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僕たちの"想火" 〜2020年全国一斉竹あかり点灯プロジェクトを超えて〜

2020年7月23日、幻のオリンピック前夜に全国47都道府県で一斉に灯された竹あかり。プロジェクト設立当初は、東京オリンピック開催のタイミングで全国で竹ああかりを灯し、世界へ「Welcome to Japan!」のメッセージを届けようと始まったプロジェクトでしたが、2020年2月に流行した新型コロナウイルスの影響によりオリンピックは延期。私たちはこのプロジェクトの存在意義を問い直し、世界へ希望と平和のメッセージとして竹あかりを灯すことを決めました。

「自分のまちは、自分で灯す」を合言葉に集まった全国のサムライたち。彼らはこのプロジェクトを通じてどんなことを感じてくれたのか。どんなものが各地で生まれたのか。あれから1ヶ月。今回プロジェクトに参加してくれた若きサムライ3名に「みんなの想火」のこと、周りの反応、その後どんな変化が訪れたのかなど、お話を伺ってみました。


ただ参加するだけの定型イベントではなく、"市民の人たちとつくりあげるプロジェクト"が実現できた達成感と充実感がありました | 富山サムライ 金岡 正法さん

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富山会場の様子

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ー「みんなの想火」プロジェクトにご参加いただいた感想を教えてください!

金岡さん(以下 金岡)「ひとことで言わせていただくと"達成感と充実感"。コロナになる以前から、ここ数年ワークショップなどいろんなことをやってきましたが、その中で一番の達成感と充実感を感じたプロジェクトがこの竹あかりを使ったみんなの想火プロジェクトだったと思います。」

ーどんなきっかけで「みんなの想火」プロジェクトに参加されたんでしょうか?

金岡「最初は知り合いのところに"富山サムライをやらないか"というお話が来たんですが、その方から僕にお話がまわってきて、僕は即決で『やらせてください』とお伝えしました。僕は今の世の中では【コミュニティ】がすごく大切だと思っていて、みんなの想火もまさにそのコミュニティを形成していくという僕のビジョンにあっていて共感できるものだったので、すぐお返事させてもらいました。また、やっぱり全国の方とも繋がることができるというプロジェクトはなかなかないことですし、今回で言えば核となる"竹あかり"や"まちづくり"というキーワードに共感できる人たちが集まるので、全国にいいコミュニティができるんじゃないかな、と思いました。

結局仕事にしても何にしても、人から人への繋がりからしか何かが生まれていかない。特に最近の人はあまりコミュニティに出てくることも少なくなっていて、僕自身も昔はインドアだったんですけど、実際にそういう場に出て人と繋がってみたら、自分の可能性だったり視野が広がったりするということに気づいて、やっぱりコミュニティって大切だなと。そういうのをもっとみんなにも知ってほしいし、人と人がつながれば、もっと新しいものが生まれていくのになあと思って、そういった活動は積極的に参加したり自分でやってみたりするようにしています。」

ー参加されたみなさまの反応はいかがでしたか?

金岡「当日ワークショップにも4-50人の方に参加していただいて、さらに最後の夜の竹あかり点灯のころには、2-300人もの方が来てくださっていたと思います。イベント終了後もおのおのカメラで写真を撮っていたり、楽しんでいただけていた感じがしますね。

制作チームはボランティアの方を含めて2-30人程度だったと思いますが、みなさん『いいイベントだったね』と言っていただきました。またいろんな団体や会の方とかも来てくださっていたんですが、その方達にもまとまりのあるいいイベントだったね、と言っていただきました。」

ーコロナやそれに伴うオリンピックの延期などにより、難しい点はありましたか?

金岡「そうですね、やっぱり気持ちの面で難しい時期はありました。コロナで全国一度あきらめムードになったと思うんですけど、でも僕はその時にもそれじゃだめだろと自分を奮い立たせていて、そういう大変さはあったと思いますが、でもだからこそイベントが成功した後の達成感は大きかったと思います。

最初はオリンピック前夜に全国で一斉に竹あかりを灯す、というお話で進めていた時は、"オリンピック"というだけで話が表層的に進んでいってしまっていて、プロジェクトの芯の部分が見えづらくなっていたんじゃないかなと感じました。でもその後コロナになって、オリンピックも延期になって、その中で僕たちが何のためにこのイベントをやるのかというところをしっかり説明して説得できるようにならなくてはいけなくなったので、あらためて自分は何をやりたいのか、何のために灯すのかを再確認することができるきっかけになったなと思います。なのでむしろそれでよかったなというか、本当のこのプロジェクトの芯の部分を見ることができたなので、それはすごくよかったです。」

ー富山会場は、本当に立派な竹あかりがたくさん並んでいましたが、金岡さんは竹あかり制作の経験はありましたか?

金岡「いえ、全然ないです。初心者でゼロスタートでした。今まで竹に触れたのは、仕事(庭師)で垣根を作ったときくらいですね。ですが実際竹あかりを作り始めて、既存の型紙なんかもいただいたんですけどなんだか納得いかなくて、最終的にはCAD(パソコンで設計や製図を行うためのツール)を使って自分で竹あかりのデザインまでしていました。文字を掘ってみたり色々試行錯誤を繰り返して、地道にコツコツと下準備して本番に臨みました。実際に動いたのは最後の1ヶ月とかなんですが、かなり集中して仕上げましたね。」

ープロジェクトを通じた一番の学びや、チャレンジはどんなところだったでしょうか?

金岡「今回初めて竹あかりに挑戦したということもあり、全てが学びだったなとすごく思います。最初やります!って言ったもののそのすぐ翌日から迷走が始まり(笑) すごくやばいかもな、と思ったんですが、やっぱりとにかく富山のいろんな市の方や県の方に会いに行ったり行動を起こしながら、学んで進んでいくことができたかなと。また今回全国の方のそれぞれのやり方だったりもとても学びになったし、全国のその土地の色がでるスタイルなんかも知ることができたり本当に今回は全てが"学び"でしたね。

また僕は今回のプロジェクトはただ参加するだけの定型の"イベント"という立ち位置では取り組んでいなくて、富山市の方たちと共催でやらせていただいたんですが、"市民の人たちとつくりあげるプロジェクト"という感じを目指していました。イベント、としてしまうと何か形式張ってしまって面白くないかなと思ったので、プラモデルでいったらただ組み立てて色を塗るっていうだけではなくて、そのプラモデルの原型すら一緒につくれるような、そんな形を目指して実現することができたのが、ひとつ他の県にはない僕らなりの形にできたかなと思います。

ただどうやってそれを実現できたのかは、自分で振り返ってもよく覚えてないですね(笑) とにかく行動あるのみ、と走りながら考えて行った感じです。僕はとにかく考えていることは行動に移さないと意味がないと感じているので、2割くらい考えて、そこからはとにかく人に会いに行ったり行動を起こして実現していきました。」

ー47都道府県に仲間がいるということで金岡さんにどのような影響がありましたか?

金岡「自分一人だったら"このくらいでいいか"とか妥協してしまう部分も、全国で一斉に灯す仲間がいるということでモチベーションはかなり上がったと思います。あとは全国で一斉にやるということで、もし何かあってもきっと誰かが助けてくれるだろうという安心感や心強さもありました。わからないことがあれば聞くことができたり、みんなの投稿などをみて"あ、このデザインいいな"とインスピレーションをもらったり。そういうところが本当に助かりました。」

ー最後に全国のサムライさんたちや、みなさんにご自身のこれからのことやメッセージがあればぜひお願いします!

金岡「今回関わってくださった方は共通認識を持った人たちだと思っていて、その方たちと繋がれたことだったり、たくさんメディアの方にも取材にきていただいたことで認知があがったことで、今後のいろんな活動に繋がるなと思っています。僕が目指しているのは【人と自然】が掛け算されるようなコミュニティだったりプロジェクトなので、これからも色々チャレンジしていきたいです。」



地元の万葉竹灯籠のために参加したプロジェクトで、全国の人との繋がり仲間ができた事が嬉しい | 島根サムライ・田中淳央さん

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島根会場の様子

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ー「みんなの想火」プロジェクトにご参加いただいた感想を教えてください!

田中さん(以下 田中)「昨年の10月くらいにお話をいただいた当初のこのプロジェクトへのモチベーションは、僕の住んでいる島根県の益田市に8年くらい続いている竹あかりのイベント『万葉竹灯籠』の島根県内や益田市の方に広く知っていただきたいなというものでした。ただ2年ほどやっていましたが、屋外での竹あかりというものを見たことがなく、他の全国のサムライさんがどんなものを作るのかに興味があって参加させていただいたというところもあります。

その後コロナになりやはり中止も検討しなくてはいけなくなったのですが、僕がチームを組ませていただいた方々がどんな状況もネガティブに捉えることなく、『この状況だったらこうやればいいじゃん』と前向きに考えてくださる方ばかりだったので会場を僕の自宅に設定したり、やり方を変えたり、とにかくものすごく助けられました。今僕は古民家に住んでいるのですが、その利活用の探求の時期にもなったなと思います。

今回はコロナだったこともあり、各自の判断で参加していただき、また告知もあまり積極的に行わなかったのですが、当日最終的には40名ほどの方が集まってくださいました。一人役者さんなどもお呼びして舞台と竹あかりのコラボレーションなど、楽しい時間になりました。」

ー当日はどのように運営されていたんですか?

田中「僕が企画するイベントでは、いつも"大切にしたいもの"を参加してくださる方に共有して、そこから一緒にコミュニケーションを取りながら考えていく方法を取っていて、今回も実は竹あかりのレイアウトなども全然考えていなかったので、当日みんなで一緒に作り上げていく感じがとても楽しかったです。

前日に東京会場の竹あかりのレイアウトを見て、みんなで『こんな竹あかりの飾り方あるんだ!よし俺らもやろうぜ!』と言いながら急遽壁に横向きに打ち付けたり(笑) これいいよね!とかワイワイできたのがすごく良かったです。そういう様子を僕以外の方がFacebookライブで放送してくれていて、それを見て『楽しそうだな』と足を運んでくださった方もいました。そして当日参加してくださった方や見にきてくださった方が僕個人の活動にも興味を持ってくれて、今も活動に参加してくれたりしています。本当にいいチーム作りのきっかけになったプロジェクトだったなと思います。」

ー田中さんは今のまちで、もともとどんな活動をされていたんですか?

田中「僕は広島の出身で、就職して8年前にこの益田市というまちに越してきました。建築をやっているんですが業界が少し閉鎖的なので、その世界を広めていくために、建築と教育をかけあわせたワークショップをしてみたり、一般の方に建築に興味を持ってもらえるように実験的に色々な試みをしたりしてましたね。

今回のプロジェクト以降、様々なメディアで取り上げていただいたこともあって僕が竹のイベントをやっている人でかつ建築をやっている人だという認知が広まり、ありがたいことに益田市の公民館での竹や建築、DIYの講師などのお話も増えました。本当にこの『みんなの想火』プロジェクト期間中に人脈だったり認知だったり、自分の活動の土台となるものが築きやすい期間だったと思います。」

ー「竹あかり」のおまつりであることはいかがでしたか?

田中「今回『みんなの想火』が『竹あかり』のまつりであることは、実はあまり見たことがある人がいなかったので最初少しハードルがありました。万葉竹灯籠というイベントはあるんですが、これも非常にコアなファンの方がくるイベントのようになりかけていたので、メディアなどに『竹あかりのまつりをやります』と伝えても反応は最初はあまり良くなかったんです。

そこでどうしようかと考えて、それまで大きな竹あかりしか作ってこなかったんですが、一節サイズの小さい竹あかりを作ってそれを持って行って実際に灯して見せてみたんです。そしたら写真だけだと『わーきれいですね』で終わってしまうところが、実際に灯をともしてみせると一気に求心力があがったのを感じました。またその時に、竹というものを使うことによる環境保全のお話などもあわせてすることで、『それなら応援したいです』と言っていただくことが増えました。」

ー建築の方から見て、「竹」という素材はどんなところに使われている素材なんでしょうか?

田中「竹は、日本で昔から色々なところで使われてきていて、特に建築でいうと茶室の装飾だったり茶器などにも使われているのですが、益田市はお茶が盛んで日常の風景の中で身近なところにあったので受け入れてもらいやすい素材だったのかなというのもあります。海外では竹だけでの建築物もあるんですが、日本では法律上現在はできないのですが、何か遊びで竹を建築に応用したりできないかなというのが最初竹あかりに興味を持ったはじまりでした。

その他にも色々な道具など竹でできているものは多いですが、実際の素材としての『竹』はあまり身近なものではなくて、どう生えてるかも知らない人は多いですからね。」

ー今回47都道府県で一斉に竹あかりを灯し、それをオンラインで繋ぐという企画で、何か力になったこと、逆にやりにくかったことなどはありましたか?

田中「最初はあまり全国のサムライさんたちと交流はしていなかったんですが、新潟サムライのSiGeさんからFacebookの友達申請がきて、彼の投稿を見ているうちにSiGeさんが作られている竹あかりが本当にすごくて『どうやって竹を加工されてるんですか?』など聞かせていただいたらめちゃくちゃ親切に教えてくださって。そこから個人的に想火プロジェクトの状況などを話し合ったり交流が広がっていきました。またエリアマネージャーさんなどとも話しながら色々各地の情報を聞いたりもしていたんですが、だんだんこのプロジェクト以外のことも話せる相手ができて、すごく『一人でやってるんじゃないんだな』と思えましたね。

最初は益田市の万葉竹灯籠のイベントの認知向上のために手をあげて参加させてもらったのですが、こういった全国にいる人との繋がりは僕が思っていなかった収穫で、すごく嬉しかったです。だから苦しいとかきついとかそういう事は全くなかったですね。」

ー最後に全国のサムライさんたちや、みなさんにご自身のこれからのことやメッセージがあればぜひお願いします!

田中「全国でいまいろんなイベントがなくなってしまっているので、年内いっぱいゲリラ的に島根県の益田市の各地で竹あかりを月に一回くらい灯せたらいいなと思っています。誰かからオファーなどがあれば、介護施設だったり個人住宅だったり、必要なところに灯りを届けたいなと思います。そういう形で、益田市の方にひとりでも多く、竹あかりに触れる機会をつくることができたらいいなと思っています。コロナで何もなくなってしまった分、『2020年は竹あかりに出逢った年』って思っていただけるんじゃないかなと。もし興味のある方がいたら、ぜひ協力させていただけたらと思っていますし、また来年以降、万葉竹灯籠にも足を運んでいただけたら嬉しいです。

連絡先はこちら:

コロナが落ち着いて、みんなが集まれるようになったら、ぜひ47都道府県全てのサムライが竹あかりを持ち寄って、『持ち寄り竹あかり』っていうイベントをどこかでやりたいなと目論んでいます(笑) どこか聖地に持って集まりたいですね。サムライのみなさん、一押しの竹あかり持って集合しましょう!」



このみんなの想火プロジェクトがなければ、きっと中止にしていたずっと続いてきた祭り。コロナの中、全国の仲間と進めたからこそ得たものがありました。 | 千葉サムライ・田山歩さん

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千葉会場の様子

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ー「みんなの想火」プロジェクトにご参加いただいた感想を教えてください!

田山さん(以下 田山)「全国どこもそうかなと思うんですが、やっぱりコロナの影響もあり一番最初に企画した通りにはいかなかったというのはまずあります。ただ、コロナで様々な活動が制限された中で、逆に今まで想いを馳せられなかった細部まで考える時間と余裕ができたなと思います。

僕たちのまちでは、僕が関わってからは3年くらい、まちとしては10年近く竹あかりをやっているんですが、でも例年やることが決まっていて少しずつパワーアップはさせているもののマンネリ化してしまっている部分もあったんですね。でも今年は"人を集めちゃいけない"という制約があって、毎年竹あかりと一緒にやっていた「ナイトマーケット」という出店を集めたイベントも中止になり、じゃあそんな制約が強い中で何ができるんだろう?という風に考えたりすることに時間や労力を回すことができた。「竹あかり」だけに注力して準備することができたので、今まで考えなかったこと、できなかったことなどにチャレンジすることができてすごく面白かったですね。」

ー今回竹あかりの演出に集中することができたことで、来年以降のおまつりの開催する際に良い影響はありそうですか?

田山「僕らが今回竹あかりを灯した場所は、千葉県佐原にある伊能忠敬旧宅など国指定史跡や県指定文化財などがある地域で竹あかりを灯したんですが、川にある欄干(柵)にワイヤーを結んで竹の鞠を吊ろうぜ、というアイディアがあっても、制約がものすごく多くてずっと実現しなかったんです。

でも今回まつりの規模を縮小して時間があったので、時間や手間のかかる申請だったり、傷つけないでちゃんと使いますっていう利用についての交渉などに時間を割くことができて初めて実現させることができました。一度許可が下りたことでこれが実績になって、来年以降にも繋がっていくと思っています。役所の方もこのコロナ禍だからこそ僕たちの話を聞いてくれたし、僕らも時間があったし、お互いの利害が一致していた感じはありますね。」

ーまわりの地域の方の反応はいかがでしたか?

田山「僕の中でクライマックスが2回あって、1回目はイベントのポスターができたのでそれをもって川沿いのお店にもポスター貼らせてくださいっていうお願いをしにいった時、その時期どのお祭りもコロナで中止になってしまっていたので、『今年さあ、貼るポスターなかったから持ってきてくれて嬉しいよ!』って言ってもらえて、これはこのコロナの時期だからこそ聞けた声だなと思ってものすごく嬉しかったですね。

あと、僕らがやっていたナイトマーケットを今年どうするかっていう話をしていた時に、僕らの町の観光にずっと携わってるリーダーみたいな方がいるんですけど、その方に『おまえら、これからずっとナイトマーケットをやっていきたいんだろ。だったら今年だけは遠慮しておけ。今年は竹あかりにだけ注力しろ。今年我慢すれば来年以降もきっとできるから』っていう言葉をかけてくれたんです。その言葉は、本当に僕らのことを考えていってくれているあたたかい言葉だなあと僕は思って、これも僕にとっての想い出深い一コマでした。」

ー今年「みんなの想火」がなかったら、田山さんは竹あかりを灯していたと思いますか?

田山「いや、多分このプロジェクトがなかったらやらなかったと思いますね(笑) 今やるのはリスクが高すぎるでしょと。でも47都道府県のみんなが気合いいれてやるって決めてくれたから、それも僕にとってはすごい後押しになりました。それはやっぱりこのプロジェクトの大きな成果だと思います。各都道府県バラバラにやってたら、絶対実現しなかったですよ。ほんとに事務局さんが強力なサポートしてくれてたからだと思います。」

ー今回47都道府県で一斉に竹あかりを灯し、それをオンラインで繋ぐという企画で、何か力になったこと、逆にやりにくかったことなどはありましたか?

田山「やりにくさは全くなかったですね。そこは事務局さんが全体の足並みを揃えてくださっていたので。逆に各都道府県のイベントを達成するためにはここだけはおさえてほしいみたいなポイントも明確に示してくれていたのでものすごくやりやすかったです。本当にそのあたりの事務処理能力がめちゃめちゃ高くて、47都道府県でやっていることに対するストレスなどは僕は全く感じませんでしたね。

良かった点は、今回関わっている皆さんが本当に利益を求めて関わっていなくて、全国のサムライで集まって全員で会議していても損得考えずに話し合いに参加することができたのはすごく良かったですね。お互いの得意分野を情報共有しあったり面白いこと考えたり。今はこういうのがウケるんだなとか県をまたいであの時期に話すことができたのはすごく面白かったです。全員、利害ではなく『与える=give』の精神であそこにいたから、それがすごく居心地が良かったですね。そういうのも実行委員長の池田親生さんの持ってる哲学だと思うんですけど、全員がそういうスタンスでいたのはやっぱりすごいですね。」

ー「竹あかり」は田山さんにとってどんな存在でしょうか?

田山「僕の地元には『佐原の大祭』っていうユネスコ無形文化遺産にも指定されている大きな祭りがあって、僕はその祭りの日に生まれていて小さいころから参加している祭りっ子で友人に地元を紹介するときにはまずこの佐原の大祭の話をしていたんですけど、『竹あかり』は僕の中でそれと近い立ち位置まで昇華してきている気がしています。ブームからもう文化になっているなっていう。僕も竹あかりのまつりをやるときには、一過性のものではなくちゃんとカルチャーとして根付くことを意識してやっているんですが、竹あかりも長く続けていることもありだんだん地域の理解も得られて、佐原のまちの文化として根付いてきていると感じます。

ブームと文化(カルチャー)の違いは、僕の中では本当にそのままではありますけど一過性になるかならないか。みんなの想火も、今回一発やって終わり、じゃなくて、これから続けていくために各地で自分たちで今度はやっていくっていうゴールを見せてあげられるとブームではなくちゃんと文化として根付いていけるんじゃないかと感じますね。

「竹あかり」は竹害などの対策として環境循環の環を広げる活動でもあると思うんですけど、そういうのもやっぱり一過性で終わってはサスティナブルじゃないので、続けていくっていうのは大事ですよね。」

ー最後に全国のサムライさんたちや、みなさんにご自身のこれからのことやメッセージがあればぜひお願いします!

田山「僕らは今、特定非営利活動法人ル・マルシェ部というのを2020年2月に立ち上げて、「まちもどし」っていうのをテーマに活動をしています。僕らの地元はもともと栄えていたまちで、そんなまちだから言える「まちもどし」をキーワードに「まちづくり」などとは差別化しながらいろんなプロジェクトを進めています。僕らのまちは米どころなのでまずお米にフォーカスしたクレープ屋さんを7月22日(「みんなの想火」の前日)にはじめました。このあともそこを中心にお米のアイスだったりお米にフォーカスした商品を展開していきたいなと思ってます。

今は時期的に難しいですけど、落ち着いたら本当に47都道府県のサムライさんに会いに行きたいなと思いますね。少なくとも僕らは竹あかりという共通点があるのできっと話しやすいですよね。

全国のみなさん、コロナだけど、僕らはずっと前向いて毎日仕事してます!みんなで一緒にこれからも頑張っていきましょう!」


あなたのまちにも、あなたのまちを灯す "サムライ" がいる
そしてきっとあなたも "サムライ" になれる

みんなの想火_アートボード 1_2

「みんなの想火」プロジェクトでは、各都道府県を代表するサムライが、それぞれのまちに、竹あかりを一斉に灯しました。今回はその中から3名のサムライのみなさんに事後インタビューを行わせていただきましたが、それだけでなく、あなたの住むそれぞれのまちに「自分たちのまちは自分たちで灯そう」と全力で動いたサムライたちがいます。そのひとつひとつに物語があり、そのひとつひとつの灯りに想いが込められています。そんな素敵なあかりが、2020年7月23日、あなたのまちにも灯りました。

今回私たちと一緒に灯してくれたサムライは、竹あかり職人もいれば、会社員も、公務員もいました。大工や建築家、庭師、なんなら主婦や学生だっていたんです。"サムライ"は、特別な誰かではありません。きっとあなたも"サムライ"になれる。

ぜひ来年は、私たちと一緒に想いを込めた火を、想火を灯しましょう!
いつでも、ご連絡お待ちしております!😊


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