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8月6日(加筆修正版)

毎日暑い日が続きます。
今朝、扇風機もなんも無い台所で御飯を一時間(夜の分も作る時がある)作って食べようとしたら、吐き気とおもいっきりの全身倦怠感で起きている事が出来ず、寝込んでおりました。

しかし、原爆が落ちた日の8月6日もやはり暑かったのだろう。それどころか、原爆が落ちた爆心地は、殆どの有形が溶ける。蒸発する。ほどの熱さだった。(推定3, 000℃~5, 000℃だったという。人がそこにいた。影だけが残ったという逸話もある。)
蒸発した人々は、いったい自分がどうなっているのかさえ、分からずに消えてしまったのだろう。
それをやったのは、同じ人間だ。

エノラ・ゲイにリトルボーイを取り付けた乗組員達。


リトルボーイ⇨小さな少年

何ていうネーミングなのだ!
リトルボーイを広島に落とす乗組員達は、多分その爆弾の威力を想像していなかったのでは無いだろうか?
新型爆弾というのは、聞かされていたのかもしれない。
(焼夷弾だって、怒涛のように撒くのは恐ろしい事だが。)
どこに落とすかという段取りは聞いた事があるが、ここでは省きます。

リトルボーイ(小さな少年)は広島に落ちて炸裂した!

「いつまでも、島国の亜細亜人が戦争を長引かせたせいだ。だから、しょうがない。
戦争を終わらせないと」

(パールハーバーの襲撃があった事で、もし長引くと米国本土にまで被害が及ぶと思ったのか?

兎に角、米国兵の死者をこれ以上増やさないためという理由もつく)

実はそのような考えの人はアメリカ人にいて、エノラ・ゲイの関係者の中にもそういう考えの人がいた。
今でもです。……
そういう人は「この世界の片隅に」を観て欲しい。特に最後の孤児の少女のシーンだけでも良い。

⇧最後のは、おそらく子供を守るために盾になった母親がもろに爆風やガラス片を浴び、そして死んで動かなくなり、
蠅がたかるので蠅を必死に払っている少女。

と、云っても
アメリカでこの映画を上映したらしいですが、理解が余り出来ない人もいたそうです。
感動したという人々もいたらしいですが。
詳しい話しは片渕監督サイドのブログや、町山智浩さんのブログを参照して下さい。

原爆投下作戦の関係者の中には、後の惨状を知り精神を病んだ人もいたそうです。(クロード・イーザリー)その人はまだ良心があると云えますかね……。

世界で初めて、核兵器を使ったのだから、誰もここまでとは想定していなかったのではなかろうか。

しかし、爆弾ではある。こんなモノを生きている人の上に落とす。
戦争中の人間は、何でもする。
平和な今これをもしやったら「き◇がいざた」だ。
要するに戦争は、人をそうしてしまう。
それとも、きっかけがあれば人は……。

※原爆を投下したのは、新兵器の破壊力の試しの為。
という話しを私も以前聞いた事は、あります。
兵器の威力を世界に見せて、兵器を販売する。
そのための、人体実験。そんな話しも聞いた事はありますが、100%真実かどうか
その類の書類のようなものは私は見た事が無いので分からない。
ですが、すぐに米国の医療団が広島に行き、負傷者の沢山の写真や病気のデータ集積をしたという話しは本当のようなので、人体実験かと思う人がいても不思議では無いが。

そして、更に長崎にも原爆は落とされた。

ここ、キリスト教の人は知って欲しい。
長崎は日本で、キリシタン文化が始まった土地である。長崎のキリシタンは迫害にあいながらも、戦時中も続いていた訳ですよね。(戦時中等は、敵国の宗教ではないか?いったいどういう毎日だったのだろう?)
まさにそんな不遇のキリスト教の人々の居る教会の上に原爆の2発目は落とされた。

キリスト教の人々を殺した原爆。
勿論日本本土、日本人ではありますが。
泣いて欲しいですよ。無視していないで、アメリカのキリスト教の人。祈って欲しい。

私はキリスト教では、ありませんが。

戦争は、人間のジェノサイドが必ず行われる。
前の文章で平和な今と、書きましたが。
戦争は日本じゃない国でいまだに無くならず
断続中です。

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