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小学生の家づくり No.1 はじめに

小学4年生と6年生の息子に「家をつくる体験」を誕生日プレゼントとしてあげると約束した。すでに建ててある家をプレゼントするのではなく、「つくる体験」をプレゼントすることを強調しておく。

先日、夏休みの到来とともに家づくりがスタートした。今後、ここで彼らの家づくりを追って、レポートしていきたいと思う。

私が「家づくりの体験」をプレゼントをしようと思った理由はたくさんあるけれど、今回は4つだけ選んで、家づくりを体験させたい理由をまとめてみようと思う。もちろん、息子たちが自ら家づくりを望んだのが、一番大きな理由だけれど。

その前に伝えたいことがある。家づくりと言っているけど、実際には8畳程度の建物に過ぎない。キッチンもトイレもないので、小屋と呼んでもいいかもしれない。ところが、子どもたちにとっては8畳の小屋はとてつもなくデカイ建物だし、床材もはるし、断熱材も入れるし、薪ストーブも設置する予定。それにペアガラスの窓もつける予定だなので、彼らにとっては小屋ではなく立派な家。だから、この投稿では「小屋づくり」ではなく「家づくり」と表現することにした。

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技術を習得するため

家をつくる体験で得られるのは一体なんだろう?って考えてみると、やはり、木材を加工して、何かをつくるための技術を得られるということだと思う。

子どもたちが保育園児だった頃、サンタさんはマイ道具箱をプレゼントしてくれた。そのおかげで、子どもたちは好きなように木工で遊んでいた。道具箱にはトンカチと釘、そして折り畳みノコギリが入っていた。サンタさんは、大人のためのちゃんとした本物の道具を選んでくれていたから、切れやすいノコギリだったし、トンカチは保育園児には重過ぎた。でも、子どもたちはいつも道具箱を出して、あれこれ作っていた。本当に小さかった頃は、木の廃材や暖房用の薪を使って、おもちゃのトラックや小さなおうちを作ったりしていた。時々、既存の商品の木のトラックをもらうことがあっても、必ず自分なりに手を加えて、好みのものに作り変えていた。

そのうち作るものが大きくなっていき、押入れを丸ごと猫の小屋に改造したこともあった。それに、鶏を飼うことになった時は、鶏を飼うのに最適な小屋を本で調べて、自分たちで設計図をかいた。そして、家にあった廃材を使って、ツギハギだらけの鶏小屋を作った。背の低い子どもたちのために、父親は柱に屋根をのせることを手伝ったけれど、それ以外の作業はすべて子どもだけで行った。

私は、完成した鶏小屋を見た時、これなら本格的な建物を作れると思った。そして、素人の私が教えるのではなく、基礎的な技術をきちんと身につけられるように、大工さんに指導してもらうことに決めた。

そして、技術がちゃんと定着するためには他にも建物をたて続けることが必要だと思うけれど、農家である我が家の敷地は幸いにも広いので、いくらでも小屋は建てられる。廃材を利用すれば、それほどお金をかけなくても建てられるから、なんとか技術を磨いていくことは可能だと思った。

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心の成長のため

さて、小学校に入る前の子どもには、とにかく安心できる家庭の暮らしを用意するのがとても大切だと思う。毎日同じ時間に起きて、同じ時間に食べて、同じ時間に寝る。このリズムある暮らしを送ることと、親が子どもにしっかりと気持ちを向けていくことで、子どもが安心して暮らすことができる。だから特別なことはそんなに必要じゃないと思っていたから、日々の暮らしを大切にしてきた。

そして、息子たちが小学校に入学してから、それまでと同じように日々の暮らしを大切にしつつ、何かを「体験」できるように重視してきた。それは、ディズニーランドに遊びにいくとか、どこかへ美味しいものを食べにいくとかではない。それはそれで素敵な体験なんだけど、私が心がけたのは、「日常に根ざしたことを、時間をかけて深く体験していく」ということ。決して表面的な体験ではなく、体験の中に子どもが没頭し、埋没していくような、そんな体験をさせてあげたいと思っている。だから、日常に欠かせない家を時間をかけて本格的につくるというのは、とてもふさわしい体験だと思った。

そして、何かを深く体験しているうちに、様々な感情が湧き上がってくるはずだ。作業をしていると、達成感、爽快感、喜び、楽しさ、期待感、絶望感、困惑、孤独、戸惑い、勇気、落胆、イライラ、時には飽きたり…。いろんな感情を体験するだろう。いろんな感情を体験しているうちに、心が豊かになっていくんだと思う。大人は言葉を使って子どもの心を育むことはできないけれど、体験できるよう物事を整えることはできると思う。

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物事を変えられる人間に成長するため

それに、子どもには頭でっかちな人間にはなって欲しくない。口先だけの人間にもなって欲しくない。だから、自分の手で何かを作り出すという体験を重視している。自分の手は小さくても何かを作れることは、目に見えるものに変化を加えるということ。この体験が積み重なっていけば、目に見えないものを変化させられるんじゃないかという自信に繋がっていくと、私は信じている。

目に見えないものって言うとスピリチュアル系の話をしていると思われるかもしれないが、そうではない。例えば、自分と他者の間に何か大きな隔たりがあったとしても、そこにどうにか橋をかけられるんじゃないか。とか、他者と協力することで、社会で何かを変えることができるんじゃないか。やる前から無理って思うんじゃなくって、何かを変えられるかもしれないと考えられて実行に移せるような、前向きな人間に育ってほしいと思っている。

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小さな平和を作り出せるように

また、何かを作り出せることは、平和にも繋がると信じている。子どもたちがまだ保育園児だったころ、ニュージーランドに家族で3ヶ月滞在したことがあるのだけれど、息子たちは、マオリ族の子どもたちに、めちゃくちゃ虐められた。でも、虐めてくる子どもたちのために、折り紙で作った鶴とか船とかをあげたら、とても喜ばれた。そして、作り方を教えながら、いじめっこたちと折り紙で何かを作っている間、それはそれは平和な時間が流れていた。

だから、何かを作れるってことは、争いからちょっと遠ざかることができるんだと思っている。我が家は農家だから、野菜をたくさん作ったら、惜しみなく他者と分かち合うことができる。野菜が作れないと、自分の持ち分が減っていくばかりだから、他者と分かち合いたいとなかなか思えない。分かち合うことができない延長に奪い合いが存在する。そんなことを考えると、私は、自分の手で何かを作り出せる人は分かち合うことが簡単にできて、さらに作り方さえも分かち合うことができて、小さな平和を作り出す可能性があるんだと思っている。

さて、夏休みに入ってからは、大人が目覚める前には作業場に行って、子どもたちは大工さんから課された宿題に励んでいる。材木に印をつける宿題が意外と早く終わり、今ではノコギリやノミで切ったり掘ったりしている。

私たちは10月のはじめから薪ストーブを炊くほど寒い地域に暮らしている。真冬はマイナス17度ぐらいまで気温が下がる。だから、家づくりも秋になるとストップしなければならない。1年中作業ができるわけではないから、今年は土台を作って、柱を建てて、屋根をはるところまでを目標にしている。急がせると怪我に繋がるし、じっくり時間をかけて体験してほしいと思っているから、すぐに完成しなくてもいいじゃないかな。私としては家を建てることよりも、家を建てることによって得られる内面の成長が、よっぽど大切だと思っている。

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