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最っ高の夏!

僕は、自分が幸せなのかわからない。

僕の心は基本的にモヤモヤしていて、晴れていることはあまりない。とりあえず何か大きな不幸がないという意味では幸せなのかもしれないが、勿論、生きていれば幸せと不幸せは目まぐるしく入れ替わるし、なんなら不幸せの方が多い時も往々にしてある。

そんな時、“世界には今日のご飯もマトモに食べられない人がいるんだよ”、とか、“あなたが生きている今日は、誰かが生きたくても生きられなかった明日なんだよ”、などと言ってくれる人もいる。確かにそう言われると自分は恵まれているんだな、と感じたりもするけど、そもそも誰かと比較することでしか自分の幸せを感じることが出来ないってなんか虚しくないか?とも思ってしまい、結局気持ちが晴れることはない。

少し前に、そんなモヤモヤネガティブ人間の僕の相談によく乗ってくれる先輩がいた。その人は、僕とは真逆の人間で、よく笑い、よく話す、モヤモヤ感の一切ない人で、一言で表すと“太陽”のような人だった。その人がその場にいると、本当に周りの空気がびっくりするくらい穏やかな温かい空気になるのだ。

先輩はいつも幸せそうで(暗いところを僕には見せていなかっただけかもしれないけど)、辛いことだって色々あるだろうに、なんでそんなに幸せそうに生きられるんだろう、と疑問に思っていた。

そんなある時、先輩を含めた何人かで、道の駅に行ったことがあった。そこでは、地元で採れた色々な新鮮な野菜が安くで売られていた。元々食べることが好きな先輩は、なかなかの量を買っていった。

そして、新鮮な野菜を両手に抱え、満面の笑みを浮かべて、「最っ高の夏!」と言い放った。

その言葉を聞いて、僕は思わず吹き出してしまった。

なぜなら、新鮮な野菜が安く買えるのは確かに嬉しいけど、夏という季節丸ごと最高になってしまうのはあまりに大袈裟に思えたからだ。勿論それは比喩的に言った言葉だろう。だが、あの言い方と満面の笑みは、少なくともあの瞬間だけは、本当に夏丸ごと最高になったという説得力があった。

そんな姿を見て、先輩がいつも幸せそうな理由がわかったような気がした。

恐らく、先輩は幸せの感受性がかなり高い。だから小さな幸せも、僕よりも強く、確実に感じることができるのだろう。

僕は、新鮮な野菜が安く沢山買えても、“最っ高の夏!”という言葉は絶対に出さない自信がある。恐らく、僕がその言葉を口にするには、好きな子に告白してOKを貰ったりするぐらいのことが起こらない限りないだろう。

大笑いしている僕を見て、両手に野菜を抱えた先輩は、不思議そうな表情を浮かべていた。


僕は、自分が幸せなのかわからない。

生きていれば幸せと不幸せは目まぐるしく入れ替わるし、なんなら不幸せの方が多い時も往々にしてある。

だが、たまに訪れる幸せをちゃんと噛み締めて味わうことが出来れば、少なくともその瞬間はちゃんと幸せになれるのかもしれない。

外に出ると、快晴だった。
近くの公園を通ると、カルガモの親子がぷかぷかと池に浮いていた。僕は、必死に泳ぐカルガモの赤ちゃんを眺めながら、この幸せな気持ちを逃さないように、しっかりと噛み締めて、そっと心の中に閉まっておいた。

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