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創作その他で修行するとき、資料を見ているのにまるで見えていない問題が深刻

創作など、修行するときに色々資料を見ることは多いと思うんですが。

実はですね

【資料見ているのに、情報がまるで頭に入ってこない問題が死ぬほどヤベエ】

という話です。

要は

・必要な摂取すべき情報がまるで頭の中に入ってこない
・すでに構成された思い込みによって自動処理しているだけ
・ルーチンワークを修行と勘違いしたり、頑張っているつもりになる

っていう問題がだいぶ深刻でやべえって話です。

一応、この辺でもそういう話には触れているんですけども。

まあ、今回の話題となるテーマは、学習するときの習熟に関してです。
人間の学習の癖と思考についてという話でもあります。

細かい話は上の2つでもしているので、もっとざっくり感でいこうと思いますが_(:3」∠)_

習得と習熟は別!
という話です。


■人間は、ルーチンワークをしたがる生物である

人間ってのはですね。

一度習得した物事について、それ以上習熟しなくていいと勘違いしやすい生物です。

特に理由はありませんが、そういう性質があります。
そういう生物なので、よくやらかします。

生物的な特徴なので別に悪いことでもなんでもないんですけども。

・一度そうだと思い込んだ物事はいつまでもそうであると思う
・出来ていると思ったことは、あまり再履修や検分をしない
・理解することで労力を減らし、他の物事に余裕を向ける

こういう性質があります。

そのため、一旦覚えた、もしくは一度そうだと思い込んだ技術や知識を、いつまでも同じで、永久不変のものだと思い込みやすい性質があります。

そういう生物なので、そう思い込みたいのはわかるんですが。
まあ、そんなわけ無いですよな_(:3」∠)_

そもそも、修行中で自分がうまく行っていないと思うのであれば。

どう考えても自分の知識や技術は発展途中で未熟に決まってます。

発展途中で未熟なら、知識も技術も中途半端でうろ覚えなんですな。

ただ、人間ってのは一度覚えたものを完璧だと思い込みたい欲がありまして。

完璧な技術と知識を断片的に習得したのだから、さらに新しく断片的に習得していけばいいと思い込みがちなので、とにかく復習と再確認を嫌がる傾向があります。
今まで覚えたことは完璧に出来ると考え、新しいことを覚えたがるんですけども。

で、そこまで完璧に習得できたとする根拠はどこでしょう?
実際、そこがボトルネックになって修行がうまくいかない状態にあるとき、その根拠はすでに瓦解しているわけで_(:3」∠)_

基本的に、学習ってのはゲームのスキルみたいなもんです。
なので、レベル1だけ習得しても、使えないことはないですが未熟で使い勝手が悪いことはたくさんあります。
(ゲームが現実を反映したものなので、現実にそうだという話でもあるんですが)

レベル1だけ覚えて完璧だって思い込んでみても、新しいスキル習得条件に満たないことは結構あります。

なので、一度覚えただけでは基本的に理解が足りず、それをさらに習熟、合理化していったり、他の物に流用していく必要がある場合が多いです。

さらに。
たとえば10年もあれば、小学校4年生が成人する時間ですよ。
いつまでも、世の中が同じ常識で同じ知識で同じ状況だと思うほうが間違ってるんですな。
歴史ですら、新発見一つで1000年変わったりとかありますからね_(:3」∠)_

定説や常識、知識や観念なんてものは、習得したと思っていても結構変わっていきます。

大事な思い出や苦しい出来事も、勝手に美化されたり風化したり色々変化するくらいなので、人間ってこう、都合よくあやふやに考えるように出来てます。

なので、再確認&アップデートによるバグ修正が必要でして。

そのために色々と、繰り返し学び直し、自分の未熟さに気づきを得る必要があります。


■ルーチンワークと学習の違い

まあ、とりあえず、未熟だと理解したとき、学習が必要になるわけですけども。

自分では相応に、ちゃんと資料を見たり参考にしようとしているつもりになるんですな。

特に、悪い意味でも真面目で勤勉であるほどその傾向は強いし、一生懸命で頑張っていると思います。

ただ、その作業の性質が問題になります。

既存の自己知識をベースにする+アタッチメントを付け替える
というスタンスでやってしまいがちなんですな。

作業効率はいいんですが、資料を付属部品としてしか使わないので、あまり覚えないんです。
自己知識に全て変換して打ち出すので、今までの自分の知識と自分のやり方で処理します。

ってことは、なにか思考法が変わるわけでもなければ、新しい知識を覚えるわけでもないことが多いです。
特に未熟なときは理解度も低く、資料から多くの情報が拾えない傾向があるため、ある一定段階から知識や情報が殆ど入ってこなくなりやすい性質があります。

どんな資料を見ても「全て自分の既存のやり方に準拠した、まったく同じ工法」として処理する状態になります。

これをルーチンワークといいます。

一定の法則による一定の工法で、安定した供給を行います。
これはこれで大事なので覚えておいてください。

ただ、安定はしますが、残念ながら学習効率はあまりよくないです。
焦ってみても、焦りはルーチンワークをさらに加速する効果が強いので、あまり良い効果は得られません。

でも、必要なのは
資料をベースにする+既存の基礎知識を修正する
です。

学習というのは
・基礎のベースとなる知識を適宜修正する必要がある
・複雑で複合的な条件に対応できるだけの内容を把握していく

というのが基本です。

とりあえずできるようになっただけ、という物事は、その条件の幅が非常に狭く、一定の条件を少し逸脱すると処理ができずに迷うことになります。
処理ができないので、条件の範囲内に収めるしかなく、同じことを繰り返します。

条件の幅を増やすには、既存の知識と手順の未熟さを認めたうえで、資料に調べることで、基礎知識の適宜変更や追加、再分解から再構成までを余儀なくされる必要があります。

処理や対応ができない、ということは理論が間違っているので。

間違っている以上、その理論を振りかざすことに学習上の意味は薄いので、そこは認めていくしかありません。
(もちろん、作業量や作業効率的には必要な場合もあります)


■知識は体系化すること

えー、覚えた知識は体系化しないと引き出しにくいし理解も進みにくいです。

基礎ってのはその体系化や運用に必要なベ-スとなる部分であることが多く、そこをサボると運用面で詰むことが多いです。

単発でバラバラに覚えても、うまく運用しにくいのですな。

料理のレシピとか特にそうなんですが。
調味料や調理法の手順にはすべて意味があります。
必ず、相応の効果を狙った手段を用いています。

なので、作業の意味/効果を覚えなければ、他の調理に応用がきかないままです。

この、意味を覚えてつなげていくことを「体系化」と呼びます。

そして、そのために必要な最低限の知識が基礎です。

そのため、達人と呼ばれる人ほど「基礎が大事」とくり返し言う事が多いのは、そのほうが圧倒的に学習効率いいことを知ってるからです。

出来る人ほど、みんなとんでもない高レベルで基礎を極めているし、基礎を学んで理解を進めていくのが最大効率のコツなので。

特に、基礎にはジャンルを超えて流用できる知識も多いので、一芸に秀でた人が、他ジャンルでもうまくいくことがあるのはそのせいです。

基礎学習って、それくらい安定した習得が得られるもので、かなり高効率でレベルが高いものが揃っているという、人類の英知の結晶なので。
なので、基礎の意味をひたすら深堀していくのは非常に意味があります。

どうせ一周して戻ってくるところですし。
基礎がちゃんと出来てるなら、すでに困ってないし出来るはずだし、出来てないときは応用ではなく、複雑なことを組み合わせられるだけの基礎が足りないだけです。

困ったら基礎。
意味の組み合わせと分類による体系化。

シンプル。


■抽象化すること

そしてもう一つ。
大事なのが抽象化です。

一言でいうと、汎用性のある方法に変換して理解するってやつです。

コレができないと、個別の物事として別々に習得しようとしすぎるため、非常に非効率になります。

換骨奪胎の正体でもあります。

たとえば「1+1=2」ってのは「1って概念を抽象化してる」ので汎用的に扱えます。

コレを「いつも、りんご一個で考えているので、りんごじゃないと納得できません」とか「じゃあ柿や桃ならどうなんですか」とかいい始めると、それぞれ個別の案件になってしまい、ややこしくなります。

学習法などは、そういった汎用的なものになります。


■学習の段階を知る

学習には段階があります

・とりあえずそのまま受け取って実行
・概要を体験しながら全体像をおぼろげに把握する
・個別の訓練をしながら徐々に全部繋げられるようにする
・一通り覚える
・覚えたての未熟なので、穴や思い違いがあるから、そこを埋める
・それぞれの深い意味や意図、根源まで把握できるようにしていく

というような段階があり、多くの人間は「一通り覚えた時点で完璧だと思い込みやすいクセ」があります。

通常の物事ならそれでいいんですが。

上を目指す物事の場合、出来る人達を集めて、その中でもっと出来るのが大事なので、それじゃ足りません。

多くの場合、そこで行き詰まってしまい「自分はできることは全てやったのに」などと傲慢な思い込みにハマりやすい性質があります。

単に復習が足りず「必要なことを十分に理解できていないだけ」なのですが。

うまく出来ないときは、基本的に「必要な地力が備わっていない」と覚えておくと便利だと思います。

未熟なときに得た真理はだいたい足りないかズレてることが多いので、そういうものだと思っておくといいです。
出来ていると思うと、人間は確認をしなくなる生き物なので。


■まあぶっちゃけると素直さ大事

色々とミスる仕組みをや人間的な癖について話しましたが。
実は別に、それほどすごいことを話してるわけじゃないんです。

わからないことはちゃんと調べよう。

コレに尽きます。

知らない上に処理できないことを、まるで既存の自分理論で把握できると思ったり理解出来る気になってるってのが問題なだけで。
無意識に「持論のが正しいので新しく知識を得る必要がない」とやってるだけです。

だってほら、自分の知識も技術も未熟ってときに
「自分は完璧に理解して処理しているはずなのに、なぜダメなのか」
って考えてるんですから、そりゃーうまくいかないだろうって話でして。

どう考えたって「出来ないことをわかる気になってて、まともに調べられもしてない」んだから、処理に問題があるよねってやつです。

えー、ここで死ぬほどぶっ刺さる人もいるかもなのですが。
まあ人間そんなものなのでだいじょぶです、よくある_(:3」∠)_

よくありがちなことは刺さっても刺さらなくてもいいとこなので、別に罪悪感を感じる必要はどこにもないです。

自分の人間らしさに安心してください。
問題は、これから先、どうするかでしかないので。

だから、資料を調べるなら、ちゃんと調べるといいと思います。
そして、まあそんなもんだよね、ってとりあえずそのまま受け取るだけです。

そのように、あなたが調査するとき、ちゃんと資料と比較対照して、資料の良さや知識を活かせてますでしょうか?

資料に敵わないと思ってるなら、まだどこか足りないんです、きっと。
もしくは、ちょっと資料見ただけなのに、既存の知識のほうが良いと思ったり、一夜漬け知識が資料と遜色ないと思ってるなら、たぶん傲慢なんです。

人間、無意識に「自分の今までのほうが正しい」と思うものなので。
でも、単に「自分のほうが足りない」ってだけです。

それだけのことじゃないですかな。

「よくわかんないけどそのまま受け入れる」

コレが出来るかどうかってだけです。
たとえば、英語の論理を日本語で解釈しても無理なので。

「へー、そうなってるんだ、なるほど」

それができれば物事は覚えやすいですんで。

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