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2030年に大河はあるのか?(武者)

 武者震之助原稿のボツをこちらで公開します。 

『麒麟がくる』が再開されます。

 休止中、クソレビュアーこと武者震之助は何をしているのか? いろいろ考えてきました。世の中がこんなことになったのです。悶々と考えてしまいます。

 思えば、世の中は変わりつつあります。私が大河レビューをした2010年代は、極めて異常な時代であったと思います。それまでと同じ流れで考えていては、見えてこないものがあるはずでしょう。

 何作かは、テーマからしておかしかったのだから。

2010年代大河とは何だったのか……

2015年、大坂の陣から四百年という節目、かつ真田幸村四百忌。そんな歳に、吉田松陰の妹が主役の大河ドラマが放映される。こんな珍事ってあります? 

 もう二度とあって欲しくない。そういうことが必然ではなく偶然で起きたという話に、こちらとしては乗ってはいられません。

 ついでに言いますと、武将ジャパンからはあのおにぎり関連記事は消えています。自分のデータを探り、総評だけでもアップロードしたいと思います。投稿というサービスは、書き手の意図しないところで消えるものですので、そこは仕方ないとは思いますが。近日中に公開します。需要はどうでもいい。あの異常性は知られていいはずでしょう。

 あのおにぎり松下村塾ドラマがどうしようもない駄作だった。それだけのことなのか? そういう単純な話でもない。あの作品は、大河の良識をぶち抜いた犯罪的なものであったと、しみじみ思います。2015年、2018年、2019年大河に関しては、もっと検証が必要なはずです。

 小栗上野介忠順で大河を推していた群馬県なのに、吉田松陰妹夫がらみで舞台が巡ってきたあげく、未開の土地として描かれ(インターネットミームの“グンマー”と書き込まれる始末)、地元で不人気な長州知事が持ち上げられる。


 震災に苦しみ、観光で復活を狙いたい。加藤清正を大河にすれば起爆剤になる。そう思ってておかしくない熊本に、マラソン選手がらみで大河が回ってくる。

 そういうわけのわからないことをしていた迷走の期間。それが2010年代として振り替えられることでしょう。

10年後に大河ドラマはあるのか?

 大河ドラマのこの先を考える上で、どうしたってこう思わずにはいられない。

「2010年代こそ、大河を滅ぼした時代であったと回想されるのではないか?」

「10年後に大河ドラマはあるのか?」

 そう思う中で、他のニュースが大好きな次の大河ドラマの話題など、している暇がないというのが私の見立てです。そう前置きをして、考えてみましょう。

 そんな嫌な話は聞きたくない? 読まない? こういう言葉をご存知ですか?
 忠言耳に逆らう――忠告の類は、耳に逆らうということ。大河レビューごときと呼ばれそうですが、このことはここ数年で身にしみてきました。
 これはまずい。この調子だと視聴率が伸び悩むと予想をすると、いろいろ聞こえてきます。
「あなたは私とドラマ評価が同じだから読んできたのに、裏切るつもりですか?」
「あなたはわかっていないんです。素直に見ればこのドラマの良さがきっとわかります」
 これに対しては、「忠言耳に逆らう」で返せると気づきました。レビュアーは因果なもので、褒めたら褒めたところで、アンチから叩かれるわけです。
 読み手も感情にフィットするものを生み出さねばならないのだと。それがプロというものだと。
 
 もう、クソレビュアーが文字通りどれだけクソレビュアー扱いされたか考えると、しみじみと茶でも飲みたくなります。『信長の野望』の松永久秀顔グラでね。
「大河レビューで飯食ってるのに、貶して馬鹿だよね、ほんと」
「読み手の気持ちに合わせればいいでしょ。それでいいじゃない」
 いいんです。うつけには賢い方の考えなんてわからない。だからこそ、このままうつけなんだろうから。誰かが私を罵倒して、それでちょっとでも気が晴れるなら、それは結構なことです。社会の役に立ててありがたいことです。バカであることは真実なので、そこに逆らう気はない。世の中、賢い人ばかりです。その程度は流石にわかります。

 大河がなくなったら、あんたみたいなクソレビュアーは商売上がったりだ。食っていけなくなる。そう言われたこともあります。天下万民、そういう自分一人の身の上だけ汲々としていたら、世の中はよくならない、麒麟は来ない!
 ……そういう姿勢を、今年の大河光秀から学ぶべきではありませんか?

 自分なりに考えていたことはあります。ただ書くだけ、自分が食べていくだけではなくて、大河そのものをよくできればいいと微力でも考えていました。

・なるべく事前予想は当てること。ここ数年の大河と朝ドラで視聴率や質の予想をしてきました。2017年下半期朝ドラ『わろてんか』が予想以上に酷かったことを除き、ほぼ当たりました。
・ドラマをよくするために、きっちりと中身のあることを見たい。あの俳優がムカつくとか、気に入らないとか、女性人物が生意気だとか。そういうことではなく、時代考証がおかしいとか、整合性矛盾であるとか、そういうことを見ていきたい。
・SNSは無視。ハッシュタグは無視。エコーチェンバー(※)を避ける。

※エコーチェンバー現象(エコーチェンバーげんしょう、Echo chamber)とは、閉鎖的空間内でのコミュニケーションを繰り返すことよって、特定の信念が増幅または強化される状況の比喩である。Wikipediaより

 自分はうつけなんじゃないかと思う。毎週思う。
 世間には、SNSの反応を切り取った大河ニュースがどっさりある。それでアクセス数も稼げることでしょう。
 でも、私は自分の頭で考えて、今後を予想したいのです。

危急存亡のときをふまえて

 大河ドラマの置かれた状況は、永禄年間の戦国大名や、安政年間の幕末の人物に似たようなものかもしれない。最近そう思えるのです。

 そう前置きをして、こんなニュースを見ていきたいと思います。

◆次の大河ドラマ10年を勝手に展望。「北条五代」「加藤清正」「壬申の乱」がやってくる!?【麒麟がくる 満喫リポート<番外編>】https://serai.jp/hobby/1002338‬

 この記事に突っ込ませてください。まず、小学校高学年や中学生を馬鹿にするのはやめましょう。彼らは記憶力抜群で、可能性があるのです。

 大人の悪癖、なまじ優等生だった方のやらかしがちなこととして、自分を基準として語ることがあるわけですね。

 私は、そのへんの道端にいる小学生でも、基本的のこのクソレビュアーよりは賢いという前提で考えます。

 誰も興味ないと前置きして、クソレビュアーの小学校高学年から中学生の頃を振り返ってみますと……大河、そもそも見ておりません。お前なんざ真の大河ファンじゃないとしょっちゅう怒られますが、その通りなんですよ!

 はい、そんな自分語りはそろそろやめまして。自分なりに考えてきた、そんな改善策です。

「むしろ休止期間を入れる。シーズン制にした方が2020年代にマッチするのでは?」

 もちろん、理由はあります。

 2010年代を代表するテレビシリーズといえば『ゲーム・オブ・スローンズ』。これと大河ドラマを比較して、どうしたって惜しまれる点がありました。

 ああいうシーズン制のドラマは、数年間ファンが盛り上がれる。シーズン間に展開を予測する楽しみもある。

 ジョン・スノウの生死予想なんて盛り上がったものです。

 しかし、大河はたった一年。どれだけ盛り上がっても一年。正直なところ、盛り上がりに欠けると思えました。これは招致自治体もそうです。

 大河招致のリスクを考えましょう。

 大河は呼んだところで、結局のところ一年限り。コロナ禍の時代に招致するには、リスクが高すぎるのです。それにここ数年は、むしろ赤字を記録してしまう大河観光地がありました(2015、2018、2019)。

 それならば漫画やソーシャルゲームとの連携をはかる自治体も増えてきます。

 そもそも、昭和にあった家族が大河ドラマ目当てで観光地に向かうビジネスモデルは、令和でも通じるのか甚だ疑問です。

 いつまでも昭和を引きずっていてよいものでしょうか?

 意地悪なことを言いますが……こういうことを言い出す自治体なり、取り上げるメディアなり、大河ドラマから歴史を学んでいるのかどうか? 戦国時代にたとえるのであれば、こういうことではありませんか?

「うーん、やっぱりこれからは鉄砲の時代だな! 課題はあるけど、そこを克服してどう戦うか?」

「やはり、日本人の心は弓矢とともにあるわけですよね」

「ええ、どこの弓矢が優れているのか、産地間でアピール合戦をしています」

「鉄砲だなんだかんだ言っている人もいますが、そういうのは無視。日本人は弓矢ですね!」

 うーん、もうこれは鉄砲撃ちまくるしかないでしょう!

 幸いにして、令和を生きる私たちは戦国武将じゃない。ですので、撃たれなくても学ぶ方法はあるのです。

 じゃあどうすべきか?

 海外ドラマのようなシーズン制度、複数年放送を導入することを提言します。

シーズン制のすすめ

 大河ドラマはどれほど出来が悪くとも、打ち切りはないもの。序盤の時点でこんなものを一年間流すのかと思うと、うんざりさせられる駄作もあったものです。松下村塾とおにぎりの話なんて、一年やる必要がありましたか?

 打ち切りありのシーズン制の方が、よほど前向きかと思います。

 変革なくして継続はあり得ません。いつまでも錆び付いた昭和モデルを続ければ、大河は枠ごと消え去ることでしょう。

 反論は想像がつきます。

「そうはいっても、視聴者は一年制度、大河はそういうものだと思っているからさ」

 それは先ほどの戦国武将のたとえならば、「飛び道具は弦を引っ張るのに慣れているからさ」みたいな話になります。

 デメリットとメリットを天秤にかけて、どちらを選択するか? そこは武将も現代人も同じですよね。

 ついでにクソレビュアーとしては主張があります。

脚本家チーム制は実現した

 大河の一年長丁場脚本体制には、負担が重く無理があるから、チーム制を導入すべきだと私は主張してきました。

 いやむしろ、小芝居はもういい加減やめるべきじゃないかと思っていました。

 実際のところ、そうなっていたと思えることはありました。一人で書いているとは思えない整合性矛盾や、語彙力の低下をしている作品がありました。それを表に出すか出さないかの話であったと思います。

 日本のテレビ業界は、脚本家がブランドネームになっていて、実質的にはチームでも“ブランドで書いている”ということにしているのだと。そう気づけました。ドラマレビューをしなければ、そんなこともなかったのでしょうけれども。

 小芝居なんかもうやめればいいのに。そう思っていたところ、『麒麟がくる』では、複数名脚本家がクレジットされるようになっています。朝ドラ『スカーレット』以降もそうです。

 脚本家ブランドは、うまい戦略だったと、手の内が明かされてから痛感しました。『麒麟がくる』では、別人の名前がクレジットされている回だろうと、視聴者が「流石池端先生!」と盛り上がっていますからね。
 その脚本家だって、もっと上の責任者なり、社会なり、視聴者のニーズに応じるからには、自分の作家性だけを発揮できるわけでもないのでしょう。つらつらと考えるに、脚本家というのは、実にえらいものだと思います。

 そんな脚本家チーム制。変わる前は突拍子のないことでも、変わった後はむしろそれが当然になる。こういうことを変革と呼ぶわけです。

大河観光の終焉

 大河の変革についてもうちょっと考えてみましょう。

 どうしてこういう意見が取り上げられず、メディアに出てこないか。その理由くらい、想像できないわけではありません。

 昔ながらの、なじんだ意見を考える方が需要があるのでしょう。

 嫌な予感だなんて、知りたくないのであれば、プロというものは書かないものなのでしょう。でも、そういう時代が続くと思いますか?

 大河を楽しみ(全然楽しくない歳もありましたけどね!)、レビューを書き、原稿料で稼ぐ。私はそういう立場であればこそ、すっきりしない気持ちを抱えてはいました。

 このままでは滅びかねないという危機感もあるけれど、そもそもが罪悪感と無縁ではいられない理由はあります。
 『麒麟がくる』の光秀は、戦場で首を取り、誇りとすることに絶望感をにじませるのですが。大河にも、罪悪はどうしたってあると思えてしまう。
 ああ、松下村塾の老中暗殺計画を、おにぎりでごまかすとか。まぁ、それも極悪非道で話にならんとは思いますけど。そういうことでもなく。

 そもそも受信料で金儲けをすることの是非を考えてみなくてはならないのでは?

 大河はなくならない! だって金が落ちるもの! 
 大河ドラマゆかりの地となると日銀の各支店が経済効果を試算すると数百億円の規模になるんだって! 日銀支店が、大河でどれだけ儲かるか試算を出しているそうです。実際にどれだけ観光に貢献したか、毎年計算はされています。
 でも……そもそもその日銀の試算にどれだけ信頼性があるのでしょう?
 お前ごときの妄言よりはあるに違いない! ええ、そうでしょうね。知名度という点ではそうなるでしょうけれども。とはいえ、過去数年に遡って、予測と結果の比較データでも出されない限り、猜疑心旺盛なクソレビュアーとしては信じる気すら湧いてきません。

 どのみち怪しいところのあったこの大河の落とすカネ。2019年はむしろ赤字で、ビジネスモデルとして終焉を迎えたと私は思っていました。コロナによって、世間の認識もそうなることでしょう。今日明日どうなるか? そう考えていかねばならないこのご時世に、できるかどうかもわからない大河招致に賭けられるはずもありません。

 イベント頼みの景気振興が危険だということは、2020年代、オリンピックと万博が示すことでしょう。

 大河での観光テコ入れはもう終わりました。

 この先、大河のビジネスモデルはむしろ、それまで見逃されていた、隠されていたた不信感と嫉妬の中に突っ込んでいくことも想像できます。
 民放は今、崖っぷちにあるということはわかります。コロナ禍で、カネどころじゃない。その点、NHKは受信料と知名度で安泰ということになる。
 ただでさえ、不祥事と不信感に囲まれているNHK、そして大河です。こうした悪意の矢からどれだけ身を守れるのか。大丈夫だなんて、私からはとても言えません。

 炎に身を近づけすぎるということは、燃えることを覚悟しなければできない。政治や現実のイベントに近づき過ぎれば、そちらが燃えれば延焼は不可避。大河は近づきすぎました。

 繰り返しますが、コロナで決定打が早まったとはいえ、この破滅は既定路線であったはず。対策を練っていた誰かがNHKにいると信じたいところですが、どうでしょう。

 そもそも受信料って、特定の企業なり、団体なり、個人利益から切り離したコンテンツのために徴収するものではありませんか? そこに儲けを持ち込む時点で、不順でNHK公共放送の前提から外れているという自覚はありますか?

北海道と沖縄大河が笑われる異常性

 大河の話になるとどうしたって地域のことを考えてしまいます。どうせ北海道だの、沖縄だの、儲からないだの視聴率云々文句つけてはなから弾いていませんか? 受信料は全国一律なのに? それは差別ではありませんか?

 もう2020年代です。2000年代以降、日銀視点の試算を悪用した話でも振り返りましょう。

 思えば『利家とまつ』あたりから、こういう胡散臭い話があったもの。ゆかりの政治家が、大河を利用するという話です。私の妄想で済めばよいのですが、大河を絡めたスピーチを、大河ゆかりの地でする政治家は実在するわけです。

 そういう問題に真面目に向き合わず、視聴率ありきの話になると差別も絡むのに無視して、いつまでも軽くてゆる〜いノリで、こういう招致合戦トークをしていてよいものかどうか?

 そこまで考えてみませんか?

 招致合戦は、いつも「観光でこれだけ儲かる!」というところで止まります。けれども、政治的な利用だってできるのに、そこへは突っ込まないわけです。

 本当に儲かるどうかすらわからない。赤字すら生み出しかねない。

 そこへ地方自治体が気づけば、招致合戦は終わる。大河の舞台地となって喜ぶのは、VODなんて見るはずもない上司ばかりで、部下は反論できずに愚痴るしかない。

 そういう不健全な体制でドラマを作り続けて、よいものができるとは私には思えない。思わぬところで、それも終焉を迎えた。これからはむしろ、VODドラマ、『ゴースト・オブ・ツシマ』による観光客招致がモデルになりそうではあります。それもコロナでどうなるのか不透明ですが。

 10年先のことを考えるのであれば、いっそ小学生や中学生の意見でも真面目に聞いてみればよいのではないでしょうか。もう、私だって正直、まっとうな意見を言えている自信はない。若者の感覚に追いつくだけで骨が折れるのに、我こそは賢者のような顔をして、未来の話なんてそうそうできませんって。

10年後、大河存続のために必要なこと

 もうそろそろ、このあたりでまとめましょう。

・主人公選びにおいて失敗を繰り返さない:吉田松陰の妹だの、マラソン選手だの、需要がない主人公は選ばない! いや、むしろなんでそれを選んだの?

・原作つきはあきらめよう:司馬遼太郎、吉川英治、山岡荘八……そういう時代じゃもうありません。近年珍しい原作付きは2009年と2018年。「大河原作者」の箔付けに利用されるのはもうコリゴリ。研究者監修のもと、脚本家チーム制で柔軟に対応した方がよいのではありませんか?

・地方に目を向けよう:「東北地方の話? 伊達政宗以外はどうでもいいでしょ?」とかなんとか言っているうちに、Netflixが東北戦国を選びましたからね!

・『アナと雪の女王』ファンが10年後の客です:自分の道を歩む女王に心を通わせ「レリゴー」していた子。サーミがモデルとなったノーサルドラの受難に涙した子。彼らが将来の顧客です。そういう層を前にして「北海道だの沖縄の大河は視聴率伸びないよね」という言い訳が通じるかどうか、考えてみたらいかがでしょうか。

・主人公が実在しなくてもよいのです:『麒麟がくる』の東庵や駒のような、創作上の人物がメインに据えられるドラマ作品は海外ではあるもの。典型例として映画『1917』。あれは架空の、実在兵士逸話を組み合わせた伝令が主人公でした。

・海外歴史ものを参考にする:日本の歴史フィクションは、かなり独特の進歩をしています。それなりの良さがあるとは言われますが、VODで海外ドラマとの垣根が低くなったこれから、そこに固執しているとかえって伸び悩むことも想像できます。

 変革なくして、存続なし――。

 大河ドラマの10年後ですか。存続していません。ただ、形を変えては残っていると信じたい。(そうしていたかったのですが、正直なところ、コロナのせいでそれもできなくなりつつありますが)

 一年縛り。観光地の増収目当て。それ以外にもいろいろなしがらみがある。そんな大河は終わるということです。

 こうした要素をまとめて見るとすれば、朝の連続テレビ小説2019年上半期『なつぞら』の大河版あたりを見たいと思えてきます。

 幕末から明治にかけて、北海道開拓に挑んだ人々の姿が見たい!

 あるいは、豊臣秀頼が落ち延びてきた薩摩から琉球の話とか。

 日本史をテーマにした面白いドラマは、まだまだ作れるはずなのです。変革をして、限界を超えることさえおそれなければ、きっとできるはず!

 そう信じていたいのですが。

世界の流れについていくこと

 ……と、その前に、今年はなんといっても『麒麟がくる』です。素直にそう終わらせたかったのですが、その休止期間に本物の若者の意見を聞いて、やはり辛くはなりました。

 今、若者の間で韓流&華流が大人気! そろそろ『チャングムの誓い』だの『三国志』の話は終わらせましょうね。

 韓国と中国の強みは、時代劇が複数あるところ。硬派な大河枠から、キラキラしたイケメンだらけのアイドル枠があります。『花郎』は、それはもうキラキラでした。
 
 中国の『陳情令』は、ボーイズラブ時代ものファンタジーとして、日本でも熱狂的なファンを生み出しています。

 日本の時代劇のあやまちは、大河だけのものでもありません。あれだけ民放でも映画でも作っていたものを、なんだかんだでやめてしまったと。

 イケメン時代劇なんて日本にもあって、北大路欣也さんや松方弘樹さんが、若手イケメンとしてキラキラした顔を見せていたものです。

 そういう時代劇にキュンキュンしそうな若い女性層を、韓流や華流が拾っているんですね。

 そんな問題もある。殺陣、所作、発声、衣装、小道具、斬られ役……そういうものの技術継承も失敗したのではないかと思うと、気が気ではないものがあります。これは演じる側だけではなく、観る側の問題もある。
 
 『麒麟がくる』は、往年の時代劇を発展させ実在する古武術古武道の所作を取り入れた、2020年代らしい殺陣を展開します。毎度眼福なのです。
 けれども、こういう感想を見かけるのです。

「『麒麟がくる』の殺陣、もっさりしているよな」
「演じる側が運動苦手なのかな?」

 この発言主は、1990年から香港で始まり、2000年代に世界を席巻した、そんなワイヤーアクションこそがあるべき殺陣だと思っているのでしょう。ワイヤーの動きは、日本の武術武道とは相性があまりよろしくないのです。時代劇の空白は、観る側の視点すらおかしくしてしまったのでしょう。

 日本の時代劇は、復活が先か、滅亡が先か。際どいところまで来ています。

 コロナがあり、VODが活発な時代です。もう、海外資本抜きでは復活すらできないのかもしれない。明治時代に浮世絵や仏像が海外に流れたようなことが、また起こるのかもしれません……。

 楽しく「次の大河はきっとコレだ!」と笑いながら話せたらいいんですけどね。

 私には、そんな沈む船ではしゃぐような器用な真似はできません。
 
 大河の作り手だって、憂鬱なことは多い。がんばったところで、ニュースになるのは出演者のSNSだの、結婚のご予定予想だの、招致合戦だの、萌えだの。テコ入れで女優が脱げだの。出演者が出ていた作品のヌードシーンのことだの。

 いくらがんばったところで、過去の終わったような語り口でばかり報道されたら、疲れ果てるでしょうね。そういうことを私なりに変えていきたいとは思っているのです。

 うつけはうつけなりに、考えてはいるのです。

 本当に変わって欲しい。大河が終わるということは、日本の時代劇の終わりにも近づくということです。続いて欲しい。もっとファンも報じる側も、もちろん作る側も、危機感を持って挑んで欲しい。私が燃えて、それで危機感の炎が燃えるならば、それはそれでいいんです。

 平蜘蛛に火薬を詰め込む松永久秀に、クソレビュアーはなれるのだ!(※松永久秀平蜘蛛ごと爆死は、後世の創作です)


おまけ:「2010年代大河ドラマ折檻状19条」

 織田信長がここ数年の大河ドラマを見ていたらどうするか? ちょっと考えてみました。

 「大河ドラマ折檻状19条」じゃ! やりすぎだと? まあ、それはそうだけども。こういうことも、クソレビュアーとしては主張したかった。

 大河関連の感想なり、ニュースを拾っていると気づく。問題点を指摘するところには到達せんのじゃ。大河ファン同士でなれあい、自分たちはドラマ通で、歴史に詳しいインテリであるという確認作業。いわばグルーミングじゃな。

 共感という、【情】を求めている。それをはっきりとクソレビュアーなりに悟ったのは、こう責められてのこと。

「おのれ〜、お前とはドラマの趣味が一致するから応援してやったのに、我に背くかぁ!」

 と、同盟を破棄されたようなことを言われたのじゃが。こちらとしては、そもそも同盟した覚えがなかったのじゃ。【情】で同盟を築いたつもりだったのかのう。

 そこでじゃ! わしなりに、折檻状を書き記し、大河ファンの同盟者とはあえて袂を分かつことにした。

 大事なことはすべて大河から学んだとか。そう言えたら、どれだけ生きるのが楽だったんじゃろう。NHKからも仕事もらえたりして♪ なーんて妄想にも浸るが、わしはわしとして書くつもりなので。とりあえず、この記事の拡散をお願いしたい。反発も織り込み済みゆえにな。

一、 大河はスゴイと申すが。

 ここ5年間振り返ってみたぞ。2015、2018、2019……このあたりで切なくなってきたではないか。

 よい年はよいにせよ、視聴率10パーセントを割ったこういう作品を見て、世間の不審余儀はないし、クソレビュアーも思いあたることありまくりよ、もう、言葉にして振り返るのも嫌じゃ。「大河つまんない!」って意見に「伊丹十三賞とったし! あのカンヌで話題の女優出てたし!」なんて言い返しても虚しいだけではないか? 

 相手が、「やかましい、俺は『一軒家』がいい」ってんなら、それはそういうことだ。何も言えまい。

一、 作り手やファン心理を考えてみた。特番も見た。

 ほんとうにみんながんばってるおるの。がんばってないアレやコレやは、まあ番組に出さんだろうけれども。「大河はブランド!」「お茶の間を潤す!」「勉強になるし!」とか考えてたところで、無理もないことよ。出演すると祖父母もご近所さんも喜ぶ、孝行の定番じゃ!

 されど、よきドラマ作りとは左様なものであろうか? ブランドと過去の名声とファンの声に甘え、守ってほったらかしにしとけば、マスコミや高年齢層は甘いし、そのうちNHKの威光を発揮してなんとかなるとでも思ってたんじゃないかのう?

 じゃがのう! そういう古臭いものづくりスタンスで通用すると思っておるのか? Amazonが『MAGI』を作り、Netflixまで伊達政宗ドラマを作る時代じゃ。そういうシビアな勝敗を見極めて戦えば、クソレビュアーにとっても、その他善良な視聴者にとってもよいことだったし、出演者のキャリアが途絶えて苦労するなんてこともなくて済んだのじゃろうがの。

 それなのに、ブランドと不思議な何かの力、2019年はオリンピック需要とやらをあてにした作り手は思慮が浅いのではないか? 手間暇努力その他もろもろを惜しんだんじゃないかって、ずーっと、疑いようなく思ってきたわ!

一、 大河と他のドラマ比べてみよう。天下の面目施している歴史モチーフドラマとの比較じゃ。わしなりにご近所、知人にそれとなく聞いてみた。

「『100日の郎君様』でござろう」
「『花郎』、あれはよいものですな!」

 そうであろうのう。韓流時代劇は2015年「幕末男子の、育て方。」みたいな少女漫画ノリをまともにできてる。大絶賛されることに何の不審もない。

「『陳情令』ですかな……はぁもう」

 思えば2018年にボーイズラブ云々大河もかましておったが。時代ものBLを本気で目指す層は、こっちに大勢行くのは是非もなし。おもしろいからの。ジェンダー観も、世界の流れも取り入れておる。

「『ゲーム・オブ・スローンズ』スピンオフ待機ですな!」

 わかるぞ。ゲームも配信していて絶好調であるな。

「『MAGI』です。日本史と世界史を絡めた最新鋭でござろう」

 さよう !『MAGI』には「最新学説取り入れないと日本の歴史ファンに顔向けできない!」っていう熱いパワーがある。

 こういうドラマは、大勢から称賛されておる。

 大河周辺だって、こういう作品のことを聞いて発奮し、がんばるべきだったと思うのだが。

一、 まともに時代劇を作れる自信がないなら、せめてその分野専門の研究者を考証につけるがよい!

 できている歳はちゃんとやっておったわ。2015、2018、そして2019はなんだったのか? ここ数年では、朝ドラの方がまともに時代考証しているものあるからのう。見習わねばなるまいて!

 雑なSNS称賛を集めた記事だの。ファンだけのハッシュタグだの。そういう金平糖じみたものを見て心慰めてたんじゃないと思いたいところじゃがな。まあ、NHKにはお客様の声も届くし統計取ってるし、そこはそんなに甘くないと信じたいところじゃ。提灯ばかりで満足してたら、それこそ油断であり、怠慢そのものであろう。

一、 わしも陰険だから、その手の提灯記事見返してるわ。なになに……。

「業界人からの高評価に喜び「誇りに思う」」

 なんてニュースの見出しにあるのう。例年 業界人評価なんてよくわからんもん今まで見出しに持ってこなかったのではないか。これって結局、テレビ業界人と広告代理店の保身ありきであったのだろう? オリンピック需要くらいわしとて知っておる

 そういう業界人の声とやらに油断したのか? 怠慢が身につくのが業界人ルールなのか? そもそも業界人とはなんじゃ! あれか、今話題の広告代理店か?  業界人だけ目配せしてるから、あの惨憺たる視聴率だったのではないのか? NHKは視聴率関係ないっていうけど、何をほざく? おかげで裏番組層ができて、翌年まで大迷惑かけておるぞ!

 だいたいだな、五輪がこんなことになっておいて、そのプッシュをした責任の所在について考えておるのだろうな?

一、 NHKでも、大河は特別な待遇を受けておる。看板だ。

 駅のポスター掲示。ゆかりのグッズ販売。博物館の巡回展示。関連番組放映。これだけ番宣できる番組なんて民放を見回したってない。そういう大河ドラマなんだから、本来、どんな酷い内容でも時間帯ワーストなんてことはなかったんじゃないのか?

一、 アニバーサリーイヤーと重ねたこともあった。

 明治維新150周年に東京オリンピック前年。こりゃ気合いが入っただろうと思っていたんだがのう。ここまでお膳立てして遅れをとるってどういうことかな?

 むしろ祝うどころか呪いか? だったらせめて失敗と認めて打ち切りにでもすればいいのに、それも大河ゆえにできない。海外シーズン制導入ドラマならとっくにそうなっていただろうがな。そういう緊張感がないゆえの保身には飽きたのじゃ!

一、 一年間任されて。自治体は大河ドラマ館観光試算まで出して。それなのに赤字叩き出した歳もあったのう。

 これもやはり、油断があったのではないか? 熊本県から加藤清正大河を遠ざけた罪をどう考えておる? ここまで知名度高くて現実にも寄せてきて、失敗した作品って何なのだろう?

一、 きっちり史料、歴史に向き合ったのか?

 NHK大河は集まる資料の量が半端ないって聞いておるがの。

 惰性でなく、新説も取り入れることができる。スタッフだって腕利きだ。衣装ストックもある。嗚呼、それなのになぜ!

 公式ボーイズラブだの壁ドンだの無用じゃ。おにぎりマネージャー需要とかどうでもよかろう。誰が吉田松陰の妹だの、マラソン選手だの、朝日新聞記者の奮闘を見たがるのか? 誰が、キャバクラでニタニタしている西郷隆盛を見たがるのか? 

 大河なのだぞ!

 ブランドに頼って手抜きするから、大河の評判が無茶苦茶になるのではないか。もう大河のつまらなさなんて、アジアもヨーロッパも、それこそワールドワイドに知れ渡っているのではないか? だからVODが日本史題材ドラマを作るんだよ! ケチった労力なりなんなり、一体どこに消えたのか? 

一、 2009年だって。2011年だって。もう、さんざん叩かれたはずだ。

 SNSではなくてブログで、嘆かれたであろう。2009年は山形トークショーで質問攻めにあったのであろう?

 あの時、真面目に話聞いてたのか? 山形県民が、最上義光と前田慶次抜きの長谷堂にどれだけ失望したのか、受け止めていたのか?

 お江が乱入する「本能寺の変」は、誰の需要だ?

 その不満もあって、吉川晃司さんは『MAGI』に信長役で出たのではないか? あんな信長は、そのことそのものが大恥だから。

 失敗から学ばず繰り返す。こんなしょうもない話は前代未聞である!

一、 出演者のやらかしスキャンダルか。もうさすがに懲りて身体検査するようになったとは思うが。

 ここ数年だけでもまとめると、切ないことにキリがない。薬物、交通事故、性暴力、脱税……嗚呼! 時代は変わったのじゃ。そこを認識しないと。

一、 それでも、気力振り絞ってまとめていく。

 要するに、ダメ大河は、名誉や利益だけはがっつく作り手や背後の思惑は見え見えなのに。

 批判に向き合わぬチキンハートで、諫言を聞こうとしない。まともな研究者すら呼び寄せなかったのか、逃げられたのか。歴史ドラマを作り真剣なルールに向き合わないから、ああいう悲惨なことになったんじゃないのかのう。

一、 出演者やカリスマ脚本家を盾にして、企画の時点で負け戦にした者は出てこない。

 受信料や期待を無駄にするだけで、卑怯ってこういうことかと思う。

一、 マスコミにせよ、SNSアカウントにせよ。忖度は感じる。ブランド価値とファン心理を恐れて本音を言えない。

 自分のセンス自慢をする投稿をして、大河アンチをクソだのバカだの扱うような空気形成に何らかの手立てを講じるから、そういう空気を恐れて批判することすらできなくなるのではないか?

一、 一年間続けて、ずーっと見ている。その間に讃えるに値するとは思えない。そんな歳もここ数年あった。

 どんな駄作だって、どっかしらいいものはあったりするけど……2015と2018は……。

一、 クソレビュアーは毎年、一応、どうなるか予想している。

 外してはおらぬ。だいたい、視聴率予測は当たる。勝敗はわかるんだ。

 大切な大河だし、好きな役者もいるのに、酷い結果を予測できると気持ちが落ち込む。いやな気持ちにはなる。それでも、きっちり真面目に予測することも、大切なことだと思っている。予測を当てれば、「クソレビュアーなりの仁義はある、性格はクソだが卑怯ではないのだな」ってなるかと思っておったのだが。

 でもさ、大河通なり記事の書き手、関係者は、予測に反して視聴率めちゃくちゃだろうが、「業界人評価は高い!」とか平気な顔をしておらんか? それが卑劣ということは、なんかクソレビュアーなりにわかってきたぞ……。それも終わりじゃろうが。

一、 こうなったからには、2020年は奮闘するしかない!

 どうして今年は出来がいい? そんなこと、わかりきったことじゃないか。

一、 今年まで視聴率1桁なら、枠ごと高野山送りになりかねんぞ。

一、 以上のように、ここ数年、こと2010年代の大河は酷いものがあった。

 毎年とは申さぬ。

 ブランドに頼って努力を惜しんでいるってことは、いろいろ思い当たったことがある。クソレビュアーとしても、いろいろ考えた! とにかく『麒麟がくる』は何年かかろうが成功させねばならぬ! そうできなければ、10年後、大河枠はないと思ってもらおう!

 以上。

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