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エンジニアで挫折した男がPMとして年収3,000万円を達成し、100名規模のPM人材会社を創るまでの物語

こんにちは、CTS代表の人見です。
色々なSNSをやっていますが、そういえばちゃんとした自己紹介をしたことがないと気づきました。

皆さんは、自分の天職に出会ったと感じたことはありますか?僕は、エンジニアとして挫折を経験した後、プロジェクトマネージャー(PM)という役割に出会い、そこに自分の可能性を見出しました。今日は、そのストーリーと、そこから生まれた僕のミッション、PMというキャリアについて書いていこうと思います。

PMにキャリアアップしたい方の役に立つ内容を意識しますが、なにぶん自分語りも多くなることをご容赦ください。
それと、自分でサクセスストーリーとか書いちゃうのがイタいというツッコミは絶対にやめてください。


就職活動編

まだ3年生になったばかりの頃。

大学生の僕は友達と遊んだり、イベントを企画したり、バックパックをしたり、自由気ままに過ごしていました。

そろそろ就活だなんて仲の良い友達もざわめき始め、僕も就活のことを考え始めましたが特にやりたいことや行きたい業界はありませんでした。

とはいえ、中途半端に意識の高かった僕は、どこでも良いやと適当に就職する気にはなれない。

ファーストキャリアが全てではないけど、今後50年は続く仕事人生の大きな部分が決まり得る。

だから、自分にあった業界・職種を何とか見極めたいと思っていました。

見極めの方法として考えたのは、全ての業界の説明会に参加して全ての可能性を試すということでした。

高校の同窓会長が双日の会長だったので、同窓会の名簿から連絡先を抜き出し双日の会長にいきなり直メールするという暴挙にも出ました。とにかくありとあらゆる業界に接点を求めたのです。

IT業界との運命の出会い

ある日、IT企業の合同説明会に参加しました。

そこでアクセンチュアが自社の取り組みや、IT業界全体のマクロなトレンドについての講演をやっていたのですが、それに痺れてしまいました。

「最新テクノロジーで世界を変える」とか、「シンギュラリティ」とかいうキャッチフレーズが踊っていて、ミーハーな僕はアホ面で「かっけー」と口を開けて聞いていました。

それがきっかけでIT業界に興味を持ち始めました。

ミーハーだった僕は、その時期に大学の友達から勧められたドラマ、リッチマン・プアウーマンにも多大な影響を受けました。

主人公のセリフが最高なので引用しておきます。

ITとは、人々の生活を豊かにするものだ。
グラハム・ベルという男は、なぜ電話を作った?
事実はわからない。
でも、僕はこう思う。

遠くにいる恋人の声が聞きたかった。
それか、心配ばかりする母親に無事を知らせて安心させたかった。

僕らの仕事は…たぶん、大切な人を思うことから始まるんだ。

君達にもそういう人がいるだろう。

だったら、その人のために作ろう。

日向 徹(演 - 小栗旬)

将来の選択肢を最大限残すのに最適な業界

興味を持ったきっかけは「なんかビビっと来た」ってだけでしたが、冷静に考えれば考えるほどIT業界は魅力的に思えてきました。

まず、世界的にダントツの成長産業で、身に着けた知識やスキルが向こう数十年間は陳腐化しなさそうです。

更に、やりたいことがイマイチ決めきれない自分にとって、ITはとても魅力的でした。

営業もバックオフィスもエンタメも、ありとあらゆるサービスがIT化しているのは皆さん知っての通りだと思いますが、僕が就職活動をしている当時もその流れの最中でした。

「○○×IT」のITを押さえとけば、いつかやりたいことを見つけたときにIT担当として事業に参加できるだろう!と思いました。
この読みは当たっていたなと今になって思います。

シンプレクス株式会社の衝撃

IT業界に絞ったは良いけど、IT業界内にも色々な会社があります。

Web事業をやっている会社、独立系SIer(システムインテグレーター)、ITコンサル会社、通信系など色々な会社の説明会に参加しました。

その中で刺さったのが、新卒で入社したシンプレクスでした。

マイナビか何かのサイトで見つけて適当に応募し、なんとなく向かった説明会だったのですが、人事部 佐藤友一朗さんのプレゼンがめちゃくちゃうまい。しかもイケメン。

会社からのメッセージも「うちの仕事は難しいしハードだけど、めちゃ成長できるし給料も高いよ」とシンプル。

福利厚生とかアットホーム押しの会社もある中で、この会社は住居手当はもちろん交通費すら出ない男らしさ

20代はハードに働いて自己投資したいと思っていたので、当時接したシンプレクス社員の仕事への熱量と地頭の良さを感じるたびに、この会社に惹かれていきました。

面接は順調に進んでいき、最終面接は役員の福山さんでした。

内定はすぐに決まり、面接時間のほとんどはシンプレクスのビジネスモデルや事業の現状についての質疑応答になったことが印象的でした。

シンプレクス株式会社編

■■新人時代■■

5分で終わった入社式

入社式は役員の田中さんが話して5分で終わりました。
で、話はすぐに労務関連の実務的なものへ。

「無駄なことはせずに生産的なことやろうぜ」という会社の文化が伝わってきて、この会社に入ってよかったなぁと思いました。

そこからjavaを使ったサーバーサイドの開発や、linux、sql、金融工学などの実用的な研修がすぐに始まっていきました。

90人いる同期のリーダーに任命される

大学時代はイベントサークルに入っており、飲みニュケーション信者だったので、オフィシャルな新入社員全体での飲み会が無いのが許せませんでした

そこで勝手に同期の飲み会を企画してめちゃくちゃに盛り上がったのですが、それが人事部の新人研修責任者の目に留まり、研修のリーダーを任されることになりました。

「これからリーダーを発表します」という人事部のフリに耳もくれず、隣の同期と下ネタで盛り上がっていたら、いきなり「人見」と呼ばれて下ネタを話しているのがバレたかと焦りました

研修でアメリカに行くのですが、現地で色々やることがあるのでそれを仕切ることになります。

同期には我が強い奴しかいないので、まとめるのがめちゃくちゃ大変でした。

アメリカに着いた初日のパーティ会場が落ち着いた騒いではいけなさそうなお店だったのですが、盛り上がりすぎて研修にメンターとして来ていた先輩にアゴを殴られたり。

同期同士でケンカして、本気の怒号が飛び交ったり、泣き出すヤツがいたり。
#青春っぽい

同期と一番コミュニケーションを取ることができる立場にいれたことと、適材適所の配置が大事だという学びもあり、とても良い経験になりました。

全社で最もブラックな部署への配属

そんなこんなで新人研修が終わり、配属された現場が会社で一番ブラックという噂の部署でした。

前述のとおり20代はハードに働きたいと思っていたので、願ったり叶ったりでした。

配属された初日、早朝にデスクへ向かうと徹夜明けの先輩が仕事をしていて、僕の常識はそれに染まりました。

ひよこは初めて見た鳥を親鳥だと認識するそうですが、人間は初めて見た現場社員の働き方を「普通」と認識するのかもしれません。

この環境に身を置いたことにより、仕事が忙しくて辛いと感じる閾値が大幅に上がったのです。いわば、"バグらせる"ことに成功したわけです。

仕事を身につけたいなら、やはり環境を選ぶことから始めるべきだと思います。

毎日深夜2時までプログラミング、36時間勤務、40℃の熱を出しながらバグ対応

最初は、某外資系保険会社の保険申込システムの開発現場にアサインされました。

仕事へのモチベーションが燃え盛っていたため、別に締め切りに追われていないときでも、深夜2時や3時まで残業していました。

金曜日の夜はどれだけ残業しても翌日の仕事に響かないので、ボーナスタイムでした

徹夜もちょいちょいありましたし、理由は忘れたのですが36時間ぶっ続けで仕事をしたこともありました。

テストフェーズは僕が素早くバグ修正をしないと、「テスター15人の手が止まる」みたいな地獄だったので、40℃の熱が出ているときも這って出勤し、咳き込みながら涙目でモニターにかじりつく日もありました。

開発者が何十人もいるプロジェクトでしたが、多分僕が書いたソースコードの行数が一番多かったと思います。

今思い返すと、プログラミングの方法論とか知らずに我流でやっていたし、効率はすごく悪かったのですが、自由に任せてもらえる環境がとにかく楽しくてガムシャラにやっていました

一年間頑張ったが、評価面談で上司からガチギレされる

シンプレクスでは、期末に上司からその期の評価をフィードバックされる面談があります。

そこでの評価によって、給料が50万あがるか、100万あがるか、150万あがるか決まるのです。

給料の上り幅が50万円単位なんですね。

自分としては1年間でかなりの成果を出したつもりだったので、ちょっと期待して向かったのですが、そこでなんと上司からガチギレされました

正直かなりショックでした。

ガチギレされた理由としては、「評価面談の時間が30分なのに、自分のプレゼンだけで20分とか使うな」というものが一つ。

その時は反省したのですが、これについてはその後「こっちは初めての面談で勝手が分かってないんだから、プレゼン長いと思ったならそっちが止めろよ」と思うようになりました。
#時間差で腹立つ事ってあるよね

あと、「結果出してりゃ働いた時間数とか関係ねぇだろ」と思っていた僕は、タイムカードを適当につけてたので普通に怒られました。

そんなこんなであまり評価されず、給料は50万円アップでした。

この時の僕は「実績」だけじゃなくて「見え方」を工夫するのも実力のうちだよなということに気づいていなかったので、まぁまぁ腐りました。

■■fintechベンチャー時代■■

fintechベンチャーに常駐し、初めての要件定義・設計業務

現場配属されてから1年が経ったタイミングで保険会社のプロジェクトが終了し、次の配属先が割り当てられることになりました。

上司から「仕事はちゃんとやるけど、礼儀とか勤怠が惜しい奴」と認識されていたので、そこを叩きなおすという意味で客先に常駐ということになりました。

その会社はfintechのベンチャーで、オシャレなオフィスにはバーカウンターや卓球台、ハンモックなどがありました。

シンプレクスとはビジネスモデルも、組織も、文化も、何もかもが違う新鮮な空間で、webサービスの機能拡張を手伝うことになりました。

最初に取り掛かったのはクイック入金機能の追加で、バックオフィスの部長やUXデザイナーと話しながら全体の業務を整理し、設計に落とし込んでいきました。

それまでほぼプログラミングしかやっていなかったので最初は苦戦しましたが、徐々に業務の全体感や整理の進め方を身につけ、自信を持って要件定義・設計をできるようになりました。

社会人時代で一番のミス

徐々にできることの幅を広げ、要件定義、設計、開発、テスト、リリース、保守運用まで一気通貫して携わるようになっていきました。

そんなある日、自分がjavascriptのある一行を誤って削除してしまったことが理由で、クリティカルな不具合が発生しました

一部のお客様のお金が意図せず投資されてしまうという、激ヤバな不具合です。

会社の偉い人たちが招集され、お客様向けの説明をどうするかなど、トラブルシューティングの流れを意思決定していきます。

不具合による影響範囲の洗い出し、顧客への説明、金融庁への報告など、自分では対処できない問題を皆が進めてくれています。

その光景を眺めながら、その日は一日中生きた心地がしませんでした。

熱い思いを持ち寄って、皆で一丸となって世の中に展開しているサービス。

そのサービスを見つけて使ってくれている大切な顧客に、皆が謝らないといけない

会社の足を引っ張ってしまったという罪悪感で、1週間は凹みました。

しかし、その失敗を通して自分の仕事の責任をより深く理解することができ、成長することができたと思います。

凹んでいる暇があったら、結果を出すことが罪滅ぼしや恩返しになると考え、切り替えて仕事にあたりました。

会社員時代に一番感動した経験

ベンチャーでの常駐経験で学んだ、大切なことがあります。

この学びがあったから、同世代の中で頭一つ抜けることができたと思っています。

特に、事業会社で働いた経験が無いまま、受託業をやっている人は耳の穴をかっぽじってよく聞いてください。
#文字媒体で耳の穴かっぽじっても意味ない

学んだことは、「事業会社目線」です。

会社にもよりますが、ベンチャー企業というものは往々にしてそれほど給料が高くありません。

赤字でスタートして、投資・融資されたお金を食い潰しながら黒字化を目指すという流れがベンチャーの王道で、黒字化前に潤沢な給料など払えないのです。

それでも、優秀な人たちが「社会を変えたい」とか「自己実現をしたい」という思いで集まってくるわけです。

そんな人たちが泥臭く一人一人の顧客と向き合い、たった1円の売上をかけて一喜一憂しています。

自分の会社のサービスを見つけてくれた顧客のことを、事業会社の人たちは本当に大切に思っています。

そして、当然中には家族がいる人もいて、そのベンチャーのビジネスが成功するかどうかには、色んな人の生活が懸かっているわけです。

だから、不具合とか言語同断なんです。

提供するサービスの質には、本当に細部まで注意を払うんです。

僕は会社員時代も今も事業会社の支援をする立場ですが、事業会社で働いている人の気持ちや背景は絶対に分かっていなければなりません。

それが分かったうえで、

想像力を発揮して、お客様と同じかそれ以上の基準を持って仕事に臨むんです。

そして、お客様の売上が増えたときはお客様よりも喜ぶんです。

お客様の売上が減ったときにはお客様よりも悲しむんです。

受託業しかやってこなかった人間でこのマインドを持っている人は、ほぼいないと勝手に思っています。

このマインドを持ちながら仕事をしていると、顧客の挑戦(サービス)が一歩前に進んだとき、喜びがこみ上げてきます。

僕がある機能を開発してリリースするとき、オフィス中が湧いて、ハイタッチをし合いました。

この喜びを分かちあうという経験が、会社員時代に一番嬉しかった経験です。

具体的な知識やスキルよりも、このマインドが一番自分を前に進ませてくれたと思っています。

契約が終了し、本社へ戻ることに

僕がいたシンプレクスチームは顧客からの評価も非常に高かったのですが、正社員じゃないメンバーが主力を担いすぎるのも会社としては考え物だよねという結論に経営陣がいたり、引き上げることになりました。

これは社会人3年目の5月ぐらいだったと思います。

ちなみに、2年目の査定も普通の評価で、給料50万アップでした。

■■プロジェクトマネージャー時代■■

エンジニアとしての挫折

正直、このタイミングで自分のエンジニアとしてのポテンシャルを限界を感じていました。
社内で年収1,500万円ぐらいのスーパーエンジニアの先輩とGW明けに会話していて、「先輩休み中なにやってたんですか」と聞くと「あー、Hibernate(JavaのORマッパー)がSQL自動生成してる箇所が気になってデバッグしてたよ」と言われました。

エンジニアは好きこそものの上手なれ。一定のレベルまではいけても、自分はこの先輩に一生敵わない、エンジニアとしてスタープレイヤーには慣れないと確信しました。みなさんも、このような限界を感じた経験はありますか?

そのとき自覚はなかったのですが、常駐していたfintechベンチャーの方々からは「人見さんの天職はコンサル系」だよねと言われていて、なんとなく上流が自分には向いているのかななどと思い始めていました。

今思うとコミュニケーション能力の高さや、ユーザーへの提供価値など最上流の目線を常に持って仕事していたことが、そう評価されていたのだと思います。確かにそれは、純粋なエンジニアをやっていては活かしきれない、上流向きの資質でした。

PMになった途端に周りからの評価が上がった

エンジニアとして限界を感じていた矢先、本社に戻って、ポイント投資システムの保守PMと、某ネット証券の投資信託販売システムの開発メンバーとしてアサインされました。

ここにアサインされた瞬間、結果が出始めました

さっきの事業会社目線を持っているので、保守PJでは不具合が発生した時の集中力が違います。

調査は早く、そして正確にやります。

向こうがその時々で何を気にしているのかが分かるので、報告のタイミングや内容も一味違います。

投資信託販売システムの開発では、要件定義・設計・プログラミング・テストの全てが出来るので、その時々でPJのボトルネックになっている部分に入り、テコ入れするような動きができます。

3年目ぐらいで全工程をある程度のレベルでこなせる人間は少なかったので、この動き方が目立ちました。

1年目2年目は、何かに特化するというより色々な業務をやっていたので、尖った結果は出づらかったのですが、周りの同年代よりも幅広い仕事ができるようになっていたことで、全体感を持って動けるという特殊能力が発揮できるようになっていました。

本社に戻って2週間ぐらいで、先輩から「人見君、まだ年収600万なの?安くね?」と言われるようになりました。

まさかの初の導入PMが2プロジェクト掛け持ち

保守PMで結果を出し、投信の開発PJではPMO(Project Management Office:プロジェクト管理を支援・統括する人)的な動きもしていたことも評価していただき、上司から「人見君、PMやらない?」という提案を受けました。

工程ごとのディレクターや、作業者の経験はあったので、この新しいチャレンジを断る理由はありませんでした。

初PMというだけで若干ビビるぐらいの大任だったのですが、先輩からの提案はまさかの2プロジェクトのPMを兼務するというものでした。

それぞれ、規模で言うと3,000万円規模のプロジェクトと7,000万円規模のプロジェクトで、お客様は別々でした。

これは中々痺れるなと思ったのですが、大チャンスなのでもちろん受けました。

プロジェクトマネジメントという領域へのキャッチアップ

精神論や頑張りではどうにもならない難易度の仕事だったので、プロジェクトマネジメントの方法論を徹底的に学習しました。

PMBOKなどの基礎に加え、アジャイル開発(迅速かつ柔軟に変化に対応しながら開発を進める手法)に関する本、システム開発の各工程における方法論など、様々な書籍を読み込みました。

その上で、社内で最もプロジェクトマネジメントに精通している先輩社員に教えを乞うたり、プロジェクト計画をレビューしてもらったりすることで、自分の仕事の品質を担保しました。

これをやったお陰で、同年代では最もプロジェクトマネジメントの体系的な知識を持つ人間になっていたと思います。

5個とか6個上の先輩には経験の数では適いませんが、知識の量やプロジェクトマネジメントという仕事に対する体系的な理解度は自分の方が秀でている自信がありました。

会得した知識をフル活用し、これで負けるはずがないというプロジェクト計画を立てて、絶対にやりとげようと躍起でした。

技に溺れ、お客様から大クレーム

そんなある日、ポイント投資システムで一緒に仕事をしていた先方のCTOから「先日リリースした機能なんだけど、思っていた挙動と違う」という連絡が入りました。

システムの挙動については、事前に契約書や設計書でしっかりと合意を取っていたのですが、先方のレビュー時に指摘されずにそのままリリースまで進んでしまっていました。

この場合、本当に杓子定規に考えると「契約書に書いてあるとおりにリリースしているのだから、直す場合は追加費用です」とも言えるのですが、先方の要件を汲み取りきれていなかったことにこちらの落ち度もあります。

ここで、自分は「修正するので追加で御見積りを出させていただけますでしょうか」と回答しました。

この結果、お客様から大クレームが入りました

今となっては愚かだなと思いますが、当時の僕はプロジェクトメンバーや自社を守るために、杓子定規に考えられる部分は全て杓子定規に考えるべきだ、と思っていました。

とても頭でっかちだったんですね。

お客様のビジネスを成功させることを最優先事項に、バランス感覚を持って話し合うという視点を忘れていました。

しかし、このお客様は「僕をPMから降ろせ」とは言わず、「あいつが若いPMなのは分かってるから、しっかりと改善すべきところは改善して頑張って欲しい」と言ってくれました。

上司づてにこの話を聞いて、感動するとともに必ず成長して信頼に報いようと思いました。

信頼してくれたお客様のために、必ず結果を出す

そんな学びもありながら、初のPMを務めるプロジェクトは進んでいきました。

リリースするときはいくつか不具合も出てしまいましたが、トラブルシューティングのスピード感や進め方には非常に満足をしていただけ、

「流石だな、やっぱすげえなと思いました」

と言っていただけました。

シンプレクスという会社への期待値が非常に高いお客様だっただけに、涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。

ただ、振り返ってみると、初めてPMを務めた際、チームメンバーの感情面でのケアが不足していたと反省しています。技術面だけでなく、人間関係の構築も重要だということを、この経験から学びました。

そんなこんなで、3年目はかなり評価されて給料が100万円上がりました。

■■ITコンサル時代■■

新たなチャレンジ、ITコンサルと営業

初PMを務めた2プロジェクトのリリースが終わりました。

その後も同じ2社のエンハンスや保守PMを、自分が退社するまで継続しました。

しかし、使う時間は1/2ぐらいで同じアウトプットが出せるようになっていました。

残り1/2の時間は、上司からの指名で「営業やITコンサル的な仕事をやらないか」ということになりました。

システム開発における各工程の作業やマネジメントは、極めようとすればキリが無いほど奥深いとは言え、ある程度は経験したなとも思っていました。

「社内にある仕事の中で経験してないのは、超上流の営業やITコンサルぐらいだなぁ」と思っていたので、断る理由はありませんでした。

証券、銀行、運用会社などへの提案の日々

そこから、誰もが知っている大手銀行や証券会社への提案をいくつも行い、合計7社への提案を行いました。

規模は様々でしたが、千数百万円程度の提案から5億円規模のものなど、様々な規模の提案を行いました。

技術に詳しいエンジニアと、ビジネスリテラシーの高い営業マンがタッグを組んで見積もりや提案を作り上げていくのが通常のスタイルだったのですが、自分は少し違いました。

自分の場合は開発現場の経験が元々濃く、ビジネスリテラシーやドキュメンテーションスキルもキャッチアップして身につけていったので、一人で要件のヒアリングからシステム全体構成の検討、見積もり、提案書作成まで行えるようになっていました。

100人に一人のスキルを3つ持つと、掛け算で100万分の1の人材になれるという話がありますが、エンジニアリング、プロジェクトマネジメント、コンサルティングのスキルを満遍なく習得したことにより、その掛け算で自分にしか出せない必殺技みたいなものが出せるようになっていました

自分の場合は狙ってそうなったわけじゃないですが、「希少価値」を身に着けて重宝されるためには3つのスキルの掛け算を意識すると良いかもしれません。

自分が抜けた後のために、1年かけて後輩育成

実は、ITコンサルの業務に関わり始めたころから、会社を辞める相談を上司にしていました。

わずか4年ですが、エンジニアリング・プロジェクトマネジメント・ITコンサル・営業と、社内にある業務を一通り経験し終わったと思ったことが理由です。もちろん、どの領域も極めようと思えば一生を費やすに値するものとは承知しています。

しかし、自分は好奇心が強く、ある程度その業務の本質を掴んだと感じたら次のチャレンジをしたくなる性格です。また、シンプレクスは成果報酬主義で過激なペースで仕事を任せてもらえる会社ではありましたが、将来やっている仕事も想像の範囲は出ないものでした。
そこで、起業という、全く異なる筋肉が必要となる領域にチャレンジしたいと思いました。

シンプレクスは本当にとても良い会社で、辞める社員を応援してくれます。

もちろん社員が辞めることで戦力は削がれるし、寂しさもあると思うのですが、最後はその人の挑戦を応援してくれるリクルートみたいな会社です。

僕の上司も引き止めはしましたが、それでも起業を選んだ僕を心から応援してくれました。

その上司は、僕の仕事に対してフィードバックをして鍛えてくれた人であり、多くの提案に一緒に臨んだ戦友的な人であり、仕事以外でも飲みに行く、とても好きで尊敬する先輩でした

そんな先輩や会社への恩に報いるために、1年をかけて自分の後輩を育てて綺麗に引継ぎをし、なるべく多くの土産を会社に残してから辞めることにしました。

ちなみに辞める前、最後の査定では年収が150万円あがりました。

200万円あげるかどうか迷ったけど、ギリギリの議論の結果150万円に落ち着いたそうです。

辞めることを決めている社員だからといって昇給させないなんてことはなく、どこまでもフェアに評価してくれる会社でした。

本当にありがたいことに方々から評価していただき、他部署の先輩と初めてお会いしたときも「人見さんですね、色々噂を聞いています」とか言われるようになっていました。

努力して結果を出したのも事実ですが、引き上げてくれる先輩にも恵まれ、この会社であと10年頑張れば経営に行くことも可能だろうという自信がありました。

しかし、新しいチャレンジをするために辞めるという決意は揺らぎませんでした。

独立編

■■創業前夜■■

事業計画を考える日々

普通は事業計画をある程度立ててから会社を辞めるものだと思うのですが、自分の場合は会社辞めてから、思いっきり空いた時間で事業計画を考えようとしました。
#バカなのか?

LPやHP制作で最低限の生活費を稼ぎながら、時間をなるべく空けて世の中にないサービスを考えようとしました。まあ、フリーランスPMとして仕事を初めて、年収はすぐ3,000万円になり喰うには困らなかったのですが。

10本以上のビジネスモデルを考えて、数名の投資家や社長にプレゼンを行いました。

  • 寿命や病気で孫の結婚式や出産などのライフイベントに立ち会えないであろう方々が、タイムカプセルのようにメッセージを残せるサービス

  • プライベートジェットのシェアリングサービス

  • フードロスを減らす商品開発

  • 相続で遺族が揉める問題を無くすサービス

などなど。

没になったアイデアもあったのですが、相続をサポートする事業アイデアは割と評価いただき、ある会社の社長さんから「社内ベンチャーとして事業をやらないか」という本当にありがたいお話もいただきました。

が、ある壁にあたりました。

事業は「求められていること(MUST)」「得意なこと(CAN)」「やりたいこと(WILL)」の3つの観点で一致するものをやると成長するなどとよく言われます。

当時は社会的な意義(WILL)ばかりを起点にビジネスモデルを考えていたため、「得意なこと(CAN)」が抜け落ちているものばかり。自分がやっても競合優位性が確立できないものばかりでした。

社会的な意義あるビジネスにはワクワクしますが、資金調達などしてマネタイズできない代償は自分の時間15年、その間の低賃金重労働、巻き込んだ投資家・社員からの失望として返ってくる。
起業をリアルに考えれば考えるほど、ビジネスとして地に足着いていることが重要だと感じ始めます。そんなこんなで、「自分の一番大きなCANって何なんだろう」という問いに行き着きました。

システムエンジニアリング・プロジェクトマネージャー・ITコンサル・営業など色々能力はありましたが、自分の一番尖ったスキルはプロジェクトマネジメント。

そして、これから述べるとおり、優秀なプロジェクトマネージャーには強烈なニーズがあることも肌で分かっていました。

PMの役割と重要性

システム開発において、優秀なPMは「特効薬」だと思っています。初PMを務めた際、社内で最もプロジェクトマネジメントに精通する当時年収2,000万円の先輩に教えを請い、目からウロコが落ちました。危なげなく効率的にプロジェクトを完遂するためのフレームワークが存在していたことを知るのです。

実践を始めてすぐに、その威力を思い知らされました。最初にPMを務めたプロジェクトでは、粗利率が「目標の1.5倍の60%に着地」。さらに、社内で最も炎上していると言われていた数億規模のプロジェクトでさえ、ある程度PM経験を積んだ自分が入ることで、たった1週間で開発プロセスの問題点を見極め、1ヶ月で鎮火させることができました。

これらの経験を通じて、プロジェクトの成否を決定づけるのはPMの能力だと確信しました。プロジェクトが遂行可能になるよう作業内容・スケジュール・体制を調整し、ゴールまでのストーリーを綿密に考え抜いてから勝負を始めれば負けない。

過去に自分が経験したプロジェクト、同期がパニック発作で退職したプロジェクト、噂に聞いていた大炎上プロジェクトなどを、PMとしてのスキルを身につけてから振り返ると、その失敗原因が手に取るようにわかるようになりました。そして、ほとんどのプロジェクトの失敗の原因は「プロジェクトマネジメントの失敗である」という結論に至ったのです。
#いやマジで

業界におけるPM不足の現状

経済産業省の調査によると、2030年までにIT人材が約45万人不足すると予測されており、その中でもプロジェクトマネージャーは特に不足していると言われています。

この状況は、IT業界全体の問題にもなっています。優秀なPMが増えれば、世の中のIT人材が最適に稼働し、"IT人材の不足"という社会問題の解決にもつながるでしょう。不幸な開発現場を減らし、業界で働く人々をハッピーにできます。

PMの育成が難しい理由

PMが不足している理由は、PMの育成が難しいことにあります。では、何故難しいのでしょうか。

世の中には、体系的方法論を身につけることなく、我流で取り組んでいるプロジェクトマネージャーがあふれています。プロジェクトやPMの役割に関する知識なく、経験から得たノウハウのみを独自の理論として蓄積していく。

よくあるPMの成長例を考えてみましょう。多くの場合、何も知らないメンバーの状態から「PM適性ありそう」と判断されて、とりあえず小規模プロジェクトのPM・リーダーとして放り込まれます。そこで成功すると、「もう少し大きいサイズのPMもやれるかも」と抜擢されて中規模、大規模とサイズを上げていきます。

確かに、地頭が良くハードワークできる優秀な人材であれば、一定の確率でプロジェクトを成功させることはできるでしょう。しかし、「同じ顧客だから通用していた」「実は優秀なメンバーがカバーしていた」「規模が大きくなると通用しない」など、経験しなかったことは分からないリスクと常に隣り合わせ。このリスクが顕在化した瞬間に、プロジェクトは炎上し、顧客や開発メンバーなどの関係者を不幸に陥れます。
#100回は見た

体系的な教育を受けずに我流で成長したPMは、まず自分の方法論すら整理されていないので、後輩にやり方を教えることができません。このような状況が業界全体に蔓延し、負のサイクルを生み出しています。多くの企業がPMの育成を体系化していないため、優秀なプロジェクトマネージャーの慢性的な不足が続いているのが現状です。

経験から得たノウハウのみを独自の理論として蓄積するのでは不十分です。僕は、正しい知識を備えた上で実践と改善を繰り返し、強固なノウハウを身につけることが、再現性を持ってプロジェクトを成功させるには必須だと考えています。それによって、不幸なプロジェクトを世の中から減らすことができるのです。

PMとしての僕は、結果を出せるというのはもちろんですが、やり方を体系的に言語化・整理しているところに最大の特徴があります。先日、売上1,128億円、従業員数2,509名の上場企業に向けて法人研修を行いましたが、数百億のPM経験もある事業部長から「久しぶりに素晴らしい研修を見た」と褒められました。嬉しかったです。

このように、PMの育成には多くの課題がありますが、人見の特徴を活かせば、強いPMを育成することができる。体系的な知識と実践経験を組み合わせた効果的なPM育成方法を確立することで、IT業界全体の生産性向上と、不幸な開発現場の減少につながると信じています。

■■第一号社員の育成■■

研修コンテンツの作成

そんなことを考え、僕は未経験人材をPM/PMOとしてリスキリングし、サービス提供していく事業を考えます。

未経験からPM/PMOを育成するために、まずは自分が持っているプロジェクトマネジメントの方法論を250ページのPowerPointにまとめるところから始めました。

作成に際して意識したのは2点です。

  • 今まで学んできたことを全て詰め込んでおり、少なくとも知識面では人見と同じレベルに達することができる

  • テンプレートに沿って記入を進めるだけでハイレベルなプロジェクト計画が立てられる“PJ計画書テンプレート”や、遂行可能な提案を作り上げる“提案チェックシート”などのオリジナルツールを提供することで、優秀なPMと同じ仕事ができるようになる

その資料の内容を新入社員にインプットし、実務をやり切れるかどうか検証しました。

未経験者の初PMに伴走

ある会社さんの「AIで体型を分析して最適な寝具をリコメンドする」システムの開発PMを受注することができ、そこに第一号社員をアサインすることになりました。

提案工程から参加し、要件定義・設計・開発・テスト・保守運用と全工程に関われたので、育成の試金石としてはこの上ないプロジェクトでした。

しかし、結論から言うと、自分が満足いくレベルのパフォーマンスを第一号社員に出させることはできませんでした。

例えば、資料を作ってもらったときに、一発目から自分にとって及第点のアウトプットが出てくることがない。「考えれば分かるじゃん」というレベルの指摘が必ず見つかる。
お客さんの要望を断らなければならないときに、伝え方がマズくお怒りを買う、など。

その理由は大きく2つで、「仕事への取り組み方のギャップ」と「理論を実践に落とし込む難しさ」でした。

仕事への取り組み方のギャップ

主な理由の一つは、第一号社員と自分の“仕事への取り組み方”のレベルが自分と大きく違ったことです。

例えば一つは、ゴールから逆算して自発性を持って仕事をすること。

彼はSES企業出身で、振られた仕事をただこなすと言う作業者マインドに染められてしまっていました。自分はSES企業経験ないのですが、色々な人から話を聞いて、下請け仕事ばかりやると本当に作業者マインドが染み付いていくものだなって思ってます。
#SES怖いよぉ

成果物の具体的な修正箇所まで指摘してあげれば、そこはちゃんと直る。しかし、一発目から自分にとって及第点のアウトプットが出てくることはない。「考えれば分かるじゃん」というレベルの指摘が必ず見つかる。

他に欠けていたものは、今できないことをできるようにしていくという向上心。

指摘をすると「分かりました」とは言うし、実際に頭では理解している様子なのにイマイチ改善が見られず、当時の自分は「本当になんで?」と思っていました。

あとから腹を割って話すと、「人見さんにはできるかもしれないが、自分にはそこまでできない」という諦めの気持ちがどこかにあったよう。フィードバックの内容は理解していても、本当の意味で改善しようという心構えで聞いていなかったことが分かりました。

このように、自分が前提としていた仕事への取り組み方が、備わっていることの方が少ないとが分かりました。こういった発見を繰り返し、PM/PMOが備えているべき8つの行動原理が抽出しました。

8項目の内容を詳細に解説する必要はないので割愛しますが、PM知識以前にこれらの基本的な行動指針を徹底させる必要があることが分かりました。

理論を実践に落とし込む難しさ

“行動指針”の体得以外にも、教育のフレームワークには問題がありました。

自分が作成した250ページの研修資料ですが、これに書かれているのはプロジェクトマネジメントという業務に対する理論やポイントです。

例えば、「要件定義計画を立てる際に留意すべきポイント」については書かれているが、「要件定義計画を立てる手順」のようにはなっていない。

研修を受けた人間が学んだことをいざ実務に落とし込むとなった際に、読み手が噛み砕く必要がありました。理論を実践に落とし込むのが個人的には大得意なので、人がそこで躓くと気づけていなかったのです。

PM業務の全てをマニュアライズするのは不可能ですが、実作業がイメージしやすいようにある程度のマニュアル作成も必要という結論に達しました。

育成フレームワークの完成

こういったトライアンドエラーを2年ほど繰り返し、育成フレームワークは一旦の完成を見ました。

未経験者が、某最大手ネット証券のPMOとして活躍していたり、一定規模の開発PM業務をこなせるようになりました。

育成のフレームワークが完成していない状態で大量採用を行えば、お客様からもクレームの嵐を食らうし、従業員にも約束したようなキャリアアップをさせられない。

そう思って、これまで積極採用は行っていなかったのですが、やっと採用にも力を入れられるタイミングがやってきたかなと思っています。

今後は採用にアクセルを踏み、より多くの人に未経験からPM/PMOを目指せる環境を提供していきたいと思っています。

未来の展望

これからのクリエイティブテックスタジオですが、主に3つの領域に力を入れていくと考えています。

営業力/ブランドの強化

「うちの会社が、PM/PMOを最も高く売れる会社である」

こう言い切れるように、会社としてブランドや営業力の強化を行っていかなければならないと思っています。

企業として売上・利益を向上させる必要がありますし、せっかく入社してきてくれた従業員に対して、より良い待遇を提供したいと思っているからです。単価が給与のアッパーを決めるため、営業力の強化は従業員の待遇に直結します。

先ほども出てきた第一号社員は、今35歳です。飲みながら人生の話などをしていると、子供や家族が今の彼にとっては1番であると話しています。自分は従業員のことを家族だと思っているので、その従業員の家族も家族だと思っています。

少しでも給料が上がりやすい環境を作って、家族の生活を良くできたらと思うわけです。良い社長ですね。
#うるさい

各種メディアへの登壇や、大学でのPMP講師としての登壇、経済誌への掲載など、ブランド強化に繋がる投資も積極的に行っています。

育成フレームワークの拡充

マネジメントの方法論は、エンジニアリングほどの移り変わりの激しさはないが、アジャイル開発の登場など少しずつ進化を続けています。

最近で言うと、AIの進化がマネジメント業務に比較的大きめの変化をもたらすかもしれません。

なので、育成フレームワークについては、永遠に完成させることなく改善を続けていきたいと考えています。
最近では上場企業のシステムズ・デザイン株式会社と組んで、PMO業務のマニュアライズをより進めたいと取り組んでいます。

採用の強化

これまで充実させてきた育成のフレームワークを、数人のためだけにしておくのはもったいない。世の中には、PMやPMOがまだまだ足りない。

AIの進化によって下流工程が効率化され、上流に予算を集中させられるようになっていくことから、さらにPMの人材不足は加速していくと見ています。

うちにしか作れないこのビジネスモデルに、より多くの人を巻き込むことによって、会社として成長していきたい。また、それを通じて世の中に大きな価値を提供できるようになっていきたいと考えています。

具体的には、3年後には我々の育成プログラムを通じて100人以上のトップレベルPM/PMOを輩出し、日本のIT業界の生産性向上に貢献することを目指しています。
そんなわけでここからPMキャリアの魅力を語ります。
#PRターイム

PMキャリアの魅力

まず収入が高いです。PMの平均給与は891万で、IT関連職種の中ではコンサルに次いで2位。超上流をやるコンサルを除いて、開発に関わるIT職種では1位。

弊社では、未経験からのPMOでも年収は650万円スタートになることが多いです。
その後は大幅に個人差がありますが、能力次第では5~7年程度の経験を積んで年収1,500万円に到達することも可能です。
・初年度:650万円
・入社3年目:750万円
・入社5年目:850万円
・入社7年目:1100万円
#しゅごい

また、待遇だけでなく仕事内容としても自分は非常に魅力的だと思っています。

  1. 顧客と直接会話して仕事を進められる

  2. 裁量が非常に大きく、自分の決めたやり方で仕事を進められる

  3. よりインパクトが大きい仕事ができる。プロジェクト全体を見る、関わる人数が増える、関わる人の職位も上がる

  4. コミュ力や問題解決能力の高い人にとっては、エンジニアをやっているときよりも自分の才能を存分に活かせる

何を気持ちいいと感じるかは人それぞれですが、やり方を好きに決められて、自分の生まれ持ったタレントをフル活用でき、一番矢面に立つからこそ完遂したときはメンバーや顧客から一番に感謝をされるこの仕事がとても面白いと思っています。

さらに、昨今話題のAIですが、今のところPMは代替される気配もない。
理由は2つ。

1.コンテキストの理解
プロジェクトマネージャーは、プロジェクトを取り巻く様々なコンテキストを深く理解する必要がある。
これには、組織の文化や政治力学、ステークホルダーの個人的な事情、チームメンバーの強みや弱みなど、数値化や言語化が難しい膨大な情報が含まれます。こうした複雑なコンテキストを読み解くことは、現状のAIがとても苦手なこと。

2.決定権の行使
プロジェクトマネージャーは、プロジェクトの目標達成に向けて、最終判断を下す権限を持っています。
一方で、AIにはこのような重要な意思決定を行う資格がありません。なぜなら、AIは単なるプログラムであり、決定した内容に責任を持つことができないから。
仮にAIが誤った判断をしてプロジェクトに悪影響が出たとしても、AIを処罰することはできませんし、AIに反省を求めることもできません。つまり、プロジェクトを成功に導く上で欠かせない決定権は、責任を取ることができる人間のプロジェクトマネージャーにしか託せません。

このように、既に高い市場価値が今後もどんどん上がっていく仕事であると考えています。

仲間募集

今、弊社のメンバーは12名。3年後には100名規模のPM人材会社を目標に運営しています。今年は9名を採用して、来年は30名、再来年は50名を採用したいと思っています。

今年度は9名採用目標に対して、すでに3名が入社しているので残り枠は6名。

PMキャリアに興味を持たれた方は、ぜひXのDMでお気軽にご連絡ください。一緒に、日本のIT業界の未来を創っていきましょう。
【お名前】
【居住都道府県】
【年齢】
【簡単なご経歴】

https://x.com/555hitomi

さいごに

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。PMやPMOにチャレンジしてみたいと思った方はいらっしゃいますか?

皆さんの職業人生が少しでも充実するヒントになれば幸いです。

まだ未完ですが、エンジニアとして挫折した男がPMという職業に救われ、これから100名規模のPM人材会社を創るまでの物語を作っていきます。
それでは。

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