「たりない」の先にあるもの
たりないふたり 。
社会性、社交性、恋愛 ーーー
社会の中で生きていくために必要な様々なものが、たりない。
僕自身ももれなくそんな人間なので、普通の人が普通にできることでも血ヘドを吐くような思いをしながらやらなきゃいけないことも少なくない。
そんな自分が嫌で、たりてる人間の行動を観察したり、考え方を聞いたり、ネットで調べたり、様々なことをしたが、一向にたりる気配はなかった。
そんななか、明日のたりないふたりを観た。
山里さんと若林さんは、僕よりも20年も長く生きていて、ずっとたりないことに向き合ってきたであろう2人だ。
だから、きっと、たりることができるなにかを教えてくれるんじゃないか、もう血ヘドを吐くような思いをしなくて済むんじゃないか、そういった淡い期待もありながら見始めた。
だが、画面の向こうにいたのは、血ヘドを吐きながら漫才をしている2人のおじさんだった。
傷だらけなりながら、大声で叫びながら、自虐の竹槍と、人間力のモデルガンを振り回していた。
でも、僕はその姿を見ても絶望しなかった。
なぜなら、血ヘドを吐きながらのたうちまわる2人は、すごく面白くて、すごくカッコよくて、気づいたら目頭が熱くなっていたのだ。
そして漫才を見終わった後、僕は思った。
たぶん、山里さんと若林さんぐらい成功している2人でもまだまだたりていないのだから、きっと僕は、一生たりてる人間にはなれないまま死んでいくんだろうと。
だが、その事実は決して絶望的ではなかった。
なぜなら、たりないことにもがき苦しみながらも全力で突き進んだ先に、とんでもなく素晴らしい景色があることも見せつけてくれたからだ。
もちろん、僕の人生で今後そんな素晴らしい景色が見られるかはわからない。けど、それを信じて生きてみるのも悪くはないのかもしれない。
僕はまだたりない自分を肯定することはできない。でも、いつかこの人生の中で、たりなくてよかったと心から想える日が来るまでは生きてみたい。そう思わせてくれた漫才でした。
はぁ、明日も血ヘド吐きながら生きてみるかな。
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