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【秘密の読書感想文 #2】そして誰もいなくなった/アガサ・クリスティー

とても面白かった。

主要人物10名、全員のキャラクターがはっきりしていて、それぞれに限りなく見合った言動がとられていた。
一貫してぶれがなく世界に入り込みやすかった。
この人物はこんなことしないだろう、こんなこと言わないだろうという引っかかりが無かった。

取るに足らないストレスを挙げるとしたら、うち2名の職業だろうか。
私にとって聞き馴染みのない役職であった元陸軍大尉と退役将軍の違い。
お国柄だろう。このような職に親しみがなく、スッと入ってくるものではなかった。

実際、今の今まで「大尉」のことを「たいさ」と読んでいた。
正しくは「たいい」であったのかと、たった今記事を書いている中で知ったところである。
だが、裏を返せばそれすらもカバーする人物の作り込みであったということだろう。
しっかりと書き分けされていれば職業など肩書きにすぎず、大した問題ではないということか。
職業や役職、立場の違いというのは性別や血液型と同じくらい個性として分かりやすく大きな要素だと思っていたが、仮に全員が同じ職業であってもここまで個性を出すことができると証明されたような衝撃である。

すごい。どうやっているのだろう。
物語を書き始める前に完成されているのだろうか。
書いている中で確立していくのだろうか。
ただただ、知りたくなった。

海外の作品なので当たり前と言われればそうなのだが、皆の名前がカタカナで出てきたときは少しばかり気後れした。しかしそれも無用な心配であった。
初めのうちは主要人物が一覧となって記載されていた巻頭ページに栞を挟み、何度もパタパタと開いては閉じてを繰り返していたが、第2章を終える頃にはもれなくイメージ画像付きで頭に入っていた。

全体を通して強く印象に残っている場面は2つある。
1つは、第7章の1節、ブレントとヴェラが2人で会話をしているところだ。
私の作り出した不格好な人物像にブレントという人間がじわじわと近寄ってきて、所詮は物語の中の人物であるというのに、これでもかとイメージを鮮明なものにするのだ。
ブレントに対して、実在する人物かのような嫌悪感を持たされた。
どこかで会った名前も知らないような抽象的な人物を自然に思い浮かべてしまうほどに、想像が容易というか、本当にリアルだった。
そして、ヴェラと時を同じくして、突然ブレントが恐ろしい存在に感じられた。

もう1つは、第8章の4節。今度はマッカーサーとヴェラが会話をしているところだ。
他9名が奮励するなか、早々と終わりを見据えていたマッカーサーだったが、この潔さみたいなところで、私はマッカーサーが好きになった。
少なくともこのとき罪という部分に一番向き合っていたのはマッカーサーだろう。
このマッカーサーの存在が、他9名の醜さみたいなものを引き立てていて、だからといって他が図々しいとかそういうことではなく、人ってそういうものだよなと、全体の人間味がぐっと増したような気がした。

私がもしこの状況におかれたら、おそらくマッカーサーに似たタイプだろう。
現実から離れ、自分の世界に入るというか、自問自答を繰り返して、自分以外の人間が罪を犯したか、とか、誰が犯人か、とか、どうでもよくて、自分がどうかというところに考えが収まると思う。
そういった意味では、自分と近しいところに惹かれたのかもしれない。

物語の最後、残されたロンバートとヴェラの2名がお互いに相手が犯人だと結論を出す。
ヴェラがロンバートを射殺し、そのままヴェラは興味深い実験という名の舞台にあがってしまうわけだが。
はたしてここに至るまでの筋書きを犯人はどこまで見ていたのだろうか。
ヴェラについて犯人は「ロンバートといい勝負、あるいは、ロンバート以上と見ていた」と残している。確信は無かったわけだ。
ならば仮に、ロンバートがヴェラを射殺していたら?
おそらくロンバートにとって人を撃ち殺したショックなど高が知れたものであっただろう。
兵隊さんの童話になぞらえるとおりにはならない。
どうしていたのだろうか。別の結末を想像するのもまた面白い。

それから、どうにも納得のいかないことが一つ。
犯人は殺す順番を罪の軽い者からとしていた。
そして、犯人いわくマーストンは道徳以前の人間だと、罪の軽い部類にしている。
善悪の判別がついていながら故意に殺したわけではなく、それすらもなく殺してしまったというところだろうが、幼い子供でもないのにそんなことがあるだろうか。
私は、罪を犯しておきながら自分がしたこともわからないマーストンは救いようがない人間だと感じた。
勿論、全員が罪人であることは前提だが、マーストンを始め、ロンバートや当初のブレントの態度には他の者以上に嫌悪を抱かずにはいられない。
罪を犯したのちの後悔や反省というところに重きを置くのは日本人特有なのか、あるいは、女性特有の感情的な何かなのか、気になるところである。

謎解きという観点でも最後まで楽しめた。
そして、なにより納得のいく終わり方であった。
犯人について、動きがゆっくりなイメージを持っていたし、死んだとされていた人物が実は生きていたなど、引っかかる部分もあるにはあるが、物語という性質上、すべての辻褄を合わせることは難しい。
例えば、なぜ死体を怪しまなかったのかという疑問に、死体を調べる場面を出したとして、そこで犯人が判明してしまっては面白さに欠ける。
しかし、死体の調べ方を曖昧なものにすれば今度はなぜ細部まで調べなかったのかという疑問が出てくる。
どこまでいっても物語の都合という部分は少なからず出てくるものだ。
ならば、純粋に物語として楽しもうではないか。疑問は各々が好きに解釈できるプレゼントだと思えば、またいくらか楽しみも増えるだろう。
ツッコミどころを一つ一つ潰したところで出来上がるのは想像の余地が与えられない味気ない小説である。

それにだ。もし私がこの状況にいたとしたら、死体を調べるなどという発想には至らないかもしれない。
だって既に死んでいる人間より目の前の生きている人間のほうが何倍も怖いだろう。
オカルト的な何かより、生身の人間が一番怖い。
この中に犯人がいるかもしれないという状況で、既に死んだ人間を死んでいないかもしれないという可能性で考えられるのは、読者として客観的に見えているからである。
犯人は誰だ、殺されたくない殺さないでくれ、そう精神的に追い詰められる中、わざわざ除外できるであろう選択肢を含めてものを考えることなどできるだろうか。
少なくとも私は目の前の生きている人間を疑うのに精一杯である。
犯人ではない人間が1人わかったとなれば、喜んで選択肢から外すだろう。

長々と書いてしまったが、このように本作品はとても面白いものであったように思う。
想像が膨らむ。

巻末にあった赤川次郎さんという方の解説もよかった。
中でも共感したのは「これほど人が次々に死んで行くのに、少しも残酷さや陰惨な印象を与えないこと」と作品の「エンタテインメント」性を挙げていた点だ。非常に頷けた。
私は文章を読んでいると、とても細かく頭の中でそのときの情景や状況を映像として変換してしまう。
その想像ゆえに、読む時間帯を選ばざるえないことがある。
その点で本作品は、怖さはあるにも関わらずなぜかいつでも読み進めることができた。
殺される描写が少なかったわけでも、不足があったわけでもないのに。不思議だ。
違いは何なのだろうか。
赤川次郎さんはそれを「後味のいや味のなさ」と書かれていたが、それがどういうことなのか、どういうものなのか、今のところ私には分かりそうにない。
本作品を「こんな作品が書きたい」と目標だという赤川次郎さんの作品も読んでみたくなった。

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