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【メディアアートとシンギュラリティ】

アルスエレクトロニカは昨年で創立40周年を迎えた、オーストリアのリンツで開催されている芸術・先端技術・文化の世界的なフェスティバルです。

アルスエレクトロニカのコンセプトはデジタルな空間も公共の世界ととらえる必要があるというもので、人々が社会の構成員である事をアートとテクノロジーを通して再認識する事。人に「問い」を生み出して、アートはそれを考えさせるラボのようなものだ。という考え方があります。アートの視点からテクノロジーの起源・成功・さらには愚行に渡るまで追いかけ、予測し、分析するクリティカル・シンカー(批判的思想家)の視点。

2017年に総合プロデューサーをさせて頂いている逗子アートフェスティバルでも展示を行った「In the rain」 Yuki Anai  は昨年のアルスエレクトロニカでも高い評価を得ました。作者の穴井さんには予算のない中、大変迷惑もかけましたが、逗子アートフェスティバルで最初に展示された作品がアルスエレクトロニカでも評価されるのは大変嬉しいことです。



逗子市では現在の「逗子アートフェスティバル」の前身となる「逗子メディアアートフェスティバル(後にメディアーツ逗子)」が逗子在住でプロジェクションマッピング協会代表の石多さんによって2010年から開催されていました。発端は逗子小学校の校長先生が石多さんがやっているプロジェクションマッピングに興味を持ち、学校の校舎にマッピングをしよう!というところからはじまり、今では世界的なプロジェクションマッピングの世界コンペティション(2019年は小田原で開催)に成長しています。2012年の開催時に私は書道家の武田双雲氏と産業能率大学の共作で書道作品とプロジェクションマッピングのコラボレーションで出展したのをきっかけに、2013、2014年にはディレクターという形で運営とキュレーションを手伝いました。

プロジェクションマッピングを小学校の壁面に投影するという、当時では先進的なアートフェスで、アートによる町の活性化がはじまり、おかげさまで2020年神奈川県の幸福度の高い街第2位になりました。プロジェクションマッピングという手法は、一部の作品を除きエンタメやコマーシャルなものとして量産され消費された感も否めないですが、当時の逗子メディアアートフェスティバルでは、ライゾマティクスの作品やAR作品に加えチームラボが手がける以前にチームラボと同様のプログラムを使ったインタラクティブな作品も展示され、今思えば、かなり先端的なアートフェスを展開をしていました。当時、テクノロジーとアートの関係についてアートフェスティバルを通して考えていくなかで、私が制作していた武田双雲氏の書をプロジェクションマッピングで拡張する作品「感謝69」や、和太鼓のGOCOOと踊り絵師神田さおりColoGraPhonicのビジュアルアートによる作品など、身体性の拡張としてのテクノロジーをテーマにしていました。そして、テクノロジーは身体拡張から社会そのものや、精神の拡張の時代に入っていくでしょう。

メディアアートやテクノロジーとアート、そして地域とアートの文脈で先端をいくアルスエレクトロニカの総合芸術監督 ゲルフリート・シュトッカー氏にお話をうかがう機会があって「AIがどんどん人に近くなっていくなかでアートとテクノロジーの理想的な未来像について、どう考えていますか?」と質問した事があります。「アートは根本的に人とは何かについて探求してきました。人間探求のスペシャリストです。アートとテクノロジーは元は一緒なんです。アートとテクノロジーはもっと初期の段階から対話をすべきです。テクノロジーがどんどん人間に近くなっていく中で、AIは人間の核心に近い技術だと思います。だからこそエンジニアはもっとアーティストとコラボしていく必要があると考えています。そうする事で安心してテクノロジーが進化できる」と答えてくれました。

ARTの語源ラテン語の ars「アルス」 はギリシア語のテクネーに相当し、自然に対置される人間の「技」や「技術」を意味する。(ウィキペディア)とされています。少なくともレオナルド ダビンチの時代、ルネサンス期まではアートとサイエンス、テクノロジーはどちらも同じ人から生まれたもので同一だったわけです。それが、次第に分離していきます。テクノロジーは自然をコントロールする力となり、一方アートは宗教や権威の象徴から大衆化していく過程で自己の内面へと向かい抽象的な個の内面の世界を表現する現代アートに至ります。

テクノロジーは人が生み出したものだからこそ、この乖離をアートで埋める必要があると思います。モノとココロをツナグ媒体がアートなのではないだろうか?心で感じたものを形にする行為がアートであるとすれば、乖離したテクノロジー(人工物)と人の心を結びつける重要な役割がアートにはある。ここに今までのアートの文脈とは異なる視点や重要性が生まれてきている様に感じます。この乖離を埋める事でシンギュラリティが人工知能(モノ)の支配という結果を避ける為の手段になるのではないでしょうか。人が人造物によって支配される世の中にはなってほしくない。これから現実社会がどんどんデジタルなオンラインの世界に移行し、ミラーワールドとリアルワールドの境界が曖昧になっていく中でオンライン社会の倫理観や道徳観、新しい法律などを整備していく必要性を感じます。

だからこそ資本主義の発展と共に自然を破壊し続けたテクノロジーと、自己の内面に対する根本的な「問い」アートや哲学が融合したハイブリッドな社会が生まれてくる事が望まれるでしょう。今からテクノロジーを否定する訳にも行かないわけで、ありのままの人間の精神も含めた自然と人間が制御しコントロールしてきた自然のバランスと融合が求められてくると思います。

そんなことを考えるのもアート思考の思考の部分にあたることろではないでしょうか。



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