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どこで演奏するか 〜 想定された、場の響き

「教会で聞いた賛美歌の響きが忘れられない」という人は多いようで……異国での体験であることに加え「教会の “場の響き” 」もまた異世界であり、そこに神や神聖な存在を感じずにはいられなくなるのだろうか――

さて、場の響き、空間の響きを考慮せずに演奏される機会は、結構な割合で存在する。つまり、「教会でうたわれる想定で書かれた曲を、日本の多目的ホールに持って来ても、本来の響きは得られない」という至極当たり前のことだ。

――教会に限らず、サロンであったり、お堂であったり、人(例えば作曲家)がとある音をイメージした際には、少なからず「場のイメージ」がついてまわる。木魚も、サンシンも、馬頭琴も、スティールパンも、それぞれに生まれ育った環境・文化があって、音色が形作られて来た。

「どこで演奏するか」は、客席数やスケジュール、駅からの距離、利用料などで決めてしまいがちで、「どんな響きの場所(空間)で演奏すると本来の魅力を引き出せるか」をつい置き去りにしてしまう……けれども、結構たいせつな要素ではなかろうか。

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