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大切にしていること

はじめに

先日、人に褒められたことがあった。

褒められ慣れているというと変だが、仕事の場での自分はまぁまぁ評価されていると思う。自分ではなぜなのかあまり考えたことはないけれど、頼りにされることもあるし意見を求められることもある。いっそわたしを褒めたり頼りにしている暇があればお前が仕事しろと思うことさえある。別の場所に書いたが、わたしは「君にしかできない」と言われても何も嬉しくない。それは頼りにされているのではない、依存されているのだ。対等でない人間関係は不幸しか産まない、そう古事記にも書いてある。

そう考えると初めて本当の意味で褒められた気がする。別にわたしと仕事をするためにおだてたわけでも、自分の仕事を放棄して依存しているわけでもない人から、純粋に褒められた。そんな経験は初めてな気がする。

気づいてもらえたこと

わたしは自分が普段どんなことを考えているかをめったに人に伝えない。ブログにしたりこんなふうに記事にしたりしているのは、直接会える範囲の人にはどうせ伝わらないだろうと思っているのと、言葉では伝わらないだろうと思っているからだ。

わたしはわたしの思想・思考に基づいて行動をしている。その行動からわたしの思考を逆算すれば、わたしが考えていることがわかるかもしれない。しかしわたしはわたしの思想をしっているので、その逆算が他者に可能なのかを知るすべはなかった。

だが、どうやら可能だったようだ。少なくとも一人は存在したからだ。その人はわたしが普段考えていることを、その人なりの言葉で伝えてくれた。こういうと何だが、拙い、飾り気のない褒め言葉だった。

とても、嬉しかった。

わからない人について考え続けること

わたしはその人の考えのバックグラウンドを常に意識している。発言にせよ、行動にせよ、行動をしないにせよ、それは人間の思想の結果であり、その発言や行動をただ観察することにはあまり意味がない。観察からその人の思想を推測する。その人がどんな環境を生きてきたのか想像し、必要なら追体験する(たとえば、情報を収集することによって)。その人が持っている知識はなんなのかを想像する。自分もそうした知識を得る、類似の体験をするように試みる。

その結果わたしはわたしの行動をするしわたしの発言をする。そしてその人の少ない発言から「同感」をする。同感できたら、その人のことを少しわかったということになる。

それをやるということはわからない他者に対して向き合うということだ。人間と人間は分かり合えない。わたしはそこに関しては間違いなく悲観している。わたしにはわたしの価値観と感性があり、わたしのもつ感性と価値観では理解できない人、存在することさえ想像も及ばないような人はこの地球上におそらく存在している。

しかし、ともに生きることはできる(もののけ姫風)。

分かり合えなくても、その人の思考を追体験することは可能なはずだ。その人が採用している暗黙の前提、その人の使用している論理、ひとつひとつを解きほぐせばその人がなぜそうした行動を取ったのか、理解できるはず。受け入れられなくても、ある程度はトレースはできるはず。

そしてわたしはそういう行動を取り続けた、つもりだ。わたしはひとりひとりの考えていることにメスを入れ、誰が何をどんなインセンティブでもって何を考えているか、それを考え続けた。

ゴールは何かについて考え続けること

人それぞれにゴールがある。自分の仕事のゴールは誰にでも価値があるように見える。例えばそれが誰かにとって無価値でも、あるいは組織にとってさえ無価値でもだ。

誰にとって価値のある行動をするべきか、それは状況によって変わる。組織のメンバーとして存在するときは組織の持続可能性を高める行動かもしれないし、短期的な売上が必要な状況かもしれない。社会に対して価値のある行動をするべきときもあるし、自分にとって価値のある行動をするべきときもある。

人それぞれが何を考えているか、そしていまこのチームが、組織がどこへ向かうべきか。これはそれぞれ簡単に食い違える。だからいまその瞬間のチーム、組織のゴールへと、少しでも推進するために、人々の認識の軌道修正が必要だったりする。あるいは、誰も考えていないが検討しないといけないことは何かを考えたりする。

それは縁の下の力持ちとも言える仕事だ。今の自分たちは同じ方向に向いていないのだと暗に示唆したり、誰も考えていない、考えようとしていないことに事前に考えろと忠告をする仕事だ。

事故が起きたあとに救済するのではない、事故を起こさないようにする。それを仕事にするべきだとわたしは信じていた。たとえわたしが評価されなくても、それがわたしの仕事だ。

大切なことは何かを考え続けること

結局わたしがやり続けてきたことは、大切なことは何かを考え続けるということだった。

数学をやっているときも、プログラミングを始めたときも、仕事を始めたときも一緒。大切なことは何か、自分困っていたり、達成したいことがあったりするときにそれを解決したり実現するために何が大切なのかを考え続ける。わたしはそうやって生きてきた。

大切なことは組織にとってのゴールだったりするし、あるチームの生産性の向上だったりする。ある人にとっての大切なことは売上、ある人にとっての大切なことはシステムの安定性、ある人にとっての大切なことはスケジュールが予定どおり行こと。

わたしは、ただただ自分や自分たちにとって大切なことを考え続けてきた。自分にとって大切なことだけでなく、人の大切なことも大切にして、それでももっと大切なものがあるのだと指し示す。

それが初めて、他人に伝わった。初めて仕事をしていて、報われた気がした。

終わりに

酔っていないとこういう文章は書けないし公開できないので誤字とか一人称のゆれとか色々あると思うけどお許しいただきたい。

サポートいただけた場合感謝をします。