
今のママが一番いいよ
昨日、娘が私の顔をジーッと見つめてこう言った。
『ママ、イケてるね。今が一番いいよ』
実は、私から見た娘も、
今が一番イケているように見える。
↑
全然関係ないけど、娘が描いたlolドール。イケイケ。
ママ、前のコーチング、
合ってなかったと思うよ。
娘に言われて、ハッとした。
そう。
私は今年に入ってから、コーチの仕事の幅を広げるためにジャンルを問わず、色々な勉強をして、結果的に大きな方向転換をした。
当時は言えなかったけど、イライラが身体から滲み出てたよ。顔は笑ってるし、雰囲気も穏やかだけど、顔の半分にイライラが出てて、ブサイクだった。
コーチング、意味ないんじゃないか?とずーっと思ってた。
そりゃ、やばいな。笑
昨年、3回ほど娘から言われたことがある。
『お願いだから、コーチングをやめて』
『ママは幸せそうじゃない』
当時の私は、娘の真意に気がつくことができなくて、忙しいから寂しい想いをさせているのかな?とか、まだ幼いから私の仕事を理解するのは難しいかな?とか、見当違いの捉え方をしていた。
そのうち娘は私の頑固さに呆れたのか、何も言わなくなった。
理解してもらえたと私は勝手に感じていたのだが、真相は違った。
真相はこうだ。
言っても無駄だから、信じて見守ることにした。私は、ママが自分にとって合う選択をすることを信じてた。
どんだけw
思わず、
『心配かけてごめん』
と、謝った。
娘は、『大丈夫。信じてたから心配はしてない』
どっちが親かわからん。
先日、箏でTVに出た時の控え室での1コマ。
貫禄w
↓
要するに、何が言いたいかというと、
合っているか、
合っていないかは、
意外と自分では分からない
ということ。
私は、自分に合っていると思っていたし、主体的に満足のいく選択をしているつもりだった。
そして、コーチングが機能していると信じて疑わなかった。
しかし、実際は、
そうでなかった可能性もあったということだ。
私は大きく方向転換してから、
とても楽に楽しくコーチングが出来るようになり、さらにコーチングが好きになった。
前のコーチングが良い悪いではなく、より自分に合っているというか、幅が広がったことが、ものすごくプラスになっている。基礎になる部分を形成できたことは感謝しかない。
コーチングには派閥というか、
フィロソフィーというものが
団体によって、色々あるのだけれど、
そういうのを気にしなくなったかもしれない。
根っこは同じ。
そして、改めて思う。
フィードバック、聞こう。
自らの盲点は、決して自力では気がつけない。だからこそ、世のエグゼクティブはこぞってコーチを雇い、日々フィードバックをもらうことを大切にしているのだ。
耳の痛いフィードバックこそ、その中にヒントがあるのかもしれない。
それから、
信じて見守ってくれる存在の大きさも
今回、改めて感じることができた。
大きく方向転換してからの方が、
出張が増え、一緒にいられる時間は激減したのだが、文句を言われたことは一度もない。
合う、合わない
何に対しても言えることだけれど、
主観だけではなく、時には他人の目から見た自分を知る機会も大切だ。
そして、
合わない選択をしていた期間も、また、必要な経験だったのだとも感じている。だから、極論どっちでもいいのかもしれないけど、出来ればハッピーな選択をしたいな。
自分のためにも、大切な人のためにも。
重ね重ねになるけれど、
良い悪いではなく、自分の状態を知っていることが大切なんだと思う。
裸の王様に、
『裸やん?』ってフィードバック、
なかなか出来ないけれど、
自分が知りたいと思えば、
いつだって『裸やん?』というフィードバックはもらえるはずなんだ。
だだし、受けとれるかどうかは別の話。受け取れる人でありたい。
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