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STARVINGMAN interview

SORRY FOR A FROGは私の青春のひとつであった。学生時代に例に漏れずメロコアキッズだった身からすれば当たり前なのだが、個人的には年齢を重ねるにつれていわゆるメロコアの王道からは少しづつ趣味嗜好が移り変わりあるようになった転換期にも、ライブが見たいバンドのひとつとしてそれなりに足を運んでいたし、ちょうどTwitterを始めた頃になんとなく趣味が似ている人同士で知り合い、そこでしていた共通の話題もソーリーだった。高校時代に一緒にライブハウスに通い、時が経つにつれてあまりライブに行かなくなってしまった地元の親友との共通項もソーリーだった。ソーリーのライブはただただ楽しかった。僕らが育ったメロコアのいいところのツボををグイグイと刺激してくるし、親しみやすく人懐こいメロディーを連発してくれる、そんなバンドだった。でもいつしか自分も歳をとり、なんだかんだと考えることも多くなった。好きなバンドや音楽は増え続ける一方で、興味を惹かれないバンドや音楽も死ぬほど増えた。ずいぶん偏屈でつまらない大人になったもんだ。

いつからかはわからないけどMar‐Tさんともよくライブハウスで顔をあわせる仲になり、STARVINGMANという新しいバンドが動き始めるのを知った。2011年に震災が起き、官邸前に足を運べば、ふと顔を合わせたこともあった。彼はとにかく怒っていた。そしてなんだかとてももどかしいようにも見えた。

きっと新しいバンドでももがいていたことだろう。彼の奏でる音はソーリーから変わらず耳馴染みの良い抜群のメロディーだが、彼の頭の中と、そこから吐かれる言葉は全く別物だった。ある日のライブそでれまでピンときてはいなかった自分の感覚が『あ、こういうことか』と合点が行く瞬間が確かにあった。ちょうど今回リリースされた曲たちや未収録のものも含め彼の今やりたい音楽が出揃った時期だった。なんとなーくライブハウスにいつもいるのに、いろんな人と話し込めない自分だけど、その時はすぐに本人に感想を伝えに行ったのを覚えている。

そこからまた月日が流れ、待望の音源がリリースされた。オフィシャルHPに記載されているSEVENTEEN AGAiNヤブさんの解説を読んでくれればどれだけ強く届く音源なのかが少しは感じ取れると思う。ただ、そこに以前のようなキッズたちの姿はない。そのことについてははっきり言ってとてももったいないと常々思っている。

今回はすぐさま、彼に声をかけ、話を聞くこととした。それは現在進行形のバンドがやっぱりかっこいいってことを身を以て体験してくれたらなによりだし、マイノリティーで片付けられるのはごめんだと思ったから。正直キッズ達がパンパンに溢れた場でも彼らがガツンと心を持ってかれるくらい今いい状態だと思っているんで。勝手な思いではあるんですが。ははは。今回はMar-T改め vo.のツブク氏にSTARVINGMANの話はもちろん、現在までの心境や、彼のルーツなどを語ってもらった。

ーまずは無事、STARVINGMAN『my demo e.p.』発売おめでとうございます!率直な感想から言うと、やっと発売できたって感じですか?

ありがとう!うん、そうだね。実はもともと自分たちメンバーでデモを作ろうとレコーディングしていて、ミックスまで完成していたんだけど、ドラムのトラックが消えちゃうトラブルがあってやり直そうかどうしようかっていうことがまずあったんだ。それがちょうどメンバーのAIR田が新しく職を探さなくちゃいけないプライベートなこともあって前に進まない時期だったんだよ。そもそもその時まだAIR田はサポートメンバーだったし、仕事探しを優先して欲しいって思ったんだよね。でもその時にそっちが落ち着いたら今度は正式なメンバーとしてやって欲しいってことは伝えたんだ。そのあと夏が終わって秋くらいかな、無事に仕事も決まり正式に加入してくれて、ありがたいことにライブもちょくちょく誘ってもらってて。その時期にヤブソン(SEVENTEEN AGAiN)がやってるI HATE SMOKE内のレーベルからTAPE出しませんか?って声をかけてくれたんだよね。個人的にもTAPEっていうものには青春時代お世話になったから、思い入れもあったものだし、素直に嬉しいなと思ってそこから今回のリリースに繋がった感じかな。

ー初ライブって横浜のスタジオでしたっけ?

いや、早稲田ZONE‐BでDANCE MY DUNCEに出してもらったんだよね。その後にLAZYMAN企画で横浜のSTUDIO24だったかな。

ーあーそうでしたそうでした。そもそも結成っていつ頃になるんですか?えっとソーリーーが終わったのは・・・

2011年の7月。STARVINGMANを結成したのが2013年の6月頃。その時おれが盲腸で入院してたんだけど、退院してすぐスタジオに入ったのが・・・7月かな。

ーこのメンバーでやろうって思ったいきさつは?

AIR田は昔から知ってる仲なんだけど、NEWOLD、STEP BY STEPなんかも一時期やっていて。

ー自分の中ではそれプラス、ニコ動の人って印象でしたね。面識ないながらもネット上での印象だと 。

あぁそうだね、ボーカロイドやってたり段々1人でやる作業みたいなのが多くなっていって、個人的な感覚ではいつからかライブハウスではあまり顔を見なくなっていたんだよね。うん、実際ライブハウス自体には全然来なくなってたから。

彼のベースの腕を信頼していることももちろん誘った理由の一つだし、なにより人間的にも面白いと思ってたから。でもメロディックとかどうなのかなー?って思ってたところも初めはあってさ。元々はスカパンクとかそっちの方に傾倒してたし、小説書いたり、ボーカロイドやったりとマルチな人だって思ってたから忙しいかなと思って最初はサポートっていう誘い方をしたんだよね。実際にメロディックみたいなベースを弾いたこともなかっただろうし本人もはじめは戸惑ってたけど、次第に慣れていった感じかな。段々このバンドを楽しんでくれているのもわかったし。嬉しかった。

ー1度サポートはこれで最後です!っていう日もありましたもんね(笑)。いい人見つかるといいなぁーってAIR田さんが言っていた記憶が。ではドラムは?

ドラムのヨシはMisled Baldsとか何個かこれまでバンドやってきてるんだけど、新宿ACBで彼が当時やっていたバンドのライブを初めて見た時に気に入って。なんか1人にだけ声をかけるのも引き抜きみたいでやだなーってことでメンバーみんなによかったですーって声をかけたんだけどね(笑)。その後のバンドもFAT/Epitaph直系なメロディックバンドをやってたり、サウンドも自分好みなバンドをやってたからけっこうライブを見に行ったり、一緒に対バンしたりしながら「いつかこいつと一緒にバンドやりてーなー」とはなんとなく当時から思ってた。

ある時期にたくみ(SORRY FOR A FROG dr.)がヘルニアになっちゃって、ソーリーで叩けない時期があったんだけど、その時にこーた(BAMbiのdr.wonderful FAT)と、ヨシの2人にヘルプをしてもらってたんだよね。こーたのドラムってBAMbiを知ってる人はわかると思うんだけど、とにかく変態的でさ、独特のクセもあって個人的にめちゃくちゃアガるんだけど、これはこれでおもしろいなーっていう印象でソーリーにばっちりハマったっていう感覚ではなかったの。それはそれですごく楽しかったんだけどね。でもヨシはそこらへんの感覚は個人的には相性がばっちりで、自分がやるバンドの理想の形を再現してくれてたの。手グセなんかも自分好みだし。いつかなにかの機会にヨシと一緒にやりたいなーって漠然と思ってた。

ーその間、ソーリーが止まってから新しくバンドを始めるまで、自分がバンドとして動けなかった2年間という空白の期間があったわけじゃないですか。その間にも周りのバンドはどんどんライブ重ねたり、素晴らしい音源を出していたり。心境は実際どうでした?

あーやっぱり悔しかったし、もどかしかったよ。もともとね、ソーリーを辞めた時はもう早いメロディックパンクはやらないだろうなって自分では思ってたんだよ。やりたかったのは70'sパワーポップとか60’sポップス、それこそゾンビーズとかビートルズ直系みたいなバンドをやろうとずっと思ってたんだ。・・・まぁ実は今後そっちも動いていくつもりでぼちぼち考えているんだけどね。最初はそのバンドだけやっていこうっていうつもりだったの。

ーそこから気持ちに変化があった。

そうだね。その動けてない間にやっぱり震災以降のことが大きいんだけど、生活していく中でいろんなことが起きたし、考えることも増えて。どんどん怒りや疑問みたいなものが自分の中で言葉として溜まってたんだよね。自分の場合、何か感じたり思いついた時にiPhoneのメモに言葉を残してるんだけど、そこからほとんど曲も書いてる。それを形にできるのはそのパワーポップみたいなバンドではなく、自分にはパンクしか思いつかなかったんだよ。

ーなるほど。それがたまたまSTARVINGMANだったと。ちなみにバンド名の由来って?

さっき話した盲腸になった時に他にも病気を併発していて、入院中なんにもできないし、なにも食べれなかったの。ほんと空っぽだった。そんな時に前から考えてたバンドの名前をハングリーマンがいいんじゃないかって思いついたんだけど、後々メンバーからSTARVINGMANだったらもっと飢えてるっていう意味合いになるし、そっちの方が良いだろうという結論に(笑)。

ーちょうど思うように動けなかった2年間。言ってしまえば着々とSTARVINGMANの構想が固まっていった時期に刺激されたようなバンドっていますかね?

身近で観ている存在で言えばA PAGE OF PUNKとSEVENTEEN AGAiNはやっぱり大きいかな。確かアペイジを初めて見たのは吉祥寺WARPでENJOY SCHOOL RIOTだったと思うけど・・・

ーってことはその時期だとアペイジのメンバーはサトルさんがいてギターは・・・

ハギオくんの時期だね。アペイジから得たものは大きいんだよなー。メンバーも変わってるからもちろん変化しているんだけど、良い意味で変わってない。震災前と震災後だと同じ言葉なのに違って聞こえたり、昔からずっと刺激を受けてるバンド。

セブンティーンはけっこう変わったよね。初期のドタバタした感じから、牛くんが入って劇的に変わった。そして震災直後のセブンティーン。うまく言えないけど考えさせられたなぁ。当時は『これ世の中どうなってるんだ?』って自分でも混乱していたんだけど。彼らが明確にNOを打ち出していたのをライブで見たときに『あ、やっぱりそうだよな』って自分でも腑に落ちた部分があった。もちろんそれはアペイジにも言えるんだけどね。

ー音で言えばその2バンドには全然似ていないんだけど、今のSTARVINGMANを観ているとそれはすごくよくわかりますね。

ーあ、そういえば新しいバンドになってこれまでのベースからギターに持ち替えたじゃないですか。意識的な変化ってあるんですか?

楽器始めたのはもともとギターからなんだよね。転向の理由としては単純にSTARVINGMANを始めようと思って1人でスタジオに入った時に、ギターを爆音で鳴らしながら歌ってたらめちゃめちゃ気持ちよくて(笑)。

あとはやっぱりソーリーと同じイメージで見て欲しくないっていう気持ちもどこかあったのかな。はじめはライブを見てくれた人たちからはめちゃくちゃ違和感あるって言われたけど、それは自分にとってはアリなんだよ。だってSTARVINGMANはやっぱり別物のバンドだからね。

ーソーリーの話が出てきたところでなんですが、いまだにソーリーをまたやってほしいっていう声は自分の周りからもよく聞くんですけど、それについては本人としてはどう思ってるんですか?

それに関しては正直複雑だよね。自分としては、ソーリーをやる気持ちはないよ。うん。俺がやりたいのはSTARVINGMANだから。気持ちはすごくありがたいし、そんなに思ってくれているのに申し訳ないっていう気持ちももちろんあるよ。でもね、例え99%の人にソーリーを必要とされて、1%の人にしかSTARVINGMANを必要とされなくても、STARVINGMANをおれはやりたい。これが今おれのやりたいバンドなんだよね。

で、優(ex-SORRY FOR A FROG)には曲作る才能もあるしおれには出来ないバンドが出来ると思うから、それをやってほしい。たくみ(ex-SORRY FOR A FROG)もおじいちゃんになってもドラムを叩いていたいってずっと言ってたし北海道で何かしらやっててほしい。

うん、これが今のおれの答えです。

ーそういう言葉が聞けてよかったです。あとはこの言葉が誤解を生まずに素直にみんな受け取ってくれるといいけどなぁ。ではここらでまた話を今作のことに戻しましょう。今回のTAPEでの音源を聴いてまず驚く人がいるとすれば歌詞かもしれませんが。日本語であることと、そこに並ぶ言葉。

ひとつだけ言っておきたいのはあの歌詞を歌うためにSTARVINGMANをやっているっていうわけじゃないんだよね。うん。まず日本語で歌うようになって歌に気持ちを込められるようになったのと、言葉で遊ぶのがすこぶる楽しいってのがある。英語と日本語が混ざってると言葉選びが広がるし韻も踏みやすいからね。歌詞の内容に関しては、自分の中から自然に出てきた言葉を乗せただけなんだ。こんなに曲がポップなのになんでこうアングリー要素のある歌詞になったかって言うと、自分のやりたい音に自分の思ってる言葉を乗せただけなんだよね。狙ったわけでもなくプロテストソングが多くなっちゃうのは、自分の中から出てきた自然な音と言葉だから。単純にこれを聴いた若い人がなにか感じてくれたらどうなるんだろう?どんなこと考えるんだろう?っていうことに興味はあるけどね。なにか引っかかる人がいたらおもしろいなって。だから歌詞がそうであっても、決してプロテストの手段としてのSTARVINGMANではないんだよね。

ーそういう点では日本語詞もライブで聴いてきた身としてはなにを歌っているか改めて知ることもできて、そのメロディーの輪郭としてだけではなく曲を捉えることができて新鮮です。もちろん音源からSTARVINGMANに入っていく人もいるだろうし。個人的には収録されている曲の中でも”She”がけっこうお気に入りなんですが、これは歌詞を読む限りサッチャーのことを歌っていますよね。

うん。これを単純に捉えちゃうと死者への冒涜なんじゃないかって思われるかもしれないけど、そういうことではないんだよね。人が死んだのにまだ抗議している人たちが大勢いたことに自分は衝撃を受けた。人をそこまでさせたサッチャーっていう人物はいったい何だったのかを知るべきだなって単純に思ったんだ。

ーなるほど。ひとつひとつの曲にそういった考えがあり、なおかつ一見攻めすぎているかなって思うような言葉のチョイスもグッとPOPな天性のメロディーが聞く人を選ばないようにうまく働いていると思います。そういった音楽面では製作時に聞いていたり意識した音源って今までと変化ありますか?

うーん、今まで聴いてきたものがスッと自然に出てきた感じではあるけど、割と2013年に出たソウルフラワーユニオンのオールタイムベストはすごく聴いてたなぁ。元々のルーツで言うと、音楽を聴き始めたきっかけはサイモン&ガーファンクルで、あとはビートルズ、ボブディランだったり。ベンフォールズはファイブもソロも大好き。自分の中で5本の指に入るくらいに好き。

ーファイブの1stは自分もそうとう聴きましたね。全曲リード曲になるくらい最高のアルバムだと思ってます。

ギターに関して言うと、エクストリームっのギタリスト、ヌーノベッテンコートのギターに影響受けたなぁ。とにかくヌーノはテクニシャンなんだけどそこに惹かれたんじゃなくて、リフだったり変拍子だったりセンスがツボだったんだ。

ーソーリー時代のインタビューならなかなか出てこないかもしれない名前ですね(笑)

エクストリームは歌は全然覚えられないんだけど、ギターだけはとにかく耳に残って覚えられたんだよね。ギタリストとしてというか、メロディーメーカーとして好き。

もちろん例に漏れずハイスタや90年代のあのシーンには幅広く影響されたね。エピタフ、FAT WRECK~っていうメロディックを自分も通ってきた。NOFXやLAGWAGONを最近ふと聴きなおしてもやっぱり多大に影響は受けてるなって思ったしね。

ー偶然だとは思うんですが、周りの友人たちもその辺りの最近のリリースを改めて買い直しているみたいなんですが、みんな『最高にかっこいいよ』って言っていて、自分も聴き直そうかなっていうモードなんですよ。

そうだよねー。やっぱり自分も最近のもちゃんと聴きたいなーって思ってたところなんだ。NOFXで言えば「The War on Errorism」までは熱心に聴いてたけど。そこから今までで考えると、西荻wattsのシーンのバンドを見るようになったのが完全にターニングポイントだったんだろうなぁ。DASH BOARD周辺だったり、沢山のFRUITYフォロワーバンドだったり、それこそアペイジだったりね。きっとあれを良いと思うかどうかってところでみんな真っ二つに別れると思うんだけど、自分は完全にそっち側だった。とにかくなんでこんなにみんなチープなのにかっこいいのかって衝撃だったんだよ。LOOKOUT周辺を聴いたのもそこからの流れだったと思うし。今考えるとソーリーをやってた頃は最近みたいに音楽を掘るってことはそんなにしなかった気もする。うん、ソーリーが終わってからかなぁ、レコードを買い集めるようになったのも。ほんとここ1、2年なんだけど、NO IDEA周辺も聴いてる。

ー段々音楽ルーツが紐解けてきました。でも西荻周辺の文化に触れて育ってはいるけど、その辺りのバンドとも明らかに鳴らす音や作る曲の感触が違うのがおもしろいですよね。

はは、そうだね。好きなものが広がっただけなのかも。アティチュードがしっかりしていればスタイルなんてその人に合ってれば何でもいいんじゃないかな。あぁ、それと自分の中でのルーツはアイリッシュがやっぱり大きいかな。

ーはい。前のバンドでもそうでしたけど、今回の音源でもその要素がやっぱり取り入れられてますしね。その入り口はどこからだったんですか?

きっかけは完全にドロップキックマーフィーズ。『Sing Loud, Sing Proud!』っていうアルバムをまずはじめに聴いてこれはやばい!ってなったのを覚えてる。まだポーグスもしらなかったし、フロッキングモリーもマッケンジーズもTossersもその頃はまだ出てきてなかったくらいじゃないかな?The Dublinersみたいなアイリッシュトラッドをやっている人たちも気になってはいるんだけど、それよりもアイリッシュパンクが好きっていうところはあるね。何年か前に出たマーフィーズの「Going Out In Style」ってアルバムもめちゃくちゃよかったし、ドロップキックマーフィーズはそもそもアイリッシュバンドじゃないし、元々はOiとかストリートパンクみたいなこともやってたバンドなのがおもしろい。アイリッシュの音楽がどこか日本に馴染みのあるメロディーだなって昔からずっと思ってて、きっとこれからも好きな音楽の一つだなぁ。

ーなるほど。ちなみにこれまでSTARVINGMANをやってきて、自分の中でこれでいける!と思ったタイミングってあったりしますか?

スタジオに入った瞬間からその感覚はあったよ。いや、自分の頭の中に曲がある段階でその良い感覚はあった。これは良いのができるっていう自信に近いものが。もちろんいまいちかなって思った曲をスタジオに持っていってもメンバーと完成させるうちにすごく良くなっていってるから、単純にすごくおもしろいよ。物足りないものがあるとすればコーラスワークなのかもしれない。実際に周りからそういう声が聞こえてくることもあるんだけど、でも自分はSTARVINGMANにはそれはそこまでなくてもいいんじゃないかって思ってる。求めているのはシンガロングできる要素。もっと欲しいなーってと思って意図して作ってるよ。AIR田が歌う曲も初めた頃よりも増えてきていて、その要素をもっともっと完成させていきたいんだよね。当たり前だけど、このバンドは最高だぜって自信はあるけどまだまだ未完成だから。良くしていきたいよね。

ーライブも増えてきて、あいさつ代わりの音源も完成しましたけど、そんな中でライバルって特別意識したりしますか?あそこには負けたくないみたいな。

うーん難しいなぁー。好きなバンドも友達のバンドもみんなライバルだって思ってるし、もちろんメロディックのバンドともどんどんやっていきたいし絶対負けたくないなーって思ってるよ。

もしメロコアしかライブ行きません!っていうキッズ達が大勢いるような環境でやる機会があったとしたら、STARVINGMANの曲を聴いて、そのメッセージのポリティカルな部分を感じ取って単純にみんな引くかもしれないなっていうのは正直ある。もちろんそれを伝える目的でやっているバンドではないんだけど。でもね、その中のたった一人がなんだこれ?って少しでも引っかかってくれたらなにか考えるきっかけになるかもしれないから。そのまま届くかもわかんないけど、それがおもしろいなって思うよ。だから身内のバンドだけで、ずっとやっていたらほんとに楽しいとは思うんだけど、もっと広くやっていきたいっていうのはある。音楽だけで飯を食っていきたいっていう強い気持ちと志でやってるバンドってたくさんいるし、かっこいいバンドも知ってる。でもSTARVINGMANはサラリーマンバンドで、そういうスタンスでやってるわけじゃなくて、趣味でもなくライフスタイルだから。そこにはどっちが良いも悪いもないんだけど。だからマイペースにガシガシやっていきたいなっていう感じ。それこそ「そこ」を喰っていけたらおもしろいな。まだまだキャリアもペーペーのバンドだからおこがましいけどね。ははは。

ー今後のライブや音源も期待してますね。ほんと、どこかの少年がたまたまSTARVINGMANを聞いて、なにか引っかかってくれたらおもしろいなっては個人的にも思います。それのきっかけは単純に曲のポップさとかそういうものでもいいから。

そうだね。振り返れば自分自身もこれまでずっといろんなことに無関心で生きてきたから。なにかのきっかけがなかったらどうなってたかわからないしね。選挙だって25、6歳で初めて行ったんだよ。口に出さなくても当たり前のように自分の考えで黙って選挙に行ってる人もいるのにね。恥ずかしい話だけど。だからこそなにかのきっかけで人は変われるっていうのは自分が一番よくわかってるよ。


2015年3月21日@早稲田ZONE―Bで行われたSTARVINGMANレコ発終盤、TAPE未収録『I’m looking for』ではツブクのこんな言葉が印象的だったのを覚えている。

『おれたちはいつも探してる。なにを探してるかって言ったら、自分にできることを』

音源化していない曲もたんまり出揃って各地のライブで支持を集め始めたSTARVINGMAN。今作はもちろん、次回作のリリースが待ち遠しい。2011年パンパンのLOFTでのあの素晴らしい光景を、彼らなりのスタンスとやり方でもう一度見せてくれる日をひとりのファンとして期待しています。(聞き手:よこちん)

STARVINGMAN are:ツブク/AIR田/ヨシ


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