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2021年大河ドラマ『青天を衝け』青天どころか曇天、いや嵐か

 2021年大河ドラマ『青天を衝け』を予測したいと思います。まずはじめに言っておきます。読んでいて心地よいものとはなりません。

 この原稿は武将ジャパンに送ったものの、不採用となったため、こちらで公開します。

 私個人としてはこう言いたい。もう逃げる時間は終わったのです。逃げた臆病者と将来馬鹿にされることだけはないよう、せめて気づいていて事前に抵抗を表明したい。
「あいつらは現実逃避していた!」
 そう言われることだけはどうしたって回避したいのです。避けたくても避けられない人はいる。かれらに成り代わることはできないけれど、矢が飛んでくるなら逸らす程度の役には立ちたいという思いもあります。

 時代はずれの脱亜入欧。思えば今までずっとそういう雰囲気はあった。中国の先行者ロボットを小馬鹿にしているうちにITであっという間に追い越される。海外のフィクションで、手軽な自動車としてヒュンダイやキアがでてくる。サムスンのスマートフォンを持っている。世界一のスポーツ自転車は台湾製。
 そういう現実を知っているからには、脱亜入欧で溜飲をさげたい手合いからは、意識的に距離を置かねばならないのです。迎合はもうしません。あ、そうそう、今これを書きながら聞いているのはBTSですよ。

 とはいえ、こういうツッコミは想像できます。
「お前は『麒麟がくる』が好きだったもんな、だから貶すんだろ?」
「「最初から否定ありきじゃねーか」「最初から否定ありきじゃねーか!」
「パヨクはこれだからwwwww」
 言いたいことはわかりますって! ですから、なるべく高い精度で予測するため、理論と証拠を固めてゆきたいと思います。

 肯定要素は数えません。主演の吉沢亮さんが美形ということは、周知の事実です。誰かが予測することであれば、ここでする必要はないのです。

 では、あえて必敗の要素を探ってゆきましょう。これは悪意ゆえのことではありません。これから落ちるとわかっていたら、受け身を取ることはできます。台風が来るとわかっていれば、避難の準備なり、食料の準備なりできます。そういう善意からあえて警告をさせていただきます。

主人公・渋沢栄一はなぜなのか?

 そもそもなぜ、渋沢栄一が主人公なのでしょうか?

 それは新札ありきとされております。ただ、大河ドラマと現実のイベントを組み合わせるとなると危険です。本作にも不吉な予兆が既にあります。

◆ 新500円硬貨発行はいつか コロナ禍が思わぬ飛び火:3代目(1/2 ページ) - ITmedia ビジネスオンライン https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2102/01/news052.html

 コロナ禍において、貨幣発行スケジュールもずれている。500円硬貨で起きたことが新札で起きない可能性がないとは言い切れません。そうなれば、この作品にもマイナスイメージがつきまといます。そのことを踏まえてドラマ題材選びはすべきかとは思いますが、今更それを指摘したところでどうにもなりません。

渋沢栄一はそもそもなぜ、新札に選ばれたのか?

 そこから考えねばならないのが悩ましいところと言えます。それというのも、紙幣の顔を誰にするのかということは、その国の価値観を反映する重要な要素です。

 アメリカでは、20ドル紙幣にハリエット・タブマンの採用が決定しました。トランプ政権で停滞していたものの、バイデン政権では再始動しております。

◆ 女性奴隷解放家の新20ドル札計画、バイデン政権が再開 https://reut.rs/3a8dt33

 イギリスはアラン・チューリングが採用されます。

◆ 「AIの父」アラン・チューリング氏、新50ポンド紙幣の肖像に https://japan.cnet.com/article/35139934/

 タブマンにせよ、チューリングにせよ、かれらには業績があることは確かです。のみならず、国家としての反省と贖罪のトーンもあります。タブマンは人種差別、チューリングは同性愛者差別に苦しんだ人物なのです。

 それと比較すると、日本の新紙幣に採用された人物は感覚が古いと言えなくもありません。津田梅子は比較的よいとは思えますが。私なら彼女で大河を作りたいところです。

 そんな中でも渋沢の場合、特異な特徴があります。再登板であること。そして隣国でも紙幣の顔とされていたこと。そしてこの要素が、最も懸念されるのです。

◆ 鉄道とともに日本軍がやってきた https://www.asahi.com/international/history/chapter03/02.html
◆ いま振りかえる 植民地支配 歴史と実態(2)/抑圧36年、日本は朝鮮で何をしたか https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-09-11/2019091103_01_0.html

 1901年、渋沢栄一は日本統治下の朝鮮において、京釜鉄道を設立しました。統治下でインフラを進めるなんて親切じゃないか! そういう勘違いは危険極まりないのですが、大河はどうにも反省しないようです。同じ目線は『西郷どん』における西郷菊次郎の扱いでもありました。

 鉄道網とは、支配地域の食糧や物資を輸送するものである。どんなにインフラだのなんだの言い募ろうが、搾取のための大動脈じゃないか! そういう意見は出てきます。いや、もう出ています。

 韓国からすれば、鉄道とともに軍隊がやってきたようなもの。この鉄道を足掛かりに日露戦争を戦い、支配するための大動脈としたのです。鉄道建設に伴い、土地が収奪される。現地での厳しい労働は、強引に集められた民が従事することとなる。農作業をする暇もなく建設に動員されるとなれば、飢餓や貧困も招く。当然のことながら憎しみを招き、抵抗する事件が続発しました(「義兵闘争」)。

 そんな時期の1902年から1904年にかけて、日本第一銀行券の肖像画が渋沢となり、朝鮮半島でも使用されたのです。

 いくら日本では偉大だろうと、朝鮮からすればそうではないのです。

◆「渋沢紙幣」大韓帝国下で発行 韓国メディアは反発: 日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43545070Z00C19A4FF1000

 悪意ある人選と思われてもおかしくありません。

 そんな紙幣の人選くらいで反発する奴らがおかしいんだ! そう思いますか? 伊藤博文が紙幣の顔になった時は、罵倒と呪詛の声があったものですよ。戊辰戦争で敗北した地域では、「こっだ札使ってらんね!」と非難轟々だったそうです。紙幣の顔の選び方は慎重にすべきということですね。

 そういう火中の栗を拾うような題材を、2021年に大河ドラマにしたということです。

なぜ、2021年なのか?

 大河ドラマは発表の時期も興味深いものがあります。典型例が2015年『花燃ゆ』です。この作品は発表まで異例に遅かったのです。2013年12月が制作発表でした。

 2015年は真田幸村四百忌にあたりました。それが吉田松陰の三番目の妹が主人公となり、真田幸村は死後401年目に大河ドラマになるという、なんともよくわからないことが起きたのです。

 『花燃ゆ』が発表された2013年は『八重の桜』が放映されていました。この作品は近年幕末ものでも随一の出来といえます。けれども、報道のバッシングは手厳しいものがあり、かつファン評価との乖離が著しい現象が起こりました。

「山口県民が、長州が悪役になると嘆いている! 不安の声をあげている!」

 これも奇妙な話です。『真田丸』放映時、徳川家康ゆかりの地が嘆いたような報道は当然のことながらありません。それどころか、山口県ゆかりの大物政治家が不快を示しているという報道までありました。

 そんな不満があったから2015年は山口県ゆかりの大河なのかと、どうしたって考えてしまいます。ところが、『花燃ゆ』は地元すら困惑していたというのです。

 山口県では2018年の明治維新150周年に向けた大河誘致を期待していた。

 女性主人公ならば、伊藤博文夫人ではどうかといった意見も地元からはあった。

 吉田松陰には三人の妹がいるが、その中で三妹が最も活躍していない。兄との年齢差もあり、性格的にもおとなしく逸話も乏しい。最初の夫である久坂玄瑞は彼女との結婚を嫌がっていた。

 そんな三妹の再婚相手は、某政治団体の関係者の先祖にあたる。

 なんとも胡散臭い話がある。最近はこのドラマにおける吉田松陰役の俳優が大麻所持で逮捕され、話題となりました。大河ドラマはキャストのスキャンダルが相次ぎ、身体検査をするべきだという意見も根強くあります。この俳優の場合、政治的な要素が報道されており、根本的なところまで考えなければどうしようもないというのが私の見解です。もう隠すのもまどろっこしいからまたヒントを出しますが。あの逮捕された吉田松陰役はファーストレディのお気に入りだったそうですね。しかも草繋がりで。これじゃ『草燃ゆ』だったなんてしょうもないことを私は思っちゃいますよ。せわぁない!

 さて、大河の時期まで話を戻します。2021年大河の時系列を整理してみましょう。

新紙幣の発表が2019年4月。そして渋沢栄一大河は9月です。

2016『真田丸』2014年5月

2017『おんな城主直虎』2015年5月

2018『西郷どん』2016年9月

2019『いだてん』2017年4月

2020『麒麟がくる』2018年4月

2021『青天を衝け』2019年9月

2022『鎌倉殿の13人』2020年1月

2023『どうする家康』2021年1月

 そもそも、新札の発表時期からして異例でした。少々長くなりますが、引用させていただきます。

◆ なぜ"5年後の新紙幣"をいま発表したのか 「たまたま重なった」は本当なのか https://president.jp/articles/-/28409新紙幣の発行を決めたのは、安倍晋三首相と麻生氏である。発表から発行まで5年かかることになる。前回、2004年の新紙幣発行では、発表は2年前の2002年。それに比べると、今回はかなり早い時期の発表だった。

4月1日の新元号の公表と5月1日の改元、そして天皇の即位とタイミングがうまく重なる。麻生氏は「たまたま重なった」と話していたが、果たしてそうだろうか。新紙幣発行の発表は一連の祝賀ムードをさらに盛り上げるための小道具のひとつだと思う。沙鴎一歩には亥(い)年の統一地方選が行われている最中、安倍政権が祝賀ムードの盛り上がりに乗じて自らの支持を高めようと画策しているように思えてならない。

今回、"お札の顔"はどのように決まっていったのだろうか。紙幣のデザインは財務省と日銀、紙幣を印刷する国立印刷局の3者が協議して概略を決め、最終的には日銀法に則って財務相が決める。

肖像画の人物の選定は、国民に広く知られ、学校の教科書に載るなど世界に誇れる人物であることが基準になっている。ただし政治色が薄いことが求められる。軍人も外される。さらに偽造防止の観点から精密な写真の残っている人物が好ましいとされている。

 手元に渋沢栄一の本があります。10年ほど前のものです。日本人でも知るひとぞ知る人物だとある。そして政治的にも隣国がらみで燃え盛る。どうして渋沢が新札の顔なのか? どうしたってそこは気になるところです。

 先ほどの年表に、ちょっと足してみましょうか。

2015年、朝の連続テレビ小説『あさが来た』。薩摩閥の政商・五代友厚をアピール。脚本家は『青天を衝け』に起用される。

2019年、元号発表。この元号の制定には『西郷どん』原作者も関与する。天皇即位。オリンピックに向けて『いだてん』で盛り上げる(とはいかなかったけれども)。

2020年、オリンピック開催。朝の連続テレビ小説『エール』で盛り上げる。

2021年、オリンピックムードで盛り上がる中、渋沢栄一大河『青天を衝け』で盛り上げる!

 なかなか綺麗な一直線が描けます。それもコロナ禍で崩れましたが。

 まあ、胡散臭さはわかった。それにしたって、隣国に喧嘩売ることないじゃない? そう思いますか。これには理由だって想像ができます。2010年代に猛威をふるったトランプ流のやり口です。煽り、挑発し、相手が抗議をしたら「あいつらは敵だ!」と声高に叫べば、支持者たちは熱狂的についてくるものです。こういう隣の相手と小競り合いをして本質から目を逸らす手法を,私は【甲賀忍法帖現象】と勝手に読んでいます。伊賀と甲賀が争っている限り、幕府に不満は向かわないのです。『三国志』なら「二虎競食」、「駆虎呑狼」の計です。

 トランプ以前に、幕末の尊皇攘夷思想にもそういう面があったものですが。そこは『青天が衝く』の水戸藩描写に期待しましょう。

【明治礼賛】路線の栄光を……

 2010年代は、大河ドラマの歴史にとっては暗黒の10年となることでしょう。力作もありましたが、あまりに露骨な路線があります。

2015『花燃ゆ』

2018『西郷どん』

2019『いだてん』

2021『青天を衝け』

 2021年はこの路線の来週ランナーということです。最終であって欲しい。これ以上はいりません。

 ではその路線とは何か? 「明治礼賛」路線です。明治維新はすばらしい、アジアの中で唯一列強と肩を並べた栄光の歴史だ――そういう見方です。

 2018年に白々しいまでにその路線が到来する――そう二人の方が対談しています。菅原文太さんと半藤一利さんです。彼ら以外にもそう分析していた方はおられます。

◆菅原文太兄ぃは仙台藩士の末裔~『仁義なき幕末維新』に見る賊軍子孫の気骨 https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2020/10/10/117035


 政府はもちろんのこと、NHKも大きな役割を果たしています。大河以外でも時間を巻き戻してみましょう。

 2009年から2011年にかけて放送された『坂の上の雲』。原作ともどもファンが多い作品にあえて切り込むことは気が重いと言えばそうですが、虎穴に入らずんば虎子を得ずとは言ったものです。この作品の懸念要素をざっとあげてみましょう。

・原作は明治維新100周年にあわせて『産経新聞』に連載された。
・日本では司馬遼太郎の代表作扱いだが、海外では翻訳されていない。
・作者自身も映像化を禁じていたものの、彼の死後、夫人が許可した。
・原作の時点で間違いや意図的な誤誘導が多い。

 日露戦争について海外の意見を含めて調べたり、海外の方を話していると、どうしたって苦しくなることがあります。

 日本で日露戦争の勝因論争となると、まず秋山兄弟の名前があがります。けれども、海外では違う。

 物流、英米の思惑、ロシアの疲弊。そういう日本人の努力以外の要素があがります。それはそうだと思います。戦争というのは、開戦前の物流や外交の時点で勝敗は決しているのです。開戦後のドンパチが見たいとすれば、それは観戦欲求や英雄史観への迎合にすぎないということです。

 厄介なことに、『坂の上の雲』は政治経済界にも愛読者が多い。フィクションなんだから誇張は当然だのなんだの言われますが、国のトップに立つような方がこれを教科書がわりにして人生論を語り、部下に「君がやろうとしていることは『坂の上の雲』だ。これは、俺がやらせてあげる」などと言い、明治コスプレ遊びのようなことをしているのですから、洒落になっていないのです。

 そんな司馬遼太郎は、ともかく明治が好きです。そして極度に理想化し、あやまった像をふりまきます。

「明治時代は汚職がない」

「明治時代は少年の国,誰もが一生懸命だった」

 こういった概念を著作で記し、それがベストセラーとなり、今でも信じ込んでいる人が多いのです。まさしく【明治礼賛】の王者とも言えます。

【明治礼賛】はいつまで続くのか? “オワコン”か?

 そうした【明治礼賛】ドラマと言えるのが、2015年下半期朝の連続テレビ小説『あさが来た』でした。100作目を記念して行われた朝ドラ人気投票でも1位を獲得しています。

 この歳は大河ドラマがあまりにひどかったこともあり、うっかり私もこの作品に四つ星を献上しそうになりました。

 それもグラバーとも手を結んでいた政商・五代友厚クリーンアップ路線の果てを見るまでのこと。「開拓使官有物払下げ事件」という、屯田兵と開拓者が血と汗を流して開拓した北海道でマネーゲームをやらかした事件が劇中に出てきたのです。五代はこの事件のせいでマイナス評価にぶれたとはいえ、悪いものは悪い。それがドラマでは、マスゴミが捏造したでっちあげ冤罪のように描かれ、ヒロインが五代様は悪くないという旨をキンキンと叫んでおりました。

 SNSでは、五代様を庇うこんなコメントが並ぶ始末。

「マスゴミは卑怯だ! 政治家はこうやって貶められるんだな!」

 こんな路線で大成功をおさめたのですから、同じ脚本家が抜擢されても何ら不思議はありません。このドラマのヒロインは財閥のトップに君臨し労働者を搾取する側です。視聴者はそんな彼女にうっとりして感情移入していたのですから、チョロいし伝統的だと思いました。

 どうしてそうまでして【明治礼賛】を続けるのか? 明治元勲子孫であることを掲げた人物が社会に君臨していないか? そこをもう一度考えてみましょうか。

 中国では始皇帝を扱ったドラマが礼賛だと批判されておりますが、それを言うのであれば【明治礼賛】ドラマは、毛沢東あたりをイケメンにしてキラキラと描いているようなものです。それでも国際的にさしたる炎上をしないのは、中国よりも日本の存在感が国際的に弱いだけのことではないでしょうか。“ジャパンバッシング”から“ジャパンパッシング”になったということです。わかりやすくいえば“日本スルー”ですかね。

◆ 暴君・始皇帝を賛美する中国ドラマ──独裁国家を待ち受ける滅亡の運命 https://www.newsweekjapan.jp/satire_china/2021/01/post-47.php

 そしてこういう路線は、実は幕末明治以来ずっとあったとも言えます。その二本の柱をあげてみましょう。

・顕彰とフィクションによる美化
・メディアとの会食三昧

 フィクションの美化から。

 吉田松陰が典型です。久坂玄瑞ら松下村塾の弟子たちは、いかにして松陰を神格化できるか、注力してきました。現代ならば坂本龍馬が筆頭でしょう。

 そして明治維新以降ともなると、幕末維新のヒーローたちは無邪気なまでに礼賛されました。小説、映画、テレビドラマ、漫画、ゲーム……尊皇攘夷は熱血青年のちょっとしたスパイスとして消費されてきたのです。

 『るろうに剣心』の緋村剣心は、十代で洗脳され連続殺人を起こしていたテロリストです。そういう人物が「おろ?」ととぼけて少年漫画の主人公をつとめ、現在も映画が公開されています。

 明治維新の人物と恋をする乙女ゲーだって大人気。女体化して放置される幕末の人物もいる。

 イギリス人がネルソンやウェリントンでそんなことをするものでしょうか。フランス人がダヴーやマッセナと恋するゲームで遊ぶものでしょうか? 日本には独特の感性なり歴史観があるのでしょう。

 そして次は、メディアとの会食三昧。

◆ 政治家とメディアの会合 米は「コーヒー1杯」超えると癒着|NEWSポストセブン https://www.news-postseven.com/archives/20150614_328057.html

例えばアメリカなら、メディアの人間が政治家と会う時は、たとえ社長でも、あるいは相手が地方議員であっても「コーヒー1杯」が上限で、それ以上の飲食は「癒着」「ジャーナリズムの腐敗」と見なされる。日本のメディアのお偉いさんたちは世界の非常識なのである。

 どうして日本は特殊なのか? ヒントは幕末にあります。

 幕末の京都において、長州藩士はテロ行為をたくさんやらかしました。京都を焼き払ったどんどん焼けだって、「禁門の変」を長州藩が起こさなければなかったのです。

 それでも、京雀は長州藩士に夢中でした。久坂玄瑞はじめ色街ではモテモテ。庶民だって大好き。

 きっと長州藩士は素晴らしい人格者だったんだ! そういう誘導は『花燃ゆ』でもありました。さにあらず。理由は簡単でした。

 金払いがよかったから。

 パーッとお金を使っちゃえ! 長州藩の会計システムは特殊で、接待費を豪快に使うことができました。貧しい会津藩が全く金を落とせないのに対して、長州藩はバンバン落とすと。

 このことを学んだのか、明治政府は露骨なことをしたと言えます。福島県、中でも会津地方の交通網を発展させない。会津に水力発電所ができて関東に電気を送ろうが、特に恩恵は施さない。その一方で、マスコミとはバンバンご飯を食べる。御用新聞とも言えるメディアもできてくる。

 第二次世界大戦での報道統制は「大本営発表」と悪名高いものですが、何のことはない、それ以前から日本の報道は癒着が著しいものでした。独自の発展と言ってよいのやら……締め付けるわけでもなく、餌付けしていたようなものです。

 最近のある本でも「政治家と食事をすることで本音を引き出せるから」という旨が書かれていたのですが、いい加減国際基準にあわせていただかないと困るのですよ。

 いつまで明治礼賛、薩長ルールなのやら。もう150年以上経過したのに。

 BLM時代で近現代史の見直しが進む時代です。明治礼賛が極まった2010年代の残滓(ざんし)という時点で、『青天を衝け』は沈むさだめとしか思えません。

 全方位から叩かれ、無惨に沈むとしか思えない。もうフィクションだからという言い訳も通じない。

 気の毒だとは思います。出演者の皆さんは特にかわいそうだと思うのです。生真面目で、家族を喜ばせたくて,断れなかったのか。大河にそんな罠があるなんて思いつかない方もいることでしょう。

 ただもう、如何ともし難い。幸いと言ってよいのかわかりませんが、コロナ禍もあってか放送回数すら未定です。

 既に2022年、2023年に注力している気配すら感じられます。

 そっとソフトランディングする、店じまいを早々に考えることが、最も痛みがないとは思うのです。

 ただ、これだけは言っておきたい。

 吉沢亮さんはじめ、出演者を過剰に責めないでください。

 失敗した責任の所在は、そこにはないのです。

 既に失敗の気配を察知しているニュースも出てきました。

◆松潤&ガッキー砲が影響?吉沢亮の大河「青天を衝け」をファンが心配するワケ | アサ芸プラス https://www.asagei.com/excerpt/168503 

「吉沢は昨年末、大河出演者ということで『NHK紅白歌合戦』に審査員として出演。例年ならば、出演者とともに大河が大きく紹介されるのですが、昨年は新型コロナ対策のため、リモート参加となり、出番もわずかとなりました。そんな中、今年に入り、『女性セブン』が、来年放送される小栗旬主演の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に新垣結衣が出演する可能性があると報道。さらにNHKからも、23年の大河で、松本潤が主演を務めると大々的に発表され、世間の注目は来年以降の大河へ集中することに。これらにより吉沢の『青天を衝け』は、すっかり影が薄くなってしまったため、吉沢ファンの間で『新しい大河の情報は、もう少し待ってほしかった』『ただでさえ、「青天を衝け」は戦国モノじゃないから地味だと言われているのに…』『視聴率の爆死が怖い』と、ネガティブな意見も飛び交っています」(テレビ誌記者)

 “砲”も何も、底に穴が開いた船は沈むしかないのです。なるべく損害を与えないでください。大河枠ごと潰すようなことはしないでいただきたい。

 切実にそう願いつつ、重い気持ちで終えたいと思います。

 ネットの感想投稿を操作しようにも、その手ももう明かされつつあります。こたつ記事を量産しても、このドラマを傑作とすることは難しい。そんな時代が到来しました。

◆ 世界49カ国が民間企業にネット世論操作を委託、その実態がレポートされた https://www.newsweekjapan.jp/ichida/2021/01/post-17.php
◆ 溝手氏の批判ブログに投稿 克行被告、業者に指示 https://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=691375&comment_sub_id=0&category_id=1256

 そうそう、このドラマの予習でも。斎藤貴男『「明治礼賛」の正体』、三好徹『政・財 腐蝕の100年』をおすすめします。

『青天を衝け』予想

・視聴率は低迷。2桁を割らないことが当面の目標。NHKプラスもあり、数値は減っているものの、そこを考慮してもあまりに低い数字もあり得る。2020年と2022年と比較すると、陥没したような数字となる。それでも2019よりはマシであるのが救いかも。

・放映中に何らかのスキャンダルが発覚し、その話題ばかりが盛り上がる。

・SNSでも盛り上がらない。ファンアートを取り上げようにも難しい状況となる。

・幕末ばかりを引きずり、明治がおまけのような展開になる。これで渋沢を扱う意味があるのかという批判が尽きない。ゆえに評価は低迷する。

・ともかく明治村ロケが続く。そこまで露骨に明治村にしなくてもよいが、やる気がないので仕方ない。

・放送回数は少なくなる。

・番宣や関連番組ですら露骨な『鎌倉殿の13人』推しが目立ち、いたたまれないことになる。

 こんなところです。それでは皆さん、ごきげんよう。と、言いたいところですが。書いている現在(2020年2月6日)、盛り上がっているさらなる要素も加えねばなりませんね。

ミッシングピースがハマった

 ここまで書いていて十分疲れ果てたのですが、ミッシングピースがハマるようなニュースがありました。

 それは森喜朗氏です。

 政治と大河の繋がりというと、調べていてこんなことにつきあたりました。2002年『利家とまつ』は、森氏が誘致したという疑惑が当時報じられていたというのです。なるほど! そういう旨みのあることをもたらすコミュ力があるからこそ、慰留されるのではないかと思い至った次第です。

◆五輪組織委森会長 自民・世耕氏「余人をもって代えがたい」|TBS NEWS https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4191659.html

「余人をもって代えがたいところがあると思いますよ。IOC(=国際オリンピック委員会)との人脈、これまでのオリンピックに関する知見、その他を考えたらこの直前のタイミングで、森さん以外に誰かこのオリンピック開催を推進できる方がいらっしゃるでしょうか」(自民党 世耕弘成参院幹事長)

 次は2019年『いだてん』でも。もう死屍を鞭打つのようで正直触れたくないのですが、大河と政治の繋がりという決定的なサンプルなのでそこは仕方ありません。そこは伍子胥気分でがんばります。

◆嘉納治五郎記念センターが昨年末で活動終了、五輪招致に関与 https://reut.rs/3a26nwJ
◆森会長がトップ務める財団が突然閉鎖…五輪中止の“前兆”か https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/284538

やはり東京五輪は中止が決まっているのか。大会組織委員会の森喜朗会長(83)が代表理事を務める一般財団法人「嘉納治五郎記念国際スポーツ研究・交流センター」が昨年12月末で活動を終了していたことが分かった。公式HPには〈2020年12月末をもちまして活動を終えました〉と記されている。

財団は、アジアで初めて国際オリンピック委員会(IOC)委員を務めた嘉納氏の名前を冠し、2009年に設立された。日本オリンピック委員会(JOC)と同じ東京・新宿区のビルに入居している。森会長をトップに山下泰裕JOC会長や遠藤利明・元五輪相ら“お歴々”が理事に名を連ねる。五輪関連の講座など、啓発活動を行うと同時に「20年大会の招致活動にも関わった」(大会関係者)といわれている。

 なんであのドラマは嘉納治五郎をあんなに推すのか、理解できませんでした。生前はわかる。けれども、死後まで守護霊並に目立っていましたよね。それなのに東京五輪で柔道が競技採用された場面がなかったので、ちょっとよくわからないと首を捻っていましたが。そういうこと、でしょうか。

 はい、2019年ここまで。話を2021年にしましょう。

 森喜朗氏といえば女性差別として騒動となっております。#Metooをふまえる。ジェンダー問題と向き合う。これも重要な課題となるはずです。この点からも、渋沢栄一は題材としてどうなのか考えたいところではある。

 確かに儒教の教えを引いて、女性の重要性を説いてはいた。けれども、妻からすら「父さまは儒教といううまいものをお選びだよ。ヤソ教なら大変だよ」と皮肉られていたとか。本人も婦人関係には後ろ暗いところがあると言葉を濁していたそうです。孫も「ヒヒジジイ」と軽蔑していたとか。

 当時はそんなものだ。イケメンならば許される。そういう誘導は想像できるところではあります。『八重の桜』では、八重と演じる女優を比較し「美カしすぎw」と揶揄されたものですが、今回はどうでしょうか。

 そんなイケメン推しどこまで通じるかそこは期待したいと思います。これも森さんのおかげです。森さんのおかげで、「そういうものだから」とナァナァに流せない、それがジェンダーだとはっきり証明されたのです。楽しみが増えた点については、森さんに大感謝ですね。

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