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嬉汁200% 【夜に朝で】

このライナーノーツを満足いくまで書き終える為に、何回も曲を聴き、何回も歌詞を読んだ。

"自分の言葉"でとにかく伝えたい。

届け!ライナーノーツ!

1.料理

どんなに丸くなったと言われてもイントロのギターでクリープハイプの"世界観"に閉じ込め、じっくりコトコト鍋で煮られてしまう。まるで同じ釜の飯を食べさせられたように簡単に虜にさせられる。イントロの中毒性、これは初っ端から隠しきれていない隠し味だ。
ちょうどいいスピード感。電車でいう快速ぐらい。だからこそ言葉遊びが来る度にしっかり自分の耳に停車し、歌詞が降りてくる。日常の切り抜きでもここまで共感性が強いのはインパクト大。バチバチと火花を散らして買った喧嘩も洗濯水で消火。きっと良い消化運動にでもなったのだろう。
それでも結局、クリープハイプは主人公を特定の場所に帰らせてしまう。不満や不安をとことん吐き出させておいて放ったらかし。だからさそばにいてくれたら それだけで とか言ってしまうんだと思う。それだけで腹が脹れてしまったら今までの料理は何だったんだ。それじゃあまるでランチの約束なのにもう食べてきたとか言ってコーヒーしか飲まない奴と同じじゃないか。きっと追い討ちに「結局ここに帰ってくるんだよ」とでも言って自嘲させる雰囲気。せっかくのご飯が苦い。新米じゃないからかな。
そんな二人の絶妙な日常のエッセンスでおなかいっぱい。もう食べられない。

2.ポリコ

サビしか知らない、歌詞も正確では無いけど鼻歌で歌いたくなる。そんな歌が誰しも一曲はあるだろう。"ポリコ"は耳に残る可愛い曲なのだ。
世界なんて主観の集まりの癖に「政治的に正しい」言葉なんてあるのだろうか。というかそもそも正しいってなんだ?誰かの信じる正しいに勝手に当てはめられて出来た傷って跡が残る。その溝にまた誰かの正しさで作られた絆創膏が貼られて治ったふり。優しくされたいし愛されたい。そんな渇望がポップなサウンドに乗せられてるのがなんとも言えない気持ちになる。"愛は地球を救う"とやらが本当ならぽり子は馬鹿野郎と言われずに済んだのだろうか。
響かない声は所詮便所の落書き程度。汚いしどうでもいい。だけどなんかちょっと無視はできないアレ。昔公園の公衆便所にかかれた謎の番号に電話をかけるのが流行っていた。多分そんな感じ。視界には存在するから拭えない。結局コール音の後で「この電話番号は現在…」と流れても何となく笑えてた糞ガキ時代。

3.二人の間

溢れる。とにかく思いが溢れて収集がつかない。だけどそれを上手く伝えられなくて、まぁなんかそのって逃げてしまう。言葉として形作らなくてもわかるよね。相手に委ねることが出来る安心感が相槌によって表されている。音以上気持ち未満。何か言いたいのにそれに匹敵するうまい言葉が見つからない。もどかしいけど、この気持ちはそんな感じ。そんなってどんなだよってなる。けど、まあそこんとこ分かってよ。こういう融通がきく幸せ。
「先生は皆さんに伝えようと一生懸命話してるから、皆さんも一生懸命聞いて下さい」話を聞かない集団に痺れを切らした教師が一言。それから、たいして理解しながら聞いてる訳でもないのに一言一句話す度にとにかく頭を上下に振る"相槌マシーン"が完成してしまった。馬鹿の一つ覚えのように「うんうん」と頷く。こんな機械的でも教師は満足そうにいつもより気持ちよさそうに話し続けた。こんな相槌でもいいんだ。その時初めて相槌が大事だと感じた。
欲しいところに相槌を投げられたら「おっ」と思う。「あのーーアレだよアレアレ、わかんない?なんで伝わらないかなー」この微妙な気持ちをはかってくれる人が大切。そう思えた。
昔昔あるところにいた男女の"時々出来る変な間"がちょっと大切な間になってたらいいな。

4.四季

まるで心音のようにバスドラから始まる。
「生きてればいいことあるから」って言葉が大嫌いだ。都合が良いし、無責任。お前に何がわかる!って血眼で睨みたくなる。だけどこの曲は「疲れるけどしょうがねー」って生きてるんだからどうしようも無いことを率直に言っている。これがとても刺さった。
あと〇〇な時にオススメな曲というものが嫌いだ。勝手に自分の思い出に楽曲を括りつけて「あーこれ聴いてた時はこうだったな」とか「懐かしい」とか強烈な自語りと物思いに耽る様はなんとも見苦しい。でもその時に感じてた細かい感情を、忘れていたものを、曲を聴くことで思い出せたら?忘れてたことを思い出してほころぶのも悪くは無い気がしてくる。コロコロ考えは変わるけど、気温だってコロコロ変わるからお互い様じゃないか。
すこしエロくたって、いつでも優しくたって、ダサくたって、恥ずかしくたって、好きなんだから"しょうがねー"。そう思えた。

5.愛す

「あいつブサイクなんだけどさー、可愛いんだよ。え?いや顔とかじゃなくて」
なんだか素直になれなくて、面白半分でブスって言ったら本気にしちゃって。きっと不器用が生んだ曲。愛すのぽんぽんと跳ねるような音が好きだ。軽快なはずなのにどこか寂しげで、あのMVを思い出してしまう(ハイティーン…)。
もう少し真っ直ぐ伝えて欲しいのに、その"気持ち"が伝わらない女としっかり伝えているつもりでも、"言葉"が届いてない男のどっちもどっちな関係性。求めているもののベクトルの違い。なんですれ違っちゃうのかな。メイビー、曖昧、たぶん、好きなのに。(←その気持ちは本当か?)
変化出来そうで出来ないもどかしさが同音異義語によって表されている。それもまた心地いい。だから私はこの曲を"愛(あい)す"

6.しょうもな

初めて聴いた時、漠然とありがとうという気持ちが湧き上がってきた。私が求めていた音楽にガッチャンコ。こんなにぴったりハマるものは他にはないと思ったぐらいだ。
クリープハイプの曲には"馬鹿"というフレーズが沢山出てくる。そんなに馬鹿ばっかり言っても意味ないのにな、という自嘲なのかと思いきや、先程の"愛す"で感じた似たようなニュアンス。愛情の裏返しってずるい。
「ブスとか、バカとか、なんでそういうことしか言えないの?」って真剣に悩んでるのに対して「まあまあ、好きだからなんでも言える関係性って良いじゃん」って相手の価値観に丸められて出てこれない。この状況に似ている。
とにかく速いからこんなちっぽけな太客のライナーノーツなんて、言葉に追いつかれるどころか追い抜かれて見えなくなってる。それでも用無しなんて思って欲しくない。神様どうかこんな言葉がクリープハイプ様にいつか届きますように。

7.一生に一度愛してるよ

"死ぬまで一生愛されてると思ってたよ"
"一生に一度愛してるよ"

こういう感情って漠然と思っても中々言葉に出来なかったりする。今が幸せで、このときが一生続けばいいのに。とか浮ついていた気持ちが冷める時、誰しもが必ず"永遠"なんてないことを痛感する。幸せの絶頂でアドレナリンとオキシトシンが滝のように溢れて、「一生」とか「ずっと」とか確証のない約束に囚われる。その癖に変化がないとつまらないと言ってマンネリ化を拒むのか世の常。恋人もバンドに対してもなにか新しいものを望んで、新鮮な気持ちで向き合いたい思いで溢れている。
最初は尖っていたバンドが丸くなって、付き合いたては優しかった彼氏は素っ気なくなって、私が求めている変化じゃないから悲しく感じる。でもこの感情ってちょっと自分勝手。それでも止まらないから胸が高鳴るような"ドキドキ"を待ってる。健気でへそ曲がりで可愛く切望している、そんな曲。
歌詞だけ公開された時、「あー見透かされた」ってヒヤッとした。"バンドと恋人が逆だったらな"。常々思っていた。私ばっかり好きでずるい。もっと愛されたい。それなのに嫌われるのが怖くて伝えられなかった。バンドが恋人なら曲を聴く度に惜しみなく"好き"を伝えることが出来る。アーティストとファンは切っても切れない、素敵な癒着だ。

8.ニガツノナミダ

誰もがソワソワ胸踊るバレンタイン。チョコを渡せなかった後悔でやけ泣き。自分も本命チョコなのに照れくさくて義理と言ってあとから悔やんだ思い出がある。クリープハイプにとってやけ泣きしたいほど悔しいことは、大事な作品を"テレビサイズ"に縮めたりすることだと思った。この曲は30秒以内にテレビ用の音源がギュッと詰められている。携帯会社がよく使う用語がびっしりと登場。こんなに直接的な名詞を沢山使った曲は多分ニガツノナミダくらいだ。
残りの余生を楽しむために、特有の皮肉な歌詞で突き刺してくるが、"結局欲しいのは他人の評価で"と言い切るところが尾崎世界観らしくなくて逆に新鮮で好きだ。他人の評価を貰うために、締切ぎりぎりまで案を練る。こうやってファンにライナーノーツを書かせる機会を設けてくれたのも、評価に重きを置いているからなのか。締切といったら制約で逃げたくても逃げられない堅物だが、"それはそれで悪くない"と最後に一言。締切が決まっている中でどれだけ自分の能力を詰め込むことが出来るか、という勝負心が垣間見えて、単純だけど「尾崎世界観はやっぱりすごいぞ!」と胴上げしたい気持ちになった。
ファンからのチョコのような甘々な評価も受け取ってほしい。じゃないとやけ泣きしそうだ。

9.ナイトオンザプラネット

イントロが耳から離れない、というか離してくれない。耳にしがみつかれている。どうぞ、このまましがみついてていいよ。こうやって気を許したくなるような心地良さ。
「へぇ、虫が苦手なんだ。そんなにでかい図体してる癖に」付き合っていくうちに発見するその人のこと。これと似たような感覚だ。クリープハイプの知らなかった一面。この系統も責められるなんてマルチだな、流石だなと言わざる負えない。
"夜にしがみついて 朝で溶かして"という印象的なフレーズ。サビ以外がラップ調になって軽やかに駆けていくことで、よりそのフレーズの印象が強くなる。一言ずつ、しっかり地面を踏み締めるかのように重くのしかかる。なんだかやるせない。そのやるせない感情もいつかは忘れてしまうのだろうか。それでも今はちゃんと覚えていたい。夜ならではの自問自答による葛藤が垣間見えた。
この曲は全く生ぬるくないうえに丸くおさまってはいないと思う。何かの拍子に生まれた傷がカサブタのまま存在し続ける。その苦しさや虚しさが伝わってくる素敵な雰囲気だ。舐め腐った曲なんかじゃないぞ!

10.しらす

曲名が"しらす"というなんとも言えない食べ物
のチョイス。また今回もカオナシ節炸裂で聴いていて楽しかった。鈴の音が鳴り、親しみやすい歌詞が舞い込む。音楽だもん、音を楽しむ。その言葉通りの曲。途中の尾崎世界観パートが、まるで閻魔大王のように感じた。鬼の閻魔。各家庭に一人はいる。そう、お母さんだ。「お茶碗にごはん粒が無いように食べてね」「どんなに小さい生き物でも命があるのよ」と諭してくれる。母親としての威厳と優しさがぎっしり。
特に好きな歌詞は"進めよ進め足音立てて ご馳走様を心に止めて"の部分。街中ですれ違った赤ちゃんが履いている靴を見たことはあるだろうか。手のひらにちょこんと乗るくらい小さな、着せ替え人形のようなあの靴。自分もかつてはあのサイズがぴったりだった。沢山食べて沢山遊んで沢山寝て、を繰り返して何倍も大きい靴を今履いている。さっきの歌詞は誰の人生にも通ずるところがある。つまり人間あるあるだ。こんどしらすが食卓に並んだ際には天の川をよく観察してみようと思う。もちろんランランとスキップでね。

11.なんか出てきちゃってる

「あー出てきちゃってるよ」
「え、嘘。なにが?」
「いや分かんないけど、なんかが…」
なんかってなんだよ!具体性に欠けるよ!そんな曲。だから歌詞も語りも深く意味を取ることをやめた。投げやり感覚で楽しむ。まるでラジオドラマみたいだ。いやラジオミュージカルか?
何かの弾みで緩んだネジは一体どこのネジなんだろう。"頭のネジ"が妥当だろうか。でも、気持ち悪いうえにしまえるネジ…?ますます見当がつかない。この曲を聴いて、英語は分からないけど洋楽が好きって言ってる人の気持ちが分かった気がする。メロディがとても格好良いし、やっぱり小川幸慈ギターがたまらなく効いてる。縦ノリ向きかもしれない。へー、また新しいクリープハイプを発見。"本当は新しい曲できてるんじゃないの"って言われても仕方ない。それぐらい未知なる扉が開いた感覚。
あの、私もこのまま外しちゃおうかと思っているんですけど…。どう思いますか?

12.キケンナアソビ

聴けば聴くほど花魁道中のように感じる。また新しい女の子の人生を覗いてしまったみたいだ。"言葉"より確証をもてるのは"行動"。「ごちゃごちゃもういいから、早くやってよ」そんな声が聞こえて来る気がする。知らない匂いに気付かないふりをして、また大人になったと勘違いを重ねて。体は正直だから、"首から下だけでも"いいんだ。それだけで成立する夜。見栄張って気丈に振舞って、我慢を重ねて一人涙しちゃうような結局センチメンタルの塊みたいな曲。
最初は遊びのつもりで体で繋ぎ止めて欲だけ満たす"都合のいい関係"だったのに、次第に情が邪魔をする。結局馬鹿みたいだなって思いながらも終止符を打てない。心も体も弱い所を突かれて動けない。責任取ってよ。そんな浮ついたやりとりで枯れてく雰囲気。
どうにも止めることが出来ない関係に踏み入れてしまって溺れて喘いで。夕焼け小焼けのチャイムでは帰れないほどになってしまいそうだ。

13.モノマネ

好きな人の匂いって癖になる。近くを通った時にふわっと香る柔軟剤の匂いが好きだった。それはシャンプーの匂いも同様。シャンプーってその人の生活が垣間見える気がしてどぎまぎしてしまう。そんな匂いが消えないうちに会いに来てくれる人って男女問わず愛おしすぎて抱きしめたくなる。真っ直ぐな瞳で"離れていても心は近くだって思ってたいの"なんて言われた暁には「一生に一度愛してるよ」なんてこぼしてしまいそうだ。けどやっぱり、一生なんて都合のいいものは無くて段々と波長が合わなくてキシキシの関係に。「リンス忘れるからだよ」って、いつからかリンスまでちゃんと使うようになったのか。
何もかも"おんなじ"だと思って「こんなに相性がいい人いるかな」なんて冗談と本気半々で言ってみたり。こっちが心地いい時は、ひょっとしたら我慢させていたのかもしれない。見えなかった涙も、張り付いた笑いも、少しも似てなくて。今更って響きがより一層、過去の思い出を綺麗にしている気がする。
ボーイズENDガールズだもん、恋は永遠では無いよな。

14.幽霊失格

おどろおどろしい"ひゅ〜どろどろ"からの力強いイントロ。どんな幽霊でもこの曲が始まったらきっと地に足着いてしまうだろう。
会いたくても会えない。気持ちとは裏腹な現実が首を絞めてくる。会えるのなら、頼むからこのまま首を最後まで締め続けてくれと言ったら場違いだろうか。過去にしがみついて、溶かされもせず影だけが大きく伸びて、記憶の中だけで生きながらえてる存在。自分だけが勝手に前に進んでるような感覚がして、怖くて、つい振り向いてしまう。心細さと恋しさとが相まった切なさ。始まりはすんなりといくのに、終わりは受け止められない不思議を持て余す。
「もしそこにいるんだったら、私の肩を叩いてみて」なんて言って一人で悲しくなる。幽霊なんて信じないと言っていたあの人は成仏しているだろうか。
幽霊として未練を抱えてこの世に残ってる癖に、逆に顔色や食事を心配してしまう優しさ。当たり前だよ、ついこの間まで隣にいたからね。次いつ会えるか全く分からないような人を思って聴くとしんみりしてしまう。
会いたいな、会いたいな、会いたいな、の逆の気持ちの真逆の気持ち。

15.こんなに悲しいのに腹が鳴る

「もう門限だから帰るね」
小学生の頃、5時のチャイムで帰る約束があった。そんなことを聴いた時に思い出した。もっと遊びたいけど、夕暮れで暗くなり始めてどこからか夕飯の匂いが漂う。
「お腹減ったね、帰ろっか」
名残惜しいだけど"またね"って次がある幸せ。大丈夫、これで終わりなんかじゃない。リピート再生にしたら鳴っている腹を沈めるかのように"料理"が出る。最高の曲順だ。
生きてるが故に生まれるもどかしさが深く伝わってきて、"四季"の延長線上だと思った。それでも"生きたい 生きたい 死ぬほど生きたい"という強い意志が伝わってきて涙腺を刺激。生きるためには食べなければいけない。だから悲しくても死にたくても、とにかく一口でいいから食べ物を食べる。しらすご飯でもいい。無理に進まなくてもいい投げやりになってもいい、どんなに不細工に生きる自分でも肯定されてる気がした。この曲がラストで良かった、そう思えた。ライブが終わったあと、全ての緊張がとけてお腹がすいてしまう感覚みたい。
あー、クリープハイプに出会えてよかった。よし、もう1回聴いちゃおう。
新アルバムにしがみついて、アルバムツアーで溶かして。

#クリープハイプ

#ことばのおべんきょう

#歌詞貸して

#夜にしがみついて朝で溶かして




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