機会はなくて、からかいがあった時に個別に先生が説明をして注意を促す、という感じだった。

でも、転校して心機一転なのか、はたまた人数が少ないから話していいと思ったのか、ミコも賛成したので、全校生徒の前で自己紹介と共に吃音のことを先生が話してくれた。全校生徒と言っても、前の学校での一クラスよりも少ない。

そのおかげなのか、それとも土地柄なのかわからないけれど、こちらに来てから、話し方をからかわれた事はないそうだ。

吃音は変わらずある。でもそれで何か困っていることはないような。

と、思っていたのは親だけで、ミコが「言葉の教室」というプリントを学校からもらってきて、「こっちでも、言葉の教室あるんだって。行ってみたい」。と言う。

前に住んでいたところでは、近隣の小学校の通級に通っていて、そこには親子共々助けられた。ゆっくりとした時間で、ほっとできる空間だった。

「こっちで、からかわれたことはないけど、困った時のために言葉の教室に行きたい」。ミコにとって、通級は「吃音の話をたくさん出来る、自分の気持ちをたくさん聞いてもらえる、困ったら相談できる」お守りのような場所らしい。

そうかそうか、では申し込んでみようか。学校に申し出ると、通級の先生の携帯番号を教えてくれた。電話をかけて初日面談の日取りを決める。しかし通級は隣町の小学校まで行かねばならず、これはなかなか大変だなあ。

とはいえ、もうこちらで数か月暮らしているので、山道の運転も少し慣れてきた。通えない事はないだろう。初めて行った隣町の小学校は、一学年三十人くらいだろうか、でもミコ達の超少人数学校に比べると「こどもが多いな!」という感想で、にぎやかな休み時間、すれ違うこどもたちに何度も挨拶をしながら、目当ての教室へ向かった。

広い多目的室をそれなりに作り替えたのか、入るとすぐ、大きな会議用テーブルが一つ、その向こうに簡易的なパーテーションがあって、奥に五人くらいで囲める丸テーブルが一つ、そのまた奥に先生と生徒がお話しするために、大きい事務机が二つ向き合って置かれている。

通級の先生と私たち親子、三人では広すぎるくらいの部屋だけれど、パーテーションがうまく配置されているおかげか、がらんとした印象はなかった。ドアを閉めると、廊下のにぎやかな声はほとんど聞こえなくなり、明るくて冷房の効いた部屋は、昼寝が出来そうなくらい落ち着いている。

通級の先生は細身の年配の男性で、電話でお話しした印象そのまま、色白でにこやかで、植物のような人だった。

「遠かったでしょう」。ニコニコとねぎらわれる。でも、もし通級の本拠地に行くとしたら、そこはもっと遠い学校で、街の中心地にある。先生は、いつもはその遠くの学校に居て、こちらはサテライト校として週に一度来てくれている。そうでなければ、私たち親子が通うのはもっと大変だっただろう。

親子でこちらへ引っ越してきた経緯や、今まで受けてきた吃音指導の概略をお話しし、次にミコの吃音の様子を見てもらう。先生とミコが向き合って座り、私はミコの背中を横目で見ながら、隣のテーブルで資料を読んで待っていた。簡単なテストというか、クイズのようなものにミコが答えていく。

ミコはくつろいでいる時と、よそ行きの顔が全然違う。ちょっとぶっきらぼうなのは、よそ行きの時で、ミコの話しぶりから、今日は特別に緊張しているなと思った。

「ありがとうございました」。全部の工程が終わり、帰り際に先生が「ミコちゃんとお話しするの、とても楽しかったよ。また来てくれるかな」と言うと、ミコは黙って頷いた。緊張が解けたら、いつものお調子者の顔も見せてくれるだろう。

帰りの車の中で「ミコはここに通いたい?」ともう一度確認すると、緊張がまだ続いているのか、「ん」。とぶっきらぼうに返事をする。あらゆる福祉や制度を終了させて山の中に来たけれど、あったらあったで助かるものだな。ミコが通いたい場所が一つ増えて、親の仕事は一つ増えたけれど、安心感も一つ増えた。

そして、はたと、通級を開始する手続きがものすごく簡単だったな…と、気が付く。少人数の恩恵をまたかみしめる一件でもあった。





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