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#003 アジカンに騙された②

前回書いた「アジカンに騙された」は公開したあとに、ちょっと言い足りてない部分があることに気が付いた。"冴えなそうな人ロックバンド"の筆頭的な存在だったアジカンだが、年月を経るにつれどんどんあか抜けていったように思う。アジカンのあか抜け具合と比例しながら、僕も「これは演出だったんだな」と気が付いていき、アジカンとはファイブエム以上の距離が開いたと思う。だって、どんどん髪が伸びて髭も伸びてメガネもお金がかかってそうだったんだもん。

そんなアジカンにもう1点騙されていたことがある。”冴えない”アプローチのアジカンだからこそ「僕と君」について歌うことで信憑性が増す、みたいな話を前回書いたわけだが、それを覆された瞬間があった。シングル『サイレン』である。

『サイレン』というシングルは男女のすれ違いが描かれていて、表題曲の「サイレン」は男目線、カップリングの「サイレン」は女目線の歌詞である。「騙された!」と思った。

アジカンのソングライター・後藤正文は”冴えない”見た目の人。そんな人が「僕と君」についての曲を歌う。だからこそ、そこで書かれる歌詞はすべて「本当」だと思っていた。「嘘」がない。というかロックバンドの人は「嘘をついてはいけない」。そんな中学生特有の幻想が僕にも当然あり、その自分の持つ幻想が一番バチンとハマるバンドがアジカンだった。だって”冴えない”んだもん。

そう思っていた人が「フィクション」を書きやがった、と思った。これには困惑した。この曲をどう捉えていいか全然わからなかった。曲調も1stアルバム『君繋ファイブエム』から大きく変わっていた。

その昔、「Yahoo!ミュージック」というサービスがあり、そこでYahoo!からの音楽ニュースとかリリース情報とか掲示板の書き込みとかができていた。ゼロ年代インターネット遺産である。そこにあったシングル『サイレン』の掲示板で、『男目線の「サイレン」と女目線の「サイレン」をうまく重ねて聴くととんでもないことになる』という書き込みを見つけた。早速実践してみた。とはいっても当時、ちゃんと1発で0コンマ何秒とか修正して綺麗に重ねながら2つの音源を聴く術もないので(正直に言う。今もない。)、MDコンポからMDで男目線の「サイレン」を流し、レンタル落ちで買った盤をポータブルCDプレイヤーから女目線の「サイレン」を流し、ポータブルCDプレイヤーからのイヤホンのボリュームとコンポのボリュームを調整しながら、しかも2つの音源を1秒単位のズレもないようにめちゃくちゃ微調整しながら「サイレン」の重ね聴きを実践した。

そして上手く重なって聴こえた瞬間の世界の広がり方はすごかった。「アジカンはCDシングルをこのようにハックしようとしていたのか!」と思った。当時アルバム未収録のカップリング曲というのは、どうしても捨て曲扱いというか、あまり語られない存在になりがちだった。しかも当時のSONYは「レーベルゲートCD」という、これもゼロ年代J-POP界の負の遺産として語られるものだが、それを推している時代だったので「CD」というものの価値がどんどん落ちていく時代だった。現に『サイレン』が発売された2004年というのは、シングルCDのミリオンセラーが1989年以来15年ぶりに存在しなかった時代で、この年から着うたという音楽データダウンロード時代が台頭してくる。

「CDというパッケージをハックする」という気概がアジカンサイドにあったかどうかは知らないが、僕は「やられた!参った!降参!」と白旗をあげた。完全に騙された。構造で遊びながら物語を紡ぐことのファーストインパクトはアジカンの『サイレン』だった。これは僕が求めるヒップホップ性でもある。

そんな中学生のときに味わった体験を、高校生のころに僕の音楽表現の相方となる上野君に話したことがある。「アジカンの『サイレン』の重ね聴きってしたことある?マジでヤバいよ。」と。そしてそれを「Yahoo!ミュージック」で見かけたものとしてでなく、自分で発見した体で喋った。アジカンが物語という「嘘」をついたんだ。僕だって「嘘」をつく。そしてそれを聴いた上野君が言った。「これヤバいね。菅野が自力で見つけたんでしょ?やっぱりAB型ってすごいな。」

上野君が言った「AB型ってすごい」という言葉は、「嘘」をついてしまったちょっとした罪悪感と共に、なんか一生忘れられなくなってしまった。

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