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おまえの母ちゃんしか喜ばない

noteを始めて、私の生活に楽しみが増えた。自分の考えたことを自分で書いて自分で読む。自分のことだから、何度読んでも、「だよね!」と共感する。私が私を励ます。嬉しい。

次に、友達が読んでくれるようになった。ニンタの病気のことがよくわかったよとか、泣いたとか笑ったとか、感想を言ってくれてとても嬉しい。

そして、私の知らない人も少し読んでいる。同じようにこどもの病気と共存している人もいるし、この人がどうして読んでスキしてくれたんだろう?という人もいる。嬉しい。

そこでふと、思い出した。芸人さんか俳優さんで、打ち合わせ中、「お前の母ちゃんなら喜ぶかもしれないけどな!」と、強烈なダメ出しをされたというエピソードだ。誰だったろう。ちょっとググっても出てこなかったので、知っている方がいたら教えてほしい。

それを聞いた時、的確で辛辣な言葉だなあ、と思った。親はこどものやることなら、なんでも嬉しい。だからどんなに拙くても、習い事や学校行事の発表は喜んで見る。そして、そんなものは他人には何の価値もないのだ。

母ちゃんだけではない。学生の時、バンドをやっていた友達がいて、私はそのライブに行くのを楽しみにしていた。友達が、自分で引き出した言葉を、自分のメロディーで歌うのが素晴らしいと思った。私にはとても真似できない。私に音楽の良し悪しを言う知識はないが、好きな歌がたくさんあった。すごい!天才!と思った。

もうその友達と年賀状くらいしかやりとりはないが、多分プロのミュージシャンにはなれなかったのだと思う。あの歌は、私が友達で、その人となりを知っていたから、心に響いたというだけなのだろうか。わからない。でも、本当にいい歌だった。

私のnoteの話に戻る。私は、私の母ちゃん、もとい、私の友達が喜んでくれる雑記を、noteに書いているわけだ。リップサービスが混ざっていたとしても、それは本当に嬉しいことだな、と思う。私が友達のライブを楽しみにしていたように、私の書くあれこれを、楽しみにしてくれている人が少しだけいる。

若い時は、こんなこと、とても思えなかった。私はもともと絵を描くのが好きで、アートとかそういうものに憧れていた。何事もプロになってこそなんぼ、食べていけるだけの才能がなければ、ゼロと同じだと思った。趣味で続けていく、とか、一番嫌いな言葉だった。

そして今でも、その才能をいかしてプロとなって活躍する人たちを、とてもうらやましく思う。私も何か飛び抜けた才能があったら良かったのに。

残念ながら、飛び抜けた才能がなかった私は、今は主婦となり、私の家族にだけ強烈に必要とされる存在となった(まだこどもが小さいので)。主婦の仕事も完璧にはできないけれど、なんとかアイデンティティを保っている。どことなく、こどもを産めば許されるような風潮を、それってどうなの、と思いながらも、自分の隠れ蓑にしているな、と思うこともある。

自己実現は大変だ。私は知らないが、プロになったって納得できる地点なんかないんだろう。挫折を経て、私は、そのどこまでも高い山を、遠くから見上げるしかない。

そして、夢を追っていた若いときと、今が違うのは、「母ちゃんしか喜ばない」ようなものの価値を知ったことだ。

若いときに想像していたより、人生は大変だった。ただ生きていくだけのことが、こんなに大変だなんて思わなかった。

そして、今、日々思うことを書くだけで救われている。母ちゃんしか喜ばなくても、いいではないか。それが人生の助けになるなら。やっと、そう思えるようになった。

若いときの私が知ったら、がっかりするかもしれない。ごめんね、特に大成していなくて。

でも、理想を掲げ、夢を追っていたときより、少し知っていることが増えた。若い私が毛嫌いしていた、趣味とか、そういうものの後ろに、たくさんの人生があることを知った。それは悲しくて情けなくて、でも時々楽しいこともあって、私はそれを知れただけでも、年を重ねて良かったと思える。わかってもらえるだろうか。若いときの自分よ。

母ちゃんだけでも、自分だけでも、喜ばせることって、けっこう大変だし、大事なんだと、今は思っている。

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