生まれてから小学校に上がるまでの話。

 幼い頃の話をしようと思う。正直記憶が遠すぎてあまり覚えていないことも多いのだけれど。ここから話していかないときっと始まらないので、ここから。

 身バレも正直怖いところではあるけれど、そこはもうしょうがない。きっと身内なんかは私の家庭はそれなりにうまくいっていたという幻想を抱いているから信じてくれないと思うし、私が心的外傷ストレス障害というものになったりしているので、記憶がなかったり、記憶が捏造されてしたりするところもあるような気がする。

 あくまでも私の人生を、私を主人公としてみたときに。覚えていることや感じたこと、今だに心に根ざしているものを書き綴っていく。これをどう捉えるかは読んだ人次第だ。どうぞご随意に。

 私にとって人生の一つ目の難所は生まれて半年ごろに父親が自殺したことだろう。

 物心ついたときすでに父親はおらず、兄二人と母と暮らしていた。ずっと父親は車の事故で亡くなったのだと言われて育てられた。生後半年ごろの話だから、本当に父親の記憶はなく、私が知っている姿は遺影だった。次点であまり開くことのないアルバムに残された写真。父について知っていることは、秋生まれで、秋に死んだこと。酒が好きだったこと。色白であまり身長が高くなかったこと。土木系の仕事をしていたこと。母より給料が低かったこと。兄の育児にはあま関心がなかったけれど末娘の私の育児は比較的手伝っていて、私のことを結構可愛がってくれていたらしいこと。母との馴れ初めが父が 母をナンパしたこと。車の排気ガス自殺をしたこと。

 母は私が父の話を聞くのを嫌がったし、兄たちもあまり話してはくれなかった。母の口から 父のことや父の実家に関しては嫌なことばかりだったし、長兄と私は本当に父親に似ていて嫌になるとこぼしていたから、本当にあまり好きではなかったのかもしれない。幼い子供三人をのこして勝手に死んだし、なにやら父との間にもいろいろあったようで、父の実家とも確執ができてしまっていたり、無理もないのかもしれない。

 母は公務員で、私が幼い頃は月曜から土曜まで仕事をしていて、私は母が仲良くしていたシッターさんに預けられて育った。このシッターさんはかキャラが濃いおばさまなんだけれども、兄の面倒も見てくれていたから信頼のおける人だった。

 兄との歳の差は長男とは9年、次男とは6年ほどあったから、私が小さいころはすでに小学生で家にいない時間の方が長く、三歳までは確実にシッターさんといる時間が長かった。シッターさんの家がお寺の敷地内にある借家だったから、私は半寺育ちで、いまだにオカ板の寺生まれの●さんをネタにすることがある。結構スピ体験もしてきたから、それもいつか書きたい。

 私は保育園じゃなく幼稚園だったから、保育園よりも園にいる時間が短くて、母の仕事が終わるまではずっとシッターさんにお世話になっていて、私の第二の親のおような人だ。この人のおかげで健やかに育つことができたと言っても過言ではない。

 この頃は一人遊びのエキスパートで、公園に連れて行ってもらっても一人で遊んでいるし、幼稚園でもひとり遊びの比率が多かった気がする。ぬいぐるみとお絵描きがだいすきで、自分の世界にこもって物語を空想する子供だった。兄と年が離れているし性別も違うからあそびが合わなかったというのもあるだろうけれど。

 兄に泣かされつつ、特に大きな問題はなくちょっと変わった子だなぁというふうに過ごせたのは、この小学校にあがるまでだった。

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