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からっぽの箱、ミスiD


ミスiDってどういうもの?と考えた時、私は一番に「からっぽの箱」という言葉がイメージとして思い浮かびました。


からっぽってむなしい感じに取られちゃうと思いながらもあえて。一応これはいい意味で伝えようと思ってるよ!!!ごめん!
でもやっぱりミスiDはからっぽだと思う。
からっぽだからこそ色んな因子を飲み込めるのだと思う。
人であったり、概念であったりのいろんな感情が
iDという用意されたからっぽの箱に
1年かけて色も形も違う何かがぎゅうぎゅうに詰め込まれていく…私はそんなイメージをもっている。だから毎回完成(オーディション終了)までおもちゃ箱みたいな楽しさがある。

小林さん等ミスiD運営はこの箱を毎回用意しているのかと思うと頭が下がる。運営の酷く杜撰な所も去年幾度か見てきたけど私はミスiDが好き。


昨年行われたミスiD2021という箱の中に私という存在が入れたことはとても幸せだった。

何故なら私自身がからっぽだから。どこか箱の中に入れてもらえただけで何かを成し遂げた気持ちになれたからである。

そして誰に言われたわけでもないけど自分で勝手に「からっぽ」と思っている私が、自分の中身を見つけようとがんばるきっかけになったのがミスiDでした。

えっむなし。めっちゃむなし~~~~~~~~~~~~~~~




ただ、
「からっぽ」って思っていても、自分で自分の中身に気づけていないだけだよって今なら思う。

どんな人でもきっと、なにかしらは思っていて、その思想がある限り「からっぽ」なんかじゃないんだよね。

私は人のことを「からっぽ」なんていう人になりたくない。
今この文を読んでくれているこの中で「私はなんも取り柄がない」とか「からっぽの人間」とか思ってる子、そして誰かにからっぽと言われた子がいたら全力で否定するからね。

からっぽに見えてる部分はただ透明なだけ。
てかいいな、透明な部分って。私の心の透明な部分で金魚とか飼いたい。



あとミスiD受けたからって(グランプリ取ろうがファイナリストになろうが)事務所に入れたり仕事増えたり将来が保証されるわけではないじゃないですか。そんで一応(?)オーディションだでそりゃ次のステージで不進出になればこの世の全部から見捨てられたような気持ちにもなると思う。

「ミスiDは救いか救いじゃないか」~なんて議論もたまに起きたりしますが…結局自分を救えるのは自分しかいません。誰かのおかげだったとしてもその「誰か」を選んだ/信じたのは自分だと思うので。

用意された箱に入ってもそこは別にぬるま湯じゃない。いろいろ大変なこともある。
誰とも知らぬ人にも傷付けられたりもするかもしれない。
ただ何かにチャレンジする姿はきっと誰かの心を動かすことが出来ると思う。何より自分の心が動くと思う。
別にiDじゃなくてもいい。やりたいと思ってるなら動いてみよう…立ち止まるにはあなたの才能が勿体ないよー



この世界がつまんなすぎてからっぽに見えるあなた
自分がからっぽだと思ってしまうあなた
他人がからっぽに見えてしまうあなた

からっぽに見えてるところしか知らないあなたへ、
全世界のからっぽじゃない女の子達へ。この言葉が少しでも届くと嬉しいです。
がんばろ〜




追伸
本気で活動名変えたくなってきた、、


日常で「最高!」と言う時、脳内の変換が「鎖ゐこう」になっている事に気づいたあなた、立派な鎖ゐ子オタクです。いらっしゃっせー!