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20221216

 水曜日。スーパーへ行こうと、コートもマフラーも手袋もばっちり着けたところで雨が降りはじめる。しかも風の強い日だったので、雨粒が横に斜めにぶおんぶおん飛びまくっている。
 これは無理だ、と諦める。
 午後、父からお歳暮のお礼の電話。食べものなどをいろいろ詰め合わせて贈った。お餅、甘酒、豚汁、お茶、それから綺麗な柄のふきん。
 本当は話したいことや話すべきことや聞きたいことが山ほどあるはずなのに、どうでもいいことしか話せないし、父との会話はいつもうまく噛み合わない。八分ほど話して、切る。
 ミルクティーの美味しいいれ方を調べる。ティーバッグを一度にふたつ消費してしまうけれど、今までで一番美味しくできたので、今後もこのいれ方にしようと思い手帳にメモする。
 左手の人差し指がしもやけの気配。ユースキンを塗って眠る。

 木曜日。スーパーへ。入ってすぐのコーナーに、もうお餅が積み上げられている。
 お正月に義実家へ持っていくお菓子についてえんえん考えている。一年中考えている。
 結婚する頃に「これからは我が家の定番をひとつひとつ決めていこう」と思っていたのに、私が定番にしたいと思ったものはなぜか次々この世から消えていってしまう。
 悩んで悩んで、結局超定番の超無難なものを買うことになるだろうし、結局そういうものが喜ばれたりする。結局。
 私は人によく思われたいのだと思う。

 金曜日。夫は月に一度の東京出張へ。使い捨てのパックに、のり弁を詰める。
 年賀状の宛名を少しずつ書いている。今日は四枚。
 この時期になると「来年は筆ペン字とかやるべきだな」と思い、でもやらず、また一年後に同じことを思っている。私の字は子供っぽいし、書く方の手(左利きだけど書くのだけは右に矯正された)は普通の人より弱いので、きちんとペンを持っていられない。
 それでも、毎年宛名は必ず手書きにしている。そうでなきゃ、年賀状なんて意味がないと思っている。身内と友達、ほんのすこしの枚数なのだから。宛名を手書きすることと、元日に届くように出すことは、私の中で揺るがない決まりごとになっている。
 自分のことを古くさい人間だと思う。とても平成生まれとは思えない。だからみんな、私のことが嫌いだと思う。私はずっと、アップデートしない。流されないけれど、流れに乗ることもできず、それなのになぜか後退はできるから、どんどん退化してしまう。みんなが忘れてしまうことに執着して、ばかみたいに覚えているのに、新しいことは覚えようとしない。前に進みたくない。ずっとここにいたい。

 北欧、暮らしの道具店で買ったものが届く。この前割れてしまったお皿と、別の小さなお皿と、バスマット。バスマットは、もう三枚目になる。もうバスマットはこれしか使いたくないのでどうかなくならないでほしい。
 私はこのお店で、生活の道具を買っている、と思っている。娯楽品とか嗜好品ではなく。
 十年前くらいまで、生活の道具というのは百円均一とか、ホームセンターとかで買うものだと思っていた。
 そうじゃなくてもいいんだ、ということを、このお店と出会って知ったような気がする。好きな洋服を選んで買って着るみたいに、食器とか、鍋とか、バスマットとか、タオルとか、雑巾一枚スポンジ一個ハンガー一本だって、そういう生活にまつわるこまごましたものも選んで買って使えばいいんだ!
 今の私の生活を、辛うじて繋ぎとめているのはそういうことなのだと思う。いつ死んでもいいと思っている世界で、すっかり手に馴染んだお椀で飲むお味噌汁とか、綺麗な色のお皿にのせたなんでもないようなおかずやお菓子、櫛やブラシをまとめて入れているガラスの器に夕日がうっすら当たること、ベランダで風に揺れているハンカチやバスマットが好きな色であること、そういうものやことによって私は生きていられるのだし、生きていかなくてはならないのだと思う。そういうものやことによって、良くも悪くも私はこの世界と繋がっている。


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