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歴史劇は心を攻むるを上と為す

 こういう記事があります。

◆“隙のない”大河ドラマ『青天を衝け』 全方位を取り込み「近代史はヒットしない」の定説を覆せるか? https://article.auone.jp/detail/1/5/9/20_9_r_20210228_1614469332453547
とはいえ、大河ドラマといえばその醍醐味は“合戦”だ。大河ドラマがスタートしてから、甲冑を着て馬で戦場を駆けまわり、大迫力の戦シーンに人々は魅了され、「さすがNHK」といわしめてきた。前作の『麒麟がくる』でも第2回放送で20分近くの合戦シーンが。戦国時代ならではの、槍(やり)や刀、弓矢で落とし穴や投石、火の付いた米俵を転がしたりと、原始的な戦いが繰り広げられ「これぞ大河って感じ」と視聴者を熱狂させていた。

 だがコロナ禍の影響もあったのだろうか。同作の合戦シーンを魅せる時間は一気に減少。山場である、藤吉郎や徳川家康、光秀らが撤退時の最後尾で決死の覚悟で戦うシーンはわずか数分であり、がっかりする視聴者のコメントが多数。「やはり密を回避するために戦シーンが描けないのだろうか」「9000の兵のはずなのに実感がない」とトーンダウンをしていた。迫力があり盛り上がる戦シーンも、世の情勢との兼ね合いでつくっていくことになる。コロナが長引く以上、これは大河ドラマが抱える課題となりそうだ。

 大河ドラマといえば醍醐味は合戦……と言いますが、本当なのでしょうか?

 『麒麟がくる』に関して言えば、立派に合戦をしていたと思います。所作もおかしくない。味方の陣地に銃撃射撃しているような場面もない(数年前あったんですよコレ)。音響や小道具もちゃんとしていましたし、VFXもきっちり使っていたし、ライティングも明るすぎない。古武術由来の動きをしていましたし、むしろ検討していたと思えるのです。
 桶狭間では、織田が高所から今川勢を攻めているときっちりわかりました。地の利をふまえていて、このドラマの武将たちは兵法を踏まえて戦っているとわかったものです。

 脚本も秀逸です。
 金ヶ崎では、光秀が秀吉相手に撤退戦がどうして危険であるか、コンパクトにきっちりと説明していました。
 兵数算定が大事だということは、斎藤道三が序盤からくどいほど説明している。桶狭間でも信長がブツブツと計算しての勝ちだとわかった。
 物資を調達する。諜報を行う。心理戦。士気。足利義昭が虫の動き程度を吉兆とみなし、それを信長がうすら笑いを浮かべて聞いている。その軽蔑。
 金ヶ崎撤退前、久秀と家康が違和感を語る。明智光秀、松永久秀、佐久間盛信が語る本願寺戦での不安要素。こういう会話だけでも戦況や懸念が伝わってきて、練られていました。

 菊丸も立派な意義がある。彼は三河がいかに諜報を重視していたのか、そのことを示しています。こうも諜報網が盤石ならば、そりゃ家康は強いとわかりました。それなのに、嗚呼、「なんでいるのか意味わかんないw」と言われてしまうという。

 ただ、結局わかりやすい描写をしろということかもしれない。
「流石主人公じゃ!」
 大物が言う。ニヤリと主役が笑う。そしてナレーションで「大勝利でした」。こういうソシャゲでタップすれば勝利するような描き方の方が受けるのかも……けれどもそれじゃ世界に負けると思いますよ。

 中国にせよ、韓国にせよ、その他世界の歴史劇にせよ。合戦シーンはそこまで多いわけでもない。
 合戦シーンってそんなに見たいですか? 言うほど馬が走り、叫ぶところを見たいと思いますか? 予算もあるのでしょうが、こうもカットされるとなると別の要素を重視していると思えるところです。
 要するに、心情描写。心理戦重視ということ。『麒麟がくる』でもインタビューを読み返すと、「心理描写に注目してください」という文言が作り手も、演じる側からもたくさん出てきています。

「心理描写を見て欲しい!」
「合戦ないの〜?」

 もうこうなったら、あのドラマが好きな漢籍由来で言い返すしかないと。用兵の道は心を攻むるを上と為す!


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