見出し画像

シバタトモコってこんなヤツ①


タロってデザれるイタコ
O-タロットクエスター主宰
シバタトモコです♪

まいどヽ( ・∀・)ノ


さてプロフ的な記事をnoteにも書いていきます。

詳細なもの、生き方の変化などについては
ブログの自己紹介記事に任せるとします。

興味ある方はどうぞ。

では本題。

WEB&グラフィックデザイナー(歴25年以上)
O-タロットクエスター(シバタトモコ式タロット鑑定士)
心理系コーチングや起業支援コンサル・講師業
イタコ体質な48歳バツイチ独身子供無しな大阪人。

口の悪さは折り紙付きで、幼稚園の年少の時に「トモコちゃんのお口のきき方どうにかなりませんか?」と当時の担当先生からオカンに言うてたのを今でも覚えています押忍(笑)

画像1

幼稚園の頃は勝ち気な性格と口と態度の悪さで、学芸的な演劇ではいつも悪役の座を獲得w(舌切り雀のばあさんと、裸の王様のペテン師)


公立小学校⇒公立中学校⇒公立高校⇒フリーターとして社会デビュー。

小中はまあよくいるヤンチャなガキでした(笑)

画像2

小学校の時から目立ってたのでよく目をつけられてましたね(遠い目
別の中学からケンカ売りに来たりしてましたね(何だそれ

高校はバンド活動とカンニングに情熱を注いでました(笑)

画像3

ハードコアやパンクにハマっておりました。
週末になるとミナミやアメ村に行っては夜な夜な遊ぶというのが高校時代のメイン(笑)

社会に出て、フリーターとして当時大阪ミナミで若者に人気のミナミ地区でマニアックな雑貨やアクセを販売するお店の店員になる。

画像4

昼の給料が安すぎたため(笑)、夜は水商売のバイトしながら終わると朝までミナミのクラブやバーで友達たちと遊ぶという日々。

販売員はスグ辞め、昼間の仕事は転々としながら、もっと遊ぶお金が欲しくて本格的に水商売にハマる。

画像5

北新地のクラブで本職として働いてた。これはこれで綺麗な格好できるし、メシおごってくれるし、ただ酒飲めるし、喋ってたらいいし、ギャラもバツグンにいいしで、結構楽しかった。


けど、店を開く気なんぞさらさら無かった自分は、このまま一介のクラブレディで通用する(お客さんがちやほやしてくれる)のは24歳までやなと何か思ってしまい、

22歳になった頃突然、何を思ったか

「ヘアメイクアーティストになる!」
と厨二病が炸裂。

水商売はバイトに切り替えて専門学校に通うも、社会をナメ切って生きてたので続くわけも無く(笑)わずか半年で退学( ꒪⌓꒪)

この前後くらいからボディボードにもハマりだした。

画像7

けど、ある時、思った。

「途中でケツ割って、このまま何もせずまたフリーターでズルズル行ってたら、ガチなカスだ」と(笑)

いやもう、十分カスやったけどな(心の声


ここから、冷静になって自分の周りを見渡してみた。

すると、友人にグラフィックデザイナーが多く、みんななんかカッコイイ(笑)
仕事内容を聞いていると、当時MAC黎明期で版下と半々の時代だった事を教えられ、

「素人の自分でも、MAC使えたらイケるかも」

と、今思うとほんとナメてる動機で、水商売をあっさり捨ててグラフィックデザイナーの丁稚奉公を始めた。写真は丁稚始めた頃だったと思う。

画像6

すると現実はスグ厳しさを教えてくれる。

何の知識も無い、版下を真っ直ぐにすら貼れないワシに、先輩は何も教えてくれない。聞かないと教えてくれない。その前に、先輩達のデザインの話は何言ってるかわかんない(笑)指示も最初は全くよくわからなかった。質問したいんだけど、何を質問していいかわかんない(笑)全部わかんないから(笑)
版下貼っても0.1ミリ歪んでると「やり直し!」と版下を放り投げられる(笑)


「MACできたらデザイナー♡」なんてナメた厨二病的な野望は一瞬で崩壊した(笑)

やばい。やばいぞシバタよ。やばいところ踏み込んだぞ(笑)

MACも習得せなあかんし、デザインの勉強もおもっくそ巻きで集中して、実務で着実に結果を出していかないと、いつまでたっても同い年で同じ仕事を学校出てスグやってる人との差は埋まらんわと思った(気づくの遅いわw

ここでやっと本気モードになる。


なので、まずはMACは今後絶対必要だと思ったので、
当時クソ高かったMACを自宅練習用に親を保証人にしてローンで買った。
30万くらいしたと思う。ちなみに会社にあるMACは100万超えていた(笑)

専門的な学校も行かず知識も全く無いところから、それこそ数年は起きてる間はほぼデザインの事を考え、通勤中も街中のポスターや車吊りを見ては、「これって何でここに配置して、何でこれってこういうデザインで仕上げているんだろう?」というのを問答してはデザイン本を読みあさり、MAC使って創って練習する、練習結果とそこに関する質問疑問を先輩に質問して教えてもらう、という日々を過ごしていた。

デザイナー丁稚の給料はびびるくらい安かったので、夜はさらに週に数回ミナミのラウンジでバイトしていた。バイト帰ったらまたMACとデザイン本に向かう日々だった。

どこにあんなエネルギーあったんだろう(笑)若いって凄いなと思うわw

夜遊びは全くしなくなり、あれだけ毎週ハマっていたボディボードすら行くことも激減した。

今思うと、この頃は人生で一番頑張ったんじゃないだろーか(笑)あれだけ夜な夜な遊んでいた友達たちとも全く会わなくなり、当時はまだケータイってもんが出始めくらいだったので、連絡も途絶えていった。


デザイナー目指して2年半くらい経った頃、チャンスが来た。

当時、働いていたデザイン企画会社の常務が独立するとの事で、一緒に会社をやらないか?となったのだ。


長くなったので、ここからは次回の記事で♪

※スキを押してくれるとタロット占いが出ますよ♪押してくれると喜びます♡

この記事が参加している募集

自己紹介

サポートしていただいた分は今後の活動の発展等に役立たせていただきます♡