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『おちょやん』93 鶴亀新喜劇、始動

 昭和23年(1948年)、万太郎の死を受けて道頓堀演劇界が動きます。一平は鶴亀のためでなく、喜劇のために引き受けたのです。そして新座員も加わります。

万歳と千兵衛は納得できない

 大山社長の筋書きはたいしたもんや。道頓堀を賑やかした万太郎一座と、家庭劇が、万太郎の死で結びつく。うーん、昨日の感動も社長の営業戦略かと思うと水差されますよね。でも、世の中そういうもんよ。
 旗揚げは 昭和24年(1949年)初春興行。しかし、ここでやってきた万太郎一座の役者はムスッとしています。女性の灯子はともかく、万歳と千兵衛はあかん雰囲気がバリバリにでとります。それにしてもメイクがすごい。この顔色とか、眼鏡とか、昭和前半の青年らしくてすごい。
 演目はどないするか? 長年いがみ合うてきた家同士が仲良くなるもんはどうかとなります。千代はうちらのことと喜び、千兵衛にどない思うか聞きますが。
「まあ、ええんとちゃいます」
 灯子は歌劇団出身、香里の後輩です。彼女は好意的ですが。万太郎一座コンビは、戦場で泥水啜って戻ってきたのに、鶴亀の命令でこうなってしまったと無念の思いをぶちまけます。万太郎一座では末席で気弱な雰囲気すらありましたが、不信感がたぎっているのです。
 千之助はここで二人をいつまでもグチグチうるさいと突き放す。クズだのボケだの相変わらず言葉がきつい。そこで相手は万太郎からほかされたくせにと返してくる。
 ここで乱闘になりかけ、周囲が止めに入り、万太郎一座コンビは出て行ってしまいます。

千之助の寂しい背中

 その夜、夕食を食べつつ一平はしみじみと言います。戦地に行ったもんの苦しみは、行ったもんしかわからへん。千之助は脚本を一人で書き、座員は相変わらず居候していると。
 こうしてできた『お家はんと直どん』。愛し合った男女が父親に騙され引き裂かれ、憎みあったまま四十年後再会するという話です。うーん、万太郎と千之助やん。これを一心不乱に書いて上演するって、自らをカップリングするBLかいな。そういうたとえはさておき。
 ところが、稽古で主人公のお家はんを演じる千之助はセリフが出てこないのです。なんやろ? 万太郎の死で燃え尽きたんか。
 しかも万歳と千兵衛は稽古に出てこない。
 千之助は一人酒を飲みつつ、万太郎の言葉を思い出しています。
 セリフが飛ぶくらいはかまへん。演じる役と話の筋。それさえつかんどけばお客さんの心は掴める。せやけどな、セリフは忘れる。即興も出えへん。そないなったら、役者は終わりや。
 この場面は七輪で炭が燃えています。実際に燃やして熱と臭いがあるからこそできる芝居もあるんちゃうか。
 なんや寂しい背中や……そう周囲が思っていると、誰かが戸を叩いています。

灯子の居場所

 千代と一平と灯子は、閉店間際の岡福におります。灯子に挨拶をするみつえですが、灯子はみつえのことも一福のことも知っとるわけですね。なんでやろ? 一福はねじり鉢巻のにあう坊主頭昭和少年になってます。西部劇みて真似したりしてそうな子、そろそろ貸本屋で漫画借りるようになっとると。
 灯子は、なんとあの『マットン婆さん』を見ていました。今までで一番いいお芝居と言われて、一福はトランペットを鳴らし(どこに置いとるんや!)、得意げな顔になると、みつえが「うどん伸びんで」と引っ込ませます。みつえ、すっかりええお母ちゃんになって。
 灯子は父を早くに亡くし、母と妹と暮らすも、その家族まで空襲で失いました。何もかも無くし、戦争が終わって桃どるわけでもない。生きててもしゃあないと思っていたところで、あの芝居を見た。
 それで鶴亀新喜劇にきた。なくさんどいてくださいと灯子は語ります。やっとできた彼女の居場所。
 『なつぞら』では咲太郎がいた浅草ストリップバー。ああいう場所に流れるしかない灯子のような女性もいたことでしょう。そこを考えると新喜劇はえらいと思う。千代が灯子ちゃんのためにも旗揚げ成功させるというのも納得です。

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2020年度下半期NHK大阪朝の連続テレビ小説『おちょやん』をレビューするで!週刊や!(前身はこちら https://asadrama.com/

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